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大陸出兵




禎兆六年(1586年)    十一月上旬      周防国吉敷郡上宇野令村 高嶺城  小早川隆景




「先鋒は我等毛利に」

右馬頭が願い出た。だが相国様は首を左右に振った。

「毛利家が先鋒を願い出てくれた事は嬉しく思う。だが先ずは我らが戦う。他家に戦わせて兵力を温存した等と言われては敵わぬからな」

「なれど」

右馬頭が言い募ると相国様がまた首を横に振った。


「此度の戦、無茶はせぬ。軍はゆっくりと動かす。隠居が俺と戦おうとすれば本拠地からかなり離れて戦う事になる。その間に十兵衛が動く。隠居が俺との決戦を望んでも家臣達は十兵衛の事を無視は出来まい。不安に思って撤退を進言するだろう。心を一つにして戦うのは無理だな」

皆が頷いた。明智を見ている者も居る。


「隠居が出てくれば俺は戦わぬ。備えを固くして隠居の軍が自ら崩れるのを待つ」

「……」

「余り気遣いは為されるな、右馬頭殿。毛利家の働きには十分に満足しているし感謝もしている。今回は倅と三好の婿も連れてきている。少しは戦を学ばさなくてはな」

相国様は笑みを浮かべ右馬頭が困った様な表情をしている。助け船を出さねばなるまい。


「御信頼、有難うございまする。しかし相国様、龍造寺山城守、出て来ましょうか?」

ちょっと皮肉っぽい問いだったかもしれない。右馬頭が表情を強張らせている。だが相国様は不機嫌そうな表情を見せなかった。


「分からぬ。だが出て来なければ俺は筑後を攻略し肥前へ攻め込む。そうなれば十兵衛も動く。前後から攻められ押し詰められるだけだ。それでは俺に勝てぬ。龍造寺の隠居は兵を挙げれば俺が来ると分かっていた筈だ。俺と戦う覚悟が無ければ兵は起こせぬ、そうだろう?」

皆が頷いた。


「十兵衛が動かぬ前に俺と決戦して勝つ。それが最善だと見定めるだろう。第一、兵を挙げてからは俺との間に交渉は無い。龍造寺の隠居は俺を敵と見定めているのだ。勝つためには俺の首が必要なのは分かっている筈だ、そうではないか?」

皆が頷いた。


「俺が肥前に入ってから隠居が動くという可能性もある。近付かせて飛び掛かるわけだ。そこは注意が要るな。だがその時には十兵衛も肥前に攻め込んでいるのだ。七万の大軍がだ。そうなった時、動けるのか? かなり難しいが十兵衛を一叩きしてから俺に向かうという手も有る。そこは十分な注意が必要だとは思う」

相国様が明智に視線を向ける。明智が“心致しまする”と答えると相国様が“頼むぞ”と言って頷かれた。


「隠居は乱世の男だ。俺と戦いたがっている。そして勝って大きくなりたがっている。そう思っている。まあ出たくても出られぬ。そうなる可能性もある。だが出来る事なら出てきて欲しいものよ」

相国様が笑うと座に笑い声が上がった。


「ところで琉球の使者を同道なされているようですが……」

恵瓊が問い掛けると相国様が頷かれた。

「この後は海路薩摩へ行き琉球へと戻る。こちらの武威は十分に見せた。使者達の心は大分こちらに寄って来たな。後は琉球に戻ってからだろう」

毛利側は顔を見合わせた。朽木の家臣達は満足そうにしている。


「では琉球は服属すると?」

服属すれば次は朝鮮との交易を如何するかになる。そう思ったのだが相国様は首を横に振った。

「そう簡単には行かないと考えている。琉球王にも面子が有る。簡単に服属は出来んだろうな」

「……」

なるほど、面子か……。とすれば厄介な。理性では無く感情面で納得出来るかという事になりかねん。


「だが明は明らかに危うい。琉球でもそう考える人間が増えている。南蛮人が勢力を伸ばしつつある今、万一の時に明が琉球を助けるか如何か……。その事は琉球王も不安に思っている筈だ。そうでなければ二年連続で使者が来る事は無い。迷うだろうな」

