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幻想徒然絵巻  作者: 日生
64/150

忘我

 ―――た、そ―――


 どこからか声が聞こえる。


 目の前は闇だ。

 何もない。何もいない。でも声が聞こえる。


 ―――た、そ―――


 一体何を言っているんだろう。

 意味がわからない。それより、他にもっと大事なことがあった気がするんだけど。


 ―――た、そ―――


 これは、私に向けられた言葉なのだろうか。

 どうして私に、何を言いたいんだろう。もっとはっきり言ってくれなきゃわからない。私の頭はあんまり上等じゃないんだから。だって私は、


 ・・・ん?


 だって、なんだろう。

 だって私・・・私って、なんだっけ?


 ワタシ?

 オレ?

 ボク?

 ワレ?

 あれ・・・?


 急に、何もかもがわからなくなってきた。

 さっきまではわかっていたはずなのに、どうしてだろう、今はさっぱりわからない。


 不安になって、怖くなって、何かを確かめるために両手を見ようとしたら、その瞬間に自分に手というものがあったかどうか、わからなくなる。


 では足と思ったら足もあったかどうかわからなくて、胴や頭も同じ。そもそも目があったかどうかすら忘れてしまった。


 愕然とした。


 自分が、どんな姿をしていたのかわからない。

 何者か、わからない。


 ―――ワタシハ、()ソ?


 つぶやいた時、強く紅い光が、闇の底から湧いてきた。


 あっという間に、視界をすべてそれが塗り潰す。

 まぶしくて、思わず目を瞑り、それで自分がずっと目を開けていたことを知った。


「佐久間っ!」


 サクマ・・・? って、誰だっけ。


 サクマ、さくま・・・


「佐久間!」


 そうだ、私の名前。

 佐久間ユキ。


 そして私を呼ぶ人は・・・そう、そうだ、天宮くんだ。


 目を開くと、明かりに揺らぐ彼のきれいな顔が、すぐ近くにあった。どうやら私は彼に上体を抱えられて、床に倒れているらしい。


「気がついたか」


 天宮くんはほっとしたように表情を緩めた。こんな彼の顔は初めて見た気がする。

 一瞬、泣いているのかと思った。


 どうしてそんな顔をするのかなあと、しばらく私は事態を飲み込めなかった。


「大丈夫? どっか変なとこない?」


「・・・あ・・・うん」


 彼に助けてもらいながら、ゆっくり体を起こす。


 辺りは夜みたいに暗くなっていた。

 窓の外を見ると、実際に星空が広がっている。


 天宮くんの炎に照らされている範囲に、一つ目入道さんと椿さん、大禿さんに、古御堂兄弟は相変わらず縛られたままでいるのが見える。


 頭が、ぼうっとする。全身がだるく、力が入らない。


「あの・・・一体、なにが・・・」


「憑りつかれてたんだよ」


「・・・え?」


「変な光にぶつかったのは覚えてる?」


 言われて、止まっていた思考が回り出す。


「あ・・・うん。そうだ、私、避けられなくて、ぶつかってしまって、そしたら目の前が真っ暗になって、変な声が聞こえてきて・・・」


 あれは、一体なんだったのだろう?


