琵琶湖運河
禎兆八年(1589年) 一月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 片倉景綱
「明けましておめでとうございまする。伊達家家臣、片倉小十郎にございまする。主藤次郎政宗の名代として新年の御挨拶に罷り越しました」
挨拶をすると上段の相国様から”御苦労だな、小十郎”と労いの言葉があった。
「奥州は雪が積もっていたのではないか。雪の中を出てくるのは大変だっただろう。雪が溶けてからで良かったのだぞ」
相国様が心配そうにこちらを見ている。本心だろうか? それとも手か? 分からぬが悪い気はしなった。
「十二月の初めには米沢を出ました。雪は多少は積もりましたがそれほどでは……」
「そうか、それなら良いが……。余り無茶をするなよ。吹雪けば道に迷い凍死する者も出る」
「はい」
「その方は藤次郎がもっとも頼りにする者であろう。これからの伊達家に必要な者だ。無茶は成らぬ。まあ、その無茶の御蔭でその方に会えたのは嬉しいが」
「畏れ入りまする」
頭を下げながら憎いお方だと思った。こちらの心を上手くくすぐる。
「藤次郎には俺が喜んでいたと伝えてくれ。領内の方は如何かな? 苦労しているのではないか」
「恥ずかしながら戸惑ってばかりおりまする」
相国様が頷いた。
「そうであろうな。新しい伊達家を作るのだ。簡単ではあるまい」
「はっ」
「藤次郎に無理はするなと伝えてくれよ。焦っては成らぬと。それと俺が困った事が有れば何時でも相談に乗る。遠慮はするなと言っていたと伝えてくれ」
「有り難うございまする。必ずや伝えまする」
礼を言うと相国様がまた頷いた。
「大樹の所に寄ったのか?」
「最初に黒川城の次郎右衛門様にお会いしました。その後で小田原城に寄り大樹公に年末の御挨拶を致しました」
「そうか、御苦労だな。伊達家からは黒川城に人を出して貰っている。大変な時に迷惑を掛けるな」
「いえ、そのような事はございませぬ。お気遣いを受けているのは伊達家の方にございます」
これは事実だ。兵糧、銭を頂いたし来年の奥州平定には兵を出す必要は無いとお気遣いを受けた。伊達家中でも敵対すれば恐ろしいお方だが味方なら安心して頼れるお方だと相国様を評価する声が高い。先程の殿への伝言も社交辞令では有るまい。
「小田原では関東総奉行の木下藤吉郎に会ったかな?」
「いえ、木下様は居られませんでした。評定に出席するとの事で」
相国様が頷いた。
「そうか、入れ違いになったか。残念だったな。藤吉郎は良い男だぞ。無類の働き者だ。帰りは会うのだな。色々と面白い話が聞けると思う」
「はっ」
無類の働き者か。随分と評価が高い。元は織田の家臣であった筈。相当に力量が有るのだと思った。
「如何かな? 此処に来る途中、面白い物は有ったかな?」
「小田原城、駿府城、那古屋城に驚きました。主より城を良く見るようにと命じられましたが想像以上の城でございました」
相国様が”はははははは”と笑った。
「黒川城を造り直すためかな?」
「はい、主は楽しみにしております。いずれ上洛する時に自らの目で確かめるがその前に見て教えよと」
相国様が上機嫌で頷いた。
「藤次郎がどんな城を築くのか、楽しみだな」
「某も楽しみにしておりまする」
「他には何が有った?」
「奥州、関東に比べると東海、畿内は豊かだと思いました。特に尾張、美濃、近江の賑わいには驚きましてございます」
相国様が頷いた。表情から笑みが消えている。はて……。近江を豊かにしたのは相国様なのだ。喜んで良い筈だが……。
