権威と権力
禎兆九年(1589年) 二月中旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 朽木基綱
「久しいの、相国」
院がニコニコしながら話し掛けてきた。
「はっ、お久しゅうございまする。院、帝におかれましてはお変わりなき御様子。基綱、心からお慶び申し上げまする」
社交辞令じゃ無いよ。院も帝も本当に元気そうだ。常御所には院、帝の他に俺、近衛太閤、九条前関白、一条関白、二条左府、近衛右府、鷹司内府が集まっている。深夜の会合だからな、宿直の公家達が驚いていた。
「今年も華やかに新年を祝う事が出来た」
「行き届かぬ所は無かったのでしょうか?」
院が”そんな事は無い”と首を横に振った。
「そなたの御蔭だ。感謝している」
「畏れ入りまする」
朝廷はちゃんと感謝してくれる。だから良いんだよ。応援したくなる。足利は踏ん反り返るだけだったな。
「熱を出して寝込んだと聞いたが?」
帝が心配そうに訊ねてきた。
「御心配をお掛けしました。少し忙し過ぎたのかもしれませぬ。疲れが出たのでしょう。一日休んで今は何とも有りませぬ」
「それなら良いが……。あまり無理はしてくれるなよ。そなたにもしもの事が有れば天下はまた乱れかねぬ」
「畏れ多い事にございまする。御言葉、肝に銘じまする」
まあね、もう直ぐ天下統一なのに俺が死んだら困るよな。やはり天下獲りは健康第一で長生きが必須だ。
関白殿下が院、帝に”そろそろ宜しゅうおじゃりますか”と問い掛けた。二人が頷くと殿下が俺を見た。
「相国、琉球の件について話して欲しい」
「はっ。既に太閤殿下よりお聞きかと思いますが琉球が某との約を破りました。人質を出すと言いながら呂宋のイスパニアが日本に攻め寄せると約を違え人質を出さなかったのです」
俺の言葉に皆が頷いた。
「その後、琉球からは何も有りませぬ。琉球は日本を、いや某をなのかもしれませぬが甘く見ているようでございます」
うん、皆不愉快そうな顔になった。日本はイスパニアを叩きのめしたんだ。ここは直ぐにでも使者を送って謝罪するべきだった。まあ、俺が奥州攻めに手こずっていると思っているのだろう。噂を流して騙したのは俺だが騙された方が悪いんだ。
「一昨年、琉球に使者を送りましたがそれには息子の四郎右衛門も加えました。四郎右衛門の話では琉球は常に明を重視するのだとか。口にはしませんでしたが日本を露骨に軽視するような事も有ったのかもしれませぬ」
益々不愉快そうな表情だ。
「相国、琉球は日本の庇護を必要としているのではおじゃりませぬか? それなのに日本を軽んずる?」
訝しげに問い掛けてきたのは鷹司内府だ。あまり鋭さを感じさせる男じゃ無い。おっとりした男のようだ。ちょっと兄の前関白とは違うな。その前関白は顔を顰めている。この馬鹿! とでも言いたそうだ。二条右府は面白そうに弟を見ている。兄弟だが似ていない。三人三様だな。
「明は服属しなければ交易を認めませぬ。そして服属すれば宗主国として臣下の礼を求めてくる。何かと煩いのです。しかし日本は違う。交易は自由です。服属の必要も無い。その方がお互いに利が有る。某はそう思ったのですが琉球からは日本は緩いと見えたかもしれませぬ」
幾つか頷く姿が有った。
「それと琉球には日本の代弁者になって明と交渉して貰おうと考えていました。朝鮮との交渉を考えての事です。琉球から見れば日本は自分達を必要としている。自分達の方が立場は上だと思った可能性は有ります。それに使者には某の息子が入っていました。琉球は某が自分達を重視している。阿っていると思ったかもしれませぬ。広い視野を持たせようと琉球に送ったのですが……」
