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不安定要因




禎兆八年(1588年)    七月中旬      陸奥国岩瀬郡長沼村 長沼城  朽木基綱




パチリと石を盤上に置いた。主税がジャラジャラと音をさせて石をいじっていたがパチリと置いた。俺が黒、主税が白。今日は五目並べじゃない、ちゃんとした碁だ。

「そろそろ出て来るかな? 主税」

「はい、そろそろかと思います」

主税が答えた。そろそろ蘆名勢が出て来るだろう。……上手くないな、隅を取られた。今の所白の方が形勢が良い。というより黒の良い所が見つからない。終盤なのにだ。気が重いわ。


「須賀川城を取られたのは痛かっただろうな」

パチリと黒石を置いた。打ってから思う、拙い手だと。何でこんな手を打ったんだろうと。

「それはもう、佐竹からの援軍が届きませぬ。上手く分断出来ました。急所の一手でございます」

そう、下野から白河関を越えて須賀川城を取った事で佐竹と蘆名を分断出来た。蘆名にとっても佐竹にとってもこれは痛い。パチリと主税が白石を置いた。これも痛い、溜息が出そうだ。


「去就を迷っていた富田、松本、佐瀬、平田も寝返りました」

「そうだな」

いかん、前屈みになっている。将棋でも碁でも形勢の悪い方は必ず前屈みになって盤を見ている。盤を見なくても対局している二人の姿勢を見れば大体の優劣は分かるのだ。主税は背筋が伸びているから局面に自信が有るのだ。俺も背筋を伸ばした。虚勢でも張らないよりは良い。パチリと黒石を置くとその隣に白石が置かれた。いかん……、五目並べの方が良かったか。


富田、松本、佐瀬、平田は会津四天、或いは会津四天王と呼ばれる家だ。蘆名氏の譜代の家臣なのだがそれが寝返りを約してきた。既に会津四家の河原田、長沼、山内は寝返りを約している。蘆名はもう終わりだ。出てきても朽木の勝ちは見えている。


「太閤殿下がここへ来たがるのではありませぬか? あの御方は戦機を見る目をお持ちです。そろそろだと御思いでしょう」

「まあ謙信公と戦場に出た御方だからな、来たがるだろう。しかしそれは駄目だ。本当なら関東で留守番の筈だったのだからな。此処からは何時、どんな戦が始まるか分からぬ。朽木の勝は動かないと思うが戦場では何が起きるか分からぬのだ。須賀川城で待っていただく」

主税が頷いた。須賀川城には五千の兵を置いてある。万一敵が押し寄せても簡単には落ちない。籠城している間に後詰が着く。撃退は難しくない。


パチリと石を置いた。主税が直ぐに石を置く。

「どうも上手くないな」

「左様ですなあ、某から見ても酷いもので」

主税が笑い出した。酷いものは無いだろう。傍で控えている小姓の城井弥三郎、松浦源三郎の二人が目を丸くしている。


「少しは手加減しろ、戦の前だぞ」

「いやいや、碁と戦の勝ち負けは関係ありませぬ。大殿は碁は酷いものですが戦は負け知らずにございます」

碁の腕前を貶しているのか、戦上手を褒めているのかどちらだろう? だが主税から見ても俺の碁は酷いものらしい。溜息が出そうだ。


「参った、俺の負けだ」

降参すると主税が頭を下げた。

「これで何勝何敗だ?」

「さあ、もう忘れました」

「そうだなあ、覚えていても意味はないか」

「はい」

二人で声を合わせて笑った。あとどのくらい二人で碁を打てるだろう。俺のザル碁に付き合えるのは主税だけだ。


主税に日海という坊主が碁を教えようと言ってきたらしい。俺と主税が碁が好きだと知っての事だろう。日海というのは京の寂光寺塔頭本因坊の坊主だというから囲碁の本因坊と関係の有る坊主なのだろう。碁好きの間では結構名の知られた坊主の様だ。だが主税はそれを断った。自分は大殿と打つ下手な碁が好きなのだ、上手になる必要は無い、そう言ったそうだ。有り難い事だよ、梅丸。お前には感謝だ。


天下を獲ったら囲碁や将棋もきちんとしないといけないな。兵法も考えないと。竹刀とか防具を導入させる事で怪我をしないようにする。それと兵法大会を開いて各流派の交流戦を行う。それによって兵法を振興させよう。それと産業振興のための博覧会みたいなものも行うようにしないと。これまでは特産物を作れと言ってきたがこれからは競争させる事で品質向上だ。いや、その前に改善活動を徹底させよう。デミング賞より前に基綱賞を作る。やる事は沢山あるな。