「乱世が続いたからな。国を豊かにする事よりも戦で他国を攻め取る事に皆が熱中した。そのために関を設け銭を取った。その結果、物が流れにくくなり益々貧しくなった」
相国様が”小十郎”と私を呼んだ。
「馬鹿げているとは思わぬか。皆が貧しくなり暮らしづらくなりながら戦を続けたのだ」
「はっ、真に」
確かにその通りだ。世が乱れれば貧しくなるのかもしれない。
「直に天下統一だ。乱世は終わる。ここからは日本を豊かにする戦いを始めなければならぬ」
「日本を、でございますか?」
驚いて問うと相国様が”そうだ”と頷いた。
「俺はな、この日本を豊かにしたいのだ。関東も奥州も豊かにしたい。朽木だけが豊かになっても意味は無い。何故なら皆が豊かになって始めて平和の有り難さを実感すると思うからだ。そして平和を守ろうとする。違うか?」
「確かに」
真剣な表情をしている。本気なのだと思った。そうか、イスパニアが攻めてきた。国内にそれに呼応する者も居た。異国の教えに従う者達だと聞く。暮らしづらいから教えに縋るのだとすれば……。国内を富ませるのは急務だ。
「関東総奉行もそのために作った。関東が豊かにならなければ奥州も豊かにならぬからな。関東も奥州も豊かになる可能性を十分に持っている。冬は寒く雪が積もるかもしれぬ。しかしな、必ず奥州は豊かになるぞ」
言葉に確信が有った。このお方は違うと思った。これまで会った誰とも似ていない。天下を獲った源頼朝公、足利尊氏公とも違うだろう。このお方なら必ず関東、奥州を豊かにするだろう。そして皆が平和を喜ぶようになる……。
「米沢には何時戻るのだ?」
「はい、三月の末には米沢に戻りたいと考えておりまする」
答えると相国様が頷いた。
「その頃には雪も溶けるか。ならば暫くはこちらに居る事になるな」
「はい、色々と見て回ろうと思いまする」
相国様が”ほう”と声を上げた。
「何処に行くのだ?」
「京、堺、敦賀、大湊を考えておりまする」
「ならばこの城に滞在しては如何だ? この城を起点に動けば良い」
どうしようと思った。確かにこの城なら便利だが……。
「遠慮するな。淡海乃海での船遊びも楽しいぞ」
相国様がニコニコしている。断れないと思った。
「宜しくお願い致しまする」
禎兆八年(1589年) 一月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「明けましておめでとうございまする」
「うむ、目出度いな」
組屋源四郎、古関利兵衛、田中宗徳の三人が嬉しそうにしている。こいつらとの付き合いも長いな。俺より少なくとも二十~三十は年長の筈だから六十代から七十代の筈なんだが顔の色艶は良い。髪の毛は確かに白くなったし薄くなったような気がするが元気はつらつだわ。やっぱり稼いでいるから充実しているんだろう。
「直に天下統一でございますな」
「ああ、年内にはそうなるだろう」
「相国様は関東総奉行という役職を作り利根川の流れを変えよと命じられたと聞きましたが?」
「うむ、関東、奥州を豊かにするためにはどうしてもそれが必要だからな」
妙だな。俺が源四郎に答えると三人が顔を見合わせた。
「どうかしたか?」
問い掛けると源四郎が恐る恐るといった風情で”実は”と切り出した。
「塩津浜と敦賀を直接水路で結ぶ事をご検討願えませぬでしょうか」
源四郎が頭を下げると利兵衛、宗徳の二人も頭を下げた。溜息が出そうになって慌てて堪えた。琵琶湖運河かよ。
「塩津浜と敦賀の間が水路で繋がればその恩恵は計り知れないものがございます」
「これまで以上に物が動き易くなりましょう」
「我等何度もこの件を相国様に御相談しようと思いました。ですが膨大な費えが発生します。天下統一前にそれを願うのは控えるべきだと思い我慢していたのです」
