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相続




禎兆七年(1588年)    十二月中旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




 小夜が一度、二度と頷いている。納得したのかな。それにしても三郎右衛門を跡継ぎにか。そんな事は考えた事も無かった。後継者は大樹だ。そのために育ててきた。大樹はそれに十分に応えている。不満は無い。小夜が心配するのはやはり戦国の女だからなのかもしれない。乱世では相続で揉める事が多かった。血筋よりも実力が重視されるからだ。その混乱の中で毛利元就、織田信長等が実力で当主の座を勝ち取り家を大きくした。それを考えれば実力主義は乱世を生き抜くにはベストな方法なのだろう。だが平時になれば混乱を避けるべきだ。相続方法を定める必要があるな。実力よりも血筋を重視するなら嫡子相続になる。


 足利は幕府を開いてからも家の相続法を定めなかった。南朝という敵が存在したからだろう。敵が居る以上味方は有能な必要がある。嫡子相続を選択する事が出来なかったのだと思う。だが南朝が滅びた後は選択出来た筈だ。それをしなかったのは足利の幕府が弱かったからだろう。足利の幕府は守護達が在京して将軍を補佐する形で成立した。将軍だけでは成立しなかった。


 その事は守護が在京しなくなった戦国時代になると幕府が著しく衰退した事で分かる。弱いから守護に嫡子相続を押し付ける事が出来なかったのだと思う。そして代々の将軍はそれを不都合に思わなかった。むしろ相続法が定まっていない事を利用して有力守護家の相続に関与し続けた。自分に近い人間を引き立て有力守護家の内部を混乱させた。そうする事で将軍の優位を確立しようとしたのだろう。足利は各守護家が適度に混乱している事を望んだのだ。応仁・文明の乱はその混乱のコントロールに失敗した事が引き起こした大乱だった。小火で済ます筈が大火になった。


 江戸時代になると嫡子相続がルールとなる。家康は三代将軍に嫡男の家光を据えた。秀忠が次男の忠長を跡目にと考えているのを知って抑えたのだ。嫡子相続を崩しては徳川の天下も後継者争いで足利のようになる。とんでもない内乱が発生すると思ったのだろう。だが家康自身は次男の秀康では無く三男の秀忠を後継者にしている。言動が一致していない。それは何故か?


 秀康を嫌っていた。豊臣に養子に出したので外した。豊臣に近いので避けた。秀康の母よりも秀忠の母の方を愛していたので秀忠に継がせたいと思った。色々と言われているが俺は嫡男の信康の影響が有ると思っている。


「如何なされました?」

 小夜が不安そうに俺を見ている。いかんな、また思考に溺れたか。

「いや、何でも無い。ちょっとな、考え事をしていた」

「……」

 駄目だ。小夜の不安は消えていない。


「四郎右衛門も良いぞ。琉球に行って随分と変わった。子供っぽさは消えたな」

「まあ、本当でございますか?」

「本当だ。可愛い子には旅をさせろと言うが本当だな」

「雪乃殿も喜びましょう」

 小夜が顔を綻ばせている。少しは気が晴れたか。


「大樹には頼りになる弟達が居る。だからな、大丈夫だ」

「はい!」

 小夜が大きく頷いた。安心したらしい。此処はもう一押しだな。

「十年もすれば俺に替わって天下を治めるだけの力を付けるだろう」

「そうなりましょうか?」

「ああ、そうなる。そうなったら俺は本当に隠居だ。楽が出来る」

「まあ」

 小夜が笑い出した。俺も笑う。十年経てば五十歳か。出来るかな? 完全に隠居は無理かもしれないが遊ぶ時間は出来る筈だ。


 喜んでいる小夜を見ながら相続法を確立しようと思った。嫡子相続だ。だが次男以降の人材を無視する事は出来ない。それはそれで社会の不安定要因になりかねん。次男以降は朽木家に出仕させよう。その中で各自の力量を見極めながら登用していく。或いは養子先を見つけて送り込むというのも有るな。領地は与えられないが禄を与える事で朽木家の官僚として育てれば良い。うん、役職によって禄高を決めよう。そして足高の制を作る。上手く行く筈だ。いや、国営の商船団を編成してそちらで使うのは如何かな? これからの日本は海外に進出するんだ。そっちの方が良さそうな気がする。要検討だな。


 え、何? 信康の影響とはどういう事かって? うん、それはな、家康は子育てを失敗したと思ったのだ。家康は幼少の信康を岡崎城に置き自分は浜松城で武田に対峙した。息子を安全な場所に置いたつもりだったのだろう。だが家康は信康の成長と教育に関われなかった。信康との関係は疎遠になり敵対し最終敵には切腹させる事になった。後悔しただろう。トラウマに近いものになったのかもしれない。


