自白
遅く帰った土曜の夜は、心配して待っていた両親が、私が玄関に入るなり駆けつけて、さっそく怒られたけど、また大天狗様のところに招かれていたのだということだけ説明すると二人は納得してくれた。
その時大天狗様に頂いた着物が、全然ひどいことはされていないのだと証明するのに役立った。
翌朝、少し遅くに目が覚めると天宮くん――じゃなくて、煉くんから、携帯に着信があった。
昨日のことで、早速お呼びがかかったのだ。
『当主から謝罪したいとは言ってる。一応、無茶をする気はないようだけど、佐久間が嫌だったらいいよ。昨日の今日じゃ疲れてるだろうし』
電話越しの彼の声はなんだか、いつもよりはきはきしていた。
「ううん、私は大丈夫です。私も綾乃さんとお話ししたいことがあるから・・・あ、莉子さんはまだそっちにいる?」
『いるけど、佐久間が来るなら追い出すよ』
「あ、あの、もしできるなら莉子さんにもお話ししたいことというか、お願いしたいことがあるんですが」
『莉子に?』
「うん、できれば」
『――わかった。じゃあ、一時半頃に迎え行っていい?』
「え? 私、一人で行けるよ?」
『迎え来られるの嫌?』
「そ、そうじゃなくて、道は覚えてるし、わざわざ悪いから」
というか、この間一人で行ったばかり、ですよね?
一度辿り着けたのだから、迷子になる心配はさすがにないと思うのだけど。
『俺が行きたいだけ。でも佐久間が嫌ならあきらめる』
当然、嫌なわけない。
それでなんだかんだと、結局来てもらうことになってしまった。
う、うーん? なんだろう。
守るって決めてから気合入っちゃったのかな?
私は、少しでも煉くんと一緒にいられるなら嬉しいけど、あんまり肩の力を入れ過ぎないでほしいな。
ともかくもそんなわけで、時間までに身なりと心を準備万端に整え、チャイムが鳴ったらすぐさま玄関を出る。
そして煉くんとも色々と話しながら歩き、天宮家へ到着した。
まずはじめに、通された部屋には莉子さんがいて、翔さんの姿も隣にあった。
私が部屋に入ると莉子さんはきっと口を引き結び、複雑な表情で見上げてくる。
元気こそなかったけれど、怪我はないようだ。
それにひとまず安堵する。
「ユキちゃん、当主は別室でいくらでも待つよ。心ゆくまで煮るなり焼くなり、存分にどうぞ」
翔さんに促され、私はまず、彼女へ頭を下げた。
「――今日は、ありがとうございます。私のためにお待たせしてしまってすみません」
「なんで謝るの?」
すると莉子さんに刺々しい口調で遮られた。
「佐久間さんは莉子を怒りに来たんでしょ? そんな前置きいらないよ、さっさと莉子の悪口言って当主のとこ行けばいいじゃん。莉子、もう色んな人にいっぱい怒られて慣れたもん」
つん、と強がって逸らした横顔が、なんだか泣きそうにも見えた。
よかれと思ってしたことで、莉子さんはみんなに責められてしまったのだろうか。
へたに気を使うほうが、かえって彼女の癇に障ってしまうのかもしれない。
「で、では、遠慮なく言わせていただきますっ」
場の視線を感じながら、ちょっと緊張して告げた。
「あなたの絵を描かせてもらえませんか?」
返ってきたのは一言、というか一音。
「・・・は?」
いささか、唐突過ぎたらしい。
でも実はずっと心の底で思っていたことだったりする。理解を得るために、ここはきちんと思いを伝えなくちゃいけないだろう。
「初めて莉子さんにお会いした時から、すごく可愛くてきれいな人だなあと思っていて、ぜひぜひ絵を描かせてほしくて。道具も持ってきたんです。あ、ほら、今日は天気もいいですし、もしできれば縁側で庭を背景に描かせてもらえれば。あと、莉子さんのきれいな黒髪が映えるかと思ってこれ、ショールを持ってきてみました」
トートバッグから、ちゃんときれいにして持ってきた白のショールを取り出す。
特に飾り気はないけれど、きっと莉子さんにはシンプルなものが似合う。
