先輩方へ
昼休みに私は早めにお弁当を食べてしまい、二、三年生の教室があるB棟校舎へ行った。
今朝とはまた別の意味でどきどきしながら、曖昧な記憶を頼りに教室を探していると、ちょうど廊下を曲がったところで一際背の高い人を見つけた。
「拓実さん!」
相手は長い足でどこかへ行ってしまうところだったが、声をかけたらすぐに気づいてくれた。
「なんだ」
駆け寄って行くと、鋭い目に見下ろされる。
煉くんと同じ祓い屋の、古御堂拓実さん。ちょっぴり怖い二年生の先輩。
そういえば、私からこうして拓実さんに声をかけるのは初めてかもしれない。
拓実さんはいつの間にか背後にいて、私の頭を掴んでることが多いから。
ぐずぐずしていると怒られてしまうので、トートバッグからラッピングしたクッキーの袋を急いで取り出した。
「これ、普段お世話になっている少しばかりのお礼、です。手作りなんですが、もしよければ」
「あ?」
拓実さんは一瞬けげんそうにし、ややあって「・・・ああ」と納得したようにお菓子を受け取ってくれた。もしかして拓実さんも、今日がバレンタインだってことを忘れていたのかな。
「お口に合わなかったらすみません。甘さは控えめにしてみたんですが」
「安い礼だな」
ぽつりと言われたことに、こちらは本気でびびる。
やばい、怒らせたかな?
「す、すみませんっ。こんなのお礼にならないですよねっ、ごめんなさい。あの、では、捧げ物的なものということでっ」
「俺はどこの化け物だ」
「ひゃう!?」
訂正しても結局拓実さんを怒らせてしまい、ほっぺをつねられた。うにうにいじられて、ぱっと放される。
「クッキーねえ。チョコじゃねえんだな」
「ふぇ? あ・・・ええっと」
痛む頬を押さえつつ、返答に悩む。
煉くん以外の人がクッキーなのは、沙耶にちゃんと区別したほうがいいとの助言をもらっていたため。でもそれを拓実さんに言うのも変な話だ。
「ええと、チョコだと、甘過ぎるかもと思いまして・・・というか、拓実さんは甘い物お好きでしたか?」
「嫌いではねえ。特別好きでもねえが」
「そ、そうですか。嫌いでないなら、よかったです」
「天宮の末っ子には本命やったのかよ」
「!? なんっ!?」
「いちいち動揺すんな。うぜえ。ハナからあからさまじゃねえか」
さ、最初から、ですか・・・?
確か拓実さんに出会った頃は、まだ煉くんへの気持ちを自覚してなかったと思うけど、無意識の気持ちがダダ漏れしてたってこと? うぅ、恥ずかしい。煉くんに伝わってたらどうしよう。
すると頭に、拓実さんの大きな手が乗った。
今度はこっちに攻撃が、と身構えるも、軽くぽんぽんと触れただけ。
「しっかり籠絡しとけ」
拓実さんは踵を返す。
・・・今、なでられた? もしかしてお礼のかわり、みたいな?
唖然としているうちに、拓実さんはどんどん行ってしまう。
まだ言いたいことがあった私は、慌てて追いかけセーターの端を掴んだ。
「あのっ」
我ながら失礼な行動だったと思う。振り返った拓実さんの顔は睨むよりも驚きのほうが大きいようだった。
「あのっ・・・私、いつかちゃんと拓実さんの疑問に答えられるようにします」
本当はこんなことすら言ってはいけないのかもしれない。
でも、私が天宮家の神様を奪えてしまう力の意味について、考えさせられるきっかけをくれたのは、他ならぬ拓実さんだったから。私に構うのも、秘密を暴くためだけじゃなく、心配してくれてもいるんだとわかるから。
できる限り、嘘もごまかしもしたくなかった。
「なるべく早く、解決しますので」
拓実さんは無言で私を見下ろしたまま、ゆっくり右手を上げ――デコピンをした。
「つっ!?」
あまりの痛さに額を押さえると、笑い声が降ってきた。涙目で見上げれば拓実さんが、出会って以来初めて見る笑みを浮かべていた。
「仕掛ける時は俺もまぜろ。特別にタダで暴れてやる」
「え? ・・・い、いえ、別に、何かしでかすというわけでは、ないんですが」
「しでかせよ。ようやく、おもしろくなってきたじゃねえか」
普段は無表情だったり不機嫌だったりの拓実さんが、やけに楽しそう。
ほんと、暴れたくてうずうずしているみたいな。笑顔がかえって不安になる。