 秀康も家康にとっては疎遠な息子だった。養子に出したので自分を恨んでいるかもしれないとも思っただろう。武勇に優れている点は信康を連想させたかもしれない。不安要素が多かったのだ。それに比べれば秀忠は常に家康の目の届くところに居ただろうし自分に忠実だというところも安心出来た筈だ。戦下手なところも自分に背かないと思えば許せたのだろう。幕府を開き政の仕組みを考え天下を治めるには徳川が一枚岩で有る事が必要だった。当主と後継者の間で争いがあってはならないのだ。それには秀康よりも秀忠が後継者の方が適任だと判断したのだと思う。




禎兆七年(1588年)    十二月中旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




 うん、甘いな。ねっとりしている。

「如何でございましょう?」

 殖産奉行の宮川又兵衛が問い掛けてきた。その隣で南瓜を膝の上に置いた農方奉行の長沼新三郎が興味津々といった表情で南瓜を咀嚼している俺を見ている。

「甘いな」

「はい、甘うございまする。それにねっとりとしております」

「うむ、そうだな」

 茶を一口飲んで口中の甘味を洗い流した。


「喰えと言うから喰ったがこれは何だ?」

「南瓜という物にございます」

 又兵衛がにんまりしながら言った。そんな事は知ってるよ。でもな、知らない振りをしないと。こいつは日本原産の野菜じゃ無い。戦国時代に海外から伝わったものなのだ。下手に知識をひけらかすと碌な事にならん。それに家臣達の物知らずな主に教える喜びを奪うべきじゃ無い。


「新三郎が持っているそれか? 随分と不格好だが」

 俺が指で指し示すと新三郎が”はい”と答えて南瓜を俺の前に差し出した。現代の南瓜に比べるとちょっと小振りな感じがするな。

「それで? 俺は始めて喰ったが何処で作っているのだ?」

「豊後にございます」

 ”ほう”と声を上げると又兵衛と新三郎が嬉しそうに顔を綻ばせた。可愛いぞ。


「豊後にこんな物が有ったのか? 知らなかったな」

 又兵衛が益々嬉しそうにした。俺って役者だな。

「いえ、異国から伝来したものにございます。南蛮人が持って来たようで」

「なるほど、宗麟に献上したか」

 二人が”はい”、”そのようで”と頷いた。


「それが切っ掛けで豊後で南瓜を作るようになったか。それで俺に喰わせたのはどういうわけだ? 特産として大々的に売り出そうとでもいうのか?」

「出来れば朝廷に献上したいと考えております」

 朝廷に献上か。つまり朝廷に美味いと認知して貰いたいという事だな。ふむ、難しくは無いが……。

「狙いは何だ、又兵衛」

 問い掛けると又兵衛が困ったような表情を見せた。新三郎も表情を曇らせている。はて、何だ?


「実は豊後では南瓜の評判が良く有りませぬ」

「何故だ? 少々変わっているが美味いと思うぞ」

「はい、某もそう思います。しかし大友が……」

 又兵衛が新三郎を見ると新三郎が頷いた。選手交代か。

「豊後では大友が没落したのは伴天連の教えを信じたせいだ。南蛮人は人攫いで今度は兵を使って長崎を占領しようとした。あの者達は信用出来ないとの声が強まっておりまする。南蛮人は人を喰うという噂まで有るようで。そのせいで百姓達の中には南瓜を忌諱する者が増えておりまする」

「なるほど」

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いか。九州の坊主共、伴天連達の悪口を言いまくっているらしいな。あの連中が信用されないのは大歓迎だが南瓜にとってはとばっちりだろう。”大殿”と新三郎が俺を呼んだ。


「何だ?」

「この南瓜ですが荒天でも比較的良く育つようです。春に種を蒔いて夏から秋にかけて収穫致します。収穫後は結構日保ちも致します。米が獲れぬ時にこれを食すれば命を繋げましょう」

「美味いだけでは無い、役に立つか」

 二人が”はい”と頷いた。なるほど、飢饉対策か。どうりで新三郎が絡んでいるわけだ。俺って鈍いわ。

「我等は南瓜を大々的に広めたいと思っております。ですが変な噂が流れては皆が南瓜を作るのを嫌がりましょう」

 道理だな。又兵衛が言うのはもっともだ。


「分かったぞ、又兵衛、新三郎。その噂を払拭するために朝廷に献上して美味いと言って貰う。もっと作れ、献上しろと言って貰うという事だな」

 二人が”はい”と頷いた。こいつらも朝廷の利用が上手くなったよな。

「正月の節会で食して貰おう。それで良いか?」

 二人が”有り難うございまする”と頭を下げた。

「ならば、南瓜の他に料理人も要るぞ。用意しておけ」

「はっ」

「それと年が明けたら種蒔きの準備だ。先ずは九州を中心に広めよ。そして収穫後は全国で売りまくれ。南瓜を全国に広めるのだ」

「はっ!」

 二人が気合いの入った声で答えた。うん、先ずは南瓜か。となるとサツマイモも来るかな。サツマイモが来れば飢饉対策に相当に役に立つんだが……。


「ところで、大殿」

 うん、何? 未だ有るの?

