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幻想徒然絵巻  作者: 日生
早春
147/150

北の社

 絵馬の精さんが宙を泳ぎ、私たちの耳にそれぞれ一瞬、触れた。


「琴の音が聞こえよう?」


 言われて耳を澄ませてみれば、風の中、ほんのかすかに、あの弦を弾く独特な音色が聞こえてきた。


 白児さんの琴の音だ。


「音を辿ってゆきなさい。ただし銀の犬には気をつけよ」


「銀の犬、ですか?」


「あやつは迷い子の匂いを覚えておる。孫のことも嗅ぎつけよう」


「・・・佐久間、御犬の経立のことじゃないか?」


「あっ」


 おじいちゃんの左腕を食べた妖怪。銀色の毛並みのとても大きな狼だったと、綾乃さんが言っていたっけ。今回も、いるんだ。


 おじいちゃんの肘から先のない左腕を思い出し、私は無意識に自分の腕に触れた。


「嗅ぎつけられる前に早く移動したほうがいい。――絵馬の精、これから天宮の者が四人くる。両面宿儺の封印を解くために必要な奴らだ。その案内も頼めるか?」


「もとより我ら、そのつもり。こちらの犬に案内(あない)をさせよう」


「わっ」


 ひょっこりと、足元に送り犬さんの茶色の頭が現れた。いつからいたんだろう?