「期待してるぜ」
また軽く頭をなでて、拓実さんは行ってしまった。
ええと、つまり、何かの時には助けてくれる、と解釈すればいいのかな。
頼もしいような恐ろしいような。
ともかく、気を取り直して次へ向かう。
残りは一つ。
二年生のフロアから階段を上がり、三年生の教室を順番に覗いて目的の人の姿を探す。
けれどなかなか見つからず、誰かに尋ねようか迷っていると後ろから肩を叩かれた。
「やっ」
振り返ればなんと、その人だった。
爽やかな笑みを浮かべる、セミロングが似合う先輩、笹原さんだ。
彼女は妖怪の見える人ではないけれど、妖怪が見える人に興味があるという、ちょっとだけ変わった人。
入学したばかりの頃、偶然、空き教室にある古いピアノを笹原さんが弾いているところに遭遇し、失礼にも私ははじめ彼女を妖怪の類と勘違いしてしまった。
それ以来、顔を合わせれば声をかけてもらったり、ピアノを聞かせてもらったり、妖怪に関係する問題が起きた時も、本人に自覚はないが解決のためのヒントをくれたりしたのだ。
「こんにちは。こんなところで、どうしたの?」
「こ、こんにちは。あの、笹原さんにお渡ししたいものがあって」
別に急がなくてもいいのだけど、突然声をかけられてつい慌ててしまった。
笹原さんはわたわたと差し出されたクッキーに、小さく驚いていた。
「もしかしてバレンタイン? 私に?」
「はい。笹原さんにはとてもお世話になっているので、せめてものお返しというか。手作りなのでおいしくなかったらごめんなさい」
「わざわざありがとう。とってもおいしそうっ」
いらないとは言われず、ひと安心。
でも一方で笹原さんはやや弱ったように眉根を寄せた。
「あ~、今何も持ってないんだよね。お返しは後でいいかな?」
「いえっ、そんな何もいりません。日頃の感謝の気持ちなので」
「日頃何もしてあげてないよ?」
そんなことないんです。たとえ笹原さんにその自覚がなくとも、私は大いに助けられているのだ。
「受験でお忙しいでしょうし、私のことは気にしないでください」
「それなら大丈夫。私、もう音大に決まったから。推薦でね」
「え、あ、おめでとうございます!」
さすが、笹原さんだ。推薦なんてすご過ぎるけど、意外とは思わない。だって早朝に聞かせてもらえるピアノの腕もさることながら、文化祭でのブラスバンド部の出し物で、彼女のフルート独奏は音楽に疎い私ですら感動できたもの。
「お祝いしなくちゃですねっ」
「このクッキーで十分だよ。それよりサクちゃん、ちょっとだけ、しーっ、ね? この辺、まだぴりぴりしてる人多いからさ」
「あ、そ、そうですね」
まだ二月の半ば、これからが試験の人もいる。
この学校は就職する人も多いが、国公立や私大短大受験の人も半分以上はいると聞いてる。慌てて自分の口を押えた。
「サクちゃんはもう進路決まってる?」
「私ですか? いえ、まだ何も」
「絵の道には進まないの? サクちゃんだったら立派な絵描きさんになれると思うけどなあ」
そう言われても、素直に頷くことはできない。
絵を描くのは大好き。だけど、その道へまっすぐ進むのは、怖い。
「私の絵なんて、売れないですよ。祖父は画家でしたが、やっぱりたくさん苦労したみたいで。祖父より下手な私にはもっと難しいと思います」
「んー、まあ、おじいさんのことは置いといても、やっぱり臆病になっちゃうか」
すでに音楽という芸術の道へ進むことを決めている笹原さんは苦笑いしてる。
彼女くらいうまい人なら、迷わず道を決めることができるのだろうか。
「でもさ。サクちゃんは、絵を描いてない自分のことを想像できる?」
「それは・・・」
考えてみたことはある。絵はあくまで趣味として、画家になる以外の道を。でも、具体的にはまだ見つかっていなかった。
「――ね、プロのピアニストとアマチュアのピアニストの違いはなんだと思う?」
すると笹原さんが突然そんなことを訊いてきた。
そして私が何も言う前に答えを教えてくれる。
「偉い人が色々調べた結果、違いはただ一つ。ずばり、練習量だったそうだよ」
「・・・才能とかじゃ、ないんですか?」
