父子
禎兆七年(1588年) 十一月上旬 出羽国置賜郡笹野村 伊達政宗
酷いと思った。伊達勢はもう五百程しか居ない。逃げた兵も多いのだろうが彼方此方に死体が散乱している。相当に叩かれたのだと思った。ゆっくりと馬を進めた。周りを、伊達勢を興奮させてはいけない。運が良かった。伊達勢を攻撃している朽木勢を突っ切ろうとして先手の大将の朽木主税様に止められた。訳を話すと少し待てと言って伊達勢を攻めている軍勢に攻撃を止めるように伝令を出してくれた。それが無ければもみくちゃにされていたかもしれない。
奥州連合はもう影も形も無い。討たれるか、戦場から逃げ出した。残っているのは寝返った最上勢だけだ。ゆっくりと進んだが少しずつ伊達勢がはっきりと見えてきた。間違いない、あの鎧には見覚えが有る。あそこに父が居る。呼吸が速くなるのが分かった。落ち着け、焦るな。ゆっくり、ゆっくりだ。更に進むと父の隣に遠藤山城守が居るのが分かった。この辺りで良いか。馬を止めた。一つ大きく息を吸って吐いた。腹に力を入れた。
「某は伊達藤次郎政宗にござる! 相国様の名代としてこの場に罷り越し申した。伊達左京大夫殿は居られるか。居られるなら前へ!」
声を張り上げると伊達勢でざわめきが起きた。直ぐに静まり父が兵の前に出た。
「伊達左京大夫輝宗にござる。名代殿、某に何用かな? 降伏せよとでも申されるのかな!」
声が硬いと思った。父は怒っている。降伏などする筈が無いと思った。
「さに非ず! 相国様のお言葉、お伝え致す! 奥州人の意地と誇り、確かに見た! 名を惜しみ命を惜しまぬその働き、真に天晴れ! 伊達左京大夫輝宗、天下無双の兵であるとの事にござる!」
声を張り上げるとどよめきが起きた。伊達勢だけでは無い、周りを囲む朽木勢からもどよめきが起きている。父上、お聞きか? 皆が父上の武勇を羨んでおりますぞ。そして伊達の者は誇りに思っている。この藤次郎政宗もその一人にござる。
「相国様ほどのお方に左程にお褒め頂くとは武門の誉れ、もはや思い残す事はござらぬ! 兵達には降伏させましょう。だがこの輝宗だけは最後まで意地を貫かせて頂く。この上は名代殿との一騎打ちを所望じゃ! 某が勝てば腹を切り申す! 某が負ければこの首を相国様に届けて頂きたい。如何か!」
やはりそれを望むか。逃げるな。父に最後まで意地を貫き通させるのだ。それが出来るのは俺だけだ。逃げてはならぬ。
”承知致した!”と叫んで刀を高く掲げた。
「この刀は相国様よりお預かりした刀にござる。伊達左京大夫が一騎打ちを望みし時はこの刀で相手をせよ。決して逃げるな。自分の名代としてこの刀で戦えと命じられており申す!」
またどよめきが起きた。父が笑っている。頭を仰け反らせて笑っていた。
「流石は相国様じゃ。この輝宗、生まれてこの方これほどの馳走に預かった事は無い。参れ! 藤次郎。親子といえど今は敵同士、容赦はせぬぞ!」
「望むところにござる。参りますぞ! 父上!」
刀を抜き鞘を捨てた。馬腹を蹴り馬を走らせる。父も馬を走らせてくる。すれ違いざまに刀を振った。キーンという音と衝撃が手に走った。
走ろうとする馬を抑え馬首を返す。直ぐ近くで父も態勢を整えていた。焦るな。こちらは鎧を着けていないのだ。相手の斬撃は必ず躱すか防がねばならない。馬を走らせる距離じゃ無い。互いにゆっくりと近付いて刀を撃ち合う。
「喰らえ!」
「ふん!」
「どうした! 藤次郎!」
「なんの! まだまだ」
一合、二合、三合……。
「えい!」
「はっ!」
キーンという音がして父の刀が折れた! 俺の刀が父の首筋に食い込んでいる!
