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庶子




禎兆七年(1587年)    六月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  雪乃




宴が終わり万千代に部屋に来るようにと伝えると少しの間が有って万千代がやってきました。幾分バツが悪そうな顔をしています。

「何故呼ばれたのか、分かりますね?」

万千代が“はい”と答えました。


「万千代、先程の振る舞いは何です。宴の間、ずっと不満そうな顔をしていましたね」

「……」

「大殿が九州からお戻りになって皆でそれを祝う席なのですよ。何故大殿のお戻りを喜べぬのです」

万千代は納得していないようです。眼を逸らして私を見ようとはしません。


「母を見なさい!」

渋々といった感じで私を見ました。

「初陣の事が不満ですか? そなたは未だ幼いのです。仕方ないでしょう」

「私はもう十三歳です。父上は十三歳の時には元服も済まされ戦場にも出ています。幼くは有りませぬ」


「大殿はそうせねばならぬ理由が有ったのです。そなたには有りませぬ」

敢えて冷たく言いました。万千代が顔を歪めています。

「母上は私が半人前でも良いのですか? 皆の蔑みを買っても」

「半人前では困ります。でも初陣を経験すれば一人前になれるというものでもないでしょう。宴の席で大殿が仰られた事を忘れましたか?」

「……」

唇を噛み締めている所を見ると分からないのではないのでしょう。ですが納得出来ずにはいるようです。


「何が不満です」

「……私は大事にされているのでしょうか?」

「……何を言っているのです?」

「兄上達は初陣を済ませています」

「歳が上なのです。当たり前の事でしょう」

万千代は俯いています。顔を上げました、躊躇っている?


「……御屋形様は征夷大将軍です。次郎右衛門兄上は那古野城の城主、三郎右衛門兄上は六角の名跡を継ぎます。でも私には何も有りません。兄上方は御台所様の御子です。私は……」

「万千代!」

思わずいざり寄って頬を叩いていました。パシッと乾いた音が部屋に響きます。何という事を……。


「母上……」

万千代が唖然として私を見ています。私も驚きました。でも万千代が口にした事は許せる事では有りません。

「なんという情けない事を……。そなたは大殿に粗雑に扱われていると言うのですか?」

「……」

答えが有りません、俯いています。愧じているのでしょうか?


「そなたを産んだ時、私は本当に嬉しかった。竹、鶴と女の子が続いた後ですからね。そなたに夢中だったと思います。そんな時に大殿に言われました。初めての男の子故思い入れが有ろうが入れ込み過ぎるな。万千代にとってはそなたの思い入れが重荷になる。伸びやかに育てよと」

「父上が……」

万千代は驚いています。親の心子知らずとは良く言ったもの……。溜息が出そうです。


「大殿は幼くして家を継がれました。色々と御苦労されたのだと思います。嫌な事、御辛い事も有ったのでしょう。子供達にはそのような想いはさせたくないと伺った事が有ります。だから元服も初陣も急がないのです。そなたを疎んじての事では有りませぬ。分かりましたか?」

「はい」

小さな声です、本当に分かってくれたのなら良いのですが……。




禎兆七年(1587年)    六月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  朽木基綱




宴が終わって部屋に戻ると少しして雪乃がやってきた。万千代を連れている。やれやれだ。

「大殿、申し訳ありませぬ」

「万千代の初陣の事か?」

「はい、さぞかし御不快になられたのではないかと」

「申し訳ありませぬ、父上」

万千代が面目なさそうな顔をしている。大分雪乃に絞られたらしい。思わず苦笑いが漏れた。


「もう慣れた。我が家の息子達は十二、三になると初陣だと騒ぎ出す。麻疹の様な物だな」

「……」

あれ、面白くなかったか。二人とも困った様な表情だ。

「昔の事を思いだした。俺の初陣の事だ。五郎衛門は俺が戦場に出る事に反対した。元服もしていないのだ、未だ早いと思ったのだろうな。全くその通りだ。父親になって子供達が初陣をと願う様になって初めて五郎衛門の気持ちが分かった。俺の事が余程に心配だったのだろう、或いは可愛かったのかな?」