 山の外まで人を送ってくれる優しい妖怪は、長い尻尾をぶんぶん振ってる。


「ここへ天宮を連れてこよ。しからば鍵を授けよう」


「送り犬さん、よろしくお願いしますね」


 頭をなでると、送り犬さんは元気よく鳴いた。

 まかせてって言ってるみたい。


「行こう、佐久間」


「はいっ」


 なんて私も元気な返事をするが、実際は煉くんに抱えられることになる。

 のろまな私に合わせて移動してる暇はないので、ここは恥を捨てておまかせするっ。


「お願いしますっ」


「んっ」


 夏に二人で花火を見た、木々の開けたほうから斜面を下り、琴の音色を頼りに暗い樹林の下へ入っていく。


 煉くんは雪上を跳ねるように移動する。なるべく足跡を残さないようにしているのかもしれない。

 ここはすでに邪悪な女神様の膝元で、妖怪の領域。油断は禁物だった。


「っ!」


 雪の白に紛れ、前方から素早く飛んできた影を煉くんが身を捩ってかわした。


 ほつれた着物の裾が視界をよぎる。

 今、黒い手が私を掴もうとしてた。


 煉くんが足を止めて振り返ると、笠をかぶった白装束のヒトが、雪の上に佇んでいる。


 背中には大きな箱を背負っていた。

 笠に一箇所だけ深い裂け目があり、そこからぞっとする暗い瞳が一つ、覗いてる。


「あ、あれは?」


夜道怪(やどうかい)。子供をさらう妖怪だっ」


 ぞわりと肌が粟立つ。

 もしかして、あの背負っている大きな箱の中に・・・なんて、怖い想像をかき立てられる。


 すると、夜道怪さんの姿が揺らいだ。

 と同時に煉くんが周囲に炎を発生させる。


 気づいた時には、夜道怪さんが私たちの背後で火にまかれていた。


「しっかり掴まって!」


 煉くんが再び走り出す。


 ほんとに瞬きほどの間のことだった。夜道怪さんの姿が消えた時にはもう、すぐ傍にいた。

 攻撃らしい攻撃はしてこないけれど、人をさらうことに特化した妖怪なんだろう。


 速度が上がって冷気が目に痛い。でも何も見えないのは怖く、なおかつ二度とないだろうこの体験を一つも見逃したくなくて、涙を溜めながら必死に目を開けていた。


 今度は、何かが影の中で光った。


 煉くんが咄嗟に避けた雪の上に槍が刺さる。

 木々の間で、首のない馬(?)に乗った、武士のような格好のヒトの前をそのまま通り過ぎた。


 い、今のはなんだったんだろう。ものすごく怖いものがいた気がする。


 煉くんはそれらにいちいち構ってられないって感じで、現れる怪異を次々かわし走り続ける。


 昨日の、学校から古御堂家までの道中で襲われた時よりは、妖怪の数もずっと少ない。

 お狐様たちが一気に飛ばしてくれたから、私たちがここにいることはまだあんまり気づかれてないのかも。


 琴の音が大きくなってきた。たぶん、もう入り口は近い。


 横合いから飛び出してきた八つ首の大きな鹿の突進を避け、私たちが進む先には――振りかぶられた刃が待ち構えていた。


「煉くん前っ!」


 危ない、とまで言う暇がなかった。


 煉くんは最初まるで見えていないみたいだった。

 大きな鉈を持っている、猿神さんに。


 でも私の声に反応し、ほんとにぎりぎりのところで横に跳ぶ。


「チィっ!」


 空振りした猿神さんの舌打ちが響く。


 それでも、煉くんの視線はまだ若干迷っていた。


「なにがいるっ?」


「猿神さんがいます! あれ、大天狗様の隠れ簑を着てる!」


 天宮家で私が失くしてしまったもの。猿神さんが拾っていたんだ。


 私はアマノザコノヒメ様にもらった力でその姿が見えるけれど、煉くんには見えない。しかも隠れ簑は妖気や気配まで隠してしまう。

 この状況、ちょっとまずいのでは?


「佐久間、猿神の位置を教えてくれ。音で大体の動きは追えると思うけど、俺が気づいてない時は頼む」


「わ、わかりましたっ」


 にわかに重大な役目を仰せつかってしまった。

 大丈夫かな。


 猿神さんは真っ赤な顔で歯をむき出している。


「佐久間ぁっ!!」


 や、やっぱりものすごく怒ってる。

 声を立ててもらえれば煉くんにはわかりやすいだろうけど、殺気を向けられている私はひたすら怖い。


「しつこいぞ!」


 煉くんが防御の炎を広げる。

 琴の音は猿神さんが立ち塞がる先から聞こえるので、ここを乗り越えなければ辿り着けない。


 猿神さんが跳び上がる。


 こちらにまっすぐ襲いかかるのではなく、いったん木を蹴って、炎の防御のない上から鉈を振りかぶった。


 私が警告するより先に、煉くんは素早く感知して炎を吹き上げる。けど、火にまかれる寸前で猿神さんは袖から扇子を出し、盾にした。

 しかもそれだけでなく、避けながら鉈を投げつけてきた。


「つ、っ!」


 きっと煉くんには猿神さんの手を離れてからしか鉈が見えなかっただろうに、反射で身を捻って避けた。

 わ、私がちゃんと伝えなきゃだめだ!


