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幻想徒然絵巻  作者: 日生
初夏
27/150

蝕む痣

 闇が渦を巻いている。


 じっと見つめていると酔いそうで、顔を逸らしたら目が覚めた。


 机の上で目覚まし時計がけたたましく鳴っている。

 よく覚えていないけど、変な夢を見ていたみたい。


 昨夜は寝つくまで時間がかかったせいか、寝不足で、頭が重かった。


 ベッドの中から目覚ましを止めようとして、何気なく右腕を伸ばした時、ふと黒い痣が見えた。


「あ、れ・・・?」


 傷口の周りにあった痣はガーゼに隠れていたはずだった。けれど、今、大幅に飛び出している。


 ずれたのかと思い、直してみたけれど、やはりどうしたってガーゼの下にはおさまらない。


 も、もしかして、痣が広がってる?


 考えたらぞっとした。寝ている間に腕に広がる黒い痣だなんて、まるで・・・いや、やめよう。


 不吉な考えを打ち切り、急いで着替える。下に降りるとすでに朝食が用意されていて、お父さんもお母さんも起きていた。


「腕はどう?」


 本当はあまり見せたくなかったけれど、夏服なのでどうしても見えてしまう。明らかに広がっている痣に、お父さんもお母さんも朝から真っ青になっていた。


 ガーゼではもう隠しきれなかったから、包帯を巻いてもらって、登校した。


 ちょっと後悔したのは、教室に着いてから。包帯というのはかなり大げさに見えてしまうもので、すぐにクラスの友達に事情を訊かれるはめになってしまった。


「え、ちょ、え、どうしたの?」


 隣の席の、沙耶なんか誰よりも驚いて、珍しく言葉をつかえさせていた。今朝もテニス部の朝練があったのか、彼女は汗拭き用のタオルを首に巻いたままでいた。


「その・・・犬に、咬まれちゃって」


 他の友人たちにしたのと同様に、適当なごまかしを返すと、沙耶は「ええ大丈夫!?」と大きな声を上げたものだから、また何人かがこちらを見た。


 それらの視線が非常に居心地悪く、首を竦めていると、


「佐久間」


 ちょうど、教室にやって来た天宮くんが、声を聞きつけたみたいだった。普段なら目礼くらいで済ませるところ、わざわざ私の席にまで来てくれた。


「あ、お、おはよう天宮くん」


「おはよう。どうしたの腕」


「犬に咬まれたんだって!」


 沙耶が答えると、天宮くんは怪訝そうに眉をひそめた。


「・・・ただの犬?」


 どきりと心臓が鳴ると同時に、包帯の下が疼いた。


 もしかして、天宮くんは何かを感じ取ったのだろうか。向けられている瞳が疑わしげだ。

 でも、沙耶のいる前で妖怪に咬まれたんだとは言えない。


「み、見たこともない、犬だったのっ」


 これで伝われと、一心に見つめると、天宮くんは何か言いかけて口を閉じ、それから改めて開いた。


「具合は?」


「今のところは、大丈夫です」


 痛みは続いているものの、耐えられないほどではない。


「そっか・・・後で詳しく教えて」


「うん」


 短い会話を終え、天宮くんは窓際の列の前から二番目にある自分の席へ行った。

 どうやら、伝わったらしい。


「まさか野良犬にでも咬まれたの?」


 見たこともない犬というのを沙耶はそう解釈したようだ。なので、この場ではそういうことにしておいた。


「天宮くん心配そうだったねー」


 怪我が大したことないんだとわかると、沙耶は途端に、にやにや~と笑みを浮かべた。


「順調に仲良しって感じだよねっ」


「だ、だから、そういうのじゃないってば」


 こうして今日も虚しい弁解をする。


 他のクラスメートとあまり交流しない天宮くんが、唯一私には話しかけるというだけで、付き合っていると誤解されてしまっており、何度違うんだと言っても、なぜだかみんな信じてくれない。


