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日本国王




禎兆七年(1587年)    七月上旬      山城国久世郡 槇島村  槇島城  朽木滋綱




「兄上、凄い御城ですねえ。周りを池に囲まれています」

万千代が眼を輝かせている。

「そうだな」

確かに櫓台から見える風景は凄い。この城は池の中に浮いている。つまり池が天然の堀になっている。簡単には落とせない。


この城には元々の守備兵二千と父上が率いて来た三千の兵が居る。合わせて五千だ。父上の率いて来た三千の兵の内五百は鉄砲隊だ。城にも鉄砲は有るだろう、二百丁とすれば七百丁の有る事になる。周囲には遮る物は無い、身を隠す事が出来ないとなれば鉄砲は威力を発揮するだろう。寄せ手は攻めあぐねるに違いない。


「此処なら籠城している間に近江から援軍が来る。父上に対して謀反を起こそうとしても無駄だ」

万千代が“ふーん”と言っている。自分なら如何攻める? 短時間に攻め潰さなければならない。となると損害を無視して遮二無二力攻めか……。兵は最低でも三万は必要だろう。それでも落ちるだろうか……。


「兄上、この城に居るのでしょうか?」

万千代が声を潜めて訊ねてきた。

「何がだ」

「豊千代の母なる女性(にょしょう)です。公家の娘、かなり身分の高い家の女性だという噂ですが……」

万千代は興味津々だが俺は興味無い。

「さあ、知らぬな」


今三万の兵で父上の不意を突ける者が居るだろうか? 居ないな。北陸の鯰江一族も精々七千が限度だ。七千ではこの城は落ちない。後は大筒だな。大筒で城を破壊する。だがそうなれば父上は打って出るだろう。七千対五千か、やはり無理だ。謀反は成功しない。


「兄上は気になりませんか?」

「気にならぬな」

「私は気になります。父上が隠されている女性です。如何いう素性の方なのか……」

豊千代か、父上よりも母上の方が夢中だな。豊千代も母上に(なつ)いている。本当の親子の様だ。豊千代も父上に似たな。母上が豊千代を可愛がるのもその所為かもしれない。


「三郎右衛門様、万千代様」

背後から声がした。振り返ると松浦源三郎が居た。

「用か?」

「はっ、大殿がお呼びでございます。奥座敷へお急ぎ下さい」

「分かった」

父上の元に行くとそこには伊勢兵庫頭、黒野重蔵と二人の男が居た。未だ若い、身体つきも逞しい男達だ。だが武士ではない様だ。俺と万千代が部屋に入ると二人が脇に控えた。


「来たか。三郎右衛門、万千代、その二人はな、小山左馬助国勝とその弟の上野介信賀だ。肥後国菊池郡の者でな、刀鍛冶を生業(なりわい)としている」

「肥後国菊池郡稗方村同田貫(どうだぬき)の住人、小山左馬助国勝にございまする」

「上野介信賀にございまする」

二人が名乗った。なるほど、父上の手元には太刀が一振り有る。


「この二人、兵庫頭を訪ねてきた。理由は一つ、近江で太刀を造りたいそうだ。朽木の刀は有名だからな、学びたいと言っている。偶々俺が京に居たのでな、兵庫頭が此処に連れてきた」

「……」

「学びたいと言っているが本心は違うだろう。自分達の鍛える太刀が朽木の太刀に劣る事は無いと思っている筈だ」

二人が“あ、いや”、“そのような事は”と言っている。父上が声を上げて御笑いになられた。


「しかしな、太刀を造るために京にまで来るとは物好きな事よ」

太刀を手に取られた。

「重い、他の太刀に比べてズンと重ねが厚い所為だろう。非力な者には扱い辛い太刀だ。先程抜いてみたが見てくれも良くない。見て楽しめる太刀ではないな。だが間違いなく戦場では役に立つ。敵を斬るのではない、叩き斬る太刀だ。久々に面白い太刀を見た」

父上が二人に視線を向けた。二人が緊張している。


「近江に参れ、俺の為に太刀を鍛えよ」

「はっ、有り難き幸せ」

「他の者が如何思うかは分からんが俺はこの太刀の武骨さが気に入った。これからも戦場で役に立つ太刀を造れ。もうじき戦は無くなるが戦に備えるのが武士だ。この太刀はそのための太刀になるだろう」

