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三郎右衛門の憂鬱




禎兆七年(1587年)    十一月上旬      筑前国那珂郡博多 博多代官所  石田三成




「宗氏と朝鮮の間で繋がりは有りませぬか?」

「無いようです。宗氏は筑後に移されましたからな、朝鮮側も接触しようが有りませぬ」

「商人が仲立ちする事は?」

市兵衛殿が窺う様に私を見た。


「大殿は宗氏に今後は朝鮮との交渉には関わらせぬと言ったそうです。その上での領地替え。此度は領地替えでしたが大殿を怒らせれば宗氏は滅ぼされましょう。それが分からぬとも思えませぬ」

市兵衛殿が頷いた。宗氏の動きは伊賀衆が押さえている。今の所領内統治に余念が無いようだ。特におかしな動きは無い。それに商人達も海を失った宗氏に関心を持つとも思えぬ。


「ところで切支丹の事、大殿には御報告されましたので?」

「先日報告書を送りました。この書状には何も書いて有りませんから届く前に書かれたのでしょう」

「大分酷かったようですな。あの連中、他の教えを邪宗と言って排斥するようです。長崎の彦十郎殿が一向宗の様だと言っております」

「……」


切支丹か、市兵衛殿の言う通りかなり他宗に対して攻撃的な宗教だ。一向宗に似ていると言える。他にも似ている所が有る。政に関わろうとする所だ。西肥前では有馬、大村に食い込んで神社仏閣を破壊した。豊後では大友に食い込んでやはり神社仏閣を破壊した。北部日向でも大友を使って同じ事をしている。畿内でそのような事が無いのは大殿が政に関わるのを許さぬからであろう。だが今では九州も朽木領の一部だ。西肥前、豊後の切支丹を大殿は如何されるのか……。


「彦十郎殿は三河の出ですからな、一向宗の恐ろしさは良く分かっております。切支丹は第二の一向宗になるのではないかと危惧しておりましたぞ」

「某も少々危惧しております。一向宗は顕如の意思で動きました。切支丹が同じ事をするなら如何なるのか? 伴天連達は南蛮人です。異国の者がこの国の者に大きな影響力を持つ。そのような事を許して良いのか……」

「それも有りますな」


市兵衛殿が大きく頷いた。宗氏は朝鮮の影響力を多分に受けていた。交易のため、生きる為であった。切支丹は大きく二つに分類される。交易を求める者と救いを求める者だ。要するに利と心だ、どちらも厄介では有る。そして九州の大名達の中にはキリシタンの影響を大きく受けた者が居た。


大村は一度長崎の統治権を伴天連達に託そうとしたらしい。理由は南蛮人との貿易による利を独占するためだ。だが龍造寺山城守がそれを阻んだと聞いている。山城守は伴天連達に不信感を抱いていたようだ。大村の伴天連達への傾倒は眼に余る物が有った。


寺社を破壊するだけでは無く先祖の墓も打ち壊したらしい。キリシタンへの改宗を強要し従わない領民を殺害する事も有ったと聞く。龍造寺山城守は従属する大村が自分よりも伴天連達の意向を重視するのではないかと不安を感じたのかもしれない。敵対する大友はキリシタンを庇護していた。キリシタンによる龍造寺包囲網……。


それだけでは無い。南蛮の商人達は日本人の女を奴隷として買い取り異国へ連れ去っている。特に島津による豊後侵攻時、多くの領民が乱取りにより連れ去られ南蛮人に売られたらしい。大殿が九州に攻め込んだ時も南蛮商人達が奴隷の買い付けのために集まったと聞く。だが大殿は領民を捕虜とはしなかったため彼らの目論見は外れた。だが現在でも小規模の売買が続いている。許せる事では無い。


「彼らは今焦っています」

「と言いますと?」

「これまでは有馬、大村、大友等の庇護を受けていましたがその庇護を失いました。その所為でこれまで迫害されてきた僧や神官、領民が彼らを非難し始めた。伴天連の教えは(よこしま)であると。大友、有馬、大村は切支丹であったが故に没落したと言っているのです」

