白児
白い子供は私たちに背を向ける形で、歌っていた。
女の子たちが歌っていたのと同じ、子守唄だ。
その白い姿を前にした途端、腕がずきずきと絶えず痛みだす。
私たちが来ると、その子は歌をやめ、宝石を埋め込んだような赤い瞳で、私たちを捉えた。
「白児だ」
天宮くんが私にだけ聞こえる声で言った。
それが、この妖怪の名前なのだろう。
白児さんは、昨夜のように泥だらけだ。
むき出しの素足や顔には細かい切り傷がある。満身創痍に見えるが、それでも瞳には力強さがあった。
強く、私たちを睨みつけている。
それはきっと、憎悪の目。
数ある感情の中で最もおそろしいものを、私はこの時に初めて体感した。
それに晒された瞬間、全身の肌が粟立ち、心臓が縮むのがわかる。
天宮くんはその目から私を庇うように立ち、白児さんに対峙する。
「お前が佐久間を呪った妖怪だな?」
「さくま・・・」
幼い声が反復し、急にぴょんとその場で飛び上がる。
彼の腰にある鈴が高く鳴った。
「妖怪絵師の佐久間か!?」
白児さんはひどく興奮した様子で、何度もその場を飛び跳ねていた。
「佐久間、佐久間、見つけたぞ! お師匠様は、ずっと待っていたのに!」
そしてある時、強く地面を蹴ると、獲物に喰らいつこうとするように、歯を剥いて飛びかかってきた。
瞬時に天宮くんの右手に炎が宿り、腕を振ると同時に空間に広がる。
白児さんは頭から炎に突っ込み、悲鳴を上げて地に転がった。そこをすかさず天宮くんが踏みつける。
「ま、待って!」
恐怖を忘れ、咄嗟に、私は天宮くんの腕を掴んでしまった。
妖怪とはいえ、白児さんは小さな子供にしか見えないのだ。
それにとっても気になることを言っている。
「佐久間・・・」
困ったような声は隣から。天宮くんは炎を周りにまとったまま、足もどかさなかったけど、とりあえず止まってくれた。
「聞け、佐久間!」
そこへ、胸を潰されながら白児さんが叫ぶ。
「お師匠様は死んだ! おまえはまた来ると言ったくせに、来なかった! うそつきめ! お師匠様はおまえを待って、死んじゃったぞ!」
細かい事情はよくわからないが、白児さんのお師匠様が、私を待っていたと、そう言っているのだろうか。
そのお師匠様だってきっと妖怪だろうに、最近やっと妖怪と関わるようになったばかりの私に、心当たりがあるはずもない。
もし、あるとすれば・・・
「もしかして、おじいちゃんのことですか?」
妖怪たちの多くは私とおじいちゃんを混同している。可能性は高い。私は天宮くんの腕を、もう一度引いた。
「お願いします。白児さんと話をさせてください」
「・・・」
「お願いしますっ」
天宮くんはしばらく渋っていたけれど、何度も言ったらついには足をどけてくれた。
白児さんはすばやく起き上がり、慎重に距離をはかる。
「私のおじいちゃん、祖父の佐久間冬吉郎のことですよね?」
天宮くんの背越しに、尋ねると白児さんは睨む視線をそのままに、眉をひそめるような仕草をした。
実際は白児さんに眉毛はなかったのだが、そんなふうに目の上の皮膚が動いた。
「さくま、とうきちろう?」
「下の名前はご存知なかったですか?」
「知らない。お師匠様は佐久間とだけおっしゃっていた」
「たぶん、祖父のことだと思います。祖父の冬吉郎が、妖怪絵師だったんです。私はその孫で佐久間ユキといいます」
「・・・じゃあ、おまえはお師匠様のともだちじゃないの?」
「はい。それと、祖父は五年前に亡くなっています」
「え、死んだの?」
白児さんは大きく瞳を見開いて、呆然としたようになった。
「そうか・・・佐久間は死んでたのか・・・」
うつむくと、白い髪が頬にかかる。昨夜は頭の後ろで長い髪を結んでいたのが、ほどけてしまったんだろう。
「あの、白児さんは、おじいちゃんを呪おうとしたのですか?」
「ちがう。でも、佐久間を探してたんだ」
すると、白児さんは勢いよく顔を上げた。
「そうだ! かわりにお前が手伝え! おまえのじい様は、そりゃあお師匠様のお世話になったんだから! 手伝わねばこのまま、おまえをとり殺してやるぞ! 嫌なら手伝え!」
「え? な、何を?」
「ことだ!」
「こと?」
「お師匠様のことをさがすんだ!」
「え、え?」
なんの説明もないまま「はやく!」と白児さんが急かす。
しかし近づいて来ようとしたところで、炎が白児さんの頭に灯り、悲鳴が上がった。
「なんなんだお前はさっきから!」
軽く涙目になっている瞳を白児さんは天宮くんに向けている。
天宮くんの髪色を見れば、たちどころに彼の正体がわかってしまう妖怪は多いのだけど、白児さんはどうやらわからないらしい。
「俺は祓い屋だ」
やや溜め息混じりに、天宮くんは教えてあげていた。
「祓い屋!?」
「ひとまず話くらいは聞いてやる。はじめから、わかるように話せ」
妖怪にとって祓い屋の名はやっぱりおそろしいものらしく、幾分か落ちついた白児さんはようやく、事情を説明してくれた。
まず、白児さんは北山に住んでいる妖怪だと言った。