「伊達はどうなったかな?」

「未だ動きは無いようで」

石を片付けながら話す。

「動きは無いか……、危ういなあ」

主税が頷いた。動きが無い、つまり水面下で動いているという事だ。暗闘が有ると見て良い。問題は何処で暗闘が起きているかだ。政宗と輝宗か、或いは重臣達との間で起きているのか……。蘆名が滅べば次は伊達だ。時間は無いぞ。


「大殿」

声が掛かった。重蔵が部屋の入口に控えている。

「四郎右衛門様が」

「来たか」

「はい」

重蔵は嬉しそうだ。主税もニコニコ顔だ。


「会おう、此処へ」

「はっ」

重蔵が下がった。

「来たなあ」

「来ました」

主税と二人で声を合わせて笑った。

「弥三郎、三郎右衛門と孫六郎を呼べ」

「はっ」

城井弥三郎が立ち上がると部屋を出て行った。


少しするとガシャガシャと音を立てて四郎右衛門がやってきた。

「父上、四郎右衛門にございます」

「うむ、入れ」

声を掛けると四郎右衛門、重蔵、傳役の蒲生左兵衛大夫、守山作兵衛が入って来た。三人とも鎧姿だ。豪いぞ、平服で来たら怒鳴りつけている所だ。


「御久しゅうございまする。琉球より戻りました。至急父上に御報告しなければならぬ事が有り推参致しました」

「少し待て、今三郎右衛門と孫六郎が来る。話はそれから聞く」

「はっ」

四郎右衛門が畏まった。


「雪乃には会ったか?」

「はい、(つつが)なくお過ごしの様でした」

「それは良かった。日に焼けたようだな」

「はっ、琉球は暑うございます」

「それに逞しくなった。そうは思わぬか、主税」

「真に」

主税が頷く。主税は烏帽子親を務めた。嬉しいのだろうな。恵比寿顔だ。


「自分には分かりませぬ」

四郎右衛門が困惑した様な声を出した。離れて半年だ。随分と変わった。身体付きも逞しくなったが心も強くなったのだろう。昔の四郎右衛門なら此処に来たか如何か……。バタバタと足音がして三郎右衛門と孫六郎がやってきた。二人とも驚いている。四郎右衛門に話しかけようとするから後にしろと言って坐らせた。


「四郎右衛門よ、父に報せたい事とは何だ?」

四郎右衛門が“はっ”と畏まった。

「呂宋よりイスパニアの軍船が九州を目指しております」

“なんと!”、“真に?”と声が上がった。三郎右衛門、孫六郎が驚いている。

「ほう、何故だ?」

「南蛮の伴天連から要請が有ったそうにございます。父上が切支丹に厳しい処置を取られた事で伴天連達は危機感を感じております。そしてイスパニアに救けを求めた……」

四郎右衛門が俺を見ている。俺がどの程度深刻に受け止めているのか確認しているようだ。


「続けよ」

「九州でキリシタンの力を纏めイスパニアの兵と力を合わせて父上に自分達の力を認めさせ父上の考えを改めさせようと考えているようにございます」

「なるほど、琉球でそれを知ったか」

「はっ、呂宋で不審な動きが有ると商人が教えてくれたのでございます。それの確認の為些か帰国が遅くなりました」


「それで? 他には?」

促すと“はっ”と畏まった。

「某の独断で対馬の九鬼、堀内に報せを出しました。彼らには九州の国人衆と協力してイスパニア勢を防ぐようにと頼んで有ります」

「そうか、御苦労だったな」

「はっ」

四郎右衛門が訝しげな表情をしている。ちょっと可笑しい。主税、重蔵と顔を合わせた。二人とも笑うのを堪えている。


「実はな、その方にイスパニアの動きを教えたのは伊賀者だ」

「まさか! あの商人が」

四郎右衛門が声を上げると左兵衛大夫、作兵衛も“なんと”とか声を上げている。

「呂宋に人を入れろ、イスパニアの動きを探れと伊賀衆に命じていてな。商人として潜り込んだのだろう。今回の動きを俺に報せる途中でその方に教えたという事だ」

四郎右衛門は“はー”と息を吐いている。


「この奥州遠征には九州勢、毛利勢は動員していない。どうも南蛮人の動きがキナ臭いのでな、万一のために抑えとして残したのだ。石田佐吉にも八千の兵を与えてある。伊賀衆は既に佐吉にイスパニアの動きを報せた筈だ。佐吉は九鬼、堀内、国東の海賊衆、九州勢、毛利に戦の準備を命じただろう」

また四郎右衛門が“はー”と息を吐いた。


「某のした事は無駄だったのでしょうか?」

「そんな事は無い。俺は奥州に居るのだ。此処から呂宋からイスパニアが攻めて来ると言っても多くの者は半信半疑だろう。だがその方は琉球に居た。呂宋の直ぐ傍だ。その方がイスパニアが攻めて来る、備えよと言えば皆も真剣に受け取る。意味は有る」

