後援者
元亀四年(1576年) 四月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
播磨から八幡城の自室に戻るといつもの様にお手紙が待っていた。先ずは目々典侍、千津叔母ちゃんからの文を読もう。例の内親王宣下の話が書いて有った。竹の嫁入りが夏なのでその後、秋に行いたいと考えていたが権典侍、飛鳥井の伯父が養女にして誠仁親王の側に送った娘が懐妊したらしい。時期的に見て出産は十月ぐらいになるとの事。いずれも目出度い事だがばたばたとたて続けに事が起きては如何なものかと書いて有った。
気にする事は無いと言いたいが八月には竹を越後に送る。十月に子供が生まれるとなると内親王宣下は九月、或いは十一月以降という事か。十一月以降となれば年の瀬も近くなる、忙しいな。年明けという選択肢も有るが御目出度い事を先延ばしにするのは面白くない。千津叔母ちゃんも自分の娘のイベントを先延ばしにされる事は不愉快だろう。九月だな、不幸が重なるんじゃない。慶事が重なるんだ、九月で問題無しと返事をしよう。
しかし、男の子が生まれても皇位は難しいな。勧修寺の阿茶局が五人も子供産んでるからなあ。しかも男が四人、まあそのうち一人は夭折しているから三人か。如何見ても皇位は無理だ。だが子供が生まれれば肩身が狭い思いはせずに済む。こっちだって精一杯応援するさ。出来れば女の子の方が良いな、内親王宣下から有力貴族に降嫁させる事で繋がりを持てる。男だと使い道が……、いや、断絶した家を再興させるか、その手が有るな。皇族が再興させれば当然だが優遇される。これはこれで有りだな。
問題は阿茶局が産んだ子供達だ。放置は余り上手くない。幸いな事に勧修寺は若狭の粟屋を通して繋がりが有る。やり様は有るだろう。それに阿茶局も頭を痛めている筈だ。男子が三人居ても皇位を継ぐのは一人。あとの二人を如何するか? 坊主にするのは切なかろう。となれば息子二人の行く末のためにこちらと手を結ぶ事はむしろ望むところだろう。
関白殿下からも文が来ていた。竹の養女の件、六月に京で手続きを取りたいと言ってきている。要するに六月に竹を連れて京に来いという事か。これも問題無い、行くと伝えよう。それと和歌の件は順調に進んでいると書いて有った。どうやら公家達は三人集まればお祭り騒ぎらしい。皆頭を捻って一生懸命和歌を考えているようだ。締め切りは五月末だぞ。飛鳥井の伯父が取り纏め役だからちゃんと渡せよ。
勿論皆俺が何を考えたかは理解している。その上で喜んでいるようだ。理由は二つ。一つは自分達が必要とされていると実感出来た事が嬉しいらしい。まあ公家なんて位階が高いだけで役に立たんと思われがちな乱世では無力感を感じがちなのだ。そんな時に嫁入り道具を作るのを手伝えと言われたのが嬉しいらしい。しかも戦国の二大強国の婚礼の嫁入り道具だ。張り切るなと言われても張り切るよな。
そしてもう一つは和歌を作る場を与えられた事だ。これまで和歌を作っても仲間内で発表したり日記に書いたりするのが精々だった。だが屏風に書きつけて貰えれば皆に見て貰えるし後世にまで残るのだ。これはもう頑張るしかないだろう。言ってみれば発表の場を得られなかった芸術家が突然個展を開く機会を得られた様なものだ。そりゃ興奮するし発奮もするわ。睡眠時間を削ってでも和歌を作る事に没頭するだろう。
そうだなあ、そういう場って要るよな。貴族政治全盛期には自分達で詩歌管弦を中心とした貴族文化を発表する場を作れた。だが今の公家達にはその力が無い。発表する場が無ければ技術は廃れる。金が無ければ生活に追われて技術を磨く時間が無くなる。徐々に失われていく。だから公家達は地方に下向して貴族文化を大内、朝倉、今川、土佐一条などに伝える事で生計を立てた。
地方だけじゃない、本拠地である京でも芸術振興、文化振興をやるべきだ。京が文化の発信元なんだから京でやらなければ意味が無い。この場合やるのは俺なんだろうな。義昭にはそんな事考える頭なんて無いしやる気も無いに違いない。そういう事に目を向ければそれなりに存在価値が有るのに……。遣る事と言えば騒乱を引き起こす事だけだ。さて、如何したものかな? うん、和歌から行くか。
