忍耐と根気
禎兆七年(1588年) 十二月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
大評定が終わり私室で寛いでいると木下藤吉郎が面会を望んでいると小姓が言ってきた。はてね、大評定が終わったばかりで一体何だろう? 訝しく思ったが此処は笑顔だ。俺の方から伝えなければならない事も有る。大評定で言い忘れた。明るい声で”入れ”と言うと藤吉郎がいそいそと入ってきた。
「お寛ぎの所、申し訳ありませぬ」
「気にするな。俺は人に会うのが苦では無いのだ」
「畏れ入りまする」
藤吉郎が頭を下げた。
「驚いたか?」
「は? はあ」
一瞬キョトンとしてから困惑したような表情になった。
「朽木の譜代というのはな、家柄自慢の阿呆が嫌いなのだ。随分と嫌な思いをしたからな」
「……嫌な思いでございますか」
見当が付いたのかな。藤吉郎は曖昧に頷いている。
「足利と幕臣達は朽木を蔑んだ。連中だけでは無いぞ。六角左京大夫、畠山一族、大友にも蔑まれ続けた。成り上がり、増長者、下克上とな。そうしなければあの連中は自分を保てなかったのだろう。朽木が強く大きいという事、足利の権威が崩れつつあるという事が受け入れられなかったのだ」
藤吉郎が”なるほど”と頷いた。史実では三好、織田が蔑まれた。足利の権威を脅かす者、足利の作った秩序を壊す者として嫌われた。
「そのせいかな、朽木の奉行衆は気位の高い役立たずが嫌いで仕事をする人間が大好きだ。特に平九郎は銭を使ってくれる者が大好きだぞ」
「真でございますか?」
藤吉郎が驚いている。そうだよな、普通は嫌がるよな。でも平九郎は違うんだ。
「ああ、但し無駄遣いは嫌いだ。朽木のためになると分かれば喜んで出す」
藤吉郎が笑い出した。
「面白いお方でございますな」
「ああ、全くだ」
俺も笑った。変わった奴なんだよ、平九郎は。
「だからな、遠慮はするな」
「はい!」
藤吉郎の表情が明るい。上手くやれそうだと思ったのだろう。
「それで、如何した?」
「はっ、二つお願いがございまする」
「うむ」
「一つはこの八幡町に関東総奉行の役宅を作る事のお許しを」
「良いぞ」
藤吉郎が嬉しそうにした。
「その方の代理を常駐させるのであろう」
「はい。評定に出席させる事を考えておりまする」
「関東と近江は遠いからな。評定に出るのも楽では無い。そうだな?」
「はい」
「問題ない。代理を出せと言ったのは俺だ。但し、二月に一度はその方が自ら出席せよ」
「はっ!」
「それと役宅の者とその方が関東で使う者は一定の期間で入れ替えよ。関東の状況を全く知らぬ者が出席しても意味がないからな」
藤吉郎が”そのように致しまする”と答えた。
「それで、次は何だ?」
藤吉郎が懐から紙を出し俺に差し出した。名前が十人ほど書かれている。石高もだ。大体百石から二百石。
「この者達を関東総奉行所にて雇いたいと思いまする。つきましては大殿から宛行状を頂きたく思いまする」
「俺からか。その方からでは駄目なのか?」
問い掛けると藤吉郎が”はい”と答えた。
「関東総奉行が召し抱えるという形になると関東総奉行が代わるとどうなるのかと不安に思う者が多く……」
「なるほど、木下家で召し抱えるわけではないか」
「はい」
藤吉郎が頷いた。現地法人の採用でも人事発令は本社でやってくれという事だな。雇用の保証をしろという事だ。という事はこれは現地法人から上申か。中世も現代もやってる事は同じだな。
「如何なされました?」
「うん?」
「お笑いになられましたが」
笑っていたか。
「いや、藤吉郎も苦労すると思ったのだ。なんせこんな役所は初めてだからな」
藤吉郎も顔を綻ばせた。
「なればこそ、やりがいがございまする」
良い男だよ、こいつ。
「良いだろう。宛行状を出そう。以後は簡単な身上書も付けて出せ。それと召し抱える者の推薦者の氏名もだ」
「はっ!」
無責任に増やされては困るからな。多少の抑えには成る筈だ。
「働きの良い者は領地を与える事にしよう。その方が推薦状を出せ」
「はっ、皆励みになりましょう」
そうだな、日本人は土地が大好きだからな。喜ぶだろう。
「領地と言っても大した物ではないぞ。今与えている禄の他に領地を与えるのだからな」
「なるほど」
藤吉郎が頷いた。
「いずれは役職によって禄を与える事も考えている。その方が人材を抜擢しやすいし子や孫も精進する筈だ」
「確かに。土地には限りがございまするからな」
「その通りだ、藤吉郎。百年後、二百年後を考えなければならぬ」
「はい」
藤吉郎が大きく頷いた。
「宛行状を書く前にその方に伝えておく事がある」
「はっ」
「上総の事だ。奥州から降伏した大名を上総に移す。聞いているか?」
「はい、大樹公から一万石で移すと伺っておりまする。既に大崎左衛門佐殿が移りました」