「今の服にも合うと思うので、羽織ってみてもらえませんか? 今日は水彩で描かせてもらうつもりで用意してきました。莉子さんは線が細くて華奢なので、水彩の淡い繊細な感じが雰囲気ぴったりだと思うんです。あ、でも油絵で女性らしい柔らかい線を出しつつ色の厚みで莉子さんの芯の強いところを表現できるかもと思って迷ったんですが、ちょっと人のお家で油絵は匂いとかあんまり良くないかと思いまして。でも水彩を淡いばかりじゃなく陰影をはっきりつけて描けば凛々しい感じが出せるかもしれないので」
「佐久間、佐久間。もうわかったから、その辺で」
煉くんに肩を叩かれ、我に返る。
気づけば、莉子さんはぽかーんと口を開けており、
「呪詛でもかけてるのかと思ったよっ」
翔さんにはお腹を抱えて笑われて、にわかに恥ずかしくなる。
つい、どうしても莉子さんの絵を描きたくて、口説き落とすのに必死になってしまった。
もしかしなくても私、かなり気持ち悪かった、かな。
「す、すみません・・・あの、だめでしたら、無理にとは言いません。すみません」
「・・・いいよ、別に」
反省して小さくなったら、莉子さんがそう言ってくれた。
「そんなに描きたいなら描かせてあげてもいいよ。莉子に神は宿ってないから」
「ほんとですか!? ありがとうございますっ」
たった今、必死過ぎて笑われたばかりなのに、また懲りずに歓声を上げてしまう私。
でも嬉しかったのだからしかたがない。
「じゃあ、場所をお借りしてもいいですか?」
「いいよ、どこでも」
翔さんに許可をもらい、さっそく移動したいところだけどその前に。
「あの、できれば莉子さんと二人にしてもらえませんか?」
一緒に付いて来てくれそうだった煉くんに言うと、彼にとっては予想外のことだったようで、「でも」と咄嗟に渋られた。
「大丈夫だろ」
そこへ翔さんが助け舟を出してくれる。
「莉子だってもう馬鹿なまねはしないさ。第一、ここじゃすぐにバレるって」
煉くんは最終的には引き下がってくれたけど、私が部屋を出る時に「気をつけて」とこっそり耳打ちされた。
私と莉子さんは二人で縁側へ。
互いに座って、私は鞄からスケッチブックと絵具を取り出す。
天宮家は今日も静か。
山の中にあって隔離され、ここにはあまり人の気配がないせいだろう。
「莉子さん、寒くはないですか?」
私の持ってきたショールを羽織って、莉子さんは頷きで答えてくれた。
「すみません、いきなりこんなお願いをしてしまって。昔から、きれいなものや素敵なものを見ると、どうしても描きたくなってしまうんです」
パレットで絵具を混ぜながら、自分で言って苦笑する。
鉛筆や絵筆を握れるようになった頃から、私は目に見えるあらゆるものを紙に写していった。
はじめはうまく描けなかったけど、だんだんと思うように手を動かせるようになって、見えた通りに写せるようになって、どんどん、楽しくなっていったのだ。
「そんなに絵を描くのが好きなの?」
莉子さんが庭を眺めながら、ぽつりと言う。
「はい。絵を描くと、色んなことが見えますから」
「色んなこと?」
「ほら、絵を描こうとしたらまず対象物をよく見るでしょう? それがどんな形をしていて、どんな表情をしているのか、かなり細かいところまで見ます。――そうして見てると、ちょっとだけ相手を理解できる、ような気がするんです」
白紙に色を置き、いつもなら黙々と描くところを、今日は喋り続ける。
「ただ見ている時はわからなかったのに、絵に描くとああこんな素敵なところもあったんだなあとか、今、こんなことを考えてるんじゃないかなあとか、思い浮かぶんです。たぶん、的外れなことばかりなんですけど、想像しているうちにどんどん、その存在が愛おしく思えてきます。人も、物も、妖怪も、たくさんの想いを抱えて、そこに存在しているということを知ります」
短い命の人間、長く時を生きる妖怪、一見変わらずあるように思える物や風景、すべては少しずつ移ろいながら、様々な想いを積もらせていく。
その想いは喜びだったり、悲しみだったり、愛情であったり、時には憎しみや恨みであったりする。
好ましい想いばかりを抱えていられるわけじゃないから、自分でも嫌になるくらい汚くて卑しい感情も、存在していれば当然生まれてしまうから。
積もり積もった想いの果てに、人が鬼になることもある。
器物や獣が化け物になることもある。
