祓うべきもの
まったく油断していた。
まさかこんなにすぐ茨木さんが現れて、しかもさらわれるなんて。
い、いやでも、ここは落ちついていこう。
自慢にはならないけど、妖怪にさらわれるのにはそろそろ慣れてきている。
落とされないように茨木さんの衣を掴み、やがてどこかに降ろされるまで、じっとしていた。
蓑の中から出された時、そこは山の中の、木の上だった。
頭上の針葉から、雪の粉がぱらぱら落ちて来る。
雪の積もった地面は遠く、もし落ちれば死んでしまいそうで、私は慌てて節くれだった幹にしがみつく。
そんな私の目の前に、蓑を着た鬼が枝にしゃがんでいた。
「やっと見つけた」
やれやれと、茨木さんは言い、薄暗い中でも光るおそろしげな金色の瞳でこちらを見つめる。
「お前が佐久間だよな?」
「・・・はい。佐久間ユキと申します。は、はじめまして、茨木さん」
「俺を知っとるのか」
茨木さんは意外そうに瞬いた。
「ずっと、あなたを探していたんです」
「お前も俺を? 悪いがそっちの用を聞く余裕はねえぞ。俺の頼みを聞け」
以前、竹林で会った鬼とはこんなふうに普通に会話することはできなかった。
やっぱり茨木さんには、私に危害を加える意思はないようだ。
「はい、茨木さんのご用を聞くために、お探ししていたんです」
「ほう? さすが九千坊河童は嘘を言わん。この茨木童子を前にして、なかなか肝の据わった娘じゃねえか」
口を裂いて、鬼は笑む。
肝なんて全然据わっていない。
今も恐怖で全身が強張っている。でも逃げられないし、ちゃんと事情を知りたいから、耐えるんだ。
「探し物を手伝ってほしい」
茨木さんは真剣な顔をする。
「何を探していらっしゃるんですか?」
ところが、詳しく聞こうとすると途端に言葉を詰まらせた。
「お、お前は知らずともよい」
「え・・・? でも、教えていただけないと何を探したらいいのか」
「だからっ、このくらいの大きさの四角いもので、薄くて白いやつじゃ」
「・・・?」
「ええいっ、わからんかっ」
怒られても、指で空間に四角を描かれただけじゃさっぱりだ。
「アレを手に入れた者は俺の物であることを知っとるはずだ! とにかくお前は俺に由来する品を持つ人間を探し当てればよい!」
相手はまさしく鬼の形相なので、これ以上話すのは本当に怖かったけれど、なるべく詳しい情報を聞き出し、煉くんたちに伝えなくてはならない。
「ひ、人が持っていることは確実なんですか?」
「おう。ごく最近の内に、それを盗んだ者がこの辺りに逃げたということまでは調べがついとる」
「誰かが茨木さんのところから盗んでいったということですか?」
「いや、俺が持っていたのじゃないが、あれは俺の物なのだ」
自分の持ち物ではない、自分の物を盗まれた?
まるで謎かけだ。
茨木さんはどうしても、その物について詳しく話したくないらしかった。
よっぽどの秘宝なのか、はたまた事情があるのか・・・この情報だけで探せるかなあ。
「どうだ佐久間、心当たりはあるか」
ずずいと詰め寄ってくる茨木さん。
こちらは下がろうにも下がれない。
「い、いえ、すみません、わからないです。なのであの、この土地の祓い屋の方にも、手伝ってもらいませんか?」
「祓い屋だと?」
茨木さんは驚いて、すぐに私を睨みつけた。
「俺は今、その祓い屋に追われとるのだぞっ。幸いと大天狗の蓑をかっぱらって来ておったゆえ、見つからんでおるものを」
「・・・大天狗様、怒ってましたよ?」
「お? なんじゃ、大天狗を知っておるのか。――ちぇ、馬鹿だったなあ。だったら跳ねっ返りの女河童なぞに頼らず、はじめから奴にお前の所在を訊けばよかった」
「は、はあ・・・」
「しかし、なぜ祓い屋なぞに頼れと申すのだ」
首の辺りを鋭い爪でぼりぼり掻きながら、話を戻す茨木さん。
「私一人では、見つけられないからです。ちゃんと事情を話せば祓い屋の皆さんも協力してくださいます」
「その祓い屋が物を隠していたとしたらどうする。いや、きっとアレを持っておるのは祓い屋に違いない」
茨木さんは妙に確信めいている。
もしかして、だから天宮家や古御堂家に押し入った、のだろうか。