四郎右衛門を琉球に送った事は間違いじゃなかった。外から日本を見た事で四郎右衛門の意識は大きく変わった。もう子供っぽさは無い。
「琉球の国書は帝へでは無く相国への物だった。琉球側の事情を考えて受け入れたがそれも日本を甘く見る一因になったかもしれぬ」
太閤殿下が扇子で手を叩きながら言った。そうだな、こちらが国交を結びたがっている。そう思ったかもしれない。一度は断って渋々受け入れる。そういう芝居をした方が良かったのかもしれん。その事を言うと皆が頷いた。
「琉球を利用して明を動かし朝鮮との交渉を有利に運ぶ。残念ですがその考えは潰えました。日本を軽視する琉球が日本のために親身に交渉してくれるとは思えませぬ」
皆が頷いた。
「また琉球を放置して呂宋のイスパニアに攻め込む事も出来ませぬ。極めて危険です」
また皆が頷いた。
「三月に琉球を攻め、滅ぼします」
シンとした。誰も動かない。視線を動かす事も無い。でもこちらを咎めるようにものは感じなかった。已むを得ないと見ているのだろう。
「明が日本を咎める事は無いか?」
帝が問い掛けてきた。
「兵を出す事は有りますまい。兵を出すだけの力が有るなら琉球が日本を頼る事は有りませんでした」
皆が頷いた。史実では琉球が滅んでも明は動かなかった。明は大陸国家で海に関心を持たなかったんだ。
「琉球の兵力は三千ほどだそうです。こちらは二万の兵を用意しております。攻略に手間取る事は有りますまい」
「……」
「琉球を滅ぼす事で朝鮮に日本を無下に扱うのは危険だと思わせましょう。それに琉球を攻め取れば呂宋は直ぐ傍です。イスパニアに圧力をかける事が出来ますし呂宋に攻め込む時には琉球が起点となります」
戦国乱世は日本の国内だけじゃ無いんだよ。弱肉強食は海外も同じさ。弱い奴、愚かな奴は喰われるのだ。琉球は判断を間違った。そのツケは払わなければならない。誰かが溜息を吐くのが聞こえた。
「琉球王は死んだと聞いたが?」
前関白が問い掛けてきた。
「昨年の暮れから正月の間に死んだそうです。新しい王も決まっています。ですが琉球からは未だ報せは有りませぬ」
皆が不愉快そうな表情になった。多分明に報せるのが第一、日本はその後と考えているのだろう。こういうのってその国の本心が透けて見えるんだよ。宗主国が第一というわけだ。その事を言うと皆が不愉快そうな表情になった。
「愚かな……」
前関白が呟いた。
「報せが無い以上、公には日本は琉球王の崩御を知らない事になります」
「不愉快な話だな」
院の言葉に皆が頷いた。
確かにね、馬鹿にした話だ。だがそれ以上に拙いと思う。九条前関白の言う通り愚かなんだ。新王にとっては良いチャンスなんだよ。前王の非礼を詫びて人質を出す、琉球は日本を頼りにしていると言えば日本は新王を歓迎するんだ。兵を出す事も無い。それが無いって事は新王も前王と同じで明を重視している。日本を甘く見ていると証明している事になる。であれば攻め滅ぼすしか無い。その事を言うと皆が頷いた。
「攻め滅ぼすのは難しく有りませぬ。問題はどのように琉球を治めるかです」
事前に話をしていた太閤殿下、関白殿下、右府は平静な表情だが他は訝しげな表情をした。まあな、日本は海外に領土を持った事なんて無いんだから。あ、任那日本府は如何なんだろう? あれって本当に有ったのかな?
