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窮鼠





禎兆七年(1588年)    十一月上旬      出羽国置賜郡笹野村 伊達輝宗 




 伊達勢二万が暗闇の中を進んでいる。馬には枚を噛ませ兵にはみだりに口を開く事は禁じている。聞こえるのは人馬の動く音と甲冑の擦れる音だけだ。先陣は伊達と相馬。軍議で儂が先陣を務めると言うと相馬孫次郎は自分が先陣を務めると噛み付いてきた。共に先陣を務めると決まっても孫次郎は儂を睨んでいたな。可笑しかった。日頃は面倒な奴としか思わなかったがあの時だけは妙に親近感が湧いた。他の連中が裏切っても相馬は裏切らぬだろう。奥州人の意地と誇りは儂と孫次郎で貫く事になりそうだ。


 突撃して多少なりともこちらが有利になれば後に続く者も現れるだろう。だが不利なら寝返るか逃げるだろうな。そうなれば戦はあっという間に終わる……。静かに息を吐いた。考えるな。ただ突撃する事だけを考えるのだ。突撃して前備えを突破して相国様に攻めかかる。鉄砲さえ無ければ、揉み合いになれば互角以上に戦える筈だ。伊達が押している。皆にそう思わせれば勝ち目は有る。義兄も裏切る事は有るまい。


 もっとも相国様の首は獲れまいな。逃げて態勢を整えて再来するだろう。そして奥州は負ける。だが良いのだ。一度は勝った。押し返した。奥州人の意地は通したと胸を張って言える。藤次郎も恥ずかしい思いはするまい。前を行く兵が止まった。

「如何した?」

 小声で問う。

「先鋒が所定の場所に着いたようです」

 左隣で馬を進めていた遠藤山城守が小声で答えた。右隣には倅の小次郎が居る。


「間違いないか?」

「先鋒を務めるのは留守六郎殿、間違いはございますまい」

「そうだな」

 弟の六郎は先鋒を任せられるだけの戦上手だ。間違いは無い。伊達勢は朽木勢の前備えから二町程の距離まで近付いた事になる。走り出せばあっという間の距離だ。鉄砲での攻撃も一射、二射が限界だろう。そして伊達勢は鶴翼の半ば以上に奥深く入った。両脇から押し寄せてくれば袋叩きにされる。もう前に進むしか道は無い。


 空が白むのを待つ。少しで良い、敵陣が見えれば突撃だ。陽は東から昇る。左手だ。直に左手にある山の頂上が明るみ黄金色に輝く筈だ。身体が震えた。寒いのか? 違う、武者震いだ。握り飯は喰ったのだ。身体は冷えていない。落ち着け! もう少し、もう少しだ。そうなれば悩む暇など無くなる。唯々突撃するだけだ。


 ざわめきが聞こえた。微かに山が明るんでいる。兵達がそれに気付いたらしい。

「いよいよですな」

 山城守が囁くように言った。あと少し陽が昇れば山から陽の光が漏れる。そうなれば敵陣が見える。……見えた! 陽の光が漏れた! 前方からざわめきが上がった。……如何した? 六郎は何故突撃しない?


「殿!」

「如何した、山城守。何故味方は突撃しないのだ?」

「あれを」

 山城守が手で横を指した。釣られて見る。朽木勢? 暗くて良く分からぬが遠くに朽木勢が陣を構えているらしい。何だ? ……待て! この位置なら朽木勢はもっと近くにいて良い筈だ。何故彼処に居るのだ?


「退け! 留守六郎だ!」

 弟の声がした。先鋒を務める弟が兵から離れている。余程の大事だと思った。

「六郎! 此処だ」

「兄上!」

 声を上げると騎乗した六郎が飛び込むような勢いで来た。顔が強張っている。


「如何した!」

「してやられましたぞ!」

「何!」

「朽木勢は夜中に陣を後方へ移しました!」

「!」

 目を凝らして前方を見た。確かに、薄暗くて良く分からないが居るべき所に兵が見えない。陣を下げたのだと思った。


「全軍が五町は陣を下げておりましょう。それと前備えは居りませぬ。我等と相国様の本陣との距離は十町以上有ります」

「十町……」

 してやられたか……。相国様はこちらが攻めかかるのを察知していた。前備えが無いという事は誘っているのだと思った。痛い。気が付けば爪が食い込むほどに手を握りしめていた。


「如何します、殿。退きまするか?」

 山城守が押し殺した声で問い掛けてきた。

「……逃げられると思うか? 向こうは待っていたのだぞ」

「……無傷とはいきますまい」

 儂が問い返すと山城守が力無く首を横に振った。六郎も”無理だ”と首を横に振っている。今退けば必ず追い打ちを掛けられる。あっという間に兵は崩れ敗走する事になるだろう。伊達が崩れたら奥州連合は終わりだ。