貫いた想いのために、なってしまったおそろしい姿は白でも黒でも純粋である証。
哀しくて、愛おしい、その存在をもっともっと知りたくて、私は絵を描く。
「――ごめんなさい。あの時逃げた理由はこれです。私は、絵を描くために生きているような人間なんです」
絵を描けない人生なんて、恐怖を感じる以前に想像すらつかないものだ。
「でも、だからって莉子さんたちが死んでもいいとは思いません」
一度手を止めて、彼女の横顔を見つめた。
「私の一番大切は、全部です」
「―――」
こちらを振り向いたその彼女の顔を、すかさず紙に写し出す。
「天宮家も古御堂家も妖怪たちも、家族や友達、それから私自身のことも。全部大切にして、誰の敵にもなりたくありません」
「・・・そんなの、無理よ」
「かもしれません。でも少なくとも莉子さんたちの敵にはなりません。たとえ、莉子さんたちのほうが私を敵だと思っていたとしても」
相手にどう思われるかなんて、こちらからは操作しようがない。
せいぜい、なんとかできるのは自分のことくらい。
もっとも、自分の心すら時に思わぬほうへ行ってしまうけれど。
「・・・それを言うために莉子に会いたかったの?」
「はい。あと、莉子さんともっと話をしてみたくて」
「え?」
「私、莉子さんとは気が合うんじゃないかと思うんです」
すると、莉子さんにはびっくりしたような顔をされた。
「なんで? どこにそんなふうに思える要素あったの? 莉子、自慢じゃないけどほとんどの人と気が合わないよ?」
目をぱちくりして不思議そうにしている様子が、可愛らしい。
「だって、私と莉子さんは同じものを好きになれますから」
「え・・・?」
すう、と息を吸って、告げる。
「私も、煉くんが好きです」
これを、言いたかった。
今日はこれを言うために莉子さんに会いたかったのだ。
「莉子さんに聞いてほしかったんです。莉子さんはたくさん煉くんが好きだって気持ちを教えてくれたから、私も言わなくちゃと思って」
「・・・煉には言ったの?」
「いえ、そこまでの勇気は、さすがに。ようやく自覚したばかりで、まだ落ちついてないんです。それに、今の状態で言っても困らせてしまうだけだと思うので」
煉くんは自分の中の正しさに従って私の傍にいてくれることを決めた。
だったらまだ、この気持ちを言う時じゃない。
色んなことが解決して、いつか彼が私のことで拘束される必要がなくなったら、言えるのだと思う。
勢いで告白して、気まずいまま隣にいられるのは嫌だから。自分でもずるい考えだと思うけど、それまでは彼の優しさに甘えさせてもらうことにする。
「こんなこと人に言ったの初めてです。すごく、どきどきするんですね」
口にすると、頭の中で考えていた時よりも気持ちがはっきりするみたい。
対して莉子さんは、ぷくーっと両頬を膨らませた。
「なんなのそれ? ライバル宣言?」
「えっと・・・私としては、自白、のような気持ちです。莉子さんとは煉くんの話をたくさんできたらなあと思ってます」
絵はそろそろ仕上げに入る。
最後まで丁寧に、筆を動かす。
「煉くんは、かっこいいですよね」
「・・・うん」
「とても強くて男らしいです」
「・・・うん」
「自分には厳しく、弱い人には優しいんですよね」
「・・・うん」
「無口であんまり笑ってはくれませんけど、それだけ真面目で誠実な人なんですよね」
「・・・うん、そうだよ。だから莉子は煉が好きなの」
言葉に込められているのは、彼女の本気の心。
胸が少しずきりとする。でも痛みとともに、この時ばかりは不思議に温かいものが心に満ちた。
「―――できました」
画面の少女の顔はまだあどけなさを残すけど、熱を帯びた瞳はもう恋を知っている。
よけいな隠し立てなんかしない、凛としたまっすぐな想いを見る人へと伝えていた。
莉子さんに絵を渡すと、彼女は長い時間、それを見つめ続けた。
「・・・莉子って、こんな顔してるの?」
「はい。とても素敵でしょう?」
笑いかけると、彼女は戸惑うように視線を逸らし、うつむきながらのとてもとても小さな声で、
「・・・ありがと」
そう言って、絵をもらってくれたのだった。




