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あの妃より美しい女を探せ ーある家臣の敗北ー

夜の蝋燭が細く揺れていた。


「妃が身ごもった」――マサキ様の低い声が部屋に響く。

俺の主であり、領主グユウ様の父だ。


「めでたいことだ」と口では言いながら、顔には苦々しい影が浮かんでいた。


3ヶ月前に強領 ミンスタ領から嫁いできた妃シリ様。


結婚早々、もう身ごもった。


「息子は、あの妃に骨抜きにされておる」

マサキ様の声には、明らかな不満がにじんでいる。


周囲の家臣たちがうなずいた。


「確かに、あの美しさなら・・・」と。


だが俺は黙っていられなかった。


「あの妃は敵領と通じています。いずれこの領を生家に乗っ取らせるつもりだ!」


声を張り上げると、空気が凍る。


それでも引かなかった。


「魔女だ。グユウ様を惑わす女だ!」

拳を卓に叩きつけると、蝋燭の炎が揺らいだ。


マサキ様は、じっと俺を見つめてから命じた。


「オーエン、領内から若く美しい娘を探せ。第二夫人だ。

 あの妃より美しい女を見つけ出して、息子の目を覚まさせろ」


「・・・承知しました」

そう答えながら、胸の奥が静かに疼いた。


――どれほど美しい女を見ても、あの妃ほど心を奪う者はいないだろう。



翌朝、俺は馬場へ向かった。

そこに、青いドレスの裾を風に揺らす妃の姿があった。


光を受けた髪が金の粒のようにきらめき、

振り返る仕草すら一枚の絵画のようだった。


彼女が笑うたび、世界の色が変わる気がした。


――あの方が、“魔女”と呼ばれる妃。


確かに容姿は抜きん出ている。


あの頑なだったグユウ様が惚れるのも、無理はない。


その笑顔を目にした瞬間、胸の奥がわずかに軋んだ。


俺はただ、立ち尽くすしかなかった。


「・・・俺は騙されない。魔女には」


そう自分に言い聞かせた時、

妃がドレスの裾をたくし上げ、馬の脚元にしゃがみ込んだ。


「こら、暴れないの。蹄鉄が歪んでるわ」

白い指で、蹄を押さえる。


泥がはね、青い布を汚した。


「何をしているのですか」

思わず声が出た。


女が、ましてや妃が、馬の世話をするなど聞いたことがない。


馬は兵や下僕が扱うもので、貴婦人が触れるなどあり得ぬことだ。


なのに――この妃は、平然と蹄を点検している。


彼女は振り向き、悪びれもせず笑った。


「放っておいたら、この子、走れなくなるのよ」


陽光の中で、金の髪がふわりと揺れる。


指先も頬も泥まみれなのに――その姿は、どうしようもなく美しかった。


――変わった女だ。


常識など、まるで通じない。


だが、だからこそ目が離せない。


俺は息を呑み、ただ見惚れていた。


――あぁ、たしかに魔女だ。

男を惑わすとは、こういうことを言うのだろう。



「グユウ様にふさわしい第二夫人を見つける」

俺はそう決意し、必死に候補探しを始めた。


羊皮紙には、領内の娘たちの名が、年齢と家柄と共に整然と記されている。


その姿を見て、重臣のジェームズが笑いながら言った。


「ついでにお前の妻候補を探せ」


――確かに、もっともだ。


『美しい』と評判の娘の家を訪ね、何人も面談を重ねた。


どの娘も美しく、しとやかで、礼儀正しく、非の打ちどころがない。


――妃にするなら、こういう娘が良い。


そう思いながらも、胸の奥に何かが引っかかった。


第二夫人の話を持ちかけると、娘たちは黙って俯いた。


代わりに父親たちが恵比寿顔で了承する。


第ニ夫人とはいえ、領主の妾になれるのだ。

家の名誉になる。


だがその空気が、俺にはどこか冷たく感じられた。


ーー不思議なものだ。

多くの女に会っても、何かが足りないと思ってしまう。


余計なことを言わない、淑やかで、微笑む。


理想的な女性なのに。


しばらく考えた末に気づいた。


ーーどの女にも、“芯”がないのだ。


明確な意志がなく、控えめで、誰かの顔色をうかがうような娘ばかり。


妃のように、自らの手で蹄を押さえ、泥にまみれるような女など――

この領には、ひとりとしていなかった。


当たり前だ。

あんな女、この領にはいない。

国中を探したところで、あれほどの女がいるものか。


理想的な女ばかりを見てきたのに――何かが違う。


ため息をつきながら、俺は城へ戻った。


机の上には、まだ羊皮紙が広げられたままだ。


整然と並ぶ名前と家柄の列。

そのひとつひとつが、急に色あせて見えた。


そこへ、重臣のジェームズが顔を出した。


「どうだ? いい女は見つかったか」


俺は黙って首を振った。