市兵衛殿が唸り声を上げた。


「具体的には何を?」

「土地の返還です。彼らが有馬、大村、大友を使って奪った土地の返還、破壊した神社仏閣の再建費用を要求しています。最終的には彼らの排斥を望むでしょう」

「それは……」

絶句している。もしその要求を受け入れるとすれば再建費用は相当な物になるだろう。大殿への書状にはそれも記した。一体どのような判断をされるのか……。




禎兆七年(1587年)    十一月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




ホウッと雪乃が息を吐いた。憂欝そうな表情をしている。

「四郎右衛門が心配か」

「はい、もう琉球に着いたでしょうか?」

「予定では十一月の半ばには琉球に到着すると聞いている。未だ着いてはいないだろう」

“そうですね”と言うと雪乃はまた息を吐いた。大分重症だ。


四郎右衛門を伊勢まで送り帰りに那古屋城に寄って帰って来た。大きな城だ、城下も賑わっている。もう尾張は織田家の尾張じゃない、朽木家の尾張だ。その事をあの城と城下の賑わいが示している。尾張は東海道の要の場所だ。造るだけの価値は有った。


次郎右衛門の傍には傳役の朽木主殿、長左兵衛綱連、石田藤左衛門を置いて来た。そして木下藤吉郎、丹羽五郎左衛門、沼田上野之助、黒田官兵衛、藤堂与右衛門、長九郎左衛門、日置助五郎、長沼陣八郎、増田仁右衛門、建部与八郎、井口新左近、磯野藤二郎、町田小十郎、今福丹後守を連れ帰った。磯野藤二郎と町田小十郎は九州で所領を与えると伝えた。嬉しそうだったな。だが帰還した俺を待っていたのは鬱々としている雪乃だった。出発の時には明るく送り出したのに……。


「そう案ずるな。あれは気楽な性格だからな。半年後には真っ黒に日焼けして元気に帰ってくる。琉球の話を色々としてくれるだろう。皆が聞きたがるぞ」

「そうだと良いのですけれど……」

いかんな、雪乃の反応は良くない。まあ気持ちは分かる。この時代に琉球に行くなんて間違いなく大冒険だ。そこへ大事な息子を送った……。



「そう案じてばかりいては気鬱の病になってしまうぞ」

「分かっては居るのですが……」

「竹がまた懐妊した。文を送っては如何だ? 喜ぶぞ」

「そうですね」

駄目だ、雪乃は気もそぞろだ。“雪乃”と声をかけて傍に寄った。肩に手をかけて抱き寄せると素直に身を預けてきた。


「これからも琉球とは使者の遣り取りをするだろう。四郎右衛門は朽木家が最初に琉球に出した使者だ。後世にまでその名は伝わるだろうな」

「そのような事、考えた事も有りませんでした」

「心配ばかりしているからだ。心配するなとは言わぬ。だが四郎右衛門は自らの意思で琉球へと向かった。認めてやれ」

「……はい」

雪乃が泣き始めた。


済まんな、雪乃。俺にとって四郎右衛門は四人目の息子だ。だが雪乃にとっては最初の息子だった。もう少しその事を考えてやれば良かった。竹が懐妊しても素直に喜べない、なんて哀れな……。雪乃が泣き止むまでずっと背中を撫でた。俺に出来るのはそれくらいしかない。太政大臣、天下人なんていっても無力なものだ。


雪乃を慰めた後は部屋に戻って壺を磨いた。落ち込んだ時は壺磨きに限る。磨いている内に落ち込みから立ち直る筈だ。……九州の佐吉から文が来た。どうやら九州で宗教戦争が起こりそうらしい。これまで切支丹は大友、有馬、大村の大名を籠絡して神社仏閣を破壊してきた。彼らにとっては自分達の教え以外は邪宗だからな、当然の事で正しい事だった。後悔なんて欠片もしていないだろう。


だが足元がぐらついて来た。キリシタン大名が軒並みブッ潰れた事で立場が弱まっている。史実ではキリシタン大名は大友、有馬、大村以外にも居た。小西、高山、蒲生等だ。彼らは比較的豊臣政権の中枢近くに居たから影響力も有った。頼りに出来た筈だ。だがこの世界ではキリシタン大名は朽木政権内部には居ない。俺が宗教に対して一線を画しているからだ。家臣達も何かにのめり込む事を控えている。切支丹は孤立感を深めているだろう。


