対等という名の従属
申し訳ありません、更新が一日遅れました。
ちょっと暑さでバテまして思ったより時間がかかりました。
禎兆七年(1587年) 七月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「ようやく出て来てくれたな、弾正」
「はっ」
老人が畏まった。松永弾正久秀、史実では戦国の極悪人だがこの世界では弟の内藤備前守と共に河内三好家の忠臣で誠忠無比の名臣と評判が高い人物だ。今年で八十歳だと聞いた。頭は真っ白だがまだまだ矍鑠としている。
「何処まで御役に立てるかは分かりませぬが精一杯努めさせていただきまする」
「頼む、弾正の見識と経験を俺のために役立ててくれ」
「はっ。平井殿、黒野殿、これからは同役となり申す、良しなに願いたい」
弾正の言葉に舅殿と重蔵が“こちらこそ”、“良しなに願いまする”と答えている。曽衣は琉球の使節の担当の為此処には居ない。謁見は上首尾に終わった。使節は半分に分かれ堺と敦賀に行っている。宮内少輔はその手伝いだ。曽衣が一人では手が回らないと応援を求めてきた。まあ息子も預けたからな。神経を使うだろう。
「孫六郎殿は如何かな? 初陣を済ませて少しは変わったかな?」
弾正が顔を綻ばせた。大分孫六郎が可愛いらしい。
「相国様の戦振りに随分と感銘を受けておりました。ただ自ら戦う事が出来なかったのが残念だと」
「我が家の息子も似た様な事を言っていた、困ったものだ」
皆で笑った。
「年が明ければ関東へ出兵だと聞きましたが?」
「そのつもりだ。その時は孫六郎殿も戦う事が有るかもしれぬ」
弾正が頷いた。複雑そうな表情だ。武将である以上戦は避けられない、そうは思っても心配なのだろう。同感だ、戦なんて経験しない方が良い。そう思うんだが……。
「佐渡の問題も有るがな」
「佐渡?」
弾正が訝しげな表情をした。
「蝦夷地との交易の中継点として佐渡を得たいと思っている。だが佐渡は上杉の影響が強いのでな、今交渉しているところだ」
「なるほど」
弾正が頷いている。本当は金が狙いだが現状ではそれは口に出せん。
上杉との間では佐渡の三郡の内、羽茂郡、加茂郡を上杉が領し雑太郡を朽木が領するという形で交渉している。位置的に見て雑太郡が畿内よりだという事も有るが羽茂郡は上杉よりの勢力なのだ。そして雑太郡は反上杉だ。特に問題は無いと思う。上杉は今、羽茂郡羽茂城主である羽茂対馬守高貞にこれまでの様な友好勢力では無く上杉の家臣になる様にと交渉しているらしい。上手く行けば羽茂郡は殆ど犠牲無しで上杉領になるだろう。失敗すれば戦だ。朽木家への回答はそれが決まってからだな。
重蔵、舅殿が弾正と話している。それによれば孫六郎は九州から帰るなり百合にとっちめられたらしい。理由は文だった。出征前に百合は孫六郎に文を書いてくれと約束させたようだ。だが一度も文は来なかった。それで怒りが爆発したらしい。“何故文をくれないのか”、“自分が心配したとは思わないのか”……。
非は孫六郎に有るのは明らかだ。孫六郎は弾正と備前守に助けを求めた様だがナントカは犬も喰わないという格言も有る。二人はそそくさと逃げた様だ。正しい選択だろう、舅殿も重蔵も笑いながら頷いている。孫六郎も一つ賢くなっただろう。女を怒らせると厄介な事になるのだ。得難い教訓を得たと思う事だ。……尻に敷かれるかもしれんが慣れれば問題は無いさ。後で百合に亭主殿を大事にしろと文を書いておこう。
禎兆七年(1587年) 八月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 伊勢貞良