藤吉郎の顔が厳しくなっている。歓迎出来ない状況だと思っているのだろう。
「春になれば大樹は奥州へ赴く。おそらくそれまでに降伏して上総に移る事を受け入れる者も現れるだろう」
「はい」
「石高を減らされ関東へと移される。当然だが不満だろう。おまけにあの連中は結構名門意識が強い。足利の血を引く者も居るからな。その方の事を知れば憤懣をその方にぶつけようとするかもしれぬ。面目を潰してやろうとな」
藤吉郎が渋い表情で”はい”と答えた。
「その時はな、潰せ」
藤吉郎がジッと俺を見ている。
「宜しいのでございますか?」
「構わぬ。関東総奉行は関東における俺の名代なのだ。その方の顔を潰すという事は俺の顔を潰すという事よ。一切言い訳も謝罪も許さず潰せ」
「はっ!」
藤吉郎が畏まった。
「朽木の天下なのだ。その中で生きていく事を選んだのだ。詰まらぬ名門意識は捨てて貰う。それが出来ぬのであれば滅ぶしか無い。容赦はするなよ」
「確と」
関東に移した後なら地縁は無い。抵抗らしい抵抗は出来ないだろう。末代まで恥を曝す事になる。一人二人潰せばあとは大人しくなる筈だ。さて、宛行状を書くか。
禎兆七年(1588年) 十二月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「久しいな、李旦」
「お久しゅうございまする」
李旦が笑顔で答えた。顔の色艶が良い。元倭寇のボスは元気そうだと思った。あと二十年くらいは楽に生きそうだ。
「どうかな、仕事は。順調かな?」
李旦が”とてもとても”と笑いながら軽く手を横に振った。
「明は税が益々重くなり物の売り買いが弾みませぬ。困った事で」
「そうらしいな」
「今賑わっているのは日本です。相国様のお力によるものでございますな」
煽てても何も出ないぞ。
「おかげで阿呆共が攻め寄せてきた」
「……」
「困ったものだとは思わぬか。他人が豊かだと直ぐに奪おうと考える輩が多過ぎる」
李旦の顔からは笑みが消えない。だが視線が鋭くなったような気がした。
「仰るとおりにございます。ですがイスパニアは十分に罰を受けました。大分慌てております」
「ほう」
「船を失った事で倭寇達が呂宋の海を荒らし回っております。新たに船を作っているようですが船を動かす人間も足りませぬ。撃退するのはなかなか難しそうで」
「なるほど、確かに自業自得だな。誘いが来るかな?」
李旦が”とてもとても”と笑いながら首を横に振った。倭寇に加わるつもりは無いらしいな。だが接触は有るのだろう。倭寇から情報を得ているようだ。
「上手く挑発されましたな」
「人聞きの悪い事を言うな。挑発などしておらぬぞ」
李旦が軽く笑った。
「そうでしょうか? あっという間に鎮圧しましたが」
「念のために備えただけだ」
いかん、こっちも笑いが出そうだ。
「随分と身軽に成られたのではありませぬか?」
「否定はせぬ。しかし未だ奥州が片付いておらぬ。それに問題はイスパニアだけでは無い。琉球も俺との約を破って人質を寄越さなかった。随分と舐められたものだ」
李旦が頷いた。来年には奥州も片付く。琉球を攻め獲ればイスパニア攻めだ。イスパニアは迷惑料の支払いをごねるだろう。構わぬ。その事がイスパニア攻めの口実になる。
「如何成されます?」
笑みが消えたな。
「未だ天下統一前なのでな、無茶は出来ぬ」
「……」
李旦は無言だ。だが口元に笑みが浮かんでいる。怖いわ、俺の考えている事なんてお見通しかな。
「約を破った事を咎め、謝罪を要求するのでございますか?」
「李旦は琉球王が謝ると思うか?」
問い返すと李旦が”さあ”と言った。なんか楽しそうだな。
「難しいかもしれませぬ。攻めるという手もございますな」
”はははははは”と笑ってみた。さあ、如何受け取る? 駄目だ、反応無し。
「攻めれば明を怒らせる事になるぞ」
「はい。場合によっては戦という事も有り得ましょう」
「危ない話だな」
先ず無いだろうな。琉球は明の安全保障にとってそれほど重要な国では無い。明は海にそれほど強い関心を持っていないのだ。まあ、その辺りは李旦も分かっているだろう。
「明、イスパニア、琉球。困ったものでございます」
「全くだ。厄介極まりない。琉球が俺をコケにするのも明を頼りにしての事だろう」
「そうかもしれませぬ」
李旦の口元の笑みが益々大きくなった。
「可笑しいか? 李旦」
「はい」
こいつ、可笑しいって言いやがった。
「俺も可笑しいぞ」
李旦が視線を伏せた。李旦の口元には笑みが残ったままだ。
「明では鉱山に税をかけているようだな」
「はい、民は苦しんでおります」
ようやく口元から笑みが消えたわ。
「俺はその話を聞いた時、不謹慎かもしれぬが明の皇帝とは大した物だと思った。俺が同じ事をやったら家臣達は俺が狂ったと判断して実権を取り上げるにちがいない。幽閉するだろうな」