「うん。これは私の勝手な解釈なんだけど、違いが練習量だけっていうのはつまり、いかにそれだけに打ち込めるほど、圧倒的に好きかどうか、ってことじゃないかなと思うんだ。サクちゃんは、これから先まったく絵を描けなくなるのと、絵を描くことしかできなくなることの、どっちがいい?」
その二択に絞られてしまったら、自分でも不思議なくらい、答えはすぐに出た。
「私は・・・絵を描きたいです」
「うん」
笹原さんはにっこり笑う。
「それだけ強い《好き》って気持ちは誇れる才能だよ。暮らしのことは今から心配しなくて大丈夫っ。サクちゃんを助けてくれる人はたくさんいるはずだよ。私だって、味方だからね?」
例えば今のようにほとんど毎日妖怪に会い、絵を描いて過ごせたらどんなに幸せだろうと思いつつ、きっと無理だとあきらめていた。私の絵なんて売れない。暮らしていけるはずがない。
でも。
絵は私の人生そのものだ。
莉子さんに右手を切られそうになった時、私は死ぬと思った。
絵を描けなくなったら一生が終わる気がして、煉くんたちを助けるためだとわかっていたのに咄嗟に逃げてしまった。
そう思うと、生きるために絵を描くのか、はたまた絵を描くために生きるのか、自分がわからなくなってくる。
よく、考えてみるべきなのかな。
最初から画家は無理と臆病になるのではなく、理想とする人生を送るにはどうすればいいのか、もっと真剣に自分のことを悩む必要があるのかもしれない。
目先の重大な問題をまず解決しないといけないのは変わらないけれど、私自身の将来をしっかり思い描いておくのも大事かも。
時の流れは容赦なく、まごまごしてたらあっとう間に過ぎ去ってしまうから。
「――ありがとうございます。ちゃんと考えてみます」
「うん。ふふ、ちょっと偉そうだったかな?」
「そんなことないですっ。ためになるお話でした」
「だといいけど」
笹原さんは照れ臭そうに頬を掻いた。
「卒業までにお返し用意しておくね。ありがとうサクちゃん。またね」
お返しは本当にいらないのに、律儀に笹原さんは言って、教室に戻っていった。
とりあえず、今渡す分はこれで終わり。
あとは部活の時に美術部顧問の相馬先生に渡して、それから学校の外でお世話になった人と、もちろん妖怪たちにも差し上げる分をまた次の休みに作るつもり。
本当に、私は大勢の色んな存在に助けられ過ぎて、いくら作っても足りないのだから困ってしまう。
支えてもらっていることへの感謝と、報いられない罪悪感、この二つの気持ちが胸にない日はない。
きっとこの先もずっと、そうなのだろう。少しは報いたいと思うけれど、私の力なんてたかが知れたものだから、どうにも難しい。
そんなことを考えながら教室に戻ると、珍しく席を立っている煉くんを見つけた。
目が合って「ちょっといい?」と教室の外に手招きされる。
「どうしたの?」
煉くんが放課後以外に起きていることも、私に話しかけてくることも珍しい。これはきっと何かあったんだろう。
煉くんは人気のない空き教室の前の廊下で、自分の携帯を見せた。
「慧からメールがきたんだ。放課後、佐久間を連れてこいって」
慧さん、といえば煉くんの一番上のお兄さんだ。
雷を操る神様をその身に宿しながら、本家には住んでおらず、現在隣町の大学に通い、確か民俗学を研究しているのだとか。
私を連れてこいというのは天宮家にではなく、慧さんがいる隣町に、ということだそうだ。
煉くんが見せてくれたメールの件名には『緊急』の二文字。本文には寡黙な慧さんらしい簡潔な文章が並んでいた。
「『佐久間と天宮に関する重大な話がある。このことは他言無用。メールも消去しておくこと』? ・・・なんか、ただならぬ感じだね」
まるでスパイへの任務通達みたいな。煉くんも神妙な顔をしていた。
「よっぽどの用件なんだと思う。他言無用っていうのは当主や椿たちにも秘密にしろってことだろうし。悪いけど、部活休める?」
「う、うん、大丈夫だと思う」
ちょうどその時、昼休み終わりのチャイムが鳴り響いた。
「詳しい話はまた後で」
「うん」
そう言って教室に戻ったものの、なんだか不安な気持ちが胸にわだかまって、午後の授業があまり耳に入ってこなかった。