「照れちゃって、可愛いなあもう」


 沙耶は私をからかうのが楽しくてしかたないらしい。


 でも明るくて人気者の沙耶のほうが、浮いた噂があるってことくらい、私も知っている。というか私のは誤解です。


 始業ベルが鳴ると担任の鈴木先生が来て、必要な連絡をしたら一時間目が始まる。


 ふと前を見ると天宮くんはすでに突っ伏して寝ていた。彼はしょっちゅう授業中に居眠りをするのに、不思議とあまり怒られない。

 先生が無視しているというよりは、目に付いていないという感じ。


 天宮くんの緋色の髪が見えたなら、きっと嫌でも目に入ってしまうだろうけれど、あれは彼がその身に宿す神様の色だから、普通の人には決して見えない。


 私も今日はちょっと眠かったが、痛みのおかげで居眠りはできそうになかった。

 あきらめて、黒板をノートに写すためにシャーペンを握り――


「痛っ・・・」


 力を入れた瞬間、鋭い痛みが走り、シャーペンを落としてしまった。力を抜いても痺れが残る。


 もう一度、挑戦してみたけれどやっぱり無理だった。耐えられないほどの激痛に冷や汗が浮かぶ。


「ユキ? 大丈夫?」


 呆然とする私に、沙耶がこっそり声をかけてくれた。


「ペン、持てないの?」


 頷くと、「全然大丈夫じゃないじゃん」と、呆れた顔をされた。


「無理しないで。後で私のノート貸すよ」


「・・・ありがとう」


 沙耶に感謝する傍ら、内心ではパニックに陥っていた。


 どうしよう。


 本当に、尋常じゃないくらい痛い。あんな小さな妖怪にちょっと咬まれただけのはずなのに。


 瞬間的に嫌な考えが広がり、動悸が激しくなる。

 とにかく落ちつこうと、こっそり深呼吸を繰り返した。


 今は痛いけど、きっと治るはず。後で天宮くんにも相談するのだから。だって、本当に少し咬まれただけなんだもの。腕が取れたわけじゃない。


 そうして自分を落ちつかせるのに必死になっていたら、ほとんど授業を聞き逃してしまった。


 ところが、時間が経つにつれ、痛みはどんどん増していった。

 動かすたびにひどくなっていく気がする。


 決定的だったのが、四時間目の体育を見学している時。体育館で、なにげなく右腕に目を向けたら、包帯からはみ出して、肘の裏に黒い痣がわずかに見えた。


 びっくりして、慌てて包帯の端をずらして隠した。


 確実に、朝よりも痣が広がっている。

 もう、手首から肘まで届いてしまってる。


 普通の痣がこんな短時間で広がっていくわけがない。痛みも腕だけに留まらず、吐き気までしてきた。


 本格的に、まずいかも・・・。


 座っていることすら、もはやつらい。頭痛がし、胸の奥では何かが暴れているみたい。


 たまらず目を閉じると、瞼の裏で闇が渦を巻く。


 夢でも見た、出どころの知れない闇。


 ちっとも肌になじまない、これは私のものじゃない。外から入って、内から自分の色に染めていこうとしている。すべて侵食されたら、私は私でなくなる気がした。




 ――ずいぶん遠くから、騒がしい声がする。

 複数あって、すべて知っているような、まったく知らないもののような・・・。


 すると、急に体全体が浮き上がるような感覚があり、渦巻く闇が遠のいた。


 あれ・・・今、なにしてたっけ?