今度は皆が顔を見合った。


「来年は如何でございますか?」

「来るぞ、駿河守殿。日本という国を知りたがっているのだ。前回、今回と三人ずつだったが来年は増えるかもしれん」

「と申されますと?」

兄が問い掛けると相国様が顔を綻ばせた。


「今回は朝廷で謁見も有った。琉球の使者達はかなり恐縮していた。きちんと使節という形を取るべきだったと言っていたな」

何人かが唸り声を上げた。朝堂院の再建が役に立っているという事か。笑みはそれ故か。しかし琉球王は使節を送るだろうか? 送るとなれば一歩こちらに近付いた、そう見て良いのかもしれない。


「大殿は明が滅ぶと御考えでございますか?」

明智十兵衛が問うと相国様は眉を顰めた。

「分からん。あの国は大きいだけに底力が有る。簡単には滅ぶまい。だが明の皇帝は明らかに馬鹿だ。それも大馬鹿だな。明の屋台骨を自ら齧り倒そうとしているとしか思えぬ」

「……」


「皇帝は未だ若い。皇帝が長生きすればするほど明が滅ぶ可能性は高くなる。明が滅ぶ時は地響きを立てて滅ぶだろう。その振動で周辺の諸国は揺さぶられるだろうな。正月の大地震と一緒だ。混乱するだろう」

「その揺さぶられる諸国が琉球、朝鮮、そして日本でございますか?」

兄が更に問い掛けると相国様が“さて”と言って首を傾げた。


「琉球、朝鮮は明に服属しているから当然影響を受ける。日本は如何かな? 交易等で影響は受けるかもしれんがやりようは有るだろう」

日本には余り大きな影響が出るとは見ていない。やはり琉球、朝鮮か。日本に琉球から使者が来るのもそのためか。


「朝鮮は現状を如何見ておりましょう?」

右馬頭の問い掛けに相国様が首を傾げた。

「難しい所だ、困った事とは思っていようが琉球のようには動けまい。何と言っても地続きだ。妙な動きをすればそれだけで兵を向けられかねぬ。その恐怖が有ると思う」

「……」

「朝鮮が混乱する時が有るとすれば北だろう」

“きた”? “きた”とは? 皆が顔を見合わせている。私だけの疑問ではないらしい。


「北に蒙古が創った元の様な国が現れた時だな。その時になって明に付くか、北の国に付くか、朝鮮は迷うに違いない。国内がそれによって混乱する筈だ。それまでは悲鳴は上げても明に付いて行くだろう。海の向こうの日本を頼る事は有るまいよ」

「なるほど、弱小国人衆と同じだという事ですな」

飛鳥井曽衣の言葉に皆が頷いた。なるほど、北か。


「その後は? 明の後はどうなりましょう?」

黒野重蔵が問い掛けたが相国様は首を横に振った。

「それも分からん。分裂するのか、新たな国が登場するのか、それとも異国に攻め獲られるのか……。滅ぶまで間が有るだろう、それまでに明の内、明の外が如何なるか、それ次第だな」

「……」


「明の外に強大な国が登場すればその国が明を滅ぼす事も有るだろう。そして新たな国を造る。嘗ての元がそうだ」

「大殿は如何でございますか?」

長宗我部宮内少輔が問い掛けると驚いたように“俺が?”と言って後、一瞬間を置いてから声を上げて笑い出した。


「無理だな。明は日本より国も広ければ人も多いのだ。間に海が有るから兵を送るのも簡単ではない、兵糧を送るのもな。おまけに言葉も通じない。この状況で明を撃ち破って占領して新たな国造りと言われてもな、失敗するのは眼に見えている。そうなれば日本も疲弊する。また乱世に戻りかねん。そんな事は出来ぬ」

