焦り
禎兆六年(1586年) 十二月上旬 筑後国御原郡下高橋村 下高橋城 朽木基綱
「義兄上、あっという間でした」
「他愛無い、あんな簡単に降伏するとは」
婿の三好孫六郎、倅の三郎右衛門が落城した下高橋城を見ながら詰まらなさそうに話している。それを皆が笑みを浮かべて見ている。
孫六郎が十三歳、三郎右衛門が十六歳、二人は歳が近い。その所為で直ぐに仲良くなった。普段無口な三郎右衛門が孫六郎とは良く話す。孫六郎の妻、百合は三郎右衛門の同母妹だからな。そういう所も関係しているかもしれない。しかし敵を侮るのは感心しないな。
気持ちは分かる。十一月中旬までに筑前を制圧した。そして筑後国に入ると下高橋城、三原城、赤司城、高良山城を落とした。ゆっくり攻めるつもりだったんだけど簡単に落ちた。何と言っても籠城する兵が居ない。それに下高橋城、三原城は元々は高橋紹運の城だった。
紹運が攻城の指揮を執ったんだが弱点も分かっているから直ぐに降伏してきた。降伏した兵から確認したのだが龍造寺の隠居は兵を須古城に集中させているらしい。大友領からも兵を退き戻したという報告が主税から上がっている。多分、機を窺っているのだと思う。
「兵が少ないのだ。抵抗するのは無意味と判断して降伏するのはおかしな話ではない」
「……」
二人とも納得した様な顔ではない。
「孫六郎殿、三郎右衛門、本来なら城にはもっと多くの兵が居る筈であった。その兵が居ない。何処に行った? 逃げたのかな?」
二人が顔を見合わせた。
「肥前の山城守の所です」
「某もそう思います」
「その通りだ。兵は須古城に居る。つまり龍造寺の隠居は筑後の城を守るつもりは無いのだ。いわば捨てた城だ、落としたと言うより拾ったと言うのが正しい。手古摺るようではむしろ不安だな」
二人が頷いている。
「おそらくは俺の動きを見定めつつ明智十兵衛の動きを見ている。そして動く。肥前の熊と呼ばれた男が俺の首を目指してやってくるのだ。怖いぞ」
「ですが兵力ではこちらが上です」
三郎右衛門の言葉に孫六郎が頷いた。
朽木軍五万。その内毛利軍が一万五千。三好軍が二千。残り三万三千が朽木本隊だ。主だったところで田沢又兵衛、息子の小十郎、小山田左兵衛尉、立花道雪親子、高橋紹運、鯰江満介、北畠次郎、後藤壱岐守、小倉左近将監、秋葉九兵衛、千住嘉兵衛、葛西千四郎、町田小十郎、酒井左衛門尉、大久保新十郎等が兵を率いている。
そして俺の周りは笠山敬三郎、笠山敬四郎、多賀新之助、鈴村八郎衛門、秋葉市兵衛が固める。他に軍略方は真田源五郎、日置助五郎、宮川重三郎、兵糧方は石田佐吉、細川与一郎、北条新九郎だ。まあいずれも俺とは縁の深い男達だ。兵力は少ないが不安は無い。
「兵力が多くても適切に使えねば負ける。朽木も三好も毛利も元は小さかった。大きくなれたのは兵を上手に使って自分よりも大きい者を、兵を適切に使えぬ者を喰ったからだ。古くからの名門、守護大名が殆ど残っておらぬのは喰われたからよ」
「……」
織田もそうだった。信長は桶狭間で今川義元を討ち取った。誰もが予想しなかっただろう。
「龍造寺の隠居を侮ってはならぬ。元は小さい国人領主であったが四万以上の大軍を動かすだけの身代になったのだ。龍造寺の隠居は自分よりも大きい者を喰える男なのだ。油断は出来ぬ」
二人が神妙な表情で頷いた。少しは慢心を戒めてくれれば良いのだが……。
「この後は如何なされますか?」
重蔵が問い掛けてきた。
「篠原城へ向かう。その後は城島城、榎津城を目指す」
「徐々にですが須古城に近付く事になりますぞ」