今回和歌を頂いた。非常に素晴らしい歌ばかりで大変感動した。ついては帝の命で和歌集を作っては如何だろうか? 皆々和歌を持ち寄りその中から優れた歌を選んで和歌集に残す。……そんな感じで提案してみようか。勿論経費は朽木が出す。和歌集は男子の部と女子の部で分けても良いんじゃないかな? この世界、男尊女卑だけど女だけの和歌集って言ったら奥方や娘達が張り切るだろう。後で関白殿下に尋ねてみよう。それと屏風に和歌を書かねばならん。能書家が必要だ、そちらも公家から選ぶか。誰が居るんだろう? 飛鳥井は書道の家だと聞いた事が有るが……。ま、それも関白殿下に相談だな。
加賀の井口越前守からも文が来た。今のところ越中の神保、椎名に動きは無いらしい。輝虎が、いや謙信だったな。倒れてから謙信と名乗り始めたんだった。謙信が死んだわけではないから様子見という事だろう。当分目は離せない。越前には油断せずに見張れと伝えよう。それと能登の宮部善祥坊にも警告をしなければ……。
信長からも文が来ている。水軍の派遣について丁重な礼が書かれてあった。謙信の病状に触れお酒の飲み過ぎは良くないよね、と書いてあった。でもなあ、そう書いた後で琉球からそろそろ砂糖が届いたでしょ、届いたら送って頂戴とか書くなよ。カステーラも欲しいとか甘党なのは分かるけど糖尿病になるぞ。あいつ変なところで抜けてるよ。八門の報せでは信長は最近太って来たらしい。メタボの信長なんて到底信じられん。聞いた時には何の事か分からなかった程だ。
史実だと痩せているんだよな、信長包囲網の所為で太る暇が無かったのかもしれない。だがこの世界では史実ほど駆け回っていないからカロリーが蓄積されている様だ。逆に俺が太る暇が無くて痩せている。夜は小夜と雪乃に攻められるし昼間は仕事が追いかけてくる。この上辰を側室にとか辛いわ。俺の苦しみを理解してくれるのは壺だけだ。
駿河の今川はとうとう小田原に逃げた。もう如何にもならなくなったらしい。信長の文には次は武田だと書いてあった。根こそぎ叩き潰すとも書いてあった。信長はかなり武田を憎んでいる。史実と違って武田には酷い目には遭っていないんだけど……、いやそうでもないか。三河の一向門徒を動かしたのは顕如だがその顕如を動かしたのが武田だった。顕如の妻と信玄の妻は姉妹だったな。こりゃ駄目だ。
この世界で織田の美濃攻略が遅れ東海地方制圧にどっぷりと浸かる事になったのは武田と一向一揆の協力関係の所為だった。史実で信長が武田を目の仇にしたのも一向宗との関係が有るのかもしれない。まあこの世界でも武田は悲惨な目に遭うだろう。上杉にボコボコにされて織田に潰される。俺がボコボコにしたわけじゃないし潰すわけでもないから俺には関係ない、知らぬ振りをしよう。俺は織田が何時飛騨に攻め入るかと心配しているんだけど今のところは余り心配はいらなさそうだ。播磨での蛮勇が多少は信長に影響を与えたのかな?
「御屋形様」
声をかけてきたのは石田佐吉だった。こいつ、面白い頭の形をしている。才槌頭と周囲からは言われているけど頭と頸の形が才槌に似ているのは確かだ。頭が後ろに大きく張り出していて脳の容量が大きそうな感じがする。いかにも才子という感じだ。ただちょっと生真面目過ぎるところが有る。でもそこも可愛い。慣れてない感じが初々しいんだ。
「如何した佐吉」
「はっ、黒野様が」
「ほう、小兵衛か、重蔵か?」
「小兵衛様です」
「通してくれ。佐吉、席を外せ」
「はっ」
佐吉がちょっと不満そうな顔をした。二人だけで会うと言う事が不満らしい。こいつ融通が利かないところが有る。そこは直していかないと。
佐吉が出て行くのと入れ違いに小兵衛が入って来た。暦の間だと重蔵が相談役として控えているからな、ちょっと遣り辛いらしい。それで俺の自室を訪ねてくる事が多いようだ。小兵衛の嫁さんがキリで子供が四人居ると言うのだから驚きだよ。一番上の男の子は十三歳? いや十四だったかな。もう直ぐ独り立ちだそうだ。すっと俺の前に座った。動きに淀みが無い、流石に八門だな。重蔵も嘗てはそうだった、今は怪我をした所為で微かに動きがぎこちない。胸が痛む。
「もそっと寄れ、遠慮は要らぬ」
「はっ」
すっとさらに近寄った。格好良いわ。
「如何であった、毛利は」
声を潜めて問い掛けると小兵衛が微かに笑った。
「右馬頭輝元、なかなか肚が据わらぬようで。家臣達の間から英賀を見殺しにした事で大分不満が出ているようにございます」
「なるほどな」
毛利家中には一向門徒が多い、当然不満は出るだろう。肚の座らぬ男か。悪くない。
