日本侵攻
禎兆八年(1588年) 六月中旬 出羽国置賜郡米沢村 米沢城 片倉景綱
ドンドンドンドンと廊下を強く踏みしめる音がした。戻って来られたか、足音からすると不首尾だな。カタッと戸をあけて若殿が部屋に入って来た。不機嫌そうな表情だ。眼帯の所為で更に人相が悪く見える。男は顔を作れ、上に立つ者は顔を作れと言っているのに……。戸をあけたまま上座に向かわれた。私が戸を閉めた時にはドスンと音を立てて腰を下ろされていた。
「如何でございました?」
問い掛けると力無く首を横に振られた。
「駄目だな。俺は兵を出すべきだと言ったのだが……。今兵を出しても混乱して徒に兵を損なうだけだと言われた」
「やはり左様で」
「うむ。その方の予想通りだ、小十郎」
褒められても嬉しくない。悪い予想だ、むしろ外れて欲しかった。
朽木勢が常陸と下野に兵を集めた。常陸に六万、下野に七万。下野の朽木勢は相国様が自ら率い烏山城に拠点を置いた。白河郡から会津を狙うと見せかけて蘆名勢を足止めするのが目的と言われていた。朽木の狙いは南から攻めて常陸の佐竹氏を攻め潰す事。奥州攻めは関東攻略の後だと。
もっともそう見せておいて南と西から常陸に攻め込むのではないかという危惧も有った。常陸の北部は山が多い、必ずしも大軍を動かし易い場所ではない。後詰さえ十分に有れば互角以上に佐竹は戦える。蘆名を牽制すると見せかけて動きを止め南と西から佐竹を全力で潰しにかかる、十分に有り得た。拠点とした烏山城は白河郡よりも常陸国那珂郡に近いのだ。佐竹は兵を南と北に分けて備えた。当然だが兵は足りない、蘆名に援軍をと頼んだ。
だが蘆名は動かなかった。朽木の動きを見定めてから動こうと考えたらしい。愚かな事だ。兵力が少ない以上已むを得ないと思ったようだがそれでは後手に回る事になる。朽木を相手に後手に回っては勝てまい。むしろ伊達と連合し積極的に兵を動かす事を考えるべきだったのに……。
蘆名が積極的に動けぬのは内部が一つに纏まっていないからだ。蘆名家中は当主義広が佐竹から連れてきた家臣達と蘆名の家臣達の間で深刻な対立が有る。当主義広は両者の間で身動きが取れずにいる。佐竹からの救援要請にも朽木の狙いがはっきりしない以上兵は出せないと断った。伊達が兵を出して共に朽木と戦おうと言っても断った。伊達が信用出来ないらしい。いや、信用出来ないのは蘆名の家臣達か。反佐竹派の重臣達が伊達に与して蘆名を攻めるのではないかと疑っている。
そして案の定だが烏山城の朽木勢は常陸に攻め込んだ。南からも朽木勢が攻めかかる。忽ち那珂郡の高沢城、鳥子城、高部城が落ちた。それを見て蘆名勢も佐竹救援に動き出す。だがそこからの朽木勢の動きは意表を突いた。反転すると下野に戻り白河郡へ攻め込んだのだ。常陸へ援軍を出そうとしていた蘆名は混乱した。
白河郡に兵を出そうとした時には関ノ森城、小屋山館、白河城、小峰城が落城した。あっという間だった。白河関は突破された。もう蘆名は佐竹への援軍には出られない……。会津を守るので精一杯だ。そして佐竹は孤立し南の朽木軍の攻勢に単独で向き合っている。こちらも常陸を守るので精一杯だろう。いや守る事すら出来まい。このままでは佐竹も蘆名も各個に撃破されるだけだ。
「小次郎を養子にしていればな。そうであれば伊達、蘆名の連合は成った……」
その通りだ、だがぼやいている場合ではあるまい。
「朽木に寝返るべきだと申されましたか?」
若殿が頷かれた。
「言った。もう蘆名は保たぬ、佐竹も保たぬ。伊達家を保つためには寝返る事も考えるべきだとな。その為にも兵を出すべきだと言ったのだが……、老臣共は俺をあざといと言う始末だ。蘆名は伊達を信用しておらぬのに何があざといだ!」
吐き捨てる様な口調だ。余程に責められたらしい。若殿は昔から朽木贔屓であった。伊達の重臣達はそんな若殿に不快感を感じている。