如何なるかな? 神主も坊主もかなり不満を抱いている。このままなら先ず間違いなく衝突するだろう。かなり激しい物になるかもしれない。佐吉には手出しするな、見守れと伝えてある。連中がぶつかった後で、或いは関東に行く前に調停者として登場する。そして騒動への処罰と改めて政治的な活動をする事は許さないと伝えよう。同時に他の宗教への敵対行為も許さないと伝える。そして大友、有馬、大村から与えられた土地の内、その宛行状の無い物は所有権が無いと裁定しよう。


多分納得しないだろう。反発するだろうし政治的な活動を止めないかもしれない。それでも良い、その時は軍を派遣して処罰する。教会の施設の破却が適当だろう。軍の派遣以前に坊主や神主側が切支丹を襲撃するようならそれも処罰する。あくまで朽木は中立であり公平な立場で裁く。その姿勢を貫く事だ。


連れ去った奴隷の返還もさせる。それが実行されない間は大々的に南蛮人が日本人を奴隷として買い取りヨーロッパに売っていると宣伝する。そうだな、瓦版の様な物を造って全国に配布させよう。キリシタンは激減するだろう。宣教師達も本気で対応しなければ拙いと考える筈だ。まあ何処まで実行されるかは分からない。だが日本で身勝手な真似は出来ないと理解はするだろう。


佐吉はキリシタンが外国の影響を受け易いのではないかと危惧していた。その通りだ。宣教師達はポルトガルやスペインによる侵略の先遣隊だった。それを忘れてはならない。そろそろ比叡山、日吉大社の再建を許そうか。天下統一も間近だ。天下統一、天下安寧を皆で祝うという名目で再建を許そう。来年の正月だ。


比叡山、日吉大社の再建を許せば九州の神主、坊主は俺が神仏に好意的になったと思う筈だ。強気になるだろう。そして切支丹は俺を頼りにする事は出来ないと思う筈だ。より攻撃的になるだろうな。騒動を起こせば天下安寧を乱した者として両方処罰出来る。大事なのは宗教勢力の横暴を許さない事、そして朽木の政は不偏不党という事だ。公務員なら当たり前の事だな。


九州の商人達は現状にかなり不満を持っているらしい。宗氏が内陸に移された事で色々と不自由なようだ。おまけに海が倭寇の活動で荒れている。商業活動に大きな影響が出ているというわけだ。俺が交渉に乗り出すと知れば商人達も安心するだろうし期待もする筈だ。その分だけこちらに協力的になってくれるだろう。


問題は朝鮮が何処までこちらに歩み寄って来るかだ。朝鮮の国王がどうも頼りない。権威主義者で気紛れな所が有るようだが現実を把握する能力に欠けているようだと交渉は難航するだろう。根競べになるかもしれない。倭寇の被害に我慢出来なくなるのをじっくり待つ。数年かけての交渉になるだろう。


上杉からは竹の懐妊の報告と共に佐渡攻めの事を文に書いて来た。竹も二人目か、大体半年後には生まれるだろう。上杉では男子を欲しがっているだろうな。だが無事に生まれてくれれば男女どちらでも良い。雪が積もる前に祝いの使者を送ろう。景勝には同田貫の太刀を送ろう。喜んでくれる筈だ。


佐渡攻めに上杉は同意した。上杉は親上杉派の羽茂対馬守高貞と交渉していたらしい。これまでの様な緩い友好関係では無く明確な従属だ。羽茂対馬守は渋っていたようだが朽木が佐渡に関心を示していると聞いて上杉への従属を決断したようだ。佐渡攻略後は羽茂対馬守は越後国内で領地を貰う事になる。佐渡の羽茂郡、加茂郡は上杉の直轄領という事だ。


佐渡攻めは来年の四月以降という事になるだろう。来年は三月までに周の婚儀、そして毛利の弓姫の輿入れを行う事になる。四月以降は越前、加賀、能登の兵力を使って佐渡攻めになる。大将は井口越前守だな。残りは関東に出兵だ。天下統一までもう少しだ。