シンとした。皆が顔を見合わせあっている。それを見て相国様が“フッ”と笑った。


「まあ眼は離せんな。出来る事なら明が滅ぶところを見たいと思うが俺の寿命が尽きるのが先かもしれん。俺と明の寿命、どちらが先に尽きるのか。競争だな、楽しみな事よ」

相国様が笑い声を上げると“大殿!”と平井加賀守が声を上げた。相国様が更に大きな声を上げて笑った。


「長生きしなければならんという事だ、舅殿。そう怒られるな」

「そうでは有りますが」

朽木の家臣達は困ったものだと言いたげな表情だ。相国様の言葉から察するに明が滅ぶにはかなりの年月を要すると見ているらしい。しかし先程の間、嫌な空気が流れた。それを打ち消すためか。


「対馬の宗氏だが……」

室内がまたシンとした。宗氏の家臣が龍造寺に繋ぎを付けた事は分かっている。はて、如何されるのか……。

「潰しはせぬ。だが領地替えを命じるつもりだ。対馬は土地が貧しい故どうしても交易に頼らざるを得ぬ。そして朝鮮に対して弱い立場になってしまうからな」

皆が頷いた。朝廷の中でも宗氏を問題視する声が有ると聞く。それも関係しているだろう。


「では対馬は?」

右馬頭が訊ねると相国様が頷いた。

「朽木の直轄領とする。奉行所を置きそこで朝鮮との交易を管理させよう。それと水軍の根拠地にもするつもりだ。日本は島国だ、この国を攻めようとすれば根拠地が要る。根拠地になり易いのが琉球、九州、対馬だと思う。朝鮮の影響を受け易い宗氏に対馬を委ねる事は出来ぬ」

皆が頷いた。


なるほど、だから先程元の事に触れたのか。二度の元寇では対馬、九州に敵が押し寄せてきた。強大な水軍を対馬に置けば敵が上陸する前に海で撃退出来る。宗氏では無理だ……。明が滅びかけている今、新たに興った国が日本に攻め寄せてくる可能性は有る。琉球の服属を求めているのもそれを見据えての事かもしれぬ……。



夕餉の後、右馬頭、兄、恵瓊、私の四人で話の場を持った。

「琉球の使者はこの大軍を如何見たでしょうな」

「琉球はそれほど大きな国では無いそうだ。肝を潰しただろうな」

「それも有りますが次は琉球(じぶんたち)だと思ったかもしれませぬぞ、兄上」

「なるほど、そうかもしれん」

恵瓊、兄、私の会話を右馬頭は黙って聞いている。


「となると琉球の服属は早いかもしれんな」

兄の言葉に皆が頷いた。

「そうなれば朝廷の相国様への信任も一層厚くなりましょう」

恵瓊の言う通りだ。今でも十分に厚いがより一層厚くなるのは間違いない。その分だけ朽木の天下は安定する。


「足利とは違う」

ぽつんと吐いたのは右馬頭だった。恵瓊、兄、私で顔を見合わせた。確かに違う。足利は自らの事だけで手一杯だった。力も弱く諸大名の統制など全く出来なかった。対馬の宗氏に対して領地替えを命じる事など到底出来なかっただろう。


「義昭様は足利の天下しか見ておられなかった。相国様は違う、この国の事、国の外の事を見ておられる。大きい」

“足利とは違う”、今度は首を振りながら呟いた。確かに視野が広い。何時の間にか朝鮮だけではなく明の事まで見据えている。明に攻め入らぬと言っていたが果たして……。




禎兆六年(1586年)    十一月上旬      周防国吉敷郡上宇野令村 高嶺城  朽木基綱




眠れない。明日は早いんだから寝なくてはならないんだが如何も眠れない。分かっているんだ、長宗我部宮内少輔の所為だ。全くとんでもない事を言いやがった。

『大殿は如何でございますか?』

俺に中国大陸に攻め込めって……。それじゃ俺は秀吉になってしまうじゃないか! 秀吉(あいつ)、元気かな?