飛鳥井曽衣殿と共に大殿への目通りを願うと大殿の自室へと案内された。部屋には大殿の他に相談役の黒野重蔵殿、平井加賀守殿、松永弾正殿、評定衆の林佐渡守殿、殖産奉行宮川又兵衛殿、公事奉行守山弥兵衛殿、御倉奉行荒川平九郎殿が居た。
「曽衣と兵庫頭が揃って来たと聞いたのでな、事は朝廷か琉球の使者の事であろう。俺一人で聞くよりも重臣も入れた方が良いだろうと判断した。それで、何が有った?」
曽衣殿が“はっ”と畏まった。
「琉球の使者が琉球と日本で正式に国交を結びたいと申しておりまする」
“なんと”、“真に?”と声が上がった。皆驚いている。そうだろう、自分も聞いた時には何処かで信じられない思いが有った。
「国交というのは如何いう形だ?」
「同盟を結びたいと」
大殿が“ふむ”と鼻を鳴らした。
「それは琉球が他国に攻められた時は日本が琉球に加勢し日本が他国に攻められた時は琉球が日本に加勢する。対等の関係での同盟、そういう事か?」
曽衣殿が“いえ、そうではありませぬ”と首を横に振った。
「琉球を日本に守って欲しいと申しております」
「つまり事実上の従属、だが外見は対等という形にしたい。そういう事か?」
「はっ」
皆が不満そうな表情だ。虫が良過ぎる、そう思っているのだろう。
「身勝手と御思いかもしれませぬ。しかし琉球には明に従属しているという事情がございます。琉球としては日本に従属しているという事実を明に知られたくないと考えているようで」
「なるほどな、当てにはならんが明を怒らせたくはないか」
「はい、そのように申しておりまする」
大殿が頷かれている。
「気持ちは分かる。だがそれでは日本が一方的に負担を負う事になる。外見は対等、内実は従属というなら何を以って従属の実と為すのだ?」
皆が曽衣殿に視線を向けた。
「人質を出すと申しておりまする。但し、表向きは見聞を広める為となります」
皆が顔を見合わせた。大殿も眉を寄せている。一国の王が人質を出す、驚いているのだろう。
「それは真の話かな、曽衣殿。使節が勝手に言っているという事は無いか」
弾正殿の問い掛けに曽衣殿が首を横に振った。
「使節団の主だった者五名、某と宮内少輔殿で話しました。使節は親書も持参しておりまする」
「条件が合えば親書を出すという事か?」
「はっ」
曽衣殿が畏まった。皆が驚いている。正直最初に聞いた時は私も驚いた。琉球がそこまで踏み込んでくるとは思わなかった……。
「随分と急だが理由は何だ?」
「昨年の謁見と九州遠征でございます」
「……」
「大殿は使節を手厚くもてなす一方で九州遠征を行い武威を示されました。昨年参った琉球の使者達はその武威を見ております。九州の次は琉球ではないか、これは大殿が琉球攻めを言い出す前に従属せよとの謎かけではないかと恐れたようにございます」
大殿が一瞬唖然とされ“脅かし過ぎたか”と苦笑を漏らされた。
「しかしそれなら近江に来た時にその話をしても良かったのではないかな? 些か解せぬが」
公事奉行の守山弥兵衛殿が首を傾げている。
「それについては某からお答えしよう。琉球の使者達は大殿が帝を廃し自らが帝になるのではないかと疑ったのでござる」
私が答えるとざわめきが起こった。“馬鹿な”、“何を考えている”と声が上がる。大殿も顔を顰められている。
「もしそうならこの国が混乱する恐れがある。軽々に同盟は結べぬと思った。使節団は謁見の後、その点について何度か某に確認をしてきた。そして漸く疑念を晴らした……」
「それで同盟をと申し出て来たか」
「はっ」
大殿が息を吐いた。
「悪くないな。予想外の事では有るが悪くない」
大殿の言葉に皆が頷いた。
「曽衣、その方と宮内少輔が話をした五名、槙島城に呼べ。俺が直に話す」
「はっ」
「槙島城では大評定という形を取る。相談役、評定衆、奉行衆、軍略方、兵糧方も俺に同行せよ」
皆が顔を見合わせた。