 薄く瞼を開けると、間近に緋色の髪と整った顔があり、それが天宮くんであるということを認識するまで、しばらくかかってしまった。


 隣のコートでバスケをしていた彼が、今、私を抱えて廊下を急いでいる。


「ん、大丈夫?」


 涼しい顔で天宮くんが訊いてくるのに対し、私は若干混乱気味だった。


「あ、天宮くん? 一体・・・」


「さっき、いきなり倒れたんだよ。保健室に、とは言ったけどその前に」


 天宮くんは階段を駆け上り、立ち入り禁止のロープを乗り越え、屋上に出た。


 扉の横に私を降ろし、


「腕、見せて」


 言いながら手早く包帯をほどく。


 現れたのは、表も裏もまんべんなく漆黒に染まった、右腕。


「っ!? ぁ・・っ」


 こんなに、ひどくなっているとは思わなかった。まるで腕全部が壊死してしまったみたい。おそろしさのあまり、声も出せなかった。


 天宮くんはとてもとても真剣な眼差しを痣に注いでいる。


「何があった?」


 私は、震えながら昨夜のできごとを話した。


 天宮くんはすべて聞き終えると、人差し指と中指を立てて腕の黒く染まった部分に当てた。


 指先から緋色の炎が湧きおこり、私の腕に巻きつく。


 炎は皮膚の中に染みていき、黒い痣の上に緋色の細い帯が巻きついている、我ながら人のものとは思われない怪しげな腕になった。


 染み込んだ炎はじんわりと温かく、痛みが少しだけ治まる。


「・・・これで少しは進行を止められる」


 そう言って天宮くんはちゃんと痣が隠れるよう、丁寧に包帯を巻き直してくれた。


「佐久間はその妖怪に呪いをかけられたんだ」


「え・・・」


 心臓を、ぎゅっと握りしめられたような感じがした。


「徐々に体を蝕み、やがて死に至らしめる。かなりタチの悪い類だ」


 つまりは、死の呪い?


 名前も知らない、出会ったばかりの妖怪が、私にかけたのだ。広がっていく痣に、嫌な予感はしていたけれど・・・。


「どう、して」


「そこにいたから、だと思う」


 包帯を巻き終え、天宮くんはそっと手を離す。


「状況から考えるに、佐久間を狙ったわけじゃないと思う。きっと理由はない。妖怪はそういうものだ」


 そういうもの。


 理不尽に、人に不幸をもたらすもの。


 死の呪いを受けたのはただ近くを通りかかったから、存在に気づいてしまったから、不用意に触れたから。


「・・・痛くて、鉛筆を握れないんです。これは死ぬまでずっとそうなの?」


 あとどのくらい命が残っているのか知れない。でもきっと長くはないだろう。


 字が書けないのなら、きっと絵も描けない。


 残り短い命の間に、私はもう、絵を描くことができないのだろうか?


 せっかく、妖怪たちと知り合えたのに、ようやく描きたいものを思う存分描けるようになったのに、何も描けずに死んでしまうの?


「まだまだ、全然っ・・・描けて、ないのにっ」


 不幸も災難もいくらでも降りかかって構わない。すべて絵に深みをくれるものとなるから。


 でも、それらを描けないのなら意味がない。


 次から次へと絶望の涙がとめどなく、あふれて抑えることはできなかった。


「だ、大丈夫、大丈夫だ佐久間っ、落ちついてっ」


 すると慌てた様子で天宮くんが言い募る。


「大丈夫だ。呪詛をかけた妖怪を殺すか、祓い清めれば呪いは解ける。だから、泣かなくていい」


 すっかり混乱した頭で、今、何を言われたのか考えてみる。ええと、つまり、


「・・・た、助かるの? 私」


「助けるよ」


 天宮くんは力強く言ってくれた。


 もうだめかと思ったのに、なんて、頼もしいことだろう。ああでもまた迷惑をかけてしまった。


「ありがとうっ、ありがとうございますっ。もう、ほんとっ、迷惑かけてばかりでごめんなさいっ」


 何度も何度も頭を下げる。涙は絶望から希望へ変わる。


「いや、まだ礼を言われることは・・・」


 泣きながらお礼と謝罪を繰り返す私に、天宮くんは若干、戸惑っていた。


「えっと、まあ、今度からはなるべく、知らない妖怪には関わらないほうがいいよ」


「はい、気をつけますっ」


「俺より当主に診てもらったほうが確実だから、放課後にうち来れる?」


 もちろん、断る理由なんてなかった。


 保健室で少し休み、午後の授業は途中から出席した。

 天宮くんの術のおかげでだいぶ気分もましになっていたのだ。でも、やっぱり物を掴むと痛みがあり、字も絵も無理そうだった。

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