嫌な感じがしたのは俺が出来ないと言った後だ。変な間が有ったな。あれは何だったんだろう? 冗談言って笑い飛ばしたが俺なら出来ると思っているのかな? それなのに否定されたんで失望している? しかしなあ、中国大陸に出兵なんて常識的に考えて失敗するのは眼に見えている。


先ず人口が違う、つまり兵力が違うわけだ。圧倒的に中国大陸の方が多い。勿論人口が少なくても大国を占領した例は有る。清がそうだ。だが稀な例だろう。清に出来たから俺にも出来るという根拠にはならない。それに兵の補充、兵糧の補給も有る。


この時代の船は風が推力だ。つまり船を出すのも風を利用してとなる。何時でも出せるわけではないのだ。その辺りが清とは違う。清は地続きだったから何時でも兵は出せた。そして騎兵が中心だろうから機動力も有った筈だ。兵の展開は早かったのだ。


蒸気船の登場以降は風を無視する事が出来た。だが昭和の陸軍は中国大陸に攻め込んだが負けた。勿論アメリカと戦ったりソ連を敵視したりインド方面に兵を出したりと戦略が無茶苦茶だった所為も有る。だが例えそれが無くても厳しかっただろう。大陸は兵を飲み込む。中国大陸の様な広大な土地では幾ら兵が有っても足りない、結局は息切れしただろう。


それを防ぐには現地人の味方が必要だ。だが言葉が通じない異国人、特に東夷扱いしている倭人を支配者として認めるとは思えん。中国人にしてみれば北方の騎馬民族の支配の方が受け入れやすいだろう。実際何度か受け入れている。隋、唐、元だ。清の支配を受け入れたのも過去に例が有るからだと思う。中国人にとって北方の遊牧騎馬民族は時として自分達の支配者になる存在だったのだ。日本とは違う。


日本の中国大陸侵攻は如何見ても失敗するな。歴史を知っている俺には分かる。だが歴史を知らない周りには分からないのかもしれない。特に明の皇帝が馬鹿だと分かった今、攻め時だと考えてもおかしくはない。秀吉の朝鮮半島出兵は明の征服が目的だった。もしかすると秀吉も万暦帝が馬鹿だと知っていたのかもしれない。だから攻め時だと思った、周囲も賛成した……。十分に成算が有ると見たのだろう。


朝鮮に対して明への先導を命じたのも何時までもそんな馬鹿に仕えて如何する? 俺に仕えた方が美味しい想いが出来るぞ、少し考えれば分かるだろう、そんな感情が有ったのかもしれない。まあ日本でなら簡単に裏切るケースだ。これも明征服の成算の一つだったかもしれん。


しかし朝鮮は秀吉に付かなかった。もし、北にそれなりの国が有ったなら如何だったろう。朝鮮は迷ったんじゃないだろうか。北に付いて秀吉には通行を許すとか。秀吉も選択肢が増えたな。北と同盟を結ぶ事を優先すれば朝鮮は敵対しなかっただろう。そういう意味では明は運が良かったのかもしれない。朝鮮には明を頼るという選択肢しか無かったのだから。


不本意だっただろうな、秀吉は。なんで朝鮮が明を頼るのか理解出来なかったかもしれない。自分に降伏すればそれなりの待遇を与える、だから朝鮮の兵を率いて一緒に明に攻め込めば良いのに。そうすれば領地も増やしてやった。何で馬鹿に義理立てするのか、そう思った筈だ。


講和交渉ではその馬鹿が秀吉を日本国王に封じた。それは怒るわ、再度の朝鮮出兵になる。……いかんな、寝よう、明日は早いんだ。






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