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寡黙な領主 ―黒き瞳に宿る熱―

両脇に並んだ家臣や侍女たちが一斉に頭を垂れる中、松明の炎が揺らした。


その赤い揺らめきに照らされて、門前にまるで銅像のように立つ人影があった。


グユウだった。


妃を迎えるため、無言のまま待ち受ける若き領主の姿に、ジムはわずかに安堵する。


そして意を決し、豪華な馬車の扉に手をかけた。


馬車の扉が開き、最初に伸ばされた白い手を見た瞬間、周囲の空気が張りつめた。


そして、ゆるやかに姿を現したのは――まるで神話の絵から抜け出したような姫だった。


金の髪は松明の炎を受けて揺れ、夕空に浮かぶ星のように煌めく。


白と淡い紫色のドレスは夕闇に映え、その奥にある瞳はさらに濃い青で、まっすぐに前を見据えている。


「・・・なんと・・・」

誰ともなく小さな吐息が洩れる。


並んだ家臣たちは息を呑み、思わず背筋を伸ばした。


侍女たちは頭を垂れながらも、その美貌を盗み見て、目を伏せることすら忘れている。


普段は折り目正しい重臣 オーエンでさえ、瞬きを忘れたように見入っていた。


荘厳で冷たい空気をまとった城門前が、その一瞬だけ別世界に変わったかのようだった。


ジムはただ胸の奥でつぶやく。


ーーこれが、ゼンシ様の妹、シリ様。


シリはゆるやかな足取りで、まっすぐにグユウのもとへ歩み出た。


その背後に従いながら、ジムは固唾をのんで二人の距離を見守る。


門の前に立つ若き領主。


高い背に無駄のない体躯。

黒の燕尾服に白いボウタイを合わせたその姿は、まるで鋳型から打ち出された銅像のように端正であった。


だが、ジムの目には別のものが映った。


グユウは、まるで我を忘れたかのように姫を見つめている。


ーーこれまで女性の姿に関心を寄せたことのないグユウ様が。


その黒い瞳に、かすかなざわめきが揺れていた。


もちろん、それは長年仕えてきたジムだからこそ分かる、ごく微細な変化にすぎない。


周囲の目には、ただ無表情に佇む領主の姿としか映らなかっただろう。


それでもジムの胸は震えた。


――寡黙なグユウ様が、初めて女性に心を動かされたのではないか。


やがて、シリはまっすぐに歩み寄り、グユウの眼前に立った。


沈黙が二人の間を覆う。


グユウは無表情を通り越し、まるで置物のように立ち尽くしていた。


ただ――魅入られたように、シリの姿を見つめ続けている。


シリもまた、臆することなく真っ直ぐにグユウを見返していた。


通常の妃ならば、ここまで長く男性の顔を正面から見つめることはしない。


ーーシリ様は、他の女性とは少し違う。


ジムはそう思わずにはいられなかった。


そして確かに、グユウの黒い瞳に、これまで見たことのない熱がほんのわずかに宿っているように感じられた。


しかし、長い沈黙に見かねてジムは低く鋭い声で名を呼ぶ。


「・・・グユウ様」


その瞬間、夢から覚めたようにグユウが小さく瞬きをした。


「・・・グユウ・センだ」

低く短い声が落ちる。


「遠路ご苦労だった。今夜は・・・ゆっくり休むといい」


照れ隠しのように視線を逸らし、ほんの一瞬だけ姫を一瞥する。


そして、何も言わずに背を向け、足早に城の中へと消えていった。


――確かに、いつものグユウ様よりは言葉にした。


けれど、遠路はるばる嫁いできた妃にかけるべき言葉としては、あまりにも不十分だ。


ジムは苦悶の表情を浮かべ、控えていた侍女を呼び寄せた。


「・・・シリ様を、お休みの部屋へご案内申し上げよ」


その声の裏に、老臣の深い嘆息が隠れていた。



翌日、結婚式と披露宴が開かれた。


式の前、ジムは控室で若き領主に進言した。


「・・・言葉が難しければ、せめて笑顔を。笑った方が良いのです」


グユウは一瞬考え込み、そして唐突に問うた。


「・・・どうだ?」


それはグユウなりの“笑み”らしかった。


だが、固い表情筋はほとんど動かず、むしろ無表情にしか見えない。


「・・・全く笑っておられません」

ジムは苦しそうに答えるしかなかった。


それでも――ジムの目には、変化が見えた。


青いウェディングドレスに身を包んだシリを目にした瞬間、グユウは思わず口をわずかに開いたのだ。


女性の美に興味を示したことのなかったグユウが、初めて“見惚れる”ように視線を注いでいる。


だが、その感情は決して当の姫には伝わらなかった。


シリに向ける言葉はなく、行事のあいだも二人は一言も交わさなかった。


時折、シリがじっと夫を見つめる。


しかしグユウはその視線を受け止めず、無表情のまま前を向き続けるだけ。


――グユウ様は、確かにシリ様に心を動かされている。


