宗教対策
禎兆八年(1588年) 二月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「さて、訴えの中には土地を返せ、損害を与えたのだから賠償せよというものが有ったな」
俺が言うと坊主、神官達が“左様にございます”、“何卒お聞き届けを”と声を出した。喜色が有る。そして伴天連達は渋い表情だ。ここまでは処罰らしい処罰は何もない。ここからが本番だと両者共に思ったのだろう。
「フロイス、その方等が所有している土地だがそれを認める判物、あるいはそれに類する物は有るか?」
フロイスは困惑している。オルガンティノもだ。傍に居たロレンソ了斎が判物について説明を始めた。二人の表情が困惑から渋面に変わった。判物というのは将軍・守護大名・戦国大名が発給した文書だ。正確には花押が付されたものを指す。要するに公文書なのだが戦国大名が出す公文書としてはもっとも格式が高い。まあそんなものは無いだろう。多分有馬、大村、大友が勝手に寺社を壊して其処に建てた、そんなところの筈だ。
「そのような物はございませぬ」
フロイスが渋々と言った感じで答えた。
「ではその方等が使っている土地はその方等の物と認める事は出来ぬ。不当に占拠しているという事だな」
坊主、神主達が喜びの声を上げた。あのなあ、喜ぶのは未だ早いぞ。
「その方等は如何か?」
坊主、神主達に声を掛けると顔を見合わせた。
「土地を返せと言っているようだがその土地がその方達の物であるという事を証明する文書は有るか?」
困惑している。どうやら無いようだ。
「ですが我等はずっと昔から……」
「止めよ、良憲。無ければずっと昔から不当に占拠していたという事だ。その方等の土地と認める事は出来ぬ」
「……」
あらら、悄気ちゃった。でもなあ、これは当たり前の事だろう。
「寺社側に土地の所有を認める文書が有り、伴天連側にそれが無い場合に限り土地の返還と賠償金の支払いを伴天連達に命じる。寺社側は石田佐吉にそれを提出せよ。佐吉はそれを確認後、伴天連達に土地を返還させよ。賠償金については現在ある建物の破却費の全額、新たな寺院の建設費の半分を負担する事とする」
佐吉が“はっ”と畏まった。
寺社側も伴天連側も不本意そうだ。寺社側はどちらかと言えば自分達に不利な採決だと思っているだろう。判物なんて無いか有っても紛失している可能性が高い。だが万一有ればとんでもない費用を伴天連側は負担する事になる。両者とも憂欝だろうな。
「なお、現時点で判物、あるいはそれに類する文書が無い者達は早急にそれの交付を石田佐吉に願い出る事を命じる。また、文書の有る者も改めて文書の交付を願い出るように。一年後、土地所有を認める文書の無い寺社、伴天連の建造物はこれを破却させる。これはその方達だけでなく九州全土に布告する。左様心得るように」
“はっ”と皆が畏まった。布告は三月一日にしよう。
「佐吉」
「はっ」
「その方は俺の代官として願い状を吟味し許し状を出す事。不適当と思われるものは理由を付けて差し戻す事を命じる」
「はっ」
佐吉が畏まった。顔が紅潮している。
「人が足るまい。こちらから何人か人を送るが九州で人を求めても良い。十分な体制を作れ」
「はっ」
大変な仕事だけど仕事大好き人間の佐吉なら大丈夫だろう。これで九州の寺社を管理出来る。後は四国、中国にも展開させる。畿内、北陸は厳しくやったが四国、中国は緩かったからな。再度引締めよう。
「以上で裁定は終わるが伴天連達に聞きたい事が有る」
伴天連達が身動ぎをした。厭な予感でもしたかな。坊主達は意地の悪そうな眼で伴天連達を見ている。
「長崎でポルトガルの商人達が日本人達を奴隷として買い海外へと運んでいると聞く。その方等も知っているな」
伴天連達の顔が強張った。
「私共はそれには無関係でございます」
フロイスの声が強張っている。拙い問題だと思っているのだ。“ふざけるな”と敢えて雑な言葉遣いをした。
「その方達は商人に大きな影響力を持っている。布教を認めなければ交易は出来ないと言っていた筈だ」
「それは……」
フロイスが絶句した。坊主、神官達がここぞとばかり“許せん!”とか“そうだ”とか言い出した。
「お前達にとって日本人とは信徒にするか、それでなければ奴隷として売買する存在なのか?」
「私達は本当に関係ありません! それにポルトガルでは王の命令により日本人の売買は禁止されております」
「真でございます、私達は関係ありません」
フロイス、オルガンティノが必死に無関係だと言募った。
「ポルトガルでは日本人の売買は禁止されているか、ならば商人達は国法に背いているという事になる。何故処罰されぬのか?」
