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10/22

暴れ馬のような妃と結婚した男 〜魔女と呼ばれた女〜

俺の妻サラは淑やかで、妾のジョシーもミナも素直で愛らしい。


三人とも豊かな胸を持ち、いつも俺を癒してくれる。


夜ごと相手を変えても、彼女たちは静かに受け入れ、幸せそうに微笑む。


――女に恵まれた暮らしに、不満などなかった。


だがあの日、友のグユウを訪ねた俺は知った。


暗く沈んだ彼が、よりによって“嵐のような女”を妻に迎えようとしていることを。



「これからワスト領へ行ってくる」

妻であり妃でもあるサラに告げると、彼女は控えめに微笑んだ。


「お気をつけて・・・」

「あぁ」

そう答えて、俺は彼女の額にそっと唇を落とす。


頬を赤らめ、ちらりとこちらを見上げるサラが、なんとも可愛らしい。


「いってらっしゃいませ」

城門前でサラが控えめに微笑む。


その後ろには、ジョシーとミナが胸元を揺らして並んでいた。


今夜はジョシー、明日はミナ。明後日はサラと過ごそう。


そう思うだけで心が和む。


――だが、ワスト領の友は違う。


女の温もりを知っているはずなのに、彼はなぜか幸せそうに見えない。



俺はシズル領の領主、トナカ。


これから友であるワスト領の領主、グユウのもとへ向かう。


幼い頃からの付き合いだ。


元来暗い性分の男だったが、政略で結ばれた妻と離縁し、さらに陰を増したと聞く。



馬車に身を沈め、窓の外を流れる景色に目をやる。


「あのグユウ、どうしているのだろう」


心の奥で小さく呟いた。


――落ち込んでいなければ良いが。


久しぶりに会ったグユウを一目見て、俺は確信した。


――やはり予感は当たっていた。


暗い。なんて暗いんだ。


グユウは元来、明るい男ではない。


けれど今日の彼は、いつも以上に深い影をまとっている。


男の俺ですら嫉妬するほど整った顔立ち。


その黒い瞳には、生気のかけらもない。


――笑顔のひとつでも振りまけばいいものを。


何度そう思ったことか。


せっかくの色男が台無しだ。


湖を見つめながら、グユウは突っ立っていた。


一見、無表情。


だが、その横顔からは痛々しいほどの傷心がにじみ出ている。


慰めの言葉が見つからない。


やがて彼は淡々と告げた。


「・・・離縁した」


「・・・そうか」

小さく呟いた俺に、彼は黒髪を揺らし、深々と頭を下げる。


「すまない。婚礼のときは祝いの品を、あんなに頂いたのに」


俺は手を挙げて首を振った。


ーーそんなことはどうでもいい。


俯いたまま、彼はかすかに顔を上げる。


「聞いたぞ。ミンスタ領のゼンシと同盟を組んだそうだな」


「ああ。同盟の証として、ゼンシ様の妹が嫁いでくることになった」


頷く俺にグユウは、ポツリとつぶやく。


「妻とは心が通じなかった。

・・・オレは話すのが得意じゃない。二年間、まともに会話すらなかった」


――だろうな。


心の中で俺は苦くつぶやく。


グユウの口下手は筋金入りだ。


結婚すれば少しは変わると思っていたが・・・甘かった。


「離縁を切り出したときも、妻は何も言わずに出て行った。

・・・きっと、オレといても退屈だったんだ」


俯いた横顔は、あまりに暗い。


ーーあぁ、暗い。


周囲の空気まで沈んでいくようだ。


グユウは優しい。


長く共に過ごせば、その誠実さに胸を打たれる。


だが――優しさは、表に出さねば伝わらない。