だが、それゆえにどう振る舞えばよいのか分からず、身じろぎもできないのだ。


ジムは胸の奥で、言いようのないもどかしさを覚えていた。




その夜は初夜だった。


領主夫婦の初夜には、例に倣い、ジムは再び寝室に隣接する隠し小部屋で待機し、

覗き窓から二人の様子を見守った。


驚くべきことが起きた。


シリが、夫に自ら話しかけていたのだ。


妃は口を慎むように教育される――それがこの時代の美徳。


前妻マリーのように、女性は従順であることが求められてきた。


だが、この姫は違った。


恐れず、言葉をかけている。


戸惑いながらも、グユウはその会話に応じていた。


そして、しばし彼女をじっと見つめたのち、自ら身を寄せ――口づけをした。


初夜に口づけ。


本来ならば当然の営み。


だが、ジムにとっては衝撃だった。


ーーあのグユウ様が、自分から口づけを。


前妻のときには、一度も見られなかった姿だ。


やがて二人は寝台に身を寄せ、結ばれるかと思われた。


しかし状況は一転する。


シリが怯えているように見えた瞬間、グユウは動きを止め、そっと身を引いたのだ。


距離を置いたグユウに、シリは真っ直ぐに詰め寄る。


「・・・なぜ抱かないのですか」


「・・・怖がっている女は抱けない」

低く、短い言葉。


その返答に、シリは泣きながら感情を爆発させた。


「私は・・・泣いていません!」


その叫びは、寝室の静寂を切り裂いた。


泣いているシリを、グユウは呆然と見つめていた。


「わかった。・・・お前は泣いてない。オレは疲れた。一緒に寝よう」

断片的な言葉を吐き出し、シリの腕をとって寝台に寝かせた。


「・・・私、眠くないです」


「そうか」

グユウは返事をする。


「私は平気なんです」


「あぁ」

グユウの返事は短い。


それでも今までとはまるで違う音色だった。


寝ついたシリを、グユウはそっと髪を撫でた。


初夜は失敗だった。


けれど、


隠し部屋の中でジムは息を呑み、胸の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じた。


――この二人は、前とは違う。


寡黙なグユウと、決して怯まずに言葉を投げるシリ。


その出会いが、確かに何かを変え始めていた。



それから三日間、夫婦の間に具体的な進展はなかった。


だがジムの目には、二人の距離がゆっくりと、確実に縮まっているように映った。


ふとした折に、グユウがシリを見つめる姿を何度も目撃した。


無表情の奥に、これまで隠されていた感情が、少しずつ滲み出している。


結婚して四日目のこと。


シリは唐突に「乗馬がしたい」と言い出した。


この時代、女性が馬にまたがることは恥ずかしいとされていた。


だが、馬場に現れたシリは、ためらいもなく乗馬服に身を包んでいた。


女の身での乗馬装――ほとんど男装と言ってよい。


見たこともない大胆な服装、そして、物おじせず凛とした姿に、ジムは思わず息を呑む。


二人は並んで馬を走らせ、やがて満開のりんごの花の下で足を止めた。


そこで交わされた会話は短いものだった。


けれど――グユウの眼差しには、はっきりとした想いが宿っていた。


遠くからその様子を見つめながら、ジムの胸は熱くなった。


ーーグユウ様。あなたは、確かに変わり始めている。


この頃から、シリはよく夫の顔を見つめるようになった。


ただ美貌を仰ぐのではない。


その黒い瞳の底に潜む本当の心を、知ろうとする眼差しだった。



その夜。


寝室で二人は窓辺に並び、静かに月を眺めていた。


「今日は楽しかったです」

シリが口を開く。


「・・・そうか」

返ってきたのは、いつもの短い返事だった。


だが次の瞬間、グユウが不意に言葉を続ける。


「オレといても・・・楽しくないだろ」


「どういうことです?」

シリが即座に問い返す。


隠し小部屋に潜むジムは、息を呑んだ。


妃が疑問を投げかけるなど、本来ならば正しい振る舞いではない。


けれど――寡黙な領主には、それが救いとなっていた。


「・・・オレは、話すのが得意じゃない」


「知っています」


「だから、オレといても・・・楽しくないだろう」


その言葉に、シリは一歩前に出た。


「楽しいかどうかは、私が決めることです」


その強い声に、グユウは初めて真正面からシリを見つめた。


二人は黙って見つめ合う。


背後の窓からは、美しい月光が二人を照らしていた。


やがてシリは、ぐっと彼の袖を引いた。


「・・・グユウさんの目って、黒くて綺麗ですね」

かすかな声。


驚きに揺れるグユウの顔。


その表情は、ジムが初めて目にするものだった。


次の瞬間、シリはつま先立ちになり、自ら唇を重ねた。


――なんと・・・!