先頭に立つのは平九郎だろう。又兵衛は幽閉先にカステラを持ってきてくれるかもしれない。ゆったりお茶が楽しめそうだ。
「その方が正しいかと思いまする」
李旦の口調には苦味があった。そうだな、統治者の権力行使に対してチェック機能が働くのは正常と言って良いだろう。
「明の皇帝はそんな事は望むまい。頭を抑え付けられる事など我慢出来ぬだろう」
「はい」
李旦が渋い表情で頷いた。
明に限った事じゃないんだが中国歴代王朝の皇帝権力は非常に強いと思う。だからとんでもない暴君が偶に出る。ヨーロッパに比べると人権に対する意識が薄いせいだと思う。古代ヨーロッパではギリシアで民主制が生まれた。ローマは共和制を採用した。どちらも人権に対する配慮を必要としたわけだ。そういう制度が中国大陸では生まれなかった。その差だな。日本でもチェック機能が必要かな。朽木の天下はこれまでの武家政権に比べれば格段に強い。史実の徳川と比べても強いだろう。検討する必要があるな。
「皇帝には宦官という便利な召使いが居るからな」
李旦が顔を顰めた。宦官が嫌いらしい。まあ悪政の実行者だからな。憎まれて当然だ。
「李旦は明が朝鮮に使者を送った事を知っているか?」
李旦が”いえ”と首を横に振った。表情に不審が有る。本当に知らないらしい。
「真でございますか?」
「ああ、使者は宦官だと聞いている。正規の使者では無いのかもしれぬな。一体何を目的とした使者なのやら」
李旦の口元に力が入った。そして笑みが浮かんだ。
「朝鮮も迷惑でしょう。物の値が上がり国内が落ち着かないと聞いております」
「そうか、困った事だな」
「はい」
迷惑か。李旦は碌な事にならないと見ている。俺も同感だ。多分、銀が絡んでいると思うのだが……。詳細は八門の報告を待つしか無いな。
禎兆七年(1588年) 十二月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 李旦
目の前の男は取りたてて目立つところの無い人物だった。身に纏っている衣服も贅を凝らしたものでは無い。この男が日本の大部分を治めている事を考えれば不思議だ。
「喉が渇いたな。茶でも飲むか」
「はい」
相国様が人を呼んで茶を用意するようにと命じた。
「まあ何を要求されるのかは分からんが朝鮮王が断る事は出来まい」
「はい」
「女かな?」
思わず笑っていた。相国様も笑っている。
「さあ、如何なものでしょう。明の皇帝が女に困っているとは聞きませぬが……」
「そうか、朝鮮王が明の皇帝の欲する物を持っていれば良いが」
皇帝が欲しているのは銀だ。信じられぬ事だが皇帝は朝鮮に銀を要求するつもりだろう。しかし銀は……。
「無ければ厄介な事になります」
朝鮮に銀は無い。そういう事になっている。
「……無ければな。有れば問題は無い」
平静な声だった。表情にも変化は無い。気付いているのだ。相国様は要求されるのは銀だという事、朝鮮は表向きは銀は無いと言っているが裏では銀を所持していると知っている。問題は朝鮮王が如何対応するかだ。無いと言って隠すか、正直に差し出すか……。
「目が離せませぬな」
「そうだな」
茶が運ばれてきた。茶菓子も付いている。カステーラだった。妙な気分だ。倭人と南蛮の菓子を食べるとは……。一口茶を飲んだ。美味いと思う。その事も可笑しかった。
「ところで李旦、手伝って欲しい事が有るのだがな」
「手伝って欲しい事でございますか?」
問い返すと相国様が頷いた。
「日本で砂糖を作りたい。乱世は終わりつつ有る。これからは砂糖の需要も増えるだろう。サトウキビの栽培から砂糖の精製までを教えられる人間を明から呼びたいのだ」
「なるほど」
貪欲な男だと思った。既に日本は十分に豊かな筈だ。それなのに更に国を豊かにするために今度は砂糖に目を付けた。カステーラか、これもこの男が作らせた。
「明は税が重く暮らし向きは楽では有るまい。日本に来てくれるのなら報酬は弾む。俺は吝嗇では無い。如何かな?」
「あれは南方の産物でございますが何処で育てます?」
「先ずは四国、九州だな」
先ず? 思わず声が出そうになって抑えた。四国、九州、南方……。琉球で育てるつもりだ。やはり琉球を攻めるのだ。それも咎めるのでは無く征服を前提としている。呂宋攻めを見据えての事だろう。やる気だ。目の前の男は海の外に出ようとしている。
「案ずるな、上手く行かなくても責めはせぬ。新しく事を始めるには忍耐と根気が必要な事は分かっている」
「分かりました。急いだ方が宜しいのでしょうか?」
訊ねると相国様が”フッ”と笑った。
「そうだな。その方が良いだろう。これから騒々しくなりそうだからな」
騒々しくなるのでは無い。目の前の男が騒々しくするのだ。朝鮮も明と揉めるかもしれぬ。その辺りも見越しての事か。面白くなりそうだ。