彼のように不器用な男は、言葉の欠片や沈黙の裏を読み取れる者でなければ、到底付き合いきれない。


「・・・なぜ、ミンスタ領と組んだ?」

問いかけると、グユウは淡々と答えた。


「父も重臣も賛成だった。領のためだ」


それだけで察しがついた。


彼自身の望みではない。


断れば、戦になる可能性があったのだ。


だが、ふと彼の表情が和らぐ。


「・・・ただ、一つ条件を出した」


「条件?」


「シズル領に手を出さないように。書面で残させた」


思わず目を見開いた。


「それを・・・条件にしたのか」


「当然だ。ミンスタがその気になれば、オレたち小領などすぐに呑まれる。・・・だから必要な交渉だった」


「・・・グユウ。感謝する」

声が震えた。


ミンスタと手を結んだことで距離ができるのでは、と怯えていた。


だが彼は、自分の領だけでなく、俺の領までも守ろうとしたのだ。


胸が熱くなり、慰めの言葉を探して口をついた。


「姫は美人らしいな。ゼンシが二十まで手放さなかったとか」


ーーどうせ愛のない結婚なら、美しい方がまだ救いだ。


「噂は聞いた。父上は『ミンスタの魔女に騙されるな』と再三言っていた」

どこか投げやりな声で、彼は続けた。


「・・・でも、美人かどうかなんて関係ない。オレは、結婚に向いてない」


静かに落とされた言葉に、胸が詰まる。


俺は彼の肩を軽く叩いた。


「仲良くする必要はない。子を作って同盟を強めれば、それでいい。好いた女がいれば、妾にすれば・・・」


「・・・一人で手一杯なのに、そんな器用な真似、できるか」


グユウは湖面をまっすぐ見つめ、吐息を漏らした。


その横顔を見ながら、胸が締めつけられる。


この不器用で傷つきやすい友が――よりによって、ミンスタの姫と結婚する。


どうなるか、まるで想像がつかない。


――グユウ。幸せになれ。


心からそう祈らずにはいられなかった。



グユウと別れた俺は、重苦しい思いを抱えたまま自領へ戻った。


城に着くと、正妻サラが嬉しそうに出迎えてくれる。


その後ろでは、妾のジョシーとミナが静かに頭を下げた。


彼女たちと共に過ごす時間は心を和ませ、安らぎを与えてくれる。


女と過ごすことが、こんなにも楽しいということを――グユウは知らない。


その後まもなく、ワスト領にミンスタの姫が嫁いだと耳にした。


気にはなったが、領務に追われ、訪ねることはできなかった。



二ヶ月後、俺は再びワスト領へ向かった。


グユウに嫁いだのは、あの“ミンスタの魔女”。


――ゼンシの妹が、いったいどんな女なのか。


この目で確かめてやろう。


そして、あの不器用なグユウと、本当にうまくやっているのか――それも気になる。


結婚直前に会ったときのグユウは、全身に黒いオーラをまとっていた。


だが二ヶ月ぶりに再会した彼は、まるで春の陽気のように柔らかく、温かな空気をまとっていた。


近況を語り合ったあと、グユウがふと切り出す。


「・・・シリに会いたいだろう」


シリ、妃の名前だ。


「もちろんだ」

俺は思わず口の端を吊り上げた。


すぐに呼び出しの声がかかり、妃が挨拶に来るという。


やがて廊下から軽い足音が響いてきた。


――妃にしては落ち着きがない。


まさか走っているのか?


“ミンスタの魔女”が来る!


扉が開いた瞬間、俺は息を呑んだ。


髪には小さな赤い薔薇。


青のドレスを纏い、金の髪と澄んだ青の瞳を持つ女。


ただそこに立つだけで、周囲が一気に華やぎ、光が差したように見えた。


――女神のようだ・・・。これが“魔女”?