「父上!」
父がゆっくりと、崩れるように落下した! 自分も慌てて馬を下り父の傍に駆け寄った。
「父上!」
「……藤次郎」
父の首筋から血が流れている。声も弱い。もう助かるまい……。
「父上」
「よ、良くやったな」
首を横に振った。涙が零れ落ちた。
「父上こそ、お見事でしたぞ。某、感服致しました。父上は某の誇りです」
「そなた、こそ、儂の誇りじゃ」
父が微笑みながら俺の顔を撫でた。嗚咽が止まらない。ずっと昔を思い出した。未だ幼かった頃に父は良く俺の顔を撫でてくれた。如何してこうなったのか……。
「相国様に、感謝、していると伝えてくれ」
「はっ!」
「さらばだ、伊達を、た、の、むぞ」
手が力無く落ちた。
「父上!」
父の身体を揺すって叫んだ。父は微笑んでいる。父上……。立たねば……。立たねばならぬ。父の意地を、伊達の意地を守らねば……。それが出来るのは俺だけだ。
「伊達藤次郎政宗! 相国様の名代として伊達左京大夫輝宗を討ち取ったり!」
禎兆七年(1588年) 十一月上旬 出羽国置賜郡笹野村 朽木基綱
本陣に伊達左京大夫輝宗の遺体が矢防ぎの板に乗って運ばれてきた。運んできたのは政宗に従った伊達の者達、六人だ。左京大夫はもう鎧を身につけていない。首筋には包帯が巻かれている。穏やかな死に顔だ。胸元にある流血の痕に気付かなければ寝ているのかと思うだろう。それほどに安らかな死に顔だった。
「伊達左京大夫輝宗にございます。某との一騎打ちを望んで来ましたので相手を致しました」
「……」
「相国様の予想通りでございました」
遺体を前に政宗の声は沈んでいる。父親と戦う、辛かっただろうな。だがなあ、他の者では輝宗の想いは受け止められない。そう思ったんだ。
「父は息を引き取る寸前、相国様に感謝していると伝えて欲しいと言っておりました」
「そうか」
床机から立ち上がって左京大夫の遺体の傍で膝を突いた。遺体を挟んで政宗と向かい合う。両手を合わせて冥福を祈った。ざわめきが聞こえたが無視した。目を開けた。政宗の目が潤んでいるのが分かった。
「有り難うございまする。父も喜んでおりましょう」
「いや、当然の事だ。礼には及ばぬ」
「……」
「伊達左京大夫殿。お初にお目に掛かる、朽木基綱にござる。良く戦われましたな。真に見事。基綱、感服しており申す」
「相国様」
政宗が嗚咽を漏らし始めた。政宗だけじゃ無い、背後に控えている政宗の家臣も嗚咽を漏らしている。
慰めじゃ無い、本心だ。伊達左京大夫と相馬孫次郎が奥州の名誉を守ったと思う。相馬孫次郎は開戦直後に鉄砲で撃たれて死んだらしい。だが戦って死んだのだ。あそこで動じる事無く朽木勢に突撃を掛けたのは見事だ。伊達と相馬の名は末代まで褒め称えられるだろう。
「出来る事なら生きている左京大夫殿と会いたかったと思う。色々話しが出来ただろう。俺の力になって貰えれば……、真に残念だ」
政宗の嗚咽が激しくなった。家臣達もだ。
「藤次郎、泣くな」
「……」
政宗の肩を掴む。政宗が俺を見た。
「左京大夫殿は見事に生き見事に死んだ。そうだろう?」
「……はい」
「それが出来たのはその方が居たからだ。左京大夫殿は後顧の憂い無く戦う事が出来た。その方に感謝していると思うぞ」
また俯いて咽び泣いた。
「父は良くやったと……」
「そう言ったか」
「はい」
掴んでいる肩に力を込めた。政宗が俺を見た。
「良くやったぞ、藤次郎。良く務めを果たした。左京大夫殿は良い息子を持った」
もう一度肩を強く掴んでから立ち上がり床机に戻った。
「伊達藤次郎」
「はっ」
「伊達左京大夫の遺体は米沢にて手厚く葬るように」
「はっ、有り難うございまする」
藤次郎が畏まった。この季節、奥州だ。遺体が傷む事は無い。
「降伏した者達だがそなたに預ける」
「はっ」
「そなたに仕えたいという者は召し抱えて良い。だが無理強いはするな。仕えられぬという者は自由にさせよ」
「はっ」