「そうか、辛かっただろうな」
俺の言葉に源四郎達がまた頭を下げた。俺が藤吉郎に利根川の東遷を命じたからな。もう頼んでも大丈夫だと考えたわけだ。
日本海側の産物は敦賀、小浜で荷揚げされてから琵琶湖に運ばれ京、大坂に運ばれた。敦賀から塩津浜のラインは琵琶湖を利用した物流の大動脈だ。これはこの世界でも史実でも変わりは無い。だがこの物流ラインには問題も有る。距離は近いのだが港湾での積み替え料金を含めて陸路の輸送費が相当に掛かるのだ。おまけに通路は決して平坦では無いし雪も積もる。コストが高いし脆弱なのだ。
これを解消しようとして考えられたのが琵琶湖運河だ。琵琶湖運河は幾つか案がある。三人が言った敦賀から塩津浜のラインの他に大浦、海津と敦賀を結ぶラインや若狭の小浜と今津を結ぶライン等だ。
「やはり難しゅうございましょうか?」
宗徳が問い掛けてきた。三人が幾分頭を上げ上目遣いに俺を見ている。黙っている俺を運河には反対だと感じたのだろう。
「少し待て、今考えている」
三人がまた頭を下げた。
史実では琵琶湖運河は作られなかった。何度か計画が上がったが計画だけで終わった。費用の問題が大きかったからだが住民や陸上輸送で生活している人間からの反対もあったらしい。そして西回り航路が誕生する。西回り航路か……。私室で会ったのは失敗だったな。誰も居ない。相談は出来ない。俺が判断するしか無い。
「銭が掛かるぞ」
「分かっております。勿論、私共も協力させて頂きます」
「足りぬぞ、利兵衛」
俺の言葉に三人が顔を見合わせた。
「その方らが考えているよりもずっと銭が掛かる」
「……」
「評定にかけよう」
「おお、では」
三人が喜色を浮かべた。
「俺は賛成だ。だが皆がどう思うかは分からぬ」
「……」
「それにだ。皆が賛成しても最初にやる事は現地の調査だろう。これが始まるのは雪が溶けた四月以降になる」
三人が頷いた。
「我等も水路については考えているところがございます。御協力させて頂きまする」
「うむ、その時は力を貸して貰おう。だが調査の結果次第では取り止めという事も有り得る。良いな?」
また三人が頷いた。
「ご検討頂いた上での取り止めなら致し方有りませぬ。そうでしょう?」
源四郎の言葉に残りの二人が頷いた。
「宜しくお願い致しまする」
三人が頭を下げた。
三人が下がった後、奉行衆と相談役を呼んだ。殖産奉行の宮川又兵衛、御倉奉行の荒川平九郎、農方奉行の長沼陣八郎、公事奉行の守山弥兵衛。それに黒野重蔵、平井加賀守、飛鳥井曽衣、長宗我部宮内少輔、松永弾正。皆が緊張している。そうだよな、新年早々私室に呼び出されたんだ。断れば良かったかな。しかしなあ……。
「如何なされました?」
思い悩んでいると重蔵が声を掛けてきた。
「うむ。組屋達が挨拶に来た。そこでな、少々厄介な話を持ってきた。まあ、いずれは出る話なのだが……」
「大殿、それは?」
陣八郎、そんな怖い顔をするなよ。言い辛いだろう。
「敦賀と塩津浜の間を水路で繋いで欲しいという話だ」
”ほう”、”なんと”、”うーむ”と声が上がった。曽衣と宮内少輔、弾正は困惑だな。まあ、この三人は近江の人間じゃ無い。今一つピンと来ないのだろう。
「平清盛が手を付けたあれですか。地蔵に止められたと聞きますが……」
又兵衛が首を傾げている。
そうなんだな。琵琶湖運河を最初に考えたのは平清盛だと言われている。息子の重盛が越前の国司だった時に考えたらしい。まあ、嘘だろうな。平氏が日宋貿易の拠点として重視したのは西国だ。実際に福原に遷都もしている。運河を作ろうというまでに敦賀を重視したとは思えない。思いつきを口にした、それなら有りそうだが……。