「いないのか?」

「・・・いない」


ジェームズは目を丸くして、俺の隣に腰を下ろした。


「どうした。リストに載っている女は、どれも器量がいいはずだ」


「美しいさ」

俺は小さくうなずき、目を伏せた。


「だが・・・違うんだ」


「違う?」


「そうだ」

声が自然と低くなる。


「この中の誰も、心に残らない。笑っても、語っても、何も響かない」


ジェームズは怪訝そうに眉を寄せた。


「お前はどんな女が好きなんだ?」


その言葉に、脳裏をよぎったのは――あの妃。


スカートの裾をたくし上げて馬を追う姿。


木の枝に登り、風に笑う姿。


誰の意見にも屈せず、はっきりと物を言う唇。


表情がくるくる変わる、まっすぐな瞳。


気づけば、息を呑んでいた。


――何を考えている。あの方は、領主の妻だ。


俺がどうこう思っていい相手ではない。


それなのに、胸の奥が妙に熱く、呼吸が乱れる。


「おい、どうした? 恋の相談なら聞くぞ」

ジェームズが冗談めかして言う。


「そんなことはない!!」

思わず大声を出して、立ち上がった。


蝋燭の炎が揺れ、影が壁に跳ねた。


ジェームズは苦笑しながら肩をすくめる。


俺は拳を握りしめ、背を向けた。


――違う。慕っているわけではない。


ただ、あの妃が他の女とは違うというだけだ。


そう言い聞かせながら、胸のざわめきを押し殺した。


けれどその夜、眠りについても、瞼の裏にはあの青いドレスが揺れていた。



翌日、レーク城のホールには、百名を超える家臣たちが集まっていた。


集会の理由は二つ。


ひとつは、遠征の準備の最終確認。

もうひとつは――領主グユウ様に第二夫人を迎えるよう進言するためだ。


壇上に領主夫婦が現れた瞬間、空気が張りつめた。


背の高い二人が壇上に立つと圧巻だ。


俺の視線は、自然と妃へと吸い寄せられる。


柔らかな光をまとう純白の衣。

風に流れるような金の髪。


堂々と立つその姿は、ひとりの妃ではなく、ひとつの象徴のようだった。


――美しい。


否定したくても、目を逸らせない。


その圧倒的な存在感に、胸の奥が熱くなる。


あの美しさゆえに、人は彼女を“ミンスタの魔女”と呼ぶ。


だが俺には、そう呼ぶことでしか自分を保てない。


マサキ様が俺に頷く。


俺は深く頭を下げ、壇上へ進み出た。


「グユウ様、キユ家の娘は器量良しと聞いております。一度、お目通りを」


第二夫人を持つこと――それは領主として当然のこと。


多くの子をなし、他領に嫁がせ、同盟を強める。


それがこの国の常識であり、繁栄の基盤でもあった。


ただし、第二夫人を迎えるには、妃の承諾が必要だ。


そのため、俺は領主夫婦の前で提案を申し上げた。


妃は、微動だにせず前を見据えていた。


硬く、美しい横顔。


まるで、誰の言葉も寄せつけぬ氷の彫像のようだった。


「断る」


グユウ様の返答は短く、迷いがなかった。


「しかし・・・! グユウ様!」

思わず声が上ずる。


城の家臣たちは皆、同じ不安を抱いていた。


ーーグユウ様が妃にあまりにも心を傾けている。


その姿は、まるで神に跪く信徒のようだった。


もちろん、夫婦仲が良いのは喜ばしい。


だが、行き過ぎれば判断を誤る。


前妻の時は冷え切っていたぶん、余計に不安が募るのだ。


それに――あの妃。


あのミンスタから嫁いだ娘。


彼女がこの領を、生家の支配下に置こうとしているのではないか。


そんな囁きが、城中に広がっていた。


他の家臣たちも、俺に賛同するように口を開いた。


「グユウ様、第二夫人のことはお考えですか?」


「全く考えていない」

その一言に、場が静まり返る。


まるで風まで息を潜めたようだった。


「それでは・・・」

誰かが小さくつぶやく。


不満の空気がわずかに流れた。


「子をもうけることは大事だと承知している。だがそれ以上に、この領を豊かにすることが先だ」


グユウ様の低く通る声に、思わず息を呑む。


まっすぐな黒い瞳が、揺らぎひとつなく前を見据えている。


「・・・仰るとおりです」

俺は渋々ながら、そう答えた。


それでも――胸の奥では、別のざわめきが止まらなかった。


壇上に立つグユウ様の声が、静かなホールに響いた。


「国全体が不安定になる。いまこそ、領を自らの力で支えねばならぬ」


だが次に語られたのは、誰も予想しなかった提案だった。


「りんごの栽培と、街道の整備だ」


地図を広げ、理路整然と語るグユウ様の声が響く。


かつて沈黙していた男の姿はそこになかった。


――この堂々とした姿が、あのグユウ様なのか。