思考が真っ白になり、口が半ば開いたまま固まってしまう。


「シリ、こちらはシズル領の領主トナカ・サビだ」

「トナカ、オレの妻、シリだ」


“妻”と紹介するグユウの声は、誇らしげで、喜びが隠しきれていなかった。


妃が近づくと思わず息を呑んだ。


――背が高い。


女にしては異様なほどだ。


だが、長身のグユウと並べば遜色はなく、むしろ対等に見える。


ただの妃ではない。


並び立つだけで、二人は人目をさらってしまう。


慌てて気を取り直す。友の妃を前に、我を忘れるなど情けない。


「グユウ・・・綺麗な奥さんだな。見ていると、俺まで嫁をもらった気分になる」


その言葉に、シリは澄んだ声で笑った。


「シリです」


恐ろしいほど澄んだ青い瞳が真っ直ぐに俺を見据える。


だがその瞳は決して従順ではない。


気の強さが隠しきれずに輝いていた。


差し伸べられた手を握りながら、俺は心の中でつぶやく。


――気の強そうな妃だ。


三人で昼食をとることになった。


席に腰を下ろすやいなや、妃が問いかけてきた。


「シズル領の特産品は何か、教えていただけますか?」


面食らった。


妃が口にするにはあまりに場違いな質問だ。


その後も彼女は、税収だの収益だのと、まるで商人か役人のような話を繰り広げていく。


――女がする話ではない。


女とは、男の話を大人しく聞き、微笑んでいるものだ。


それが女性の美徳であるはず。


なのに、この妃は堂々と自分の考えを述べ、未来のことまで口にする。


俺の周囲の女たちは誰ひとり、政治に関心を持ったことなどなかった。


女に口出しするなと教育されてきたからだ。


――これが、新しい時代の女なのか。


そう思いながらも、胸の奥にざらつく感覚が残る。


確かに頭の回転は速い。


話していて退屈はしない。


だが、心が安らぐことはまるでない。


思わずグユウの顔を盗み見た。


信じられないことに――グユウは楽しそうにしている。


その表情を見た瞬間、違和感と共に、不安が背筋を這い上がってきた。


――本当に、大丈夫なのか。


昼食後に妃は質問をした。


「グユウさん、これから客間に行くの?」


「外に行こうと思う」


淡々と答えるグユウに、彼女はすぐさま言った。


「じゃあ、私も行こうかな」


「それなら・・・北の谷へ行くか」


「そこはまだ行ったことがないです!」

妃の声が弾んだ。


――馬車でドライブでもするのか?


俺が訝しげに眉をひそめると、グユウが淡々と告げる。


「乗馬をしよう」


数分後、馬場に着いた俺の目に飛び込んできたのは――妃の姿だった。


髪をきりりと後ろで縛り、手には鞭。


そして何より俺を驚かせたのは、その装いだ。


――男装。妃が・・・男装をしている!


口を開けたまま固まる俺を尻目に、彼女は慣れた手つきで乗馬の支度をてきぱきと進めていく。


まるで当たり前のように。


グユウも、後ろに控える重臣も、何ひとつ驚いた様子を見せない。


俺だけが呆然としていた。


「女に・・・乗馬ができるのか?」

心の声のつもりが、うっかり口に出てしまった。


その言葉を聞きとめたのだろう。


妃はひらりと馬にまたがり、顎を高く上げてこちらを見た。


「一緒に行きましょう」


金の髪が風に揺れ、青い瞳がまっすぐ射抜いてくる。


挑むようなその笑みは、妃というより騎士のものだった。


だが俺の目は、別のところに留まった。


男装の上からでは、胸の膨らみがまるでない。


ーーだからこそ、余計に男のように見える。


グユウ。お前は大丈夫なのか?


妃というより騎士。


従順さのかけらもない。


規格外の女に振り回され、傷つくのではないか。


そう思うと、胸の奥に妙な不安が広がった。


妃の乗馬の腕前は、並ではなかった。


馬上で目を輝かせる姿に、思わず息を呑む。


平坦な道を駆けると、妃の馬がすっと俺とグユウの前へ躍り出た。


振り返った青い瞳が、後ろにいる俺たちを煽るように射抜く。


その視線に、胸がどきりと鳴った。


妃は片手で手綱を操りながら、もう片方の手で遠くの木を指差す。


「あの木まで競争しましょうか」


笑顔だが、その瞳には挑戦の光が宿っていた。


次の瞬間、鞭が鋭く鳴り、妃は馬を疾駆させる。


舞い上がる土煙。力強く伸びる背筋。


俺は思わず口笛を吹いた。


――完敗だ。


馬を降りた妃は、じっと崖の上を見つめていた。


――もう、たいていのことでは驚かない。


そう思っていたのに、彼女の行動からはやはり目が離せない。


「やっぱり、あの草よ!」

指さした先には、崖の途中に小さな紫の花が風に揺れている。


――草だろう?