「殿は?」
「……父上は迷っておられる」
「迷う暇はございますまい。上杉も蘆名領に攻め込みましょう」
若殿が顔を歪められた。ここ近年上杉と蘆名は国境で睨み合う仲だ。だが朽木が蘆名に攻め込んだ以上、必ず上杉も攻め込むのは眼に見えている。若殿の言う通りだ、蘆名は保たぬ。
援軍という名目で兵を出し蘆名を攻める。元々伊達は朽木に使者を出していたのだ。朽木の反応も悪くは無かった。佐竹、蘆名と結んだのも周囲が佐竹と組んだため已むを得なかった。孤立しては周囲から攻められ伊達が滅びかねなかったと言えば良い。後は戦場での働き次第だ。多少は領地を削られても家を残す事は出来よう。
「父上は俺の意見をあざといとは責めなかった。一つの手段として考えるべきだと仰られた。ただ葛西、大崎、最上がな、……伊達が寝返れば如何動くか分からぬ。一緒に寝返ってくれれば良い。そうでなければ両者に攻められる。それを案じている」
「……」
「それにな、伊達、最上、大崎、葛西。この四家で冬まで粘れぬかとも考えておられる。雪が降れば朽木は兵を退く。その後で朽木に服属を願い出る」
「……力を見せてからの方が良いと?」
若殿が頷かれた。
「佐竹、蘆名との同盟に踏み切ったのもその御考えが有ったらしい。佐竹、蘆名は滅ぶだろう。だが時を稼いでくれれば良い、そう思ったようだ。冬の間に最上、大崎、葛西を説得して降伏する。彼らも佐竹と蘆名が滅べば意地は張れまい。それに蘆名と佐竹が滅べば奥州の旗頭は伊達よ。有利な条件で朽木と和を結べるのではないかとな。重臣達もそれに同意している」
なるほど、そこで周囲を囲まれた事で已むを得ず与したと弁明するか。そして最上、大崎、葛西を説得して降伏させたと言えば……。
「それまで保ちましょうか? 蘆名、佐竹では有りませぬぞ、伊達がです」
保つまい。若殿も沈痛な表情をしている。蘆名、佐竹が滅べば伊達は十万以上の大軍を迎える事になるのだ。時を稼ぐと御考えのようだが簡単に出来る事ではない。大体朽木は大きな大名を残そうとはしていない。これまで残ったのは毛利と上杉だけだ。伊達、最上、大崎、葛西をそのまま残すだろうか? 今年は何とか凌いだとしても冬は永遠に続くわけでは無い。降伏が受け入れられなければ如何なる? 春が来て再遠征となれば伊達、最上、大崎、葛西は皆滅ぶだろう。寿命が一年延びただけだ。
奥州は遠い、目こぼしが有ると考えているのであれば甘いと言わざるを得ない。朽木は蝦夷地との交易にも熱心だ。奥州にも関心が強いと見るべきだろう。相国様の眼には伊達、最上、大崎、葛西は邪魔な存在に映る筈だ。余程に上手く立ち回らなければ龍造寺、大友の様になる。
「今すぐ寝返るべきだと思いまする。佐竹、蘆名のどちらかが滅んでからでは遅うございましょう」
「……」
「殿には隠居して頂きましょう」
“小十郎!”と若殿が声を上げた。
「家を保つためとは言え佐竹、蘆名に与した。その責めを負うて貰うのです。そして若殿が伊達家当主として改めて朽木家に服属を誓う」
若殿の顔が強張っている。
「俺に謀反せよと言うか。御家騒動が起きるぞ。伊達家は戦う前に滅ぶ」
「このまま時を無為に潰せば伊達家は滅びます。違いましょうか?」
若殿の顔が苦しげに歪んだ。
「……違わぬ、だが……」
「分かっております。謀反をお勧めはしませぬ。某が相国様に会いましょう。そして当主交代で伊達家の服属を認めて頂けるよう交渉してみます」
「……簡単にはいかぬぞ」
「分かっております。多少は領土を削られるかもしれませぬ。ですが滅ぶよりはましでございましょう」
若殿が首を横に振られた。
「それも有るが蘆名に見つかればその方の命は無い。俺もだ。敵と通じた、謀反と言われよう。廃嫡、切腹は免れぬ」
「某の独断でございます。若殿には関係ありませぬ」
また若殿が首を横に振られた。
