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幻想徒然絵巻  作者: 日生
72/150

送り犬

 ・・・なんだろう?


 頬に妙な感触を覚えた。温かいけど、ざらざらして、おまけにちょっと生臭い。


「――っ!」


 不思議な感触が皮の薄いまぶたを襲い、びっくりして飛び起きた。


 すると目の前に痩せた犬が一匹。


 瞬時に血の気の引く。

 どうやら頬やまぶたを舐められていたらしい。


 周りは洞窟のような岩肌がむき出しになった場所だ。なんでこんなところに? と思って、斜面から転がり落ちたことを思い出す。


 きっと、今まで気を失っていたのだろう。


 もうおしまいだ。私はここで食べられて死んでしまうんだ。


 短い一生だった。高校生活初めての文化祭も体験できず、笹原さんに約束した絵も描けなかった。最期に両親に、そして天宮くんに、心の中で感謝を捧げ、これまで出会ったすべての人や妖怪たちの顔を順に思い浮かべる。


 ありがとう、さようなら。あなた方に出会えて私は本当に幸せでした。

 ぎゅっと目を瞑り、その時を待つ。


 けど、後ろに回った気配がぐいぐいと私の腰を前に押し出し、一向に咬みつかれなかった。


「? え、え? あの?」


 あんまり押すものだから、立ち上がると、その妖怪は押すのをやめた。そしてじっと見上げてくる。


 ようやく冷静になってみれば、峠の道で出くわした犬とは別物だった。


 欲しい、欲しいと唸っていた犬は赤い目をぎらぎらさせていたけれど、この犬は緑色の瞳をしていて、興奮した様子もなく、とても大人しい。


 襲いかかってこようとする気配がまるでない。


 そっと歩き出すと、緑の瞳の犬さんも後を付いてくる。ごつごつした岩場だったので、後ろを気にしてうっかり躓いてしまうと、さっと前へ回り込んだ犬さんが、倒れかかった私を支えてくれた。


「・・・あ、ありがとう、ございます」


 少し硬い、でも中は柔らかい毛の感触に、この犬さんは敵でないと確信できた。


 その場に座り、まずは話してみる。


「あなたが、崖から落ちた私を助けてくださったんですよね」


 犬さんは何も答えず、その緑の瞳で静かに見返す。それが肯定しているように思えた。


「ありがとうございます。妖怪に襲われかけて、逃げようとしたら落ちてしまったんです。本当に助かりました」


 頭を下げて、お礼を述べる。

 すると犬さんのほうも行儀よくお座りし、謹んで礼を受けているみたいだった。


 赤い瞳のほうの犬さんは、どうやら近くにはいないみたいだった。


 緑の瞳の犬さんが追い払ってくれたのか、それとも私を引っ張るなりして逃げてくれたのかもしれない。


 一難は去ったけれど、これからどうしたものだろう。


 日はまだ高いものの、帰り道が完璧にわからない。

 だめもとで麓に戻る道を犬さんに尋ねてみたが、犬さんは喋れないのか知らないのか、答えてはくれなかったし、先導してくれようとする様子もなく、私の背後から動かなかった。


 妖怪から助けてはくれるけど、道案内はしてくれないものらしい。前に出るのは私が転びそうになった時だけだ。


 地元の山で遭難とか・・・ほんとに、情けない。


 あーあ、なんで私ってこうなんだろうなあ。

 注意力不足というか、間抜けというか。


 転がり落ちたついでに服はどろどろのぼろぼろで、あちこち擦りむいたり切れたり、おそらく石に打ちつけたんだろう後頭部には瘤まであって、全身がずきずきと痛み、歩くのがちょっとつらい。


 幸いながら骨折などはしていないが、無事に山を出られるかは俄然、不安だ。


 一応、リュックには絆創膏を入れていたので、血が滲んでいるところには貼っておく。

 それから携帯を取り出し、悩む。


 天宮くんに助けを求めていいのかどうか。


 呆れられる・・・よね、きっと。うんざりするよね。休みの日に、山で迷ったから探しに来てくれなんて、何様のつもりだ。


 天宮くんは迷子を探すために厳しい修行をしてきたわけじゃない。

 頼られるのは嫌じゃないと、前に言われたけれど限度があるだろう。大体、それを言われたのはこんな間抜けな頼み事をした時じゃなかった。


 普通に、消防とかに連絡しようかな・・・。


 確実に地元ニュースになるだろうなあ。恥ずかしい上に、人が大勢来たらこの山に住む妖怪たちをびっくりさせてしまうかもしれない。


 とても気は進まなかったが、自力での下山が無理で、天宮くんも呼べないならそうするしかないだろう。

 でもなあ・・・。


 私がぐにゃぐにゃ悩んでいる間、緑の瞳の犬さんは大人しく傍にいてくれている。


 一人だったらもっとパニックになっていただろうけど、この犬さんの存在が私に安堵を与えてくれていた。それで、よけいに悩んでしまう。


 ところが、いざ消防へ連絡する前に、不意に携帯が鳴り出した。


 まったくかかってくるとは思いもしていなかったので、取り落としそうになったのを慌てて持ち直す。


 危ない危ない。

 石にぶつけて壊しでもしたらそれこそ終わりだ。


 着信は、沙耶からだった。


『あ、もしもしユキ? 今からチカの家に来れない?』


 電話口から明るい沙耶の声と、他の声も複数後ろに聞こえる。助けを求めようかを迷いつつ、とりあえず話を聞いてみることにした。


「ええっと、何かしてるの?」


『ミスコン係で集まって衣装選びしてるの。でも天宮くんの往生際が悪くってさー、ユキからがつんと言ってもらおうかと思って』


 そういえば、当日にみんなを驚かせたいからって、ミスコンの担当チームは休みの日にも準備をすると言っていたっけ。


 いや、でも、私ががつんと言うって何を? 