四郎右衛門が頷いたが今一つ納得した表情では無い。


「良くやったな」

「はっ」

「九鬼と堀内に報せた事、そして自ら俺に報せようと此処に来た事、残らず満足だ。本当によくやった」

「有難うございます!」

声が弾んでいる。ようやく心が晴れたらしい。

「左兵衛大夫、作兵衛、四郎右衛門を良く助けてくれた。礼を言うぞ」

二人が“有難き幸せ”と言った。四郎右衛門、本当はお前が二人が助けてくれたからと言うべきなのだ。今のでその辺りを悟ってくれれば良いのだが……。まあ後でちょっと注意しておこう。


「父上、今一つ御報告しなければならぬ事が有ります」

「うむ」

「琉球が出すと言った人質の事にございますがイスパニアの事を知り争いが収まるまでは出せぬと……」

「それで」

「約束が違うと言ったのでございますが……」

「出さなかったのだな」

「はい」

四郎右衛門は面目無さげだ。


「俺が琉球王なら人質をだした。どうやら琉球王は状況が分かっていないようだな」

「……」

「まあ良い。何処も本心では人質など出したくは無いのだ。イスパニアの事を知ってこれ幸いと断って来たのだろう」

親明派が強く言ったのかもしれない。

「相国様、宜しいのでございますか?」

孫六郎が首を傾げている。

「イスパニアの攻撃を退けた後、琉球にはその事を記した書状を送る。琉球は直ぐに人質を送って来るだろう」

三郎右衛門、四郎右衛門、孫六郎は困惑気味だ。他の大人達は納得している。この辺りは経験の差だな。


「今回の事で日本とイスパニアは敵対関係に入った。琉球は日本と呂宋の間に有るのだ。当然だが琉球は自分が誰の味方なのかをはっきりさせなければならぬ。疑えば琉球はイスパニアに付いたとも取れるのだ。琉球が俺の疑心を晴らせぬ場合は俺が琉球を攻める事になる。その程度の事は分かる筈だ」

三人が頷いた。


「言っておくが服属の条件は厳しくなるぞ。約を破ったのだからな、人質だけでは足りぬ。新たな条件を付ける事になる。受け入れられぬというなら攻め潰す。呂宋のイスパニアを攻めるには琉球に不安が有ってはならぬのだ。呂宋を攻める前に琉球を攻める事になる」

「……条件はどのような」

「そうだな、……例えばだが奄美の割譲だな」

「……」

琉球には厳しく出よう。どうやらこっちを甘く見ているようだ。日本は明とは違うのだという事を理解させる必要が有る。奄美の割譲を受け入れたなら奄美に水軍を置こう。琉球に対する威圧になる筈だ。台風が有るから難しいかな?


「それで四郎右衛門よ、琉球はどのような国であった。教えてくれ」

三郎右衛門、孫六郎が興味津々の表情をしている。

「はい、琉球の兵力は大凡三千から四千程にございます。ですが余り鉄砲や大筒が有るという風には見えませぬ。それに琉球人(りゅうきゅうびと)は余り武を好みませぬ。どちらかと言えば文、そして(がく)を好みます。あまり強いとは思えませぬし脅威にも感じませぬ」

四郎右衛門の言葉に皆が頷いた。さっきの話の後だからな、琉球を攻めるのは難しくないと思った筈だ。


「それで?」

「ですが琉球の城は侮れませぬ」

「ほう」

「琉球ではグスクと呼ばれるのでございますが極めて堅固な石積みの城壁で守られております。簡単には落とせませぬ」

三郎右衛門、孫六郎が顔を顰めている。

「おそらくは唐土の城を真似たのではないかと思いまする」

「かもしれんな」

石垣の城が出来たのは日本よりも琉球の方が先だと聞いた事が有る。実際日本じゃ石垣の城は少ない。八幡山城、駿府城、那古屋城ぐらいの物だ。あ、観音寺城もあったな。


「それとやはり明の影響が強いと思います。日本に服属したとは言いますが琉球人が考えるのは先ず明が如何思うかにございます。日本への服属はあくまで便宜的なものと思いました。父上が御考えになったようにいざとなればイスパニアと結ぶという事も有り得るかと思います」

「なるほどな」


四郎右衛門は琉球に行って不愉快な事でも有ったのかもしれない。何かにつけて琉球人が明を重視する事が面白くなかったのだろう。人質の件、そして四郎右衛門に対する扱い、親明派だけでなく琉球王の意志も絡んでいるとすれば厄介だな。イスパニアとの戦いにおいて琉球は不安定要因になるだけだ。




このライトノベルがすごい! 2019に『淡海乃海 水面が揺れる時』が選ばれました。

単行本・ノベルズ部門で24位です。応援してくださった皆様、本当に有難うございます。

心から感謝します。

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