「如何した、又兵衛」

「塩が売れておりますぞ」

「……」

「明の商人が大量に買っていくようで」

 又兵衛が意味ありげに俺を見ている。なるほど、塩か。面白い話だな。




禎兆七年(1588年)    十二月中旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  荒川長道




 又兵衛殿、新三郎殿が大殿の御前を下がった。すれ違う時に目礼を交わした。

「大殿。平九郎にございます。宜しゅうございますか?」

「構わぬぞ」

 お許しを得て大殿の御前に侍った。

「随分とお忙しいようでございますな」

「全くだ。次から次へと人が来る」

 不機嫌そうでは無い。このお方は仕事が好きなのだと思った。


「それで、何用だ?」

「はい、琉球ですが如何なされるおつもりで?」

 問い掛けると大殿が苦笑を浮かべた。

「やれやれよ。柳川権之助、柚谷半九郎、西笑承兌、景轍玄蘇。皆俺に琉球は如何するのかと問うわ」

 まあ、それはそうだろう。琉球への対応次第で朝鮮、明との関係が変わる。交渉の担当者としては気になるところだ。


「如何なさいます?」

 再度問うと大殿が私をジッと見た。

「近う」

「はっ」

 躙り寄るように大殿の傍に寄った。

「次の評定で話すが兵を出す。銭の用意を頼むぞ」

「承知しました。出兵は琉球王の非を咎めるという事でございますか? 人質を出させると」

 大殿が首を横に振った。


「琉球を滅ぼし呂宋を攻める」

 気負いの無い声だった。

「ではいずれ朝鮮、明とも戦うという事でございますな」

「うむ、そういう事になるな」

 大殿が頷くのを見ながらやはりと思った。呂宋のイスパニアは誘い出された。琉球は約を破った。このお方は織り込み済みだったのだ。だから迷いが無い。気負いが無い。


「琉球王は如何なさいます?」

 大殿が顔を顰めた。

「殺すのは拙かろうな。だが琉球に置く事は出来ぬ。日本に置き一切琉球には関わらせぬ」

「実権は与えぬのですな」

「そうだ」

 厳しい声だった。嬉しくなった。このお方は自分と又兵衛殿が考えた事と同じ事を考えておられる。


「琉球王を名乗る事は認める」

「認めますので?」

 問い返すと”認める”と大殿が面白く無さそうに答えた。

「認めねば琉球の民がどこぞの王族を担ぎ上げて琉球王を名乗らせかねぬ。そして独立を求めて日本に抵抗するだろう。だが琉球王が日本にいれば簡単には出来ぬ。それは謀叛だからな。叩き潰す名分はこちらに有る」

 流石だと思った。相変わらず抜け目が無い。


「琉球王でございますが日本での扱いは公家として帝に仕えさせては如何でございましょう?」

「公家か」

「はい。又兵衛殿と話したのですが朽木に仕えさせるよりも朝廷において公家として扱った方が良いのでは無いかと。実権が無いのも不都合では有りませぬし高い位階を与えれば琉球の民も安心しましょう。なにより琉球王を朽木の家臣としては朝廷も不安に思いかねませぬ」

 大殿が”そうだな”と頷いた。


「一国の王を家臣としては俺は明の皇帝と同格という事になる。拙かろうな。だが朝廷に出仕させれば公家達も安心しよう。俺を危険視する事は有るまい」

「はい、朝廷の権威が弥増すと喜びましょう」

 大殿が声を上げて笑った。

「当家の家臣達は朝廷の扱いが上手いな」

「大殿ほどではありませぬ」

 大殿が苦笑を漏らした。


「今の話は太閤殿下、関白殿下に話してみる。まあ年が明けてからになるが反対はせぬだろう。問題は琉球王の序列だな」

「序列でございますか」

 問い返すと大殿が”うむ”と頷いた。

「公家達は色々と煩いからな。琉球王は後から割り込むのだからそれなりに軋轢は生じる。その辺りを考えなければならぬ」

「なるほど、厄介ですな」

 頷くと大殿がフッと笑った。


「案ずるな、平九郎。朝廷にとっては良い話なのだ。琉球王が帝の臣下になる。多少揉めても必ず公家達は受け入れる。受け入れなければ琉球王は俺の家臣になるのだからな」

「脅すのでございますな?」

「人聞きの悪い事を言うな、平九郎。説得するのだ」

 大殿がニヤニヤと笑っている。はてさて、このお方の方が朝廷の扱いは上手いわ。さて、次は銭の事を話さなければならん。


 


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結城秀康は弟の永見貞愛と双子だったから、産まれた時から後継者からは外していたと思う。 でなければ、ナマズみたいという意味の於義丸って名付けしないでしょう。 家康自身も疎ましく思ってる自覚があったから、…
カボチャを贈ったのは雨林の方でしたか。書籍版の方を読み返しても記述がないので、頭が???となってました。失礼しました。
信長にカボチャを送ったのは羽林の方では?
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