「その御言葉、確と胸に刻みまする」

二人が畏まった。


「源三郎、二人に部屋を用意せよ」

「はっ、直ちに」

「左馬助、上野介。俺は後二、三日は此処にいる。京見物でもして楽しむのだな」

「はっ」

二人が頭を下げ源三郎に従って部屋を出て行った。




禎兆七年(1587年)    七月上旬      山城国久世郡 槇島村  槇島城  朽木基綱




いやあ、同田貫だわ。時代劇ではもっとも人を斬っている太刀の一つだろう。ベストスリーに入るだろうな。最初は九州の刀鍛冶と言われたから分からなかったが同田貫の住人と言われて分かった。九州からわざわざ出て来るとは意外だったがそういうちょっと異様な部分が無いと職人っていうのは大成しないのかもしれない。しかし国勝と信賀と言ったな。正国じゃないんだ。ちょっと残念だ。


「見てみるか?」

声をかけると三郎右衛門と万千代が“はい”と答えた。もっとも三郎右衛門は平静な声だが万千代は弾んでいる。兄弟でも随分と違うものだ。三郎右衛門が近寄り太刀を受け取った。訝しげな表情をしている。重いのだろう。後ろに下がると懐紙を口に挟み静かに太刀を抜いた。ちょっとぎこちないな。三郎右衛門の脇で万千代が興味深そうに見ている。


二人で息を凝らしてみている。感動や驚きは感じられない。美しい刀ではないのだ。やがて太刀を鞘に収めると俺に返そうとしたから重蔵と兵庫頭に渡す様にと命じた。重蔵が三郎右衛門から受け取って太刀を抜いた。流石に所作がスムーズだ。太刀をじっと見ている。視線が厳しい。やがて鞘に納めると兵庫頭に渡そうとしたが兵庫頭は首を横に振った。既に見ているのかもしれない。重蔵が太刀を俺に差し出した。受け取る、やはり重い。


「如何思った、三郎右衛門、万千代」

「重いと感じました」

「良く分かりません」

重いと言ったのは三郎右衛門、分からないと言ったのは万千代だ。まあそんな物だろうな。


「重蔵は如何だ、兵庫頭は如何見た」

「この太刀を持った者とは戦いたくありませぬ」

「やはりそうか」

「はい、下手な受け方をすると太刀を折られかねませぬ」

そうだな、それが同田貫だ。流石重蔵だな。三郎右衛門と万千代が感心している。


「兵庫頭は如何思うか?」

兵庫頭が“はっ”と畏まった。

「扱いが難しゅうございます。膂力(りょりょく)が無ければ己の足を傷つけましょう」

「そうだな。重いだけに太刀を振り回すというより太刀に振り回されるだろう。非力な者には扱えぬ太刀だ」

重蔵、兵庫頭が頷いた。倅共はまた感心した様な表情だ。ちょっと物足りんが歳を考えればそんなものかもしれない。


太刀は重いのだ。時代劇では軽々と振り回すが簡単な事じゃない。振り回す力はもちろん必要だが大事なのは止める力だ。それが無いと兵庫頭が言ったように自分の足を傷つける事になる。特に同田貫は重い、それだけに勢いが付き易い、そういう意味でも扱いは難しい太刀だろう。


戦国時代は厚みの有る太刀が必要とされた。日常的に戦で鎧を着けた武者を斬る必要が有ったからだ。だが江戸時代に入ると厚みの無い軽い太刀が喜ばれるようになる。太平の世になり刀が人を斬る道具ではなく装飾品になったからだ。これからは同田貫は徐々に避けられるようになるだろう。だからこそ大事にする必要が有る。(すた)れさせてはならない。


「さて、その方等を呼んだのは太刀を見せる為ではない。もう直ぐ琉球の使節が京に来る。帝に謁見した後は国内を見物したがる筈だ。言っておくが遊びではないぞ、彼らは日本という国を知りたがっているのだ。日本との関係を如何すべきかを決める為にな」