 徐々に明るくなってくる。それにつれて周囲の状況もはっきりと分かってきた。伊達勢は朽木の鶴翼の陣の入り口に入っている。なんとも中途半端な位置だ。今少し踏み込んでいれば……。兵がざわめき始めた。

「相馬は如何した?」

「相馬勢も止まっておりまする。我等と同じ状況でしょう」

 六郎が答えた。もしかすると相馬は伊達が如何動くかを待っているのかもしれないと思った。


「鬨を上げさせよ」

 自分でも驚くほどに冷えた声が出た。山城守、六郎が”殿”と声を上げ小次郎が”父上”と引き攣った声を出した。

「突撃する。もはや勝敗は二の次よ。相国様に奥州人の意地を見せる。もはや馬の枚も無用じゃ、外させよ」

「……」

 六郎達が躊躇っているのが分かった。一つ息を吐いた。


「見よ、兵が怯え始めた。今のままでは退く事も出来ぬ。退却の命を出せばあっという間に総崩れになるだろう。そうなれば相国様の追撃を受ける。奥州連合は総崩れだ。伊達は戦わずして敗れた。伊達のせいで奥州は敗れたと末代まで汚名を残す事になるぞ。それで良いのか?」

 山城守、六郎が悲痛な表情で首を横に振った。小次郎は無言だ。首を横に振る余裕も無いか。哀れな……。


「分かりました。某、兵の元に戻りまする。奥州人の意地、貫き通して見せまする」

「頼むぞ、六郎」

「はっ」

 一礼して六郎が去って行く。奥州人の意地か……。後方の奥州勢は誰も動こうとしない。滑稽な意地よな。


「如何なされました?」

 山城守が訝しげに問い掛けてきた。

「何がだ?」

「お笑いになりましたぞ」

 思わず苦笑が漏れた。そうか、笑っていたか……。本心は言えぬな。


「流石だと思ったのだ。百戦錬磨とは相国様のために有る言葉よ。ものの見事に追い込まれたわ」

「……」

「だが窮鼠猫を噛むという言葉もある。相国様も死生命無く死中生有りと申された。死に物狂いで奥州人の意地を貫くのだ」

 山城守が”確かに”と頷いた。


「皆の者! 鬨を上げよ! えい! えい! おう!」

 



禎兆七年(1588年)    十一月上旬      出羽国置賜郡笹野村 笹野山 氏家守棟 




「してやられたか……」

 主が苦い表情で呟いた。

「そのようですな」

「簡単に勝てる相手ではないと思ったが上手く引き摺りだされたか……」

「向こうはこちらが早朝に攻め寄せてくると分かっていたようです」

 主が”うむ”と頷いた。

「誰か抜け駆けしましたかな?」

 主が私を睨んだ。


「知らぬわ!」

 吐き捨てた。まあ相手が相手だ。こちらの策を見破った可能性は十分にある。しかし誰かが相国様に内通した可能性もあるだろう。殿は使者を出さなかった。もし誰かが内通したのだとすると相国様は殿を訝しんでいような。となると相当の功を上げなければならんが……。


「退くなよ、左京大夫。退けば終わるぞ。退いてはならん」

 小声だが唸るような口調だった。視線はジッと戦場を見ている。確かに退けば終わるだろう。奥州勢は総崩れ。最上が寝返りをする機会は無かろう。左京大夫様は如何する?

「突撃するのだ。左京大夫、突撃するのだ!」

 殿が叫んだ! それに呼応するかのように”えい! えい! おう!”と鬨の声が聞こえた。伊達勢が鬨の声を上げている。やる気だ。左京大夫様は退く気は無い。


「そうだ! それで良い。はははははは」

 殿が笑った。鬨の声が徐々に力強くなって行く。  

「流石は伊達左京大夫よ、はははははは」

 上機嫌だな。まあ、これで最上の働き場も出来た。後は何処で寝返るかだが……。殿の顔を見た。頬が上気している。大丈夫かな? 念のためだ、釘を刺しておくか。


「殿、勝てましょうか?」

 主が酢を飲んだような表情になった。ま、こんなものだな。頭も冷えただろう。興奮して自分も突撃するなどと騒がれては堪らぬからな。




禎兆七年(1588年)    十一月上旬      出羽国置賜郡笹野村 朽木基綱 




「父上、押し寄せてきたのは伊達勢だけです」

 息子の三郎右衛門が訝しげな声を出した。その隣で四郎右衛門、三好孫六郎も訝しげにしている。

「他は様子見だな。伊達の攻撃が上手くいけば後に続くつもりだろう」

「では?」

 今度は四郎右衛門だ。


「伊達勢は暗闇に紛れて出来るだけ俺に近付くつもりだった。そして夜明けと共に突撃する事を考えていた。だが俺が陣を下げたからな。伊達勢は中途半端な位置で朝を迎えてしまった。突撃するか、撤退するかを今考えている筈だ。他の奥州勢も伊達が如何動くかを固唾を呑んで見守っているだろう」

 攻撃は失敗したと考えている者も居るだろうな。そいつらは逃げるか、裏切るかを考えている筈だ。時間が無いぞ、伊達左京大夫。進むか、退くか、決断しろ!