「それとそなたに預けた刀だが、あれはそなたに与える」
「有り難うございまする」
政宗が頭を下げた。ほっとした。嫌がっていないようだ。
「あれは同田貫と言ってな、戦場で使う刀だ。戦国の世も直に終わる。国の中で戦が無くなれば徐々に疎まれる刀だろう。だが左京大夫が天下に示した武威は決して衰えさせてはならぬ。あの刀と共に左京大夫の武威を伊達家に伝え続けよ」
「はっ!」
藤次郎が一際強く答えて畏まった。これで良い。あの刀は今回の戦いを締めくくった刀なのだ。伊達家の家宝になるだろう。
「下がって良いぞ」
政宗が一礼して立ち上がった。政宗の家臣達が左京大夫の遺体を運ぶ。それを見届けてから一つ息を吐いた。伊達が敗れた。そして大崎、葛西は最上に叩きのめされた。奥州で大きいところは最上を除いて戦に負けた。これでもう奥州で俺に敵対する者は居ないだろう。最上も寝返りをした以上周囲から信頼はされない。単独では俺と戦えない筈だ。それに政宗から見れば最上は父親を見殺しにした憎い相手だ。手を組む事は無い。まあ、念のためだ。政宗は二十万石ほどにしておこう。あれだけ派手に、劇的に戦ったのだ。それほど文句は出ないだろう。
「最上源五郎様、目通りを願っております」
「うむ、通せ」
直ぐに男が入ってきた。背が高く目つきの鋭い男だ。平時よりも乱世に向いている男だと思った。
「お初にお目にかかりまする。最上源五郎義光にございまする。相国様におかれましては此度の戦勝、源五郎心からお喜び申し上げまする」
座ると直ぐに挨拶をしてきた。声に力がある。手強い男だと思った。
「うむ、祝ってくれるか。嬉しい事だな」
「はっ」
「鉄砲を撃ちかけた事、怒っているかな?」
「そのような事は有りませぬ。ただ驚いておりまする」
ほう、驚いているね。やはり手強いと思った。平然としている。
「迷っているように見えたのでな」
「迷ってはおりませぬ。某、相国様に御味方すると心に決めておりました」
幾分怒ったような表情だ。役者だな。
「誤解するな、その方の心を疑った事は無い。何時兵を動かすかを迷っているように見えたのだ。違うかな?」
「……」
俺と源五郎、どちらも酷い嘘吐きだな。多分、源五郎もそう思っているだろう。
「責めているのでは無いぞ。伊達左京大夫が耐えていたからな。伊達と最上は姻戚関係にある。兵を動かし辛かったのではないかと思ったのよ」
「……それで、鉄砲を?」
「まあ、そうだ。余計な御世話だったかな?」
敢えて和やかに問うと源五郎が苦笑を漏らした。
「御心配をお掛けしたようで」
「……」
心配なんかしてない。早く終わらせたかっただけだ。奥州連合なんて茶番をな。
「確かに多少迷いました。見事な戦い振りでしたから今少し見たいと思ってしまったのです」
「そうだな、見事な戦い振りだった」
俺は見たくなかった。左京大夫が哀れだった。孤立無援で哀れだった……。
「先程も申し上げましたが某の心に嘘偽りはありませぬ。相国様にお仕え致しまする」
「うむ、頼むぞ」
「はっ」
深々と礼をしてから最上源五郎は立ち去った。好きになれそうにない男だが馬鹿では無さそうだ。詰まらん騒ぎは起こさないだろう。それだけは評価しても良いな。
「油断のならぬお方のようで」
重蔵が笑っている。
「そうだな、だが一人で騒ぐほど馬鹿では無さそうだ」
「まあ、そのようですな」
「油断はせぬぞ、重蔵。伊達を追い込んだのはあの男だ。油断はせぬ」
「それが宜しいかと」
俺の言葉に重蔵が僅かに畏まった。
未だ昼前か。五、六時間程は戦ったようだな。両軍合わせて十五万の兵が此処に集まったんだが予想外に早く終わった。まあ、戦ったのは一部だからな。そんなものなのかもしれない。昼食を取ったら米沢城へ行こう。そこで大樹と上杉弾正少弼を待つ。戦国も漸く終わりだな。
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