三郎右衛門、万千代が“はい”と言って頷いた。


「その方等もそれに同道せよ。彼らが何を知りたがるか、何故それを知りたがるかを確認するのだ。そうすれば外から日本が如何見えるかが少しは分かる筈だ。使節は十一月には琉球に帰る。十月まで彼らに同行せよ。曽衣が使節団をもてなす。その方等の事は曽衣に話しておく。京での滞在はこの城を使うと良い」

「はい」

「下がって良いぞ」

二人が“はい”と返事をして下がった。さて、もう一つ仕事をしなければならん。


「弥三郎」

声を上げると“これに”と返事が有って城井弥三郎朝房が姿を現した。中々逞しい身体つきをしている。

西笑承兌(さいしょうじょうたい)景轍玄蘇(けいてつげんそ)を呼べ」

「はっ」

畏まるとさっと動いた。動きも機敏だ。武者働きは期待出来そうだ。


ややあって二人の坊主が姿を現した。西笑承兌という四十代の坊主と景轍玄蘇という五十代の坊主だ。二人とも臨済宗の坊主だが臨済宗というのは幾つかの派が有る。同じ派には属していないらしい。二人とも居心地が悪そうだ。特に景轍玄蘇は。まあ仕方が無い、この坊主は犯罪者なのだ。現代なら檻の中だろう。


「良く来てくれたな」

出来るだけ優しく声をかけると二人が“はっ”と畏まった。重蔵、兵庫頭、ニヤニヤするな。二人が怯えるだろう。

「今日来て貰ったのは二人に俺の仕事を手伝って貰いたいからだ」

二人が顔を見合わせた。

「仕事でございますか」

西笑承兌が訝しげな声を出した。坊主に厳しい俺が仕事を頼む? そんな響きが有る。


「二人の学識と経験を俺の仕事に役立てたいと考えている。ただ働きはさせぬぞ、禄を与える。二千石だ。但し、臨済宗の坊主として召し抱えるのではない。そこは間違えないで貰いたい。つまり臨済宗の発展の為に俺を、朽木家を利用する事は許さぬという事だ」

「……」


「例え断ってもその方等や臨済宗に意趣返しをする事は無いから心配しなくて良い。如何かな?」

「……御話の趣は分かりますが、その仕事と申されますのは……」

今度は景轍玄蘇だった。意外としわがれた声だな。坊主って経を読むからもっと声は通るのかと思ったが……。


「朝鮮との交易、国交だ」

景轍玄蘇の顔が強張った。実はこの男、対馬の宗氏と拘わりの有る男で宗氏の為に朝鮮外交に関わっていたという経歴を持つ。つまり偽使、偽書の関与者なのだ。現代なら公文書偽造、身分詐称とかで捕まっている筈だ。宗氏を内陸に移した事でお役御免になった筈だが他の連中に使われるのも面白くない。という事で京に呼び出した。他人に利用されるのが嫌なら俺が利用するしかない。


もう一人の西笑承兌だがこいつは史実では秀吉のブレーンとして活躍している。秀吉の朝鮮出兵において明が秀吉に寄越した国書を読み上げた人物だ。小西行長が内容を誤魔化す様にと頼んだらしいが国書の内容を正確に伝えた事で秀吉が激怒、講和交渉はぶっ飛んだ。適当に言っておけば良いものをと前の世界では思ったが今の俺は正直な男が欲しい。何と言ってももう一人の坊主は犯罪者なのだ。融通が利かないくらいで丁度良い。


「これまでは牙符の制度が有った。足利氏が創った制度だ。だが足利氏は滅び牙符の制度を管理する者は居なくなった。宗氏が運用していたがそれも取り上げた。つまり日本という国と朝鮮という国の間では交渉が出来なくなったわけだ。それに伴う交易もな」