不安そうな声じゃなかった。皆の顔も落ち着いている。注意喚起、そんなところか。
「そうだな、だが筑紫次郎が有る。簡単には越えられまい。もしかすると隠居は俺が筑紫次郎を渡るのを待っているのかもしれない」
俺の言葉に皆が頷いた。筑紫次郎というのは筑後川の事だ。この時代、筑後川とは呼ばれていない。筑紫次郎、或いは千歳川、一夜川と呼ばれている。多分、江戸時代になってから筑後川と呼ばれるようになったのだろう。
「こちらが後退出来ない場所で戦うという事ですか」
源五郎が顔を顰めている。
「如何なされます? 龍造寺山城守の思惑に乗るのは上手い手ではないと思いますが」
また重蔵が問い掛けてきた。
「同感だ。榎津城の後は柳川城、鷹尾城に向かう。隠居から離れるわけだ。隠居が如何出るかだな」
追って来るか、それとも待つか。追って来るなら、筑後川を渡るなら後退して肥前から引き離す。問題は追ってこない場合だな。
禎兆七年(1587年) 一月中旬 筑後国三池郡江浦村 江浦城 朽木基綱
大友宗麟が死んだ。昨年の暮れの事だそうだ。長い籠城戦で心身ともに疲れ果てていたのだろう。殆ど寝たきりになっていたらしい。誰も宗麟の死に気付かなかった。気付いたら息が無かった。老衰と疲労が死因だと思う。終油の秘蹟は無しか。罪の許しも祝福も無し。あれだけキリスト教に帰依していたのに報われないな。
「宗麟殿が亡くなられたか」
「大友は益々混乱するな」
「龍造寺が兵を退いたのだ。本来なら国を纏める機会だったのだがな」
皆が宗麟の死を、その影響を口にしている。それに加わらず沈痛な表情をしているのは立花道雪親子、高橋紹運だ。ずっと忠誠を尽くしてきたのだ、言葉には出来ない物が有るのだろう。
だが大友が混乱するのは事実だ。大友宗麟の名はそれなりに重みが有った。国人衆も無視は出来なかった筈だ。だがその重みが失われた。息子の五郎義統は成人し三十歳に近いが評価は低い。宗麟がこれまで大友家の実権を握り続けたのも権力欲からでは無く五郎義統が頼り無いからだろう。第一線に立たざるを得なかったのだ。
「大友の事は主税に任せておけば良かろう。それよりこれから如何するかだ。こちらの方が問題だ」
俺の言葉に皆が口を閉じた。はっきり言って困っている。筑後川沿いに篠原城、城島城、榎津城を落とした。須古城に近付いたんだが龍造寺の隠居は動かない。更に南下して柳川城、鷹尾城、浜田城、津留城、堀切城、中島城を落とした。
そして目の前の江浦城を毛利が落とした。少しは仕事をさせてくれと言って来たんで任せた。破竹の勢いと言いたいんだがどの城も守備兵が居ない城だ。それに浜田城、津留城、堀切城、中島城、江浦城は鷹尾城の支城だ。あまり堅固な城じゃないし大きな城でもない、自慢にはならない。
龍造寺の隠居は動かない。その所為で内応を誓っている連中も動けない状況にある。筑後川を渡るべきかな? 龍造寺の隠居が朽木の大軍を前に竦んでいるとは思えない。俺が近付くのを待っているのだろう。川を渡り隠居を引き摺りだす。そうすれば戦局は動く筈だ。十兵衛も攻め込めば内応を誓っている人間も動き易くなるだろう。しかしな、龍造寺の隠居がそれを待っていると分かっていて渡るのは如何だろう? 余り良い手とは思えない。皆が押し黙っているのもその所為だろう。
「やはり川を渡るべきだと思うか?」
思い切って言ってみた。皆が顔を見合わせた。
「軍議を開くべきかと思いまする」
答えたのは小山田左兵衛尉だった。この場には毛利が居ない。如何いう決断をするにしろ毛利も入れて決めろという事か。いや、もしかすると危険だが川を渡るべきだと思っているのかもしれない。だから軍議を開く……。頷いている人間が何人か居る。