禎兆七年(1587年)    十一月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木滋綱




駄目だ、上手く書けぬ。クシャクシャと紙を丸めると放り捨てた。部屋の中は書き損じた紙屑だらけになった。ウンザリして筆を置くとゴロリと横になった。天井の木目を追う。考えが纏まらない、何を書けばよいのか……。考えるのを止めてただ木目を追う。溜息が出た。


「三郎右衛門殿、入りますよ」

声が聞こえた。母上だ、“はい”と答え慌てて起き上がると母上が入って来た。紙屑を拾って下座に控えた。母上が上座に座った。

「文を書いていたのですか?」

「はい、今出川家の瑠璃姫に」

母上がクスクスと笑い始めた。


「大分苦戦しているようですね」

「はい、苦戦しております」

嘘をついても仕方が無い。俺は字が下手だ。許嫁(いいなずけ)の瑠璃姫が如何思うか……。瑠璃姫は極めて流麗な文字を書いて来た。憂鬱な事では有る。

「そなたは大殿に似て悪筆ですから」

母上は笑うのを止めない。もっとも嘲笑うという感じでは無い。心底面白がっている。


母上にとって父上に似ているという事は例え悪筆でも美徳の一つなのだろう。母上から字が下手だから直しなさいと言われた事は一度も無い。自慢出来る事では無いが俺は父上よりはましな字を書くと思う。しかし父上は“瓜の(つる)に茄子はならぬな”と言って笑う。不本意だ、俺の字は父上程には右肩上がりが酷くない。


「何か御用でございますか?」

用件を済ませて早めにお引き取り願おう。俺はどうも母上が苦手だ。

「用が無ければ来てはいけませぬか?」

「そのような事は有りません」

母上がまた笑った。いかぬな、遊ばれている。母上も父上同様に人が悪いところが有る。


「周の事です。弟の児玉六次郎殿が朽木家に仕える事になりました」

「決まったのでございますか?」

問い掛けると母上が“ええ”と言って頷かれた。毛利家に児玉六次郎を朽木家に譲って欲しいと交渉していたが決まったのか。まあ毛利家が断る事は無いと思っていたが……。


「周は朽木家の娘として九鬼家に嫁ぎます。周のためには児玉家の者が朽木家の中に居た方が良いだろうと大殿は御考えです。毛利家も朽木家の内部に毛利家に所縁(ゆかり)の有る者が居れば心強い。次郎右衛門殿が弓姫を娶りますが繋がりは多い方が良いと考えての事でしょう」

「はい」


繋がりか。それは朽木家も同じだろう。児玉家は毛利家では重臣の家だ。父上は毛利家との繋がりだけでなく児玉六次郎を召し抱える事で毛利家の家臣の中にも繋がりを持とうとしている。毛利家は九州再遠征で豊前国を得た。石高は八十万石程になるだろう。兵力は約二万五千を動かす事が可能だ。今は朽木家に従順だが将来は分からない。油断は出来ない、すべきではないと御考えなのだろう。


「周は来年早々に九鬼家に嫁ぎます。大殿は三郎右衛門殿に輿入れを宰領させようと御考えです」

「某にですか?」

驚いて問い返すと母上が頷かれた。


「同時期に弓姫が尾張に来ますからね、次郎右衛門殿に輿入れの宰領を頼む事は出来ませぬ」

「なるほど」

確かにそうだな。しかし俺が輿入れの宰領? 大丈夫かな?


「不安ですか?」

「正直に申せば不安です」

母上が楽しそうに笑い声を上げた。

「そなたは正直で宜しい。虚栄を張りませぬ」

多分父上に似ていると言うだろうなと思っていると“大殿もそうでした”と言った。


「安心しなさい。大殿もそなたに全てを任せるような事はしませぬ。傍で良く学ぶ事です」

「はい」

となると準備は父上がなさるという事か。俺の役割はその手伝いとこの城から志摩までの行列の宰領といったところかもしれない。千種三郎左衛門、黒田休夢に助けて貰う事になりそうだ。






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滋綱君は素直な子に育ちましたね。これもまた大殿に似ていると言われるのでしょうか。しかし、悪筆まで似るとはw 飛鳥井家から習字の先生呼んだら?www
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