お師匠様は古木の精、つまり木霊さんで、なんの師かというと、琴だという。それはそれは見事な腕前であり、山の妖怪たちはみんな、お師匠様を尊敬していた。
ところがある時から、お師匠様はだんだん体が弱っていった。
本体である木にもちゃんと、寿命があって、ついにこの間、お師匠様は亡くなってしまったらしい。
これらのことを、白児さんは嗚咽まじりに話してくれた。
「おいら、おいら、お師匠様をなんとか治そうとしたんだっ」
日増しに弱るお師匠様を、白児さんは必死に看病した。けれどやっぱり、どうにもならなかった。
お師匠様は死ぬ前に、白児さんに形見として、自身の体を削って琴を作ってあげたのだそうだ。
白児さんにとっては、自身の命よりも大事なもの。
なのにその琴が、つい最近、盗まれてしまったのだという。
「それで、琴探しを手伝ってほしいと」
「そうだ」
白児さんは大きく頷いた。そこへ天宮くんが尋ねる。
「山の中は調べたのか?」
「琴を弾く奴はお師匠様とおいらの他にはいない。だからぜったいに、外のやつが盗んだんだ。妖怪か人間かはわからないけど」
うーん・・・妖怪の棲み処にそうそう人間が入れることはないと思うけれど、じゃあ妖怪が盗んだのかと言われると、どうして琴を? と首をかしげたくなってしまう。
「誰が盗んだのかおいらには見当もつかない。だから、佐久間に琴探しを手伝わせようと思って、佐久間を探してたんだ」
と、白児さんが私を指す。
「佐久間は妖怪に顔が広くって、おまけにバカでめちゃくちゃ弱いと聞いた。それならおいらでも従わせられる」
・・・おじいちゃんのこととはいえ、身につまされる話だ。絵を描く以外に何も取り得がないのは、私と同じだったんだろうなあ。
「でも佐久間はすぐ見つからなかった。しょうがないから、他の妖怪の巣にこっそり忍びこんで、琴を探してたら見つかって、追いまわされてたとこに、おまえが来たんだ」
だから、白児さんはぼろぼろだったんだ。きっとあの時、意識は朦朧としていたんだろう。
「おいら、人にはうらみがある」
相手が誰かなんて、どうでもよかったそうだ。ただ人間だとはわかったから、琴を盗まれた腹立ちと相まって、咬みついてしまった。
深い憎しみが、そのまま呪いとなったのだ。
白児さんは赤い瞳で再びこちらを睨みつけた。
「琴を探せ。見つからないうちは呪いを解かないぞ」
「佐久間には関りのないことだ」
私にかわり、天宮くんが言った。
「あるっ。佐久間はお師匠様との約束をやぶった。つぐなえっ」
「それは佐久間のじいさんの話だろ。そうでなくともこんな頼み方はない。道理を語るなら呪いを解け」
「うるさい! だまっておいらの言うこときけ!」
地団太を踏む白児さん。
天宮くんは私のほうを振り返り、
「やっぱ祓ったほうがいいと思う。面倒そうだ」
「そ、そこをなんとか」
頭を下げて私からもお願いする。
こんな強硬手段を取るのも、白児さんが途方に暮れている証拠だろう。大切なお師匠様の形見のため、なりふりなんて構っていられないのだ。
その心を思えば、早く琴を見つけてあげたいと思う。
「私が死ぬまではまだ時間があるよね? だったらぎりぎりまで、琴探しを手伝わせてもらえませんか?」
たぶん、私の発言は天宮くんの予想通りだったんだろう。
彼は小さく、肩を竦めた。
「・・・手がかりもないんじゃ見つかる可能性はかなり低いと思う。大体にして、まだこの町に残ってるのかもわからない」
「それは、そうだけど、私にできることがあるなら、してあげたいんです。ごめんなさい。せっかく助けてくれようとしてるのに、勝手なことばかり言って」
「いや・・・かかってるのは佐久間の命だ。佐久間がそうしたいなら、いいよ。でも」
と、天宮くんは少しばかり険しい顔になる。
「本当にやばくなった時は、問答無用で祓う」
「・・・」
それをやめてと、言えるほどの勇気はなかった。
私も、決して死にたいわけではないから。
「琴探しは俺もやる」
「え、い、いいの?」
「うん。だから一人で動くのだけはやめてくれ」
本当は、私一人でなんとかすべきだ。けれど天宮くんがいてくれたらどんなにか心強くて、つい、嬉しくなってしまうのを止められなかった。
「ありがとう天宮くん!」
何度もお礼を言った後は、白児さんに引き受ける旨を伝えた。
「ほんとだな!?」
白児さんも、嬉しそうに白い顔を明るめる。
「どんな琴なのか、詳しく教えてもらえますか?」
「お師匠様がご自分の体を削ってお作りになられたものだ。他の琴よりずっとずっとずーっとよい音がするが、弾く者が上手でないと音は鳴らない」
さすが妖怪の楽器とあって、不思議な特徴がある。でも見た目には特別変わったところはないらしい。
ただ弾いただけでは鳴らない琴、と聞いて回ればいいかな?
まだ空は明るい。
おじいちゃんとは違い、私の情報網はごく狭く、その中で最初に思い浮かんだヒトのところへ、まずは行ってみることにした。