「物のありかを知らんのなら、この地の祓い屋の家をすべて教えろ。この蓑さえあれば今度はしくじらぬ。さあ言えっ」
胸ぐらを掴まれて、腰が浮く。
でも、私は天宮家と古御堂家以外の祓い屋さんのことは知らない。
「す、すみませんっ、知らないんですっ」
「なに――」
茨木さんが、かっ、と口を開いた瞬間、視界の端で何かが光った。
すぐに茨木さんが反応し、私を掴んだまま木から飛び降りる。
雪の上に着地し、顔を上げると目の前には、いっぱいの光る物がある。
その無数の光の中心には、夜の帳が降り始めた山中で、その姿が浮き彫りになる女性。
白色の長い髪をまとわりつかせた椿さんの、その周りに、いくつもの金色の光に包まれた剣が浮いており、彼女が右手を上げると、一斉に剣が私たちへ向かって突き進んだ。
鋭く、疾く、剣は身をよじった茨木さんの頬を裂く。
「ぐっ・・・!」
裂かれたところは金色の光を帯び、炎のように周囲の皮膚までじりじりと焦がす。
飛び散った血が、まっ白な雪を染めた。
「天宮めぇっ!」
茨木さんは私のことを抱え直し、横に跳ぶ。
剣の大群は目標を外して後ろの木々に刺さり、茨木さんは雪を蹴って再び木の上に飛び乗ろうとした。
――けど、空中で今度は青白い光が走った。
茨木さんの脳天を雷が打ち、茨木さんの体は一度びくりと震え、落ちる。
と、その真下には先ほどまでなかった大きな水溜まりがあり、茨木さんが地に落ちる前に、水が生き物のように伸び上がった。
「ガアアアアアアッッ!」
茨木さんが吼える。
すると、茨木さんを目がけ蔓のように巻き付こうとしていた水が、声の衝撃で跳ね飛ばされた。
でもわずかに散った飛沫が、茨木さんの浅黒い肌を焼く。
まるで酸を浴びたかのように、そこから溶け始めていた。
水を退けたのも束の間、着地すると同時に、光の剣が再び襲い来た。
休む間もなく茨木さんは跳び上がるも、今度は空中に薄い水の天幕が張られていた。
「――そうか! 奴らお前を見てっ」
不意に、私は茨木さんに襟首を掴まれ、思いきり宙へと放り投げられた。
「・・・へ?」
「佐久間ぁっ! あとは頼んだぞぉっ!」
茨木さんが身を翻し、剣を逃れて走って行く後ろ姿が、逆さまになって見える。
落ちる――と覚悟して目を閉じた瞬間、頂点に達したところで誰かが私を捕まえてくれた。
お姫様抱っこよろしく、軽い着地の衝撃があってから目を開けると、慧さんの顔が間近にあった。
「あーあ、ユキちゃんを手放されると位置がわかりにくいんだよなあ」
近くの木の上から、翔さんの声が降ってきた。見上げれば、翔さんはにっこり微笑んで、即座に木を蹴り、茨木さんを追う椿さんの後を追う。
「み、皆さんどうしてっ」
「君の気配を辿ってきた。すぐに煉が追いつくからここで待機していてくれ」
慧さんは私を降ろし、翔さんに続く。
その背に、私は必死で呼びかけた。
「茨木さんは盗まれた物を探しているんですっ! まだっ、まだ退治は待ってくださいっ!」
すると慧さんが足を止めてくれる。翔さんの姿はすでに闇の中に消えていた。
慧さんは振り返り、
「・・・はじめから君は囮だ」
固い声で告げた。
「我々は茨木が君に接触するのを待っていた。妖の目的がなんであれ関係ない。天宮は盾突く者を生かしてはおかない」
そう言い残し、闇の中へ走り去って行った。
残された私は力なく、雪の上に座り込んで、しばらく呆然としていた。
事情を聞くこともなく、椿さんたちは茨木さんを退治しようとしている。
私に目的を調べてほしいと言っていたのは、ただ、神様の力でいつでも居場所を割り出せる私を使って、茨木さんの所在を探るため。
天宮家の考えがわからないわけじゃない。
茨木さんはかつて都で悪いことを散々していた鬼で、ご兄弟が束でかからないといけないほど強力な妖怪だから、退治しておかなければと思われたんだろう。
皆さんの判断に、素人の私なんかが口を出せはしない。出せはしない、けど・・・。
本当にその判断は、合っているのだろうか。
話を聞いてくれる妖怪まで闇雲に祓うのでは、恨みを積もらせるだけではないの?