「あの光が、ここに僕らを閉じ込めている妖怪なのかもしれないね」


 龍之介さんが口を開く。


()(れい)という絵から抜け出す付喪神の類はいるが、外から絵に憑りついて実体化する妖怪なんて聞いたこともないな。光はどこかに行ってしまったし」


 辺りを見回す龍之介さんが言う通り、あれだけたくさんあった光は、もうどこにもなくなっている。


「ねえユキちゃん、憑りつかれてる間に何か見たり聞いたりしなかった?」


 椿さんに尋ねられ、改めて私は先ほどのことを思い出してみる。


「・・・《たそ》って、私は誰? と聞こえていました」


 もしあれが、妖怪の声なんだとしたら・・・


 ある考えが私の中に浮かんだ。


「もしかしたら、その妖怪は自分で自分のことがわからないのかもしれません」


 はっきりと確信できるわけじゃないけれど、私が自分で自分のことを忘れてしまったあの怖い感覚が、私じゃなくその妖怪のものだったとしたら。


 たどたどしく皆さんに説明すると、椿さんは細い顎に指をあてて、首を傾げた。


「自分の姿を忘れた妖怪、ねえ? 一体どうしてそんなことになったのかしら」


「姿を忘れているということは、現在、本来の姿をとれていないと考えられます。だとすると椿さん、先ほどの光はやはり妖怪の欠片なのかもしれませんよ」


「元の姿に戻りたがって、ユキちゃんに助けを求めている?」


 椿さんと龍之介さんで話を進めていると、不意に遠くから、てんつく、てんつく、太鼓のような音がかすかに聞こえてきた。



 とんとこ とんとこ 落ちやんな

 おいらは 怖く ねえけどさ

 可愛い あの子が 怖がるからよ



 どこかで聞いた覚えがあるような、わらべ歌みたいなものも、太鼓と一緒に聞こえてくる。すぐに椿さんたちも話を止めて耳を澄ませる。


「これは、雷の歌?」


 龍之介さんが眉をひそめて言った。


「後半の部分は万葉集の(あづま)歌に似ている。たぶん、これは雷の歌だ」


「雷・・・?」


 そこで私は、前の夜にお狐様がつぶやいていたことを思い出した。


「そういえば夏休みが始まる前に、この辺りに雷が落ちた、って」


「そうなのか?」


 私は天宮くんに頷く。


「うん。雲のない夜だったのに、いきなり落ちたからびっくりしたの。この辺りに落ちたみたいだって、お狐様が言ってました」


「なるほどね?」


 話は椿さんがまとめてくれた。


「誰のヒントか知らないけど、姿を忘れたまぬけな妖怪は、雷に関するものだと言いたいのかしらね?」


「うーむ、雷に関連するものというと妖怪から鬼から神まであるなあ」


 龍之介さんは窓の外を見上げてつぶやく。


「有名なところでは雷獣、雷神・・・雷龍に、雷小僧、あとはキの神か」


 その時、辺りが光った。


「わ・・・」


 どこからともなく、光の粒がたくさん現れたのだ。私たちを囲み、空中を浮いている。


「反応したわね」


「・・・キの神?」


 龍之介さんが再び言うと、光が瞬いた。


「そう、キの神だったのね」


 皆さん、納得したお顔だったけれど、私は一人、やっぱりわからない。


「キノカミ、ですか?」


「その名の通り、雷の神さ。神社にも祀られているのだよ。江戸後期にはキの神信仰が盛んで、神札が大量に出回って一時期のブームになったことも」


「よけいなうんちくはいらないから」


 龍之介さんのセリフは途中で椿さんに遮られた。


「妖怪じゃなくて、神様だったんですか?」


「ええ。――地上に降りた神は器を必要とするわ。キの神も適した器を欲して、周りの妖怪たちが持っていたユキちゃんの絵に宿り、なんとか存在を保っていたのね」


 様子のおかしな妖怪はつまり、キの神様が宿っていたもの、だった?


「待ってください椿さんっ。神の器になり得る絵を描けるだなんて、彼女は一体何者なのですか?」


 龍之介さんはひどく驚いていた。

 そちらを見もせずに、椿さんは素っ気なく答える。


「古来より、技芸に秀でる者に神妖は魅入られる。彼女には才能があるというだけのことよ」


 そうして椿さんは私と目を合わせた。


「ユキちゃん、キの神の絵を描いてみてくれる?」


「え?」


「名を思い出したのだから、本来の姿の器を用意してやれば復活できるかもしれない」


 ちょうど絵を描く道具もそろっていたので、それはできたのだけど、私がそもそもキの神様の本来の姿というものを知らない。


 よって、伝説に基づく大まかな特徴を、皆さんに教えてもらいながら描くことになった。


「ええと確か、一本足しかないのよね」


「文献によれば鼓のような体、つまり丸みを帯びた形をしているとされている」


「人か猿みたいな顔をしてるとか・・・」


「白い顎髭が生えてるらしい」


 情報を頭の中で整理し、足りないところは精一杯想像力を働かせ絵にしていく。


 神様と呼ばれるもので、私がこれまで描いたのはお狐様と、天宮くんに宿る神様。

 お狐様ももちろん他の妖怪とは別格だけど、もとから地上にある存在のせいか親しみやすい。


 でも天から落ちてきたキの神様はきっともっと神秘的で、天宮くんに宿る神様と近い存在なんだろう。


 憑りつかれた時の感覚がまだかすかに残っていたから、それをじっくり自分の中で見つめていると、やがて脳裏にある光景が浮かぶ。


 見たこともない相手であるはずなのに、不思議と筆が迷うことはなかった。


「――できました。こんな感じでしょうか」


 白い紙の上に、奇妙な姿がある。丸い体から一本だけ生えた足は、まるで地上に落ちる雷の軌跡に似ていた。


 なんの感情もない、しかしなんらかの意志のある金色の瞳が見る者へと向けられる。


「っ! 佐久間!」


 いきなり天宮くんに腕を引っ張られ、半ば引きずられるように後ろに飛び退く。


 どうしたのかを問う前に、私は目の前に広がる光景に口を閉じた。


 光が、落ちたスケッチブックの上に集まっていく。


 周囲に浮いていた幾千もの粒子が、急速に絵に吸い込まれていく。


 同時に空気の変化も感じた。散っていた気配が、どんどん固まっていく。


 力が、膨れ上がる。


 やがてスケッチブックの上に、まさしく私が絵に描いた姿のモノが立っていた。

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