「そうだな、左兵衛尉の言う通りだ。軍議を開く。皆を集めろ」
小半刻程で皆が揃った。三郎右衛門、三好孫六郎も居る。二人とも眼を輝かせている。何となくだが気が重かった。
「これからの事を話したい。軍を如何動かすべきだと思うか? 筑後平定を続けるか、肥前に攻め込むか。筑後平定を続けるなら須古城からは離れる事になるが……」
少しの間無言だった。皆が視線を交わしている。
「某は肥前に攻め込むべきだと思いまする」
意見を出したのは小倉左近将監だった。
「これまでの事を考えれば筑後に龍造寺の兵は殆どおりませぬ。肥前に攻め込んでも筑後で問題が発生する事は有りますまい。ただ兵力面において多少の不安が有りまする。早急に日向、大隅、薩摩、南肥後、四国の兵と合流するべきかと思いまする。その上で明智殿と呼吸を合わせて肥前に攻め込めば怖れる事は有りませぬ」
何人かが頷く。要するに筑後川沿いの城は攻略した。内陸の兵は無視しても良い。肥前に攻め込んでも後ろから襲われる危険性は無いと言っている。日向、大隅、薩摩、南肥後、四国の兵は北肥後を平定中だ。合流するのに時間はかからない。
「某は筑後平定を優先させるべきかと思いまする。龍造寺にとってはそれこそが嫌な事でございましょう。焦る事はございませぬ。それといずれは川を渡らねばなりませぬがやはり兵力に不安が有りまする。こちらは早急に兵を集めるべきかと思いまする」
小山田左兵衛尉だ。これも道理だな、何人か頷いている人間が居る。
焦ったかな? 焦ったかもしれない。或いは龍造寺の隠居に動きが無い事で不安になったか……。有り得るな、隠居を待ち受ける筈なのに逆に待ち受けられている。いや、不安というより不本意なのかもしれない。何で上手く行かないんだろう。
「十兵衛の軍を動かすというのは如何か?」
「それに合わせて川を渡ると言うのであれば某は反対致しまする。先ずは南九州、四国の兵と合流するべきでございましょう」
田沢又兵衛が俺の問いに答えた。皆が頷く。そうだな、十兵衛の軍を動かしても隠居は俺の首を求めて来る。やはり焦ったか。
「左近将監殿、左兵衛尉殿、又兵衛殿の申される事は真に道理かと思いまする。薩摩、大隅、日向、南肥後、四国の者達の兵を早急に合わせるべきでございましょう。その間に筑後の平定を進めるのでございます。龍造寺は間違いなく大殿が川を越えるのを待っておりましょう、油断は出来ませぬ」
これは宮内少輔だ。なるほど、筑後平定を優先する事で隠居を焦らせつつ同時に兵を集めるか。
皆が隠居は川を越える事は無いと判断している。こちらから川を越えなければならないという事だ。川を背後にして隠居を迎え撃つ形になるだろう。現状では兵力に不安が有るという事だ。或いは兵を集める事で隠居を焦らせる、無理やり引き摺りだす事を考えているのかもしれない。
幾つか意見の遣り取りが有ったが徐々に宮内少輔の意見に纏まった。毛利の三人も宮内少輔の意見を支持した。背水の陣になるからな。無茶はするべきじゃないという事だ。
「分かった。筑後平定を優先しよう。それと同時に兵を集める。川を越えるのはその後だ。その時は期日を決めて十兵衛の軍も動かす。如何か?」
皆が頷いた。となると次に攻めるのは松延城、福島城、猫尾城か。かなり内に入るな。隠居は如何思う事か……。
禎兆七年(1587年) 二月上旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 伊勢貞良