「確かに水路で繋げば相当に便が良くなります。物が溢れ近江は益々栄えましょう。しかし相当に銭が掛かりますぞ。距離は必ずしも長くは有りませぬが平地では有りませぬ。簡単な作業にはなりませぬ」
「弥兵衛殿の申される通りです。大殿、組屋達にやると言ったのではありませぬな?」
平九郎が怖い顔で俺を見ている。平九郎だけじゃない、皆が俺を見ていた。視線が痛いわ。
「賛成だと言った」
溜息が聞こえた。複数。恨めしそうに俺を見ている者も居る。
「案ずるな。組屋達には評定で話してからだと言ってある。それにやると決めても現地を調査してからだとな」
皆が頷いた。表情が緩んだな。ほっとしているのだろう。
「大殿はやりたいのですな」
宮内少輔が問い掛けてきた。
「やりたいというよりもやるべきではないかと考えている」
また皆の顔が強張った。
「まあそう構えるな。今から俺の心づもりを話す。大きな話だ。朽木だけでは無い、日本全体の問題になるだろう。車座になれ」
皆が車座に座り直す。俺は立ち上がって手文庫から地図を取り出した。そして下座に降り車座に加わった。地図を広げる。大まかな日本地図だ。北海道は無い。しかし中央に琵琶湖が有る。いずれ地図ももっと正確な物を作らなければ……。
「敦賀、小浜から陸路を使って物が淡海乃海に入る。まあ一番大きいのが米だな。その他に明、南蛮の商人も産物を降ろしている。その物、何処に行く?」
「大津、草津ですな」
又兵衛が答えた。皆が地図の一点を見詰めた。
「その通りだ。大津、草津に集まり畿内へと流れる。朽木も大分助けられている。特に兵糧方はな」
皆が頷いた。史実で信長が上洛後に奉行所を置いたのが堺、大津、草津だった。堺は瀬戸内海、そして海外との窓口だった。大津、草津は日本海の産物、特に米を得るために必要な拠点だったのだ。信長の軍勢があれだけ戦えたのも兵糧に不安が無かったのが一因としてある。
「乱世が終わる。戦で人が死ぬ事も無くなる。徐々に豊かになり米以外の物も求めるようになるだろう。贅沢品だな。物の流れが増大するという事だ。徐々に敦賀、小浜からの陸路が不便だという声が上がるだろう。今以上にだ」
皆が渋々頷いた。
「それを無視すればどうなると思う?」
誰も答えない。顔を見合わせている。
「こうなる」
扇子で日本海を敦賀から山陰地方に進み瀬戸内海へと入った。そして石山、堺へ。西回り航路だ。呻き声が聞こえた。
「しかし、日数が掛かりますぞ」
「米は腐らぬ。そうではないか、弾正」
また呻き声が聞こえた。
「費えは如何で? 大回りになればその分だけ費えが……」
「舅殿、船を大きくし運べる量を増やせば良い。陸路は距離は短いが費えが掛かる。効率が悪いのだ。日数は掛かっても安上がりになる可能性は高い」
「……」
実際に西回り航路の方が費用が格段に安かったと本で読んだ覚えが有る。だから西回り航路が敦賀、塩津浜の陸路に勝ったのだ。
「そうなればだ。塩津浜、大浦、海津、今津、大津、草津は寂れるぞ。米も集まらなくなる。物が集まるのは堺、石山だ」
俺が扇子で指し示すと一際大きな呻き声が上がった。
大阪が繁栄するようになったのは秀吉が大阪を根拠地としたからだが天下の台所と称されるような経済の中心地になったのは西回り航路で大阪に米が集まるようになったからだ。それまでは大津に米が集まっていた。大津が天下の台所だったのだ。西回り航路の開発によって経済の中心は大津から大阪へと移った。敦賀、塩津浜間の運河が作られていればずっと大津が天下の台所だっただろう。