「それが通用すると思うか? 小次郎が居るのだぞ」
「……」
伊達家の内憂の一つが小次郎様だ。あのお方が居られる所為で若殿の立場が今一つ安定せぬ。御母堂様も若殿を疎み小次郎様を可愛がっておられる。真、あのお方が蘆名家に入っていれば……。上手く行かぬ……。
「それに小十郎の独断では立場が弱すぎる。朽木はその方を相手にするまい。……俺が書状を書く、持って行け」
「若殿!」
「やるならば悔いは残したくない。小十郎は俺の代理として交渉するのだ。どのような結果になろうと俺が責めを負う。存分にやれ」
「……はっ」
交渉が纏まればそれを以って伊達家の当主交代を行う事になる。天下は足利から朽木へと変わった。伊達家も変わるべきだろう。そして伊達家の最初の仕事は最上攻めになる。御方様は半狂乱になって若殿を責めるに違いない。或いは小次郎様を跡目にと策するかもしれない。だが最上を潰せば御方様の影響力も小さくなる。伊達家を正しい形にするためにもやらなければならぬ……。
禎兆八年(1588年) 六月中旬 イスパニア領呂宋島 ルソン総督府 サンティアゴ・デ・ベラ
「総督閣下、ファン・コーボ神父、参りました」
「御苦労だな、神父」
労うとコーボ神父が僅かに頭を下げた。
「イエズス会日本支部の準管区長、ガスパール・コエリョより書状が届いている」
「左様で」
神父が曖昧な表情をしている。コーボ神父はドミニコ会に所属している。同じカトリックとはいえイエズス会はポルトガル系だ。イスパニア系のドミニコ会に所属するコーボ神父にとっては無条件で歓迎出来る相手ではない。
「読まれるが良かろう」
「宜しいのでございますか? セデーニョ布教長は?」
「構わぬ。私はコーボ神父の意見が聞きたい」
神父が顔を紅潮させた。信頼されているとでも思ったか。だがセデーニョ布教長はイエズス会の人間だ。彼の答えは分かっている。聞く必要は無い。
神父が執務机に近寄ってきた。書状を渡すと神父は真剣な表情で読みだした。徐々に紅潮が消えて行く。読み終わるとじっと考える表情を見せた。
「余り良くないようで……」
「そのようだ。日本の第一人者、相国はカトリックに厳しい姿勢を見せている」
私の言葉に神父が渋い表情を見せた。神父が書状をこちらに返した。
「ポルトガル人は少々奴隷売買に精を出し過ぎましたな」
「全くだ。セバスティアン一世陛下の不安が的中したらしい」
コーボ神父が頷いた。セバスティアン一世、賢いのか愚かなのか良く分からないポルトガルの王。妃を娶らず跡継ぎを残さないまま死に結局はイスパニアによるポルトガル併合を招いた。
愚行としか言い様が無いがその王がポルトガル人による日本人の奴隷売買が大規模なものへと成長してきたためカトリック教会への改宗に悪影響が出ると懸念した。そして十五年以上前に日本人の奴隷交易の中止を命令した。危惧が的中した事を考えると必ずしも愚かでは無かったのかもしれない。相国は奴隷売買を重く見ている。
「書状にはスペインからの軍事援助を望むと記してありますが?」
「インドのゴアにも援助を求めると記してある」
神父が面白くなさそうな表情を見せた。
「距離を考えればこちらでしょう」
「そうだな」
フィリピンから北上すれば琉球、そして日本だ。インドに比べれば遥かに近い。
「如何なされます?」
神父がこちらを伺う様に見ている。コエリョ準管区長からは三百程兵を送って欲しい、それと何隻か軍船を送って欲しいと要望が出ている。その三百と軍船、日本のキリシタン信者を合わせれば北九州に強固な根拠地を得る事が出来る。相国にカトリックの力を理解させる事が出来るだろうと。そしてこのままでは日本におけるカトリックの布教は失敗に終わるとも書かれている。書状によれば九州には三万人以上の信者が居るらしい。多少の誇張はあっても二万以上は居るのだろう。