茨木さんを、助けられないだろうか。
たぶん探し物が見つかれば茨木さんはこの地をすぐに出て行く。天宮家はこの土地が守られればいいと考えるはずだから、茨木さんを追ってまで退治しようとはしないだろう。
問題は形状も不明な物を、しかも早急に、見つけられるのかということだ。
考えなくても、これは不可能だろうと勝手に頭が結論づけてしまう。
ああでもじゃあ、どうしたら・・・
うんうん唸っていたら、ふと、自分の声じゃない別の唸り声が聞こえることに、気づく。
「欲しい・・・欲しい・・・」
声に、おそるおそる振り返ると、まっ赤な目の痩せた犬が、木の影からゆっくり出て来て、涎を垂らすその口から、しきりに言葉を発している。
忘れもしない、会うのは二度目。
迎え犬さんだ!
「あ、わ、えええっと!」
パニックになりつつ、必死に煉くんの話を思い出す。
迎え犬さんは山道で転んだ人間を食べる妖怪で、確か、靴を片方投げてあげるとそれを持っていなくなるんだったっけ。
急いで雪にまみれたブーツの紐を、かじかむ手で解こうとし、
「――わっ!?」
あんまり慌てていたものだから、バランスを崩した私は後ろに倒れてしまう。
ああもう馬鹿!
迎え犬さんが空中から飛びかかってくる姿が視界いっぱいに広がったのを最後に、ぎゅっと目を閉じて身を強張らせたとき、ばちぃっ、と弾けるような音がした。
そーっと目を開けて、身を起こすと迎え犬さんが慌てて闇の中に走り去るのが見えた。
「――何をしておるのだっ!」
怒鳴り声はすぐ上から。
黒い毛並みの犬の頭をした妖怪が宙に浮いていた。
「犬神さん!」
袈裟をまとった犬神さんは肩で息をし、まるで慌てて駆けつけてくれたかのよう。
「ありが――」
反射的にお礼を言いかけて、金色の瞳にぎろりと睨まれ、慌てて口を閉じる。
人が大嫌いな犬神さんはお礼を言われることも嫌いだったのを思い出した。
犬神さんは大きく息を吐き出し、腕を組む。
「ふん。今、貴様を死なすと厄介であるゆえ、仕方なしに手を出したまでだ。二度目はないぞ」
「え、もう二度目ですよ?」
前に猿神さんに食べられそうになった時、煉くんたちが駆けつけてくれるまで時間稼ぎをしてくれたことがあった。
でもこれはよけいな指摘だったらしく、牙を剥かれてしまった。
「おれが人なぞを何度も助けるものかっ、思い上がるでないっ」
「ご、ごめんなさいっ、すみませんっ」
必死に謝ると、とりあえず咬みつかれたりはしないで済んだ。
「天宮はこの山で何をしておるのだ。なぜ貴様は放って置かれておる」
「茨木さんを追っているんです。私は、ここで待っているようにと言われて」
「茨木とな・・・なるほどな。新年から迷惑な者どもだ。やはり人と関わるとろくなことにならぬ。おれは去ぬぞ」
「あ、待ってくださいっ」
すー、っと黒い空に消えようとする犬神さんを、慌てて呼び止めた。
「白児さんが会いたがっていましたよっ」
上昇がぴたりと止まる。
「一度だけでもいいから、どうか、会ってあげてください。白児さんはとても上手に箏を弾けるようになったんです。犬神さんにも聞いてほしいって、言っていました」
犬神さんはしばらく沈黙し、
「・・・ふん」
鼻を鳴らして、木の葉陰に消えてしまった。
会ってくれるといいな。
だって白児さんと犬神さんは、人で言うなら家族みたいなものなんだから。
「―――きっと会ってくれますよ」
それはまるで、私の心に応えたように。
振り返ると、雪の上に影法師が立っていた。