何処まで主体性を持って朽木と戦うと決めたかな? 安芸の門徒衆や顕如に頼まれてとなれば何処かで不本意、巻き込まれたという感情が有るのかもしれない。だとすると肚が据わらぬという事は十分に有り得る。それに毛利の直接治める地域が攻められたわけではない。悪気はないのだろうが輝元に切迫感は余り無いのかもしれん。それが苛立ちを呼ぶ。
「宇喜多の事は?」
「取り敢えずは受け入れるようでございます」
「では三村の裏切りを信じたと?」
ゆるゆると小兵衛が首を振った。
「さて、そこは何とも。ですが宇喜多が寝返れば備前は当然でございますが備中、美作にまで御屋形様の力が及ぶ事になりましょう。ここは信じるほかございますまい」
已むを得ず目を瞑ったか……。ま、そうなるな。そして宇喜多もその辺りは分かっている。宇喜多、毛利はぎくしゃくするな。
「今毛利は備中の混乱を抑えるのに必死でございまする。宇喜多を受け入れた以上、三村は朽木に寝返ったとして潰すしかありませぬ。備中平定の指揮を執っているのは小早川左衛門佐ですが毛利内部でもこの事態に批判が出ております」
「上手く行ったかな、小兵衛」
「十分に」
小兵衛が頷いた。
毛利内部で三村が疑われている可能性が有る、東播磨を攻略中の俺に小兵衛が報せを持って来た。どうも毛利の忍び、世鬼一族が動いているらしい。宇喜多と犬猿の仲の三村が大人しく毛利に服属している事が気になったのかもしれない。輝元がはっきりした態度を見せないのもその辺りが関与しているとも考えられる。……今から考えると輝元がただ迷っていただけなのかもしれないがその時はそう思った。
悩んでいる間に毛利が三村に出陣を命じた、でも毛利の出陣は無い。やはり毛利は疑っているのだと判断せざるを得なかった。宇喜多も三村も信用出来ない、だから出兵が無い。毛利に疑われている以上、三村は使えないだろう。それが俺と小兵衛の判断だ。という事で宇喜多にこっそりと三村が朽木に通じていると情報を流してやった、官兵衛にも内緒でな。宇喜多、三村が備前、備中の国境で噛み合えば播磨、備前の国境は手薄になる。仕掛けたのが宇喜多なら毛利の疑いの目は宇喜多に向く、そう思ったんだがまさか宇喜多が三村を暗殺するとは思わなかった。親子二代を暗殺か、いや凄まじいわ。流石宇喜多直家、戦国の梟雄だな。
三村元親が死んだ以上三村は混乱する。もう使えない。宇喜多を降伏させて三村を援けてもまた宇喜多と三村が争いを始めるだろう。つまり朽木まで混乱する、足を引っ張られる。という事で後味は悪かったが何もせずに近江に戻った。三村は毛利が、宇喜多は朽木が滅ぼす。そして備中で毛利と朽木がぶつかる。そういう事だ。史実よりも宇喜多の立場は悪い。備中における毛利の立場も悪いだろう。十分な成果だと思おう。
今回は播磨でかなり無理をした。大筒も鉄砲も目一杯持って行った。火薬も使ったが弾も使った。これまでにない消費量だった。兵糧方も目を剥いていたわ。だが短期間で播磨を攻略する事が出来た、その意味は大きい。毛利の狙いを挫いたのだ。最近厳しい戦はしていないからな。朽木を怒らせる事がどれだけ危険か。皆改めて分かっただろう。
三木城、英賀ではトラウマからか抜け殻みたいになったり幼児化したりした人間も居た。官兵衛も顔が蒼褪めていたな。今までの戦と違う、そんな事を呟いていた。御着城の小寺加賀守が逃げたのも想定通りだ。今では御着城は朽木の播磨支配の拠点となり明智十兵衛が一万の兵と共に詰めている。十兵衛を支えるのは軍略方から芦田源十郎信蕃、兵糧方から山内次郎右衛門康豊だ。石山に山内伊右衛門がいる。兄弟で上手くやってくれるだろう。ああ、そうだ、官兵衛に小寺の姓を捨て黒田に戻れと言わなければならんな。
「この後は?」
考えに耽っていると小兵衛が問い掛けてきた。
「備中、美作を混乱させてくれ。三村は毛利、宇喜多に嵌められた。或いは朽木に嵌められた。そんな噂を流せ」
「朽木も、でございますか?」
訝しげな表情だ。この辺りは重蔵に及ばないな。
「今回利を得たのは備中を得た毛利と邪魔な三村を潰した宇喜多だ。朽木の名が有っても厳しい目は向こうに行く」
小兵衛が頷いた。誘導するのではない、選択させる事で誘導していく。そういうやり方も有る。営業の基本だよ。