 私は天宮くんに一生頭が上がらない立場だというのに。


 彼が嫌がることを強制させるなんてできない。そう説明できたら、ついでに今の状況も素直に言えたらどんなにいいだろう。


 いや、今の状況は別に言ってもいいんだけど、沙耶に言うなら自分で消防に連絡する。

 準備をしているみんなに迷惑はかけられない。


「えっと・・・ごめん。今ちょっと、出られなくて」


『あ、もしかして忙しかった? 話してても大丈夫?』


「う、うん。それは大丈夫」


『じゃあ電話でいいから天宮くんに言ってやってよ。かわるねっ』


「え、ちょっ――」


 止める間もなく、『・・・もしもし』と若干不機嫌な低い声に変わる。


「あっ、えっ、あ、えーっと、た、大変そうだね?」


 もちろん、がつんとなど言えるはずもなく、というか言う気もなく。

 天宮くんは移動したのか、後ろの声が聞こえなくなった。


『ほんと、勘弁してほしい。スカートとか、なんで普通に勧めてくるんだ? 全員気持ち悪いほどテンション高くてついていけねえ・・・』


「お、お疲れ様です」


 なんかもう、声から疲労が滲み出まくって溢れている。

 これで迷子になったなんて言ったら、心労で倒れてしまうんじゃないだろうか。


『男にスカート穿かせて何が楽しいんだよ。ああいうのは佐久間とかが着るからいいんであって――』


「きゃわっ!?」


 天宮くんが喋っている途中で、退屈したのか緑の瞳の犬さんが冷たい鼻を頬に押し付けてきた。

 私は電話に集中していたため、つい悲鳴を上げてしまった。


『どうしたっ?』


 即座に天宮くんの声色が変わった。まずい。


 なんでもないよとすぐ言い繕おうとしたところで、今度は犬さんが吠え出した。


『・・・佐久間の家って、犬飼ってたっけ?』


「い、いえ、あの、これは」


 あの、その、と繰り返すばかりで、ちっとも言い訳は浮かんでこず、とうとう、


『・・・佐久間。今、どこにいる?』


 観念し、白状してしまった。


『――遠慮してないで早く言ってくれ』


「ごめんなさいごめんなさい本当にごめんなさいぃっ!」


『いや、そこまで謝らなくていいけど』


 私こそが天宮くんにがつんと言われるべきだ。本当にもう、なんで私はいつもこうなんだ!


『すぐ行くから待ってて』


「で、でも、天宮くんは文化祭の準備が」


『やってる場合じゃないだろ。っていうか遭難しながらよく普通に会話を・・・まあいいや。あのな、佐久間の傍にいるのは送り犬って妖怪で、山を出るまでは守ってくれるはずだ。逆に最初に見たのは迎え犬って言って、付け狙う相手が転ぶと襲いかかってくる妖怪。転ばずに山を出るか、靴を片方やるとあっさり帰る。俺が行く前にまた出たら靴投げてやって』


「わ、わかりました」


『待ってて。すぐ行く』


 電話が切れた。


 天宮くんなら本当にすぐ駆けつけてくれるだろう。彼がいなきゃ文化祭の準備も進まないだろうに、結局みんなの邪魔をして、面倒をかけてしまった。


 ――ああだめだだめだ! こんな人間じゃ本気でだめだ!


 このままお姫様よろしく、じっとしているつもり? 自分で招いたトラブルを自分で処理できなくてどうするの。


 自力での下山が無理? 歩けるし辺りも明るいのに? 


 甘えてるんじゃないよ、無能の上にあぐらをかいてちゃ、いつまで経っても天宮くんみたいな有能な人が楽にならない。迷惑をかけるばっかりだ。


 足りない頭でも、よく考えてみよう。


 大切なのは方角だ。ここは町の北にあって、今は午後だから、太陽は西に傾いているはず。

 私は開けた場所に、まず太陽の見える方角が左手になるよう立ってみた。


 とすると、私が見ている方角が北ということになる。山の入り口は、北山の反対側だから南を向いていたはずだ。ということは、半回転してまっすぐ進めば入口まで戻れる。


 しかしまっすぐは、崖をよじ登らなければ進めない。迂回するしかないだろう。この場所を起点に、道を探ってみるのがいい。


 そこまで決めたら、私は送り犬さんの前にしゃがんだ。


「天宮くん――助けが来る前に、行けるところまで行こうと思います。すみませんが、一緒に来ていただけますか? 私は鈍くさくて、自分の身を守るのも難しいので」


 それに送り犬さんは尻尾を振って応えてくれた。いいよ、ってことかな。たぶん。


 私は持ってきた水彩絵具を準備し、パレットに赤い絵具を出して、歩きながら数本に一本の間隔で幹に×印を残していく。

 迷ったらいつでも元の場所に戻れるように。


 でもそこは道らしい道などなく、印を付けていてもいくらでも迷えそうで、大きな不安が胸を襲う。

 それを後ろにぴったり付いてくれている送り犬さんに励まされ、なんとか進んで行った。

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