雪乃が“五郎衛門様が”と呟いた。面には出さなかったがあのゲジゲジ眉毛の武骨者は俺の事が可愛かったのだろう。


「ですが父上は戦場に出て御勝ちなされました」

声が弾んでいる。やはり戦場に出たいと思っているのだな。俺の所為なのもしれない……。

「出る必要が有ったのだ、万千代。朽木の兵は鉄砲隊が主力だった。父がそのようにした。今でこそ戦場で鉄砲が有るのは当たり前だがあの当時は鉄砲をどう使うか、皆迷っていた。役に立たぬと考えている者も居ただろう。だからな、鉄砲が戦でどの程度役に立つか、自分の眼で確かめる必要が有ったのだ」

役に立つのは分かっていた。正確に言えば役に立つのを自分の眼で確認したのだ。


「戦場に出れば分かるが戦とは惨い物だぞ。大勢の人間が敵味方に分かれて殺し合うのだからな。戦など無い方が良いのだ」

「そうですよ、無い方が良いのです」

雪乃が同意した。万千代は曖昧な表情で頷いている。そうだな、女達は皆俺が戦場に出るのを口には出さないが嫌がっている。“御武運を”と祈ってくれるが本当は“御無事で”と願っているのだろう。


「関東を平定すれば奥州も服属するだろう。そうなれば乱世が終わり戦が無くなる。武では無く文で天下を治める時代が来る」

「文、でございますか?」

万千代が首を傾げている。

「そうだ、文とは法によって治めるという事だ。皆に法を知らしめ守らせる。それによって平和な世を造りだす」


「朽木仮名目録でございますか?」

「足りぬな。あれは朽木家の法だ。これから必要とされるのは天下を治める法だ。それを創らねばならぬ」

「……」

「戦の事ばかり考えずにその事を考えて見よ。大樹や次郎右衛門、三郎右衛門と話すのも良い。或いは評定衆と話すのも良い。勉強になる筈だ」

「はい!」

戦が無くなる、だから初陣をと焦る。だが戦以外にも大事な事が有るのだと理解させよう。新しい目的を与えれば良い。


 話が終わったのなら戻れと言うと雪乃は万千代を下がらせ自分は残った。はて、未だ話が有るらしい。

「如何した?」

「先程、万千代と話をした時の事ですが……」

言い辛そうにしている。雪乃にしては珍しい事だ。


「自分は大事にされているだろうかと申しました」

「大事にされているか?」

「はい、大樹公、次郎右衛門様、三郎右衛門様に比べて大事にされているだろうかと。次郎右衛門様は那古野城の城主、三郎右衛門様は六角家の名跡」

「なるほど、側室の子という事で下に見られているというのだな?」

雪乃が“はい”と頷いた。


「私から注意しましたし大殿の御話を伺ってそのような事は無いと万千代は理解したと思います。ですが万千代の下の御子達は……」

なるほど、そういう事か。雪乃は万千代は大丈夫と言うが如何かな? この後、何かの拍子にそういう疑念が蘇る事は有るだろう。


「雪乃」

「はい」

「大樹は嫡男だ。これを大事にするのは当然の事、他の子等と同列には扱えぬ」

「はい」

「次郎右衛門は那古野城の城主だが同時に大樹の配下の将として動いている。下総、安房攻めではそれなりに功も挙げたらしい。大樹にとってはもっとも信頼出来る弟だろう。俺としても其処には配慮せざるを得ぬ」

「はい」

大樹は下総から上総、安房を占領した。今では常陸に攻め込んでいる。


「三郎右衛門は六角家の名跡を継いだ。である以上近江には置けぬ。幸い今回の遠征であれが愚かではない事は分かった。九州に置こうと思っている。あそこは遠いからな、今少し傍に置いて鍛えるつもりだ。そうなれば俺が小夜の子らを贔屓していると他の子等は思うかもしれぬ」