「こちらに呼んでは如何でございますか?」
殖産奉行、宮川又兵衛殿の言葉に大殿が首を横に振った。
「太閤殿下、関白殿下とも話さなければならん。場合によっては帝に拝謁を願う事も有るだろう。一度で済めばよいが二度、三度という事も有り得る。槙島城が良い。準備に掛かれ」
「はっ」
大殿が決を下すと皆が畏まった。
禎兆七年(1587年) 八月中旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 朽木基綱
「なんと、真か?」
「些か予想外では有りますが真にございます」
俺と太閤殿下の言葉に幾つか溜息が聞こえた。近衛前久邸の一室には八人の男が集まっている。太閤近衛前久、関白九条兼孝、左大臣一条内基、右大臣二条昭実、内大臣近衛前基、准大臣飛鳥井雅春、権大納言西園寺実益、そして俺太政大臣朽木基綱。錚々たる顔ぶれだ。その男達が溜息を吐いている。
「少々脅し過ぎたようでおじゃるの」
「九州攻めに大軍を用いた事も有りますが馬揃えにも大分驚いたようにございます。尚武の気風が有る、侮るべからずと」
太閤殿下が“ほほほほほほ”と声を上げて笑った。上機嫌だ。そんな太閤殿下を皆が呆れた様な表情で見ている。内大臣が“父上、それくらいで”と窘めた。
「ほほほほほほ、良いではおじゃらぬか。琉球が内々にとはいえ従属を求めてきたのじゃ、しかも人質まで出す。目出度い限りでおじゃろう」
今度は皆が笑みを浮かべた。まあ、目出度い限りでは有る。
「して、麿らを此処へ呼んだわけは?」
関白殿下が問い掛けてきた。良いねえ、その冷静さ、好きだわ。
「使節は琉球王の親書を持参しておりました。宛名は日本国大相国殿、某です」
皆が顔を見合わせた。ピンと来ないらしい。
「やはり帝宛てには出せぬようです」
今度は太閤殿下と内府が頷いた。渋い表情だ。だが他は訝しげな表情のままだ。それを見て太閤殿下が内府に皆に説明するようにと命じた。
内府が口を開き説明を始めると皆が徐々に渋い表情になった。終わった時には先程まで有った浮かれた雰囲気は綺麗さっぱり消えていた。憂欝になるよな。
「親書を返す事は出来ぬかな? 帝に宛てて出し直せ、形式を整えよと」
伯父の発言に何人かが頷いた。誰だってそう思うよな。それが筋だ。だが世の中は建前だけでは動かないという現実が有る。
「伯父上、それをやれば琉球は混乱しましょうな。おそらくは従属の話も消える筈です」
「……」
皆不満そうな顔をしている。
「使節と話をしたのですが琉球には二つの意見が有るようです。一つは明との関係を維持すべきという意見、もう一つは日本との関係を新たに築くべきだという意見」
皆が顔を見合わせている。
「それは分かるが相国、日本に従属すべきだという意見が勝ったのではないのか?」
訝しげに左府が問い掛けてきたから首を横に振った。
「そう簡単な話ではないようです。少し長くなりますがお聞きください」
皆が頷いた。
「琉球は元々明に服属しておりました。明との交易の為です。そして南方の国々とも交易する事で繁栄してきた。明への服属は交易という利の為と言えます」
また皆が頷いた。
「近年南蛮船が現れた事で南方の産物を南蛮船が運ぶ様になりました。琉球は利を南蛮船に奪われるようになった。そんな時に現れたのが朽木です。朽木との交易によって南方の産物と蝦夷地の産物を交換出来るようになった。新たな利が生まれたのです。朽木は日本統一も間近、武力も有るとなれば無視は出来ませぬ」
三度皆が頷いた。此処までは良いんだ、問題はこの後だ。