次の瞬間、妃は迷いなく崖をよじ登り始めた。


「危ない!」

思わず声を上げる俺の腕を、グユウが静かに制する。


「トナカ、いいんだ」


黙って妃を見上げるその目に、俺は苛立ちすら覚える。


――何を考えているんだ、グユウ!


「落ちたら――」


叫んだ俺の声に、妃は振り返りもせず、口元に笑みを浮かべた。


「だから楽しいんじゃない!」


岩肌に指をかけ、身を軽々と持ち上げる。


靴底がずるりと滑り土が舞ったが、怯むどころか笑い声をあげた。


「すぐに取るわ!」


心臓が縮む思いで見上げる俺の横で、グユウが静かに呟く。


「シリは・・・女扱いされるのを嫌がる」


――あれは女じゃない!


女の皮を被った、向こう見ずな男だ!


俺は心の中で叫んだ。


やがて日差しに照らされた花をもぎ取ると、彼女は勝ち誇ったように頭上へ掲げる。


風が吹き抜け、草いきれの中で彼女の笑顔がいっそう輝いた。


崖から軽やかに降りてきた彼女は、摘んだ花を高く掲げながら笑った。


「グユウさん、見て! これ、普通のタイムじゃないのよ! ワイルドタイムっていうの!」


「・・・そうか」

短い返事。


けれど、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいるようにも見える。


俺はただ呆然と見ていた。


命を賭けてまで取ったのが、たかが草だ。


だが彼女は本気で嬉しそうに、その花を抱きしめてはしゃいでいる。


――顔かたちは美しい。だが、あれは暴れ馬だ。


胸もない。


俺には抱けない、こんな女。


・・・グユウ、お前は本当に大丈夫なのか。


その妃と共に歩んで――疲れ果てたりしないのか。


妃は首の青いスカーフを外し、摘んだ草を丁寧に包み始めた。


その瞬間、開かれた襟元から乳白色の胸元がのぞく。


――胸は、ない。


だが、そこに赤い痕がいくつも点々と残っているのを、俺は見逃さなかった。


――あれは・・・!


思わず息を呑む。


俺の視線に気づいたのか、グユウが慌ててスカーフを取り出し、不器用に彼女の首元へ巻きつけた。


――見たぞ、グユウ。


声にならない声で友を見やると、グユウは耳まで真っ赤に染めていた。


そんな無言のやり取りを彼女は気づかない。


「これはね、勇気を与えるハーブって呼ばれているの!」

目を輝かせながら草を抱える妃。


「あぁ・・・シリに相応しい」

グユウの声は低く穏やかで、確かな温かみを帯びていた。


そのやり取りを見て、ふっと力が抜けた。


――すごい女だ。


ゼンシの妹と聞いて身構えていたが、目の前にいるのは恐れていた“魔女”ではなかった。


魅力と生命力にあふれ、常識外れの輝きを放つ女。


俺にはとても扱いきれない規格外の存在だ。


だが――そんな女を受け入れ、静かに見守るグユウこそ、本当にすごい。


彼が向ける眼差しは、これまで一度も見たことのないほど優しかった。


その顔を見た瞬間、胸のざらつきも不安もすべて消えていった。


――グユウは変わった。


あの規格外の女と共にあって、幸せになったのだ。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

ブックマークをしていただいた皆様、ありがとうございます。


この短編は『秘密を抱えた政略結婚』本編のスピンオフで、

友人トナカ視点によるエピソード(第9作目)です。


短編だけでもお楽しみいただけますが、

本編を読むと二人のすれ違いや政略の背景がより深く伝わります。


本編はこちら

『秘密を抱えた政略結婚 〜兄に逆らえず嫁いだ私と、無愛想な夫の城で始まる物語〜』

(Nコード:N2799Jo)

https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/



本日、新作短編を投稿しました。

「政略で結ばれた夫婦が、秘密を受け入れた日」


作品ページはこちら

https://book1.adouzi.eu.org/n8008ld/


お腹の子の父親が誰なのか――決して口にしてはいけない。

それでも、夫婦は愛で結ばれていく。


不器用な男と真っ直ぐな妃、その二人を見守る乳母の視点から描いた一篇です。

ぜひ読んでいただけると嬉しいです。


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