「あそこにいます!」


 猿神さんが着地した場所を指す。


 すかさず煉くんは猿神さんの頭上へ多いかぶさるような炎を出現させ、相手がそれに気を取られた隙に、もう一つ鞭のように細い火を雪面に走らせて、死角から標的を捉えた。


「ぅおおおっ!?」


 体に巻き付いた炎が勢いよく燃え上がり、猿神さんはたまらず蓑を脱ぎ捨てた。


 焦げた蓑が雪の上に落ちる。形はなんとか残っているけれど、これ、後で大天狗様に怒られないかな・・・。


「ぐぬぁぁ忌々しや天宮ぁっ、佐久間ぁっ!」


 激しい怒気が殴りかかってくるようだ。

 最初は人のように歩いていたのに、今は四つ足を雪の上に突き、こちらへ飛びかかる。


「ばあっ!」


 と、突然木の上から桃色の着物が降ってきた。


「うおっ!?」


 猿神さんと私たちの間に現れたのは、白い鍔広のハットをかぶった、否哉(いやや)さん。

 八の字の口髭を生やした大きなお顔で猿神さんをおどかし後退させた。


「否哉さん!?」


 思わず叫べば、青白い顔がこちらに向けられる。

 着物の袖で口元を隠し、くすくす笑っていた。


「こんこ、こんこ、桜の降るや」


「なんじゃ貴様はぁっ!」


「こんこ、こんこ、雪に降るや」


 否哉さんは猿神さんの爪をひらひらかわし、引きつけてくれている。


 助けにきてくれたんだ。

 思えば否哉さんは不思議な妖怪で、はじめに出会った時から、いつも先回りして騒動を解決する糸口を見つけてくれていた。


 どうして知ったのかはわからないし、たぶん教えてもくれないだろう。だからその追究よりもまず、与えてもらえた機会を生かさなければ。


「猿神さんっ、あの夜は本当にすみませんでした!」


 煉くんが先へ行く前に、私は早口で謝罪した。


 否哉さんを追いかけている猿神さんの赤い瞳が、こちらへ向けられる。


「せっかく猿神さんは人を食べないように山の中に籠っていたのにっ、不用意に山に入った私のせいです! 何度でもお詫びします! いつまでも、ずっと、ずっと!」


「なにをぬかすっ」


 困惑するような響きが猿神さんの声に混じった。


 一時でも気を抜いてしまったことが、死の呪いを招くことがある。

 神も妖怪も祟るものだから。


 赦されないかもしれないけど、少しでも気を鎮められるよう、祀り、祈り続けていく。そうやって畏れることしか私にはできない。


「行くよっ」


 煉くんが断りを入れて雪を蹴る。


 琴の弦を弾く一音が、今までよりもひと際大きく聞こえた時。

 瞬きをすると、目の前に鳥居が現れた。


 辺りを漂っていた黒い霧も、地面の雪もない。


 鳥居の下で、淡く光を帯びている白い子供が二本弦の琴を奏でていた。


「待ってたぞ、ユキ」


 白児さんは演奏を止め、私たちを出迎えてくれた。


 髪や着物にたくさんの桜の花びらが付いていて、白児さんが動くたびにはらはら落ちる。


 まるで桜の精になったみたい。

 今日の白児さんはなんだか雰囲気が違い、薄暗い景色の中でとても神秘的な存在に見える。まるで私の知らない別の妖怪みたいだ。


「翁たちが上で用意してる。おいらはここで琴を弾くのが役目だから、二人で行ってくれ」


 鳥居の先の長い石段を示す。


 白児さんは琴の前から動かない。

 私が煉くんに降ろしてもらって、傍にしゃがむと小さな手が勇気づけるようにぺたぺたと私の右手に触れた。


「この地の神はユキの味方だ。ユキが生まれた時からずうっとだ。だから怖がらなくていいんだぞ」


「・・・はい。ありがとうございます」


 温かい気持ちが胸に湧いてくる。


 おじいちゃんもおばあちゃんもお父さんも、そういえば昔からみんな言ってた。土地の神様が私たちを守ってくださる、って。

 きっと、この町の人たちは代々そう言われて育ってきているはず。


 秋に一人でここに迷い込んだ時なんか、私はお社の中で眠りこけてしまった。

 今も、変わらず安らかな心地がする。

 封印を解いたって、きっと大丈夫だ。


「――行ってきますね」


「おうっ」


 最後に白児さんの手をぎゅっぎゅと握り返し、立ち上がって私は煉くんに手を差し伸べた。


「行きましょう。私が必ず守りますっ」


 煉くんからしたら何を言ってるのかって話かもしれないけど、私は本気。

 妖怪たちや神様が私を守ってくれるなら、私が煉くんたちを守るんだ。


 煉くんはちょっと驚いた顔をして、それから私の手を取った。


「頼りにしてる」


「はいっ」


 何度目かになる覚悟を決め、長い長い階段を一歩ずつ、登っていった。

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