敢えて万千代の名は言わなかった。雪乃は分かっただろう。表情が暗い。


「琉球に送るか」

「琉球でございますか?」

雪乃が吃驚している。

「今琉球の使者がこの城に来ている。去年までとは違い三十人もの使節団だ。こちらからも答礼の使者を出さねばなるまい。その中に万千代も入れるのだ」

雪乃が“まあ”と声を上げた。


「外に出した方が万千代の視野が広がるのではないかな。琉球から日ノ本を見た場合、如何見えるのか? 得難い経験になると思うのだ。万千代も自分が差別されている等とは思うまい」

「左様でございますね」

雪乃はちょっと浮かない顔だ。


「如何した、浮かぬ顔だな。不満か?」

“そうではございませぬ”と言いながら雪乃が首を横に振った。

「有り難い御話だと思いますが琉球へ出せば半年は会えませぬ」

「そうだな、それに慣れない土地だ。場合によっては病にかかる事も有る。命を失う事も有るだろう。止めるか?」

雪乃が俯いている。何時も屈託なく明るい雪乃が母親として苦しんでいる。可哀想だった。傍によって肩に手を掛けた。雪乃が驚いたように俺を見た。


「無理はせずとも良いぞ。俺も思い付きで言ったのだ。他にも良い案が有るかもしれぬ」

「……万千代に話してみたいと思いまする。あの子が如何思うか……」

「うん、それが良いだろう。なに、焦って決める事は無い。使者達が琉球に帰るのは十一月だ。九月頃までに決めればよい」

“はい”と言って雪乃が笑みを浮かべた。無理をするな、そんな笑みは雪乃には似合わぬ。痛々しい感じがするぞ。


雪乃が下がると思わず息を吐いた。子供の数だけ悩み事が生じるか。全くその通りだ。皆小さいからな、万千代の下が菊千代だから今年で十一歳か。殆どの子供が十歳になっていないんだからな、頭が痛いわ。これからは戦は無くなる。それを前提に子供達を育てて行かないと……。考えるのを止めよう、他にも考えなければならない問題が有る。


使節団の為の宿泊所を造らねばならん。分かっていたんだがな、ついつい後回しになった。まあ朝堂院も完成したんだ、造るのに問題は無い。元々平安京にはそういう施設が有ったらしい。名前は鴻臚館(こうろかん)、渤海からの使者を迎賓していたようだ。渤海が滅び鎌倉時代の頃に焼失したらしい。面白い事は鴻臚館は九州の大宰府と難波にも有ったらしい。海外の使者を受け入れる湊に造ったという事だろう。こっちも再建しよう。ついでに大湊にも造ろう。敦賀は要検討だな。太閤と関白に相談しなければならん。


那古屋の城が完成したからそっちにも行かなければ……。それと佐渡攻めを上杉と詰めなければならん。忙しいわ。




禎兆七年(1587年)    六月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  朽木滋綱




「兄上、九州での事をお話し下さい」

直ぐ下の弟、万千代がせがんできた。

「戦の事を知りたいなら無駄だぞ、俺は戦っておらん」

「それでも戦場に居たのでしょう?」

「城には兵が居なかったから直ぐ降伏した。龍造寺太郎四郎も城を囲んだら直ぐに降伏した」

「龍造寺山城守が攻めてきた時は?」

「あの時は俺は本陣に居た。夜襲だったからな、敵兵の姿も見ておらん。ワーワー言っている声を聞いただけだ」

万千代が“はあ”と息を吐いた。


それでも分かった事が有る。父上は凄い。百戦錬磨とは父上の為にある言葉だろう。あの闇の中、父上は使番の報告だけで指示を出していた。多布施川から龍造寺勢が攻めてきた時には本当に吃驚した。孫六郎殿も驚いていた。あの戦いは龍造寺山城守が知恵を絞って父上に挑んだ戦いだったのだ。謀略を仕掛け夜襲で父上の不意を突こうとした。