「琉球は交易で成り立つ国です。明との利も日本との利も失う事は出来ませぬ。明への従属を維持すべきだという者も日本との関係を断つべきだとは考えておりませぬ。なんとか現状を維持したままで行きたいと考えている。日本との関係を新たに築くべきだと主張する者も明との関係を断てとは言わない。しかし日本が勢力を強めてきた事、明が不安定な状況に有る事で現状を維持するのは無理だ、危険だと主張したわけです。明との関係を維持すべきだと主張する者もそれを受け入れた。いや受け入れざるを得なかった。そして琉球は内々に服属すると申し入れてきた……」
溜息が幾つか聞こえた。
「つまり利を守るために両方と手を繋ぎたいというわけか、些か虫が良過ぎるの」
太閤殿下の比喩に笑い声が起きた。
「明は皇帝が暗愚な所為で些かおかしくなっております。しかし皇帝が代われば元に戻る事は十分に有り得ましょう。そういう意味でも明を怒らせるような事はしたくない。そう考えているようです」
琉球は自らが明の冊封体制から外れた証拠になる様な物は出したくもないし受け取りたくも無いのだ。史実では万暦帝は無駄に長生きした。だがこの世界でも長生きするとは限らない。早死にすれば明の屋台骨は傾かずに済むのだ。現時点で琉球が明を重視するのは間違ってはいない。
「つまり明に服属している以上、立場は朝鮮と同じか」
「そういう事になります」
「国書を帝宛てには出せぬし帝からの国書も受け取れぬ」
「はい。だから大相国なのです。わざわざ大の字を付けて敬意を払っているのだと主張している。某に上手く取り計らってくれという事でしょう」
シンとした。太閤殿下と俺の遣り取りを聞いて皆が俯いている。容易ならぬ状況だと理解したのだろう。
「某は朝鮮との国交も結び直したいと思っています。おそらく朝鮮でも同じ問題は起こるでしょう。そして朝鮮の方が琉球よりも明に近い。明への配慮は琉球よりも大きい筈です」
“うーん”という唸り声が幾つか上がった。
「如何すれば良いのか……」
困り果てたように呟いたのは右大臣二条昭実だ。兄の関白殿下が顔を顰めた。頼りにならないとでも思ったのかもしれない。
「無礼を咎め武力を使うという手段もございます」
皆が咎める様な視線で俺を見た。
「琉球、朝鮮を攻めると?」
「琉球は攻め獲れましょう。朝鮮は難しいかと思います。しかし琉球を攻め獲れば警告にはなるかもしれませぬ。余り無碍にすると朝鮮も琉球のようになると」
琉球もその辺りは分かっている。だから従属したいと言ってきたのだろう。琉球は明が何処まで自分達を守るか疑問を持っているのだ。明への従属は経済活動のためだ。安全保障での効果は薄いと判断している。実際島津からも随分と圧力を受けた。
「相国の言う所は分かる。だが天下統一を前にして琉球と事を構えるのは如何でおじゃろう」
関白殿下が感心しないという口調で反対した。何人かが頷く。まあ俺も天下統一を優先するべきだとは思う。そういう意味では琉球は上手いタイミングで従属を申し入れてきたと言える。
「帝、院にお伝えしては如何?」
周囲を窺う様に発言したのは西園寺権大納言だった。こいつは帝、院に近いからな。
「そうじゃのう、我等からお伝えしなければなるまい」
太閤殿下が同意すると皆が頷いた。流石は宮中の重鎮、貫禄だな。
「相国は如何するかな?」
左府が暗に一緒に参内するかと訊ねてきた。
「某が参内しましては皆が何事か起きたかと騒ぎましょう。この問題は未だ公にすべきとは思いませぬ。帝、院にも内々にお伝えすべきかと思いまする」
“ほほほほほほ”と太閤殿下が笑い声を上げた。
「もう少し日頃から参内しては如何じゃ。帝も院も相国に会いたがっておじゃるぞ」
「宮中はどうも肩が凝りまして」
「困った男でおじゃるのう」
“ほほほほほほ”と太閤殿下が笑うと皆が笑った。良いんだよ、武家がデカイ顔をして宮中をのし歩いたら公家が不愉快に思うだろう。会いたいと思われるくらいで丁度良いんだ。