驚きと同時に、妙な焦燥が胸に残る。


今まで、グユウ様は、会議でもほとんど口を開かず、

結婚も離婚も、再婚の時ですら何も言わなかった。


ただ静かに、置物のように座っていた領主。


その方が今、地図を広げ、未来を語っている。


誰がこんな姿を想像しただろう。


その横で、妃が静かに微笑んだ。

まるで、夫の言葉を誇らしげに見守るように。


ーーグユウ様は素晴らしい領主だ。


この策を思いつくとは、誰も想像していなかった。


俺は胸の内でそう呟いた。


妃の笑みは、美しいが・・・政治の話とは無縁のもの。


あの妃はただ、賢き夫を支える装飾のような存在だ。


ーー領政は、男の領分だ。


そう思い込むことで、俺は自分の動揺を誤魔化した。


「素晴らしい提案です」

俺は深く頭を下げた。


その直後、グユウ様は静かに口を開いた。


「この提案は、シリが考えた」


一瞬、空気が止まった。

誰かが小さく息を呑む音が聞こえた。


ーー妃が?


あの妃が、領政の案を?


馬を世話し、泥にまみれるような女が?


信じられなかった。


信じたくなかった。


「シリは賢い。これより良い案があるのなら教えてくれ」


ーー誰も答えることはできなかった。


ホールの百名が一斉に頭を下げた。


妃は恥ずかしそうに肩をすくめ、その金の髪がゆらりと揺れた。


ーーやはり、美しい。


だが同時に、得体の知れない怖さがある。


ーー男が百人いても、この女には敵わない。


そう思った瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなった。


どんなに理屈を並べても、それだけは否定できなかった。



会議が終わり、ホールを出たあと、俺は重臣のジムに声をかけた。


「何故だかわからないけれど、グユウ様が急に変わったような・・・そんな気がします」


ーー以前のグユウ様なら、第二夫人の提案を受け入れていただろう。


「そうですね。お子ができて領主としての自覚が増したのでしょうか」

ジムが答える。


「雰囲気だけではなく顔つきも変わられた」


視線の先には、馬場に佇む領主夫婦の後ろ姿。


仲睦まじく、グユウ様の瞳から溢れんばかりの愛情が注がれている。


その視線を受け止めて、穏やかに微笑む妃。


「それは・・・シリ様のお陰でしょうか。あの2人は本当に仲が良いですから」

ジムの声に、胸の奥がざらついた。


嫉妬とも敗北ともつかぬ苦い感情が、喉の奥に刺さったまま消えなかった。



あの二人の姿を見ていると、

――もう、第二夫人の提案などできなかった。


グユウ様は寡黙なお方だ。


けれど、言葉は少なくとも、妃を見つめる瞳とその表情を見れば、

もう何も言えなくなってしまう。


そして、実際に第二夫人を探していた俺も、今ははっきりと思う。


――あの妃以上に、魅力的な女はいない。


悔しいことに、彼女のおかげで領の経済は豊かになった。


“魔女”ではなく、窮地を救った“女神”となったのだ。


結局、グユウ様は生涯、ただ一人の妃を愛した。


不器用に、一途に妃を愛し続ける領主。

その傍らに立つ、強く美しい妃。


二人の間には、誰も入り込む余地などない。


だからこそ、せめて――


この命が尽きるまで、

あの御方たちを守ろうと思う。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


この短編は『秘密を抱えた政略結婚』本編のスピンオフで、

家臣オーエン視点によるエピソード(第13作目)です。


短編だけでもお楽しみいただけますが、

本編を読むと二人のすれ違いや政略の背景がより深く伝わります。


▼シリーズ本編

**『秘密を抱えた政略結婚 〜兄に逆らえず嫁いだ私と、無愛想な夫の城で始まる物語〜』**

https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

<完結>


**『秘密を抱えた政略結婚2 〜娘を守るために、仕方なく妾持ちの領主に嫁ぎました〜』**

https://book1.adouzi.eu.org/n0514kj/

<完結>


そして現在、

その娘・ユウを主人公とした第3部を連載中です。


**『秘密を抱えた政略結婚 ―血に刻まれた静かな復讐 禁断の恋が運命を変える―』**

https://book1.adouzi.eu.org/n9067la/

<連載中>


血に抗い、恋に揺れながら――

彼女たちはそれぞれの愛を選んでいきます。



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