「攻めてくるでしょうか?」

 孫六郎が問い掛けてきた。

「如何かな?」         

 攻めてくると思う。左京大夫は勝つ事よりも奥州人の意地を貫く事を重視する筈だ。この状況で退くとは思えない。

 

 ”えい! えい! おう!”、”えい! えい! おう!”。鬨の声が聞こえる。周りからどよめきが湧き起こった。やはり退却では無く攻撃を選択したか。伊達左京大夫輝宗、死ぬ気だな。まあ、そこまでは想定通りだ。問題は後ろの連中だな。

「伊達左京大夫は攻めてくるぞ。全軍に油断するなと伝えよ。それとこちらも鬨の声を上げさせよ。向こうに押されてはならぬ」

 俺の言葉に宮川重三郎が”直ちに”と答えて陣を離れた。こういうのは大事なのだ。向こうが戦うと士気を上げているのだ。こちらも士気を上げる必要がある。


 それほど待つ事も無く”えい! えい! おう!”と鬨の声が上がった。直に他の陣でも声が上がるだろう。最上、大崎、葛西を始めとする残りの奥州勢も朽木勢がやる気満々だと分かる筈だ。簡単には伊達に加勢は出来ないだろう。もし、戦うのだったら奥州勢の間でも鬨の声が上がる筈だ。


「伊達勢の隣にもう一つ軍勢が居るな。二千に足りぬと思うがあれは何処の兵だ?」

「相馬の軍勢かと」

 問い掛けると舅の平井加賀守が答えた。なるほど、相馬か。連中も鬨の声を上げている。やる気満々だな。

「後ろの奥州勢は鬨の声を上げませぬな」

 問い掛けてきたのは荒川平四郎だった。皮肉そうな笑みを浮かべている。


「油断するな。こちらが劣勢となれば一斉に掛かってくるぞ」

「それは分かっております。ただ、伊達左京大夫は情けなく思っておりましょう」

 そうだと良いがな。腹を括ったのだとすると関係なかろう。遮二無二突っ込んでくる事になる。伊達勢二万か。こちらは一万五千。前備えの兵は予備として後方に置いている。あとは長門の叔父が斜め前で四千の鉄砲隊を率いている。俺を攻撃する敵は叔父御に横腹を晒す事になるのだ。俺は囮と言って良いだろう。


「伊達勢、動き始めました! 来ます!」

 小早川藤四郎が叫んだ。

「相馬勢も来ます!」

 加藤孫六も叫んだ。

「慌てるな。こちらの予想通りだ。先ず長門の叔父御が鉄砲で攻撃する。こちらが押し出すのはその後だ」

 俺の言葉に皆が頷いた。


 伊達勢、相馬勢が近付いてくる。薄明かりの中、僅かだが土煙が見える。壮観だな。これほど果敢に攻め寄せてくる敵はなかなか居ない。

「伊達藤次郎」

 名を呼ぶと”はっ”と返事があって政宗が膝を突いた。皆が甲冑姿の中で政宗だけが平服だ。そして政宗の傍には朽木の小姓が二人居る。監視役だ。俺が呼ばない限り政宗は俺の側に寄れない。寄ろうとすれば監視役が政宗を止める。場合によっては斬り殺すだろう。

「伊達左京大夫輝宗、流石だな」

 政宗が軽く頭を下げた。

「良くあそこで突撃を選択した。退いていれば生き延びる事は出来たかもしれぬがそこで勝負は付いた。奥州勢は総崩れになっただろう。だが左京大夫は死を覚悟して突撃した。未だ勝負は分からぬ。見事よ!」

 政宗がまた頭を下げた。世辞では無い。本心だ。伊達左京大夫が突撃したから残りの奥州勢は踏み止まっている。勝負は未だ分からない。

 


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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 今後も楽しみにしてます。 これからの日本を支える自分たち若い世代も奥州人のような熱を持たなければ生き残れないだろうと思います。 きっと日本を隆盛させて見せましょう。
まさか直ぐに続きが読めるとは… 感涙です!!! 奥州戦も盛り上がってきました!次の更新を心待ちにしております!
続けて更新は嬉しいです 久しぶりに主人公登場でなんか安心しましたw 最上義光は史実では色々苦労して秀吉・家康の下生き残りましたが…イスパニアと事を構える決意をしてる朽木としては不安定要素は必要無いし、…
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