だが父上は小揺るぎもしなかった。一つ一つ龍造寺山城守の狙いを見抜き潰していった。そして圧倒した。あそこに居たのは八幡城に居る穏やかな父上では無かった。天下を統一しようとする冷酷で猛々しい戦国武将だった。……言わない方が良いだろうな、そんな事は。言えば万千代は益々戦に行きたがるに違いない。


「三好孫六郎殿は十三歳で初陣を飾りました。それなのに私は……」

万千代が溜息を吐いた。

「孫六郎殿は三好家の当主だ。それに松永弾正殿、内藤備前守殿が早めに初陣をと父上に願い出ていたらしい。御二人とも御高齢だからな。父上も無視は出来んのだろう」

また万千代が溜息を吐いた。


九州再征によって大村、有馬、龍造寺は滅び大友は僅か二万石にまで領地を減らされた。もう九州で騒乱が起きる事は無いだろう。大村、有馬、大友の処分に対して南蛮の宣教師、ルイス・フロイス、グネッキ・ソルディ・オルガンティノの二人が寛大な処分をと願ったが父上は許さなかった。

“フロイス、政に口を出すなら処分する。それを忘れたか?”

そう言った時の父上は本当に厳しい御顔をしていた。南蛮の宣教師達は何も言えずに引き下がった。


対馬の宗氏も処分を受けた。家臣の一部が龍造寺に通じた事を咎められた。宗彦三郎はその者達は龍造寺が対馬に攻め込まないように工作していたのだと抗弁したがそれならば何故朽木家に報せなかったのかと問われ答えられなかった。もっとも処分はちょっと変わったものだった。対馬は取り上げられ筑後で三万石を与えられた。処分を言い渡された宗彦三郎も困惑していた。


父上は当初宗氏には海沿いの領地を与えようと御考えだったようだ。だが宗氏にはいかなる意味でも交易には関わらせないと考えをお変えになったらしい。対馬は朽木家の直轄領にし奉行所と水軍を置くと言っておられた。今後は朽木家が朝鮮との交易を管理する事になる。


「兄上、今度私は琉球に行く事になるかもしれませぬ」

「琉球に?」

問い返すと万千代が“はい”と頷いた。表情が暗い。

「戦の事ばかり考えず見聞を広めよという事のようです」

「琉球か」

また万千代が“はい”と頷いた。琉球に行くとなると十一月頃か、戻りは五月から六月、関東への出兵の後だな。なるほど、不本意なわけだ。


「面白そうだな」

「面白い、ですか?」

万千代が眼を瞬いた。万千代は父上に似た。つまり俺とも似ている。母親は違うのだが間違いなく兄弟だと感じる。次郎右衛門兄上は母上に似たのだろうが美男だ。俺や万千代とは似ていない。


御屋形様よりも俺や万千代の方が父上に似ただろうな。母上も時々父上の若い頃にそっくりだと言って俺の顔をしげしげと見る事が有る。母上は父上にぞっこんだからな、困ったものだ。万千代の話では雪乃殿も同じ様な事をしているらしい。時々頬を突いて喜ぶのだとか。万千代も困っている。


「父上は琉球を服属させようとしている」

「はい」

「今回の九州再征で対馬を朽木の直轄領にした。狙いは朝鮮との交渉、交易を管理しようとしての事だ」

「なるほど」

「いずれは明との事も考えておいでだろう。どんな風になるのか、面白いとは思わないか?」

万千代が“うーん”と唸った。


「兄上は良く御存知なのですね」

「……まあな」

父上と半年ばかり一緒に居た。そのおかげで十分に御話出来た。楽しかったが万千代には言えぬな。言えばまた戦に行きたいと騒ぎ出すだろう。困ったものだ……。








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― 新着の感想 ―
朽木家の男の子、初陣に行きたい病w
正室の子と側室の子、差別はなくても区別はあるんじゃ...
[一言] 駄原城の留守の火縄はさすがになかったか
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