「他の日本の国と同じように治めては拙いのか?」
帝が問い掛けてきたから”拙いと思いまする”と答えた。
「琉球は長きに亘って琉球王が治めてきた国にございかする。山城や近江を治めるようには参りませぬ」
帝が曖昧な表情で頷いた。多分、分かっていないな。
「琉球の民は琉球王を敬愛し忠誠を誓っているのです。帝を慕っているわけでも某に忠誠を誓っているわけでもありませぬ。当然ですが朝廷の権威も認めておりませぬ」
院と帝が困惑した表情で顔を見合わせている。朝廷の権威が通用しない。どう考えて良いのか戸惑っているのだろう。
「そういう民を治めるのです。不満を持てば直ぐに独立運動を起こすと思います。その時、中心になるのは琉球王家の人間でしょう。自ら王を名乗るのか、民に担がれるのかは分かりませぬが琉球王を名乗り琉球全土の民に琉球を取り戻すために立ち上がれと号令するのは間違い有りませぬ」
「惨いようだが王家の人間は殺すしかないのでは?」
シンとした。皆が発言者の前関白を見ている。そこまでやる? そんな感じだ。太閤殿下は面白そうだ。前関白が迷惑そうな表情をした。
「兄上、それは些か」
「内府、確かに惨い事だと思う。麿とて好むところではおじゃらぬぞ。だが琉球の南には呂宋のイスパニアが有る。琉球が乱れるのはイスパニアを喜ばせるだけでおじゃろう。そうではおじゃらぬかな、相国」
前関白が問い掛けてきた。
「その通りにございます」
「ならば已むを得まい。異国にはそういう例も有る筈じゃ」
「最悪の場合はそういう事になりましょう」
否定はしない。そうなる可能性は有る。しかしね、公家とこういう話が出来るとは……。好きになれない男だが無視は出来ないな。太閤殿下亡き後はやはりこの男が宮中で影響力を持つのかもしれない。
「但し、そうなった場合ですが琉球の民の日本への反発、敵意は酷いものになりましょう。出来る限りは避けるべきかと思いまする」
「では如何する?」
院がホッとしたように問い掛けてきた。やはり皆殺しは嫌らしい。
「琉球王を生かして利用する事を考えております」
「それは?」
「帝にお仕えさせようかと」
院と帝が顔を見合わせた。
「人質かな、相国」
そんな皮肉そうな顔をするなよ、前関白。
「いえ、帝から琉球王に任じて頂き丁重に扱いまする」
”琉球王?”と声が上がった。左府が首を傾げている。
「それは新たに令外官を作るという事かな?」
俺が”はい”と答えると左府が目を瞬いた。大丈夫かな? あ、院、帝も驚いている。新しい官職を作るって予想外だったか。まあ朝廷は前例重視だからな。
「驚かせたかもしれませぬ。ですが琉球の民も自分達の王が丁重に扱われている。琉球王の称号を与えられていると知れば安心し喜びましょう」
”なるほど”、”確かに”と声が上がった。太閤殿下はニヤニヤ、関白殿下はニコニコ。やはり性格が悪いのは太閤だな。
「琉球王が丁重に扱われている。そして税が安く暮らし易いとなれば簡単には敵対行動は起こしますまい。万一、敵対行動を起こし琉球王を名乗る者が現れても偽者、謀叛人として処断出来まする」
院が”ほほほほ”と笑い声を上げた。
「琉球王に任じ家臣とするか。誠仁、そなた明の皇帝と同じ立場じゃの」
「父上!」
「ほほほほほ」
院が上機嫌で笑うと帝がからかわれたと思ったのだろう。顔を赤くしている。皆も笑い声を上げた。悪くないね。好意的に受け取られている。明の皇帝と同じ立場か。うん、プライドをくすぐるよな。
「只今の相国の案は真に良き案かと思いまする。異国の王を臣下にするのです。これが実現すれば朝廷の権威、帝の御威光は益々増しましょう」
「臣もそのように思いまする」
太閤殿下、関白殿下が賛成すると他の三人も同意した。院、帝も反対しない。これで琉球王を公家にする事が決まった。
「となると後は位階、家格、序列でおじゃりますな」
太閤殿下の言葉に皆が頷いた。
「仮にも王に任じられるのですから従一位が相当でおじゃりましょう。琉球の民を安堵させる目的もおじゃります」
関白殿下の発言にも反対は無い。従一位の上は正一位なんだがこれは現在では生きている人間に与えられる事は無い。贈正一位といって亡くなってから贈られるのが通例だ。
「家格はなんとします?」
左府が訊ねると太閤殿下が”ほほほほほほ”と笑った。
「摂家では如何かな?」
”はあ”という声が幾つも上がった。そうだよな、驚くよな。俺だってその案を聞いた時は驚いたよ。殿下がまた”ほほほほほ”と笑う。