「難しい所だ。もうじき嵐の季節になる。送るのであれば今直ぐ送るか、十一月を過ぎてから送る事になる。書状には相国が遠征中の今が最善と書いてあるが今送ればこのフィリピンが手薄になる。ノヴァ・イスパニアから兵を呼び寄せる事は可能だが一年は待たねばならん」
「確かに。……ですがガレオン船は近日中にアカプルコに向かいます」
「そうだな、それまでに決めなければなるまい」
明を攻略する。それがポルトガル、イスパニア、そしてカトリックの望みだ。もっともポルトガルとイスパニアが明国征服で協力する事は無い。むしろ敵対している。イスパニアではこれまで何度も明国征服が唱えられてきた。イスパニア兵を約一万、日本兵が五千程、それにガレオン船が十隻程有れば明国征服は十分に可能だろう。我らイスパニアの軍事力は世界最強なのだ。エルナン・コルテスは僅か六百でアステカを滅ぼしフランシスコ・ピサロは二百でインカを滅ぼした。このフィリピンも一千に満たない兵で征服した。明が広大とはいえ恐れる事は無い。
明国征服の計画で重視されてきたのが日本兵の存在だった。長年闘い続け大変勇敢であり我らの補助兵として利用出来る、彼らを利用すればより容易に明を征服出来るとイエズス会は報告してきた。そのためにも我らの意のままになる日本兵が要ると。イエズス会の役割はその兵力を集める事だった。三年程前にはそれが可能だった。四万は出せると言っていた。だがそれが破綻しつつある。……放置は出来まい……。
「兵を送る他有るまいな」
コーボ神父が頷いた。
「それが宜しいかと思います。セデーニョ布教長も喜びましょう」
「そうだな」
“総督閣下”と神父が改まった。
「これを機に日本、明はイスパニアに領有権が有るとするべきです」
「……」
「ポルトガルはアルカセル・キビールの戦い以来、その軍事力は当てには出来ません。現状ではポルトガルによる日本、明の征服は不可能です」
その通りだ。アルカセル・キビールの戦い、あの戦いでポルトガルは戦死者約八千、捕虜一万五千の大敗を喫した。なによりポルトガル王セバスティアン一世が戦死した。それによりアヴィス王朝は断絶、イスパニア王フェリペ二世陛下がポルトガル王を兼任する事になった。ポルトガルはその損害から立ち直れていない。
「その事はイエズス会も分かっております。我らに日本、明はポルトガルに領有権が有る、イスパニアは手を出すなとは言いますが軍事力は我らを当てにしている。辻褄が合いますまい」
不満そうな口調だ。イエズス会に相当面白く無い感情を持っている。
「そうだな」
私の同意するとコーボ神父が嬉しそうに笑みを浮かべた。
「サラゴサ条約では日本はその境界線上にあります。イエズス会は日本はポルトガルに領有権が有ると言いますが厳密に言えばイスパニアにも領有権が有るのです。今回の一件でそれをイエズス会に認めさせるべきです」
そしてイスパニアの尖兵としてドミニコ会、フランシスコ会が日本で布教する。単なる勢力争いとは言えない。イエズス会は奴隷売買で相国に不信を持たれているのだ。その事を考えればここはドミニコ会、フランシスコ会が表に出た方が良いというのは妥当な判断では有る。
「日本を占領出来るかな?」
神父が顔を顰めた。
「それは分かりません。しかし相国の眼を我らにでは無く明に向ける事が出来れば占領は不可能でも協力は可能でしょう」
「そうだな」
つまり明国征服は可能という事だ。大事なのはそこだ。そのためにも先ずは我らの力を示す必要が有る。
「場合によっては今回の出兵はイエズス会に騙されて行ったと言う事も必要でしょう」
囁く様な声だった。驚いて神父の顔を見た。眼がぎらついている。聖職者には似合わぬ目だ。
「悪いのはイエズス会か。……狙いはイエズス会の排斥かね、それによって相国の信頼を得るという事か」
「はい」
満足そうに神父が頷いた。嫌悪感を隠すのが苦痛だった。