「それは……」
「何故その方等はそれを見逃すのか? 何故犯罪者が日本に来るのを許すのか?」
「……」
坊主、神官達が“そうだ”、“そうだ”と伴天連達を非難した。
「ポルトガルの商人達が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連れ去っているがこれは許しがたい行為である。従ってその方等は全ての日本人奴隷を日本に連れ戻せ」
「……」
「安心しろ、布教を禁ずるとは言わぬ」
伴天連達がホッとした表情を見せ坊主、神官達が不満そうな表情を見せた。
「だが、その方等が奴隷の売買に密接に関与しているという事を日本全国に告示する」
「それは……」
「その方等は否定するかもしれぬ。だが南蛮の商人達が南蛮の国法に背いて日本人を奴隷として買い取り国外へ連れ去っているのは事実、そしてその方等がその商人達に極めて強い影響力を持っている事、奴隷売買を見逃しているのも事実だ。関係無いとは言わせぬ」
顔色が悪いな、フロイス、オルガンティノ。坊主達は大喜びだ。今後は切支丹は日本人を攫いに来たのだと言い出すだろう。
「この国で布教しながら奴隷売買を黙認するとは不届き至極。まして商人どもが法に背いているなら尚更である。改めて命じる、早急に全ての日本人奴隷を日本に連れ戻せ」
「……」
悄然としている伴天連達を見ながら“御苦労だった、気を付けて帰るが良い”と言って席を立った。
禎兆八年(1588年) 二月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 石田三成
裁定が終わると大殿から私室に呼ばれた。相談役の方々は同席なさるのだろうと思ったが誰も居なかった。二人だけだ。熱い玄米茶を啜りながらの会話になった。
「御苦労であったな、佐吉」
「畏れ入りまする」
大殿にお会いするのは久方ぶりだが少しも御変わりない。今年で四十歳、不惑を迎えられたが幾分御若く見える。やはり髭が薄い所為だろう。
「先程の裁定、如何思ったかな?」
「はっ、これを機に寺社を支配下に置こうと御考えかと拝察致しました」
大殿が頷かれた。
「朽木は急速に大きくなった。その所為で寺社への取り締まりが十分とは言えぬ」
「はっ」
「嘗ての叡山や本願寺の様な存在を許す事は出来ぬからな」
叡山や本願寺と言った時の大殿の口調は苦みを帯びていた。要するに自ら力を持ち政に関わろうとする者か。
「まあ坊主共は良い。あの連中は叡山、本願寺で武家の怖さを十分に知った。暫くは大人しくしている筈だ。問題は伴天連だな」
「今回の裁定で少しは大人しくなりましょうか?」
大殿が“難しかろう”と言いながら首を横に振った。
「あの者共の後ろにはイスパニア、ポルトガルが有る。両国とも大国だ。その力を利用して随分と自儘な事をしている。俺が咎めたくらいで大人しくはなるまい。十分な注意が必要だ」
「では奴隷達は?」
「簡単には戻らんだろうな」
大殿が一口茶を飲まれた。淡々としている。
「……宜しいのでございますか?」
大殿の命が無視されればその権威に傷が付くが……。大殿が微かに笑みを浮かべられた。
「佐吉、奴隷達が日本に連れ戻されるまで伴天連達からの願い状に対して許可を出す事は許さぬ。左様心得るように」
「はっ!」
「一年後、奴隷達が戻らぬ時は伴天連達の寺院は破却せよ」
「確と」
「その際、伴天連達が俺の命に背き奴隷達を戻さなかった事が破却の理由である事も皆に報せよ」
「はっ」
なるほど、非は伴天連に有るという形を取るか……。
「いっそ、布教を禁じられては如何でございますか?」
大殿が首を横に振られた。
「伴天連達の布教を禁止する事は容易い。だがそれでは信徒は減るまいな。多くの信徒は俺が切支丹の勢力を畏れたためにそのような事をするのだと思うだろう」
「……」
「特に坊主というのは口が上手いからな、人は直ぐ騙される。死ねば極楽浄土などと説いて門徒を戦に駆り立てた坊主が居たが死んだ事の無い人間が死後の世界を説く等馬鹿げておろう」
大殿が御笑いになった。
「だからな、あくまで非は伴天連に有るとせねばならん。信徒達に伴天連達の教えにはいかがわしい所が有ると思わせた時、信徒達は切支丹では無くなる。伴天連達もそうなれば少しは考えるだろう」
なるほど、信徒の数を減らす事で伴天連達に反省を促そうとの御考えか。
「そうなれば奴隷達を戻しましょうか?」
「如何かな、或いは武力を用いるかもしれん」
「……」
「俺はこれから関東に向かう。今回の関東遠征には九州の者達、そして毛利は動員せぬ。分かるな?」
「はっ」