二人の坊主が頷いた。牙符というのは国の使節である事を証明する物だ。それが無い以上国交は成り立たない。それに付随する交易もだ。残るのは民間による交易だけだ。


「もっとも俺は朝鮮との交易が不要だとは思っていない。国を豊かにするには交易は大事だ。国交もな」

重蔵と兵庫頭が可笑しそうな表情をしている。俺の事を交易大好き人間と思っているのだろう。その通りだ、俺は交易が大好きだ。八門だって商売が大好きだろう。


「俺の手で朝鮮と日本との国交を樹立したい。それを手伝って欲しいのだ。如何かな?」

二人の坊主が顔を見合わせた。

「畏れながらお訊ね致します。日本国王の称号は使いますので?」

景轍玄蘇が訊ねてきた。こちらを窺う様な表情をしている。

「使わぬ。俺は明の家臣ではない」

また二人が顔を見合わせた。


「難しゅうございますぞ。朝鮮は儒教を重んじます。朝鮮から見れば日本は夷でしかございませぬ。明が認めた日本国王なら交渉相手と認められましょうがそれを使わぬとなると……」

「左様、景轍玄蘇殿の申される通りにございます。幸い相国様は源氏の出、源の姓を使えましょう。源氏の本家である足利家が途絶え傍流の朽木家が……」

「無礼者!」

怒鳴ったのは重蔵だった。“傍流とは如何いう事か!”と詰め寄っている。二人の坊主はアワアワしている。可笑しくなって声を上げて笑ってしまった。


「そう怒るな、重蔵」

「ですが」

「まあ同じ源氏でも俺は宇多源氏だ、清和源氏ではない。しかし血は繋がっているのだから傍流と言えなくもなかろう」

「……」

重蔵は不満そうだ。兵庫頭は可笑しそうにしている。普段冷静な重蔵が興奮しているのが可笑しいのだろう。


「さて、話を戻そう。日本国王の称号は使わぬ。足利が世を混乱させたのでそれを滅ぼし世を安定させた。それが俺の、朽木家の立場だ」

二人が厳しい表情をしている。交渉は難しいと考えているのだろう。

「朝鮮の立場から見れば俺は謀反人だろうな。足利が世を混乱させたというのも己を正当化する言い訳と見るに違いない。儒教を重んじる朝鮮にとっては一番忌諱したい相手だ」

二人が頷いた。朝鮮だけじゃない、明も俺を忌諱するだろう。


「しかしだ、一国の実力者を無視するのが得にならぬ事も分かっているだろう」

二人が曖昧に頷いた。実は俺も自信は無い。

「倭寇により海が荒れる前に俺を認め新たな制度を創った方が得だ。その辺りから攻めて行くしかないと考えている」

また二人が曖昧に頷いた。


「如何かな? 手伝ってくれるか? 簡単な仕事ではない、時が掛かる事も分かっている。だがやらねばならん事でも有る。如何だ?」

「お手伝い致しまする」

直ぐ答えたのは西笑承兌だった。景轍玄蘇はむっつりとしている。

「協力は無理か? 景轍玄蘇」

俺の問いに景轍玄蘇が首を横に振った。


「いえ、愚僧もお手伝い致しまする。但し、条件がございまする」

「申してみよ」

「柳川権之助調信、柚谷半九郎康広の両名も加えて頂とうございまする」

「なるほど……」

柳川と柚谷か。二人とも宗氏の家臣で龍造寺に接触した経歴を持つ。煮ても焼いても喰えない男達だろう。


「それは宗家も加えろという事か?」

“いえ”と言ってまた景轍玄蘇が首を横に振った。

「両名とも宗家から追放されておりまする」

転封の責任を取らされたか……。俺としては宗氏を朝鮮に関わらせないために行ったのだが宗氏としては二人が勝手な事をしたから領地替えになったと判断したわけだ。いや、そういう事にする事で責任を押し付けたか……。


「良いだろう、今二人は何処に居る」

「博多にございまする」

「俺が使者を出す。その方、二人に文を書け」

「はっ」

「俺に仕えるなら四千石出す。あくまで協力するだけなら二千石だ」

「はっ」

朝鮮半島情勢に詳しい人間だ。召し抱える価値は有る。それにしても博多か。朝鮮との交渉に絡んできそうだな、注意しなければならん……。





7/10発売予定の第三巻が早いところでは発売されました。

もう三巻目ですが書店に並んでいるのを見るのは嬉しいです。

御手に取っていただけたらと思います。


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