小兵衛が下がると次の文を読んだ。土佐の土居宗珊からの文だ。二月の末から三月にかけて行われた長宗我部との戦について書かれていた。はっきりした勝敗は無しか。土佐の東部で三好が兵を出すそぶりを見せたために長宗我部は退いたらしい。まあ朽木の水軍が土佐の東部を荒らしたという事も有る。兵を退くのは妥当だろう。土佐一条家は後退する敵を追おうとしたようだが隙が無いので諦めたようだ。流石だな、長宗我部元親。
戦の勝敗は着かなかった。だが戦略面で劣勢にある事は元親も理解しただろう。長宗我部は陸で二つの敵に挟まれ海からも攻撃を受ける状況になったのだ。さて、如何する? 領内でもこの状況には不安を持つ者が現れよう。後で大叔父と伊賀衆を呼ぼう、長宗我部を如何するか、検討しなければ……。文は土佐一条家の当主、一条兼定からも来ていた。長宗我部は尻尾を巻いて退散した、大勝利だと書いて有る。阿呆、俺に見栄張って如何する? 事実を書いて来い。話にならん……。
その次は平島公方家の大御所足利義助からの文だった。従三位権中納言に昇進した事の礼だった。うん、これで将軍を退位してもそれなりの待遇をするという前例が出来た。義昭の周辺にそれとなくそれを気付かせる様な噂を流そう。こいつは八門よりも公家を使った方が良さそうだ。関白殿下を頼もうか。三好日向守からも文が来ている。こっちも権中納言昇進の礼だった。三好豊前守、安宅摂津守も義助の権中納言昇進を喜んでいるようだ。ま、良い感じだよな。
元亀四年(1576年) 五月上旬 越後国頸城郡春日村 春日山城 目賀田忠朝
上杉謙信公、御養君喜平次景勝様への挨拶を済ませると別室にて直江大和守殿、長尾越前守殿との会談となった。
「目賀田殿、御足労をお掛け致しました。真にもって申し訳ない、この通りでござる」
越前守殿が頭を下げると大和守殿も頭を下げた。二人とも緊張している。
「足労等というものは全くござりませぬ。正直に申せば近江と越後が余りにも近いのに驚き申した。淡海乃海を船で渡り敦賀からは直江津までこれまた船であっという間でござった」
二人の顔に笑みが浮かんだ。どうやら心が解れたらしい。
「少将様におかれましては一息に播磨を平定された由、心からお祝い申し上げる」
「真、余りの速さに驚き申した」
「忝のうござる、主人基綱に代わり御礼申し上げまする。戻りましたならば必ずや御両所より御祝いを受けた事、主人基綱に言上仕る」
「何卒、良しなに」
二人から丁重な挨拶を受けた。確かに早かった、毛利も胆を潰しただろうがこちらも胆を潰した。竹姫様のため、御屋形様は播磨を一息に攻め獲った。
「ところで、竹姫様を関白殿下の御養女になされる件は如何なりましたか?」
大和守殿が訊ねて来た。
「順調に進んでおりまする。六月には関白殿下と親子の縁を結ぶ事になりましょう」
「関白殿下、近江少将様と縁続きに成れるとは真に目出度い」
「左様」
二人が笑みを浮かべて頷いている。
「失礼ながら上杉家中において喜平次様への反発は?」
「表立っては」
大和守殿が答えると越前守殿が辛そうに頷いた。父親としてはさもあろう。
「では跡目に付いて進展は?」
二人が首を横に振った。なるほど、竹姫様を娶ると決まっても跡目に付いては進展は無しか……。今のままでは喜平次様はただの養子だな。余程に反発が強いと見える。
「如何でござろう、喜平次様に朝廷から官位を頂いては?」
「と申されると?」
「従五位下、弾正少弼」
二人が顔を見合わせた。
「御存じの通り謙信公も頂いた官位。いわば謙信公をなぞる形になり申す」
「つまり後を継ぐのは喜平次様と」
大和守殿が呟く。その隣で越前守殿が“なるほど”と大きく頷いた。
「左様、言葉には出さずとも皆が理解致しましょう。そして朝廷が官位を授けると言う事は朝廷が喜平次様を謙信公の後を継ぐべき御方と認めたという事」
私の言葉に二人が唸った。気持ちは分かる。御屋形様は真、朝廷を利用するのが上手い。それに朝廷としても関白殿下の養女である竹姫様の夫君を蔑には出来ぬ。むしろ此処は積極的に恩を売ろうとするであろう。
「如何でござろう、謙信公の御了承を頂ければ朝廷に主よりお願い致しまするが」
二人が顔を見合わせ頷いた。
「暫くお待ち頂けまいか、直ちに主の考えを確認致しましょう」
そう越前守殿が言って二人が慌ただしく部屋を出て行った。まあ謙信公が断る事は有るまい。さて、後は行列の事を話さねばならん。三万人、あの二人一体どんな顔をするか……。