ジムは思わず目を見開く。


三日前まで情事を怖がって泣いていたシリが、今は寡黙な夫の心を動かそうとしている。


そして確かに――その瞬間、グユウの中で何かが始まった。


グユウはシリを力強く抱き寄せ、その身体を抱き上げ、寝台へと運んでいく。


「・・・やめるなら今だ。嫌なら、拒んでくれ」


「それは・・・相手にもよります」

シリが強い眼差しで見上げて答える。


「オレでは・・・」

自信なげな声に、シリはきっぱりと告げた。


「――グユウさんなら良いですよ」


その言葉に、グユウの表情がみるみる崩れ、揺れ動く。


そしてついに、彼の口から二文字が落ちた。


「・・・シリ」


全ての想いを込めて、その名を呼び、彼女を抱き寄せた。



翌朝。


グユウの顔には、これまでにないほど柔らかな気配が宿っていた。


一夜にして変わったその雰囲気に、ジムは驚きのあまり息を呑む。


二人は不器用だった。


シリは気が強く、思ったことをはっきり口にする。


寡黙で意思の疎通を見せない夫に、何度も苛立ちを爆発させた。


だが、それは恐れや拒絶ではなく、真剣に向き合おうとするがゆえのものだった。


しかも彼女は一般の妃とは異なり、政治に強い関心を持ち、領主と意見を交わすことを好んだ。


常識に縛られぬその強さに、グユウが少しずつ惹かれていくのが、ジムには手に取るように分かった。


表面的には変わらぬグユウ。


相変わらず無表情で、口数も少ない。


だが、今はその瞳に確かな熱が灯っている。


そして、シリはその変化を決して見逃さなかった。


彼の表情を、ただじっと、真っ直ぐに見つめ続けていた。



結婚から十日が過ぎた。

その日も二人は馬を並べて走らせ、やがてりんごの木の下に腰を下ろした。


数日前には満開だった花はすでに散り、若葉が枝を覆っている。


春の名残を惜しむように、その下で二人は言葉を交わしていた。


もっとも、会話のほとんどはシリのものだった。


グユウは「そうか」「あぁ」と、短く応じるのみ。


だが、その控えめなやりとりの中に、夫婦の静かな温もりが宿っていた。


ジムは少し離れた場所から、その仲睦まじい光景を見守っていた。


そろそろ城に戻る頃合いか。


声をかけようと近づいたその時、シリの澄んだ声が耳に届いた。


「・・・グユウさん。私のこと、好いていますか?」


思わずジムは大木の影に身を寄せ、耳をそばだてた。


突然の問いに、グユウは呆然とした表情を浮かべる。


答えられずに黙り込む夫に、シリは不満そうに顔を寄せ、もう一度問い直した。


「私のことを・・・好いていますか?」


その真剣な眼差しに射抜かれ、グユウは絞り出すように声を出す。


「・・・あぁ」


――グユウ様、それでは伝わりません。


ジムは胸の奥でもどかしさを覚え、無意識に二人を凝視していた。


けれどシリはじっとグユウの顔を見つめ、そしてふっと笑みを浮かべる。


「それなら――良いです」


――なんと。


ジムは息を呑んだ。


グユウのわずかな表情から心を察したように、シリもまた、彼の奥に潜む思いを汲み取っていた。


ジムが長年そうしてきたように。


不意に、グユウがシリの肩を抱き寄せた。


そして、ためらいなくその唇をそっと重ねる。


シリは驚いたように目を見開いたが、やがて表情を和らげ、静かに身を委ねた。


若葉に包まれたりんごの木の下。


差し込む光が二人を照らし、その光景は一枚の絵のように美しかった。


大木の陰から見守っていたジムは、深く息を吐いた。


――ついに、グユウ様は気持ちを表すことができたのだ。


相変わらず、寡黙で無表情だけど、

隣に寄り添う妃が、その沈黙の奥から確かな想いを引き出してくれた。


理解してくれる伴侶に出逢えた。


ジムの胸に、静かで暖かな安堵が広がっていった。


ーーこの二人ならきっと領を導いていける。


これは結婚十日目の小さな一幕にすぎない。


若き領主夫婦を支える日々は、まだ始まったばかりだ。



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


今回の短編は、寡黙な領主を支える老臣ジムの裏側を書いたお話です。

彼を好きでいてくださる方に、より楽しんでいただければ嬉しいです。


この短編は『秘密を抱えた政略結婚』本編のスピンオフで、

無愛想な夫・グユウを描いた話です。

短編だけでも楽しめますが、本編を読むと二人のすれ違いや政略の背景がより深く伝わると思います。


本編はこちら

→ 『秘密を抱えた政略結婚 〜兄に逆らえず嫁いだ私と、無愛想な夫の城で始まる物語〜』

(Nコード:N2799Jo)



そして現在は、本編の続編となる長編

→ 『秘密を抱えた政略結婚2』 を連載中です。

こちらも合わせてお楽しみいただければ幸いです。


本日、新たな短編を書きました。


家臣オーエン、魔女と呼ばれた妃に惑わされる


N4509LA こちらも合わせてご覧ください。




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