「今年も良い正月で有った」
「はっ」
「いつもの事ではあるが色々と雑作をかける」
「何程の事でも有りませぬ。むしろ行き届かぬ所が無かったか、御不自由をお掛けしなかったかと思っておりまする」
答えると太閤近衛前久が顔を綻ばせた。
「左様な事は無い。今年は琉球の使者との謁見の話、馬揃えの話で一頻り盛り上がった。院も帝も御慶びであった」
「畏れ入りまする。主もそれを聞けば喜びましょう」
「相国には感謝しておる。昔は正月の行事もまともに行えなかったからの。それを思えばまるで夢の様じゃ」
「……」
太閤殿下が感慨深そうに呟く。
応仁・文明の乱以降、幕府の権力、将軍の権威は失墜した。将軍が京を追われる事も珍しくなかった。当然だが幕府は朝廷を庇護する事が出来なくなった。禁裏御料である小野庄、山国庄を横領した宇津右近大夫を討伐する事も出来なかったのだ。幕府自体が有力大名の庇護が無ければ存続する事も難しくなっていた。庇護者が居ない、朝廷の困窮は酷い物だった。
「公家達もの、大分の朽木の天下に慣れてきたようじゃ」
「……」
「まあ酷い事にはなるまいと皆思っていたがの、安堵したようじゃ。宴の席でもそういう話が出た」
「左様でございますか」
太閤殿下が“うむ”と頷かれた。
「相国は武家や坊主には厳しいからの。もしかすると、と怖れたのよ」
「……」
「だが公家には余り厳しくはないの。麿も昔驚いた事が有る」
「と申されますと?」
「先代の二条さんと義昭の所為で麿は京を追われての、近江に逃げた。あの時の事よ」
屈辱で有った筈だが殿下は懐かしげにしている。
「京に戻ってからの事だが二条さんの事を許してやってくれと頼まれての。まあ相国に頼まれては嫌とは言えぬ。了承したのじゃがけじめは着けねばなるまい。如何着けるかと思っていたら相国が二条さんに麿に謝れと言っての、二条さんが麿に頭を下げて終わりよ」
“ほほほほほほ”と殿下が御笑いになった。
「麿も驚いたが二条さんも驚いておったの。京を逃げねばなるまいと思っておったようじゃ。不思議そうな顔をしていた。その様が可笑しくての、怒りなど吹き飛んでしまったわ」
「……」
「まあその所為かの、二条さんも義昭から離れた。麿も関白や右大臣と隔意無く話が出来る。五摂家の間にぎすぎすした物は無い」
確かに、今宮中に大きな対立は無い。もし、厳しい処罰を二条様に下していれば二条様は義昭様との連携を強めたであろう。その確執は子である関白殿下にも引き継がれた筈、宮中には対立が残った……。
「足利は弱かったからの。敵と味方を峻別した。その分だけ敵になった者に対しては厳しく当たった。敵を潰さねば安心出来なかった、そういう事なのであろう。例えそれが武力の無い公家であっても、いや武力の無い公家であればこそ厳しく当たったのかもしれぬな」
「……」
「だが相国は強い。だからかの、存外に緩い所が有る」
「敵には厳しいかと思いまするが?」
問い掛けると殿下が顔を綻ばせた。
「潰すべき敵に対してはの。相国は公家を敵とは見ておらぬのでおじゃろう。武力が無いからの、朝廷と共に庇護すべき存在と見ているのやもしれぬな」
「なるほど」
そうかもしれない。大殿は御自身を武家であり朝廷を守る者と仰られている。その朝廷には公家も含まれるのであろう。
「九州の状況は如何なのかな?」
「はっ、筑後、北肥後を平定しこれから肥前に攻め込むと報せが有りました」
「ほう、ではいよいよか」
「はい」
敵の本拠地に攻め込む。味方は十五万以上、敵は五万、兵糧にも不安は無い。負ける事は無いだろう。