「不満かな? しかし他の家格では琉球の民が納得するまい。前関白も言ったが呂宋の事を考えればここは奮発するべきではないかな?」
太閤殿下が皆を見渡した。
「しかし摂家となれば関白に成る事も……」
内府が反対すると太閤殿下がフッと笑った。
「琉球王が関白になる、不快か? ならば琉球王は兼帯は不可とすれば良かろう。王に兼帯は似合わぬとな。問題はおじゃるまい」
「そうですな、その上で琉球王は尚氏の家職とする。如何でおじゃりましょう」
近衛右府が続けると前関白、左府、内府が頷いた。兼帯は不可、つまり他の役職を兼任出来ないのだから摂政・関白にはなれないという事になる。そして尚氏以外の者が琉球王に成る事も無い。この事も琉球の民が知れば喜ぶ筈だ。実際には関白からの排除なんだが……。
「宮中での序列は摂関、准三宮、太政大臣に次ぐ位置となろう。如何かな、左府」
関白殿下の問いに左府が”異存おじゃりませぬ”と答えた。うん、これで決まりだ。尚家は家格は摂家、琉球王の位階は従一位、宮中での序列は摂関、准三宮、太政大臣の次だ。琉球王を受け入れる準備は出来た。後は月が変われば戦だ。
禎兆九年(1589年) 二月中旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 正親町上皇
相国達が帰った後、息子は頻りと息を吐いた。
「如何した? 溜息など吐いて。喜ばぬのか?」
問い掛けると誠仁が”父上”と言って困ったような表情をした。
「相国が来ると何時も驚かされます」
「そうじゃの。だが不愉快な話では有るまい」
「まあ、それは」
私が笑うと誠仁も笑った。
「本当に私は明の皇帝と同じ立場になるのでしょうか?」
一頻り笑った後、誠仁が神妙な表情で問い掛けてきた。
「そうだな。他国を滅ぼしその国の王を臣下とするのじゃ。明の皇帝と同じと言って良かろう」
誠仁が溜息を吐いた。
「信じられませぬ。琉球が臣従すると言って来た時も驚きましたが今回は滅ぼして私に仕えさせると……」
「そうよな、私も信じられぬ。私が帝になった頃は天下は麻の如く乱れて朝廷など有って無きが如しであった」
苦しかったし惨めでもあった。相国だけで有ったな、朝廷を重んじてくれたのは。でもあの頃の相国は小さかった……。
「相国は何故琉球王を自分の家臣にしないのでしょう」
誠仁が首を傾げている。
「それでは相国が明の皇帝と同じ立場になる。そなたは不満ではないか?」
「それはまあ面白く有りませぬ」
「朝廷と武家の間で齟齬が生じよう。相国はそのような事はせぬ」
誠仁が曖昧な表情で頷いた。
「それにの、相国の家臣にすれば琉球の統治に琉球王が絡みかねぬ。それを嫌がったのかもしれぬぞ。効果は有ろうが何時までも琉球王の影響が残りかねぬとな」
「なるほど」
「それならば実権の無い朝廷に押し付けてしまえという事よ。敬して遠ざけるという諺も有る」
誠仁が顔を顰めた。
「不満かな?」
「はい、要らぬ者を押し付けられても……」
「不満か。しかしな、朝廷が権威を持ち武家が力を持つのだ。琉球を安定させるために飾りの琉球王が要る。それを考えれば琉球王が朝廷に来るのは当然と言える」
「まあ、それは」
まだ納得はしていない。
「公武の協調とは互いに相手を上手に使う事よ。朝廷は相国を上手に使い相国は朝廷を上手に使った。そうやってここまで来た」
「はい」
「今回のばあい、相国は邪魔な琉球王をそなたに押し付けた。だがそなたは琉球王を受け入れる事で明の皇帝と同じ立場になる。不満か?」
誠仁が笑い出した。
「忘れておりました。それが有りましたな」
「いずれは内親王を降嫁させたいとも言っていた。さすればそなたは琉球王から義父上と呼ばれる事になろう」
「はい」
「琉球王を下すのは相国、だが琉球王を日本に取り込むのはそなたの役目よ。どうじゃ、悪く有るまい」
誠仁の顔が笑みで崩れた。
「真に。悪く有りませぬ。なるほど、公武の協力でございますな」
「そうよ、公武の協力よ。力で下し権威で搦め捕る。相国はそれを良く理解しているわ。だから内親王の降嫁という話が出るのよ」
「はい」
誠仁が大きく頷いた。ここはしっかりと教えておかなければならぬ。朝廷は無力では無いのだ。だから相国は朝廷を重視するのだ。
「それにの、ここで琉球王を受け取っておけばいずれは他の王も来るかもしれぬぞ」
「まさか!」
誠仁が目を瞬いている。考えもしなかったらしい。
「有り得ぬと断言出来るか?」
「それは……」
語尾が弱い。
「先の事は分からぬ」
楽しみよな。まだまだ死ねぬわ。