万一の場合に備えての事か……。いや遠征そのものが隙を見せての誘いかもしれぬ。
「危ないのは肥前だろう。長崎が有るからな。九鬼、真田、立花、高橋、小山田、酒井、大久保、毛利には文を書いておく。事が起きた場合、その方は速やかに住民を避難させよ。そして伴天連達の身柄を拘束するのだ」
「承知しました」
やはり誘いか。
「豊後の磯野、町田、笠山は動かさぬ。あそこは大友が居るし信徒も多い。抑えとして置いておく」
「某もそれが良いと思いまする」
同意すると大殿が頷かれた。
「念のため、市兵衛と彦十郎の兵も増強しておく。二千ずつ増やそう」
「有難うございまする」
元から率いる兵も含めれば四千ずつ、計八千か。十分過ぎる程の兵力だ。しかし、南九州の者達の名が出なかったが……。
「今回は此処に来なかったようだがコエリョという男には気を付けろよ」
「はい、某も油断は出来ぬと思っております」
大殿が頷かれた。コエリョは長崎へ攻撃をと主張した。坊主でありながら戦を厭わぬ男だ。大殿が最も嫌う坊主だろう。
「場合によってはポルトガル、イスパニアと事を構える事になろう。国内の統一を急がねばならん。琉球が服属したからそちらへの手当ても要る。忙しい事だな、佐吉」
大殿が御笑いになった。軽やかな笑い声だ。負担には感じておられないのが分かった。そして南九州、あの地の者達は琉球への手当てか。今回は念のための備えだ。今回の誘い、伴天連達だけが狙いではないな。大殿はポルトガル、イスパニアと戦う事をお決め成されたのかもしれぬ。伊賀衆にフィリピンを探らせるのもそのためかもしれない……。
禎兆八年(1588年) 三月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
眼の前に一人の商人が居る。日本人じゃない、明人だ。日焼けして逞しい体付きをしている男だ。年の頃は五十代前半、俺より十五歳ほど年上だろう。名前は李旦。背を丸めて茶を啜っているがふてぶてしい感じの煮ても焼いても喰えないような印象が有る。まあ無理も無い、この男の素性を知れば皆が納得する筈だ。
李旦には倭寇だったという過去が有るのだ。戦国時代の倭寇は後期倭寇と呼ばれるのだが後期倭寇の特徴はその構成員の主体が中国人だった事で活動範囲は東アジアから東南アジアにまで及んでいたようだ。まあ明は海禁策をとっていたからな、海賊兼密貿易グループと言って良いだろう。どちらも立派な犯罪者だ。それにしても何で倭寇なんだろう。主体は中国人なんだから倭寇以外の名前を付ければ良いのに。
有名どころでは林道乾、王直、徐海というのが居るのだが李旦は王直の部下だ。王直というのは日本への鉄砲の伝来にも関わっていたという人物で倭寇らしく半海賊、半商人という様な活動をしていた。具体的には明では海賊として御尋ね者だったが日本では商人として遇されていたのだ。後年、明に投降し処断された。日本に居れば安泰だったのにな。
李旦は王直の死後、彼の築いた貿易ルートを受け継ぎそれを発展させた。今では朽木とも取引している。大湊に屋敷も構えている。抜け目のない男と言って良い。
「日本は寒いだろう?」
李旦が眼を細めて“はい”と答えた。流暢に日本語を話す。通訳抜きで話せるのは有り難い。
「明の様子は如何かな?」
「墓造りもそろそろ終わりますようで」
「ほう、何年かかった?」
「ざっと六年でございましょうか」
六年かけて墓造りか。まあ死んでからじゃ無理だな、生きている内に造るのも当然か。
「随分と銭を使ったようだが豪勢な物だな」
李旦は無表情に茶を飲んでいる。別に皮肉を言ったわけじゃないぞ。感心しただけだ。大体八百万~一千万両近い銀を使った筈だ。国家予算の二年分以上だ。流石は万暦帝、明は万暦に滅ぶと言われただけの事は有る。
「民は苦しんでおります」
ぽつんとした口調だった。ちょっと後悔した。豪勢な物だなんて馬鹿な事を言ったかもしれない。税の取り立ては厳しいのだろうな。
「家を捨て逃げ出す者も居りますようで」
「そうか」
家を捨て逃げ出す。最初は流民として漂うだけかもしれない。だが生きて行くには喰わなければならない。漂うだけでは生きていけないとなれば罪を犯してでも生きようとするだろう。海に近い者は海賊になり山に近い者は山賊になる。それ以外の者も追い剥ぎ、強盗など犯罪者として生きて行く事になる。
逃げ出す者が出るという事は税を払う人間が減少するという事でも有る。当然だが一人あたりの税負担は重くなる。逃げ出す者が多くなればなるほど税負担は重くなるだろう。その事が更に逃げ出す者を増加させる事になる。悪循環だな。そしてその悪循環の中から明を滅ぼす人間が出て来る……。




