粛清
禎兆六年(1586年) 六月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
闇の中、気配がした。布団の中、太刀を握りしめた。この瞬間が嫌だ。心臓の動悸が早まる様な気がする。
「小兵衛か?」
息を凝らしながら訊ねると“はっ”と言う答えが有った。ホッとした。大丈夫だとは思ってもやはり闇の中で蠢く気配には恐怖心を掻き立てられる。この時代は警報装置なんて物は無い。それに忍びこんで人を殺すなんて事を簡単に行う者達も居る。危険なのだ。太刀から手を離し身体を起こした。
「報告したい事が有ると聞いた」
「はっ」
「話してくれ」
「先ずは佐渡の事で御報告をさせて頂きまする。これは本間氏が守護として治めております」
「ふむ」
本間か、帝国陸軍の本間雅晴中将が佐渡出身だったな。もしかすると末裔かもしれない。
「雑太郡雑太城を支配する本間家が本間の総領であったのですが没落しております。今は孫四郎憲泰という者が雑太城を支配しておりますが佐渡を纏める力は有りませぬ」
「うむ」
佐渡なんて小さな島でも守護が没落した。戦国の波は日本を等しく襲ったわけだ。
「雑太の本間家に代わって力を振るっているのが分家の雑太郡河原田城主、河原田佐渡守高統と同じく分家の羽茂郡羽茂城主、羽茂対馬守高貞にございまする」
「本家が没落して分家が力を伸ばす、戦国では良く有る事だな。近江源氏も六角、京極が没落して朽木が勢力を伸ばした」
「……佐渡では河原田佐渡守と羽茂対馬守を中心に争いが生じております。未だ収まる気配は有りませぬ」
絶対的な強者が居ない。しかも大きく伸びる余地が無い。その事が争いを続けさせている。コップの中の嵐か。一瞬間が有ったな、答え辛い事を言ってしまったかな……。
「それで上杉家との関係は?」
「羽茂の本間家が未だ長尾家の時代に上杉家と縁を持っております。それ以来羽茂は上杉に近うございます。もっとも臣従しているというわけでは有りませぬ」
「うむ」
長尾家の時代か、となるとかなり前だな。縁を持ったとなると長尾家の当主は謙信じゃなかった筈だ。父親かもしれんな。
「上杉家も積極的に佐渡を支配しようとはしておりませぬ。何と言っても佐渡は小そうございます。上杉にとっては危険な存在では有りませぬ。どうしても佐渡は後回しになりましょう。謙信公が御健勝の頃は信濃、越中、関東に出兵を。御当代弾正少弼様の代になられてからは徳川、蘆名が相手にございます。それに羽茂の本間家が有れば佐渡が一つに纏まって上杉に敵対する事は有りませぬ」
「そうだな」
何時でも獲れる島か。将棋で言う質駒に近いな。小兵衛に問うとその通りだと答えが有った。
「朽木が佐渡を獲る事に同意すると思うか?」
「なんとも分かりかねまする」
「そうだな。質駒だと思っていれば朽木の手出しは面白くは無いな。俺も氣比に文をやったのだがな。あちらからも同じ様な答えが来た。上杉が佐渡の現状に満足しているとは思わぬ。だが朽木が手を出すのを認めるかどうかは分からぬと」
「……」
「直接上杉に聞いてみよう。佐渡が混乱しているのは交易に影響が出る。佐渡を攻めたいと思うが良いかと」
「それが宜しいかと」
「そうだな」
もしかすると上杉は自分で佐渡を攻めると言うかもしれない。その時は共同出兵という形にして佐渡は共有する形で取り込もう。金は半分ずつだ。……上手く行くかな?
「ところで大殿」
「何だ?」
小兵衛の声が緊張している。厄介事だ。
「今一つ御報告を致しまする。対馬の宗氏でございますが……」
「何か有ったか?」
「はっ、家臣の中に密かにではありますが龍造寺と繋がろうとしている者がおりまする」
「……それは宗氏としての動きか?」
確認すると“分かりませぬ”と答えが有った。家臣の中に龍造寺と繋がろうとしている者が居る……。讃岐守の指示じゃないのかな?
「讃岐守は病の疑いがございます。ここしばらく姿が見えぬと報告が上がっております」
「病……」
「確証は有りませぬが……」
声が弱い。確度の低い情報なのだろう。
「ふむ、跡取りの彦三郎は未だ若かったな。となると家中の統制が緩んだ可能性は有るな」
「そうかもしれませぬ」
一つ間違うと御家騒動になる。佐渡だけじゃない、対馬も混乱か。
「動いている者とは?」
「柳川権之助調信、柚谷半九郎康広が中心となっております。宗家でもそれなりに力の有る者にございます」
柚谷というのは聞き覚えがない。だが柳川というのは聞き覚えが有る。江戸時代に国書偽造で大騒ぎを起こしたのが柳川だった。まあ年代的に同一人物じゃないだろう。
「その者達は俺が朝鮮との交易を拡大しようとしている。交易の拡大は宗氏にとっては旨味が減ると見たわけだ」
「はっ、大殿の仰られる通りかと思いまする」
つまり俺よりも龍造寺の方が御し易い、旨味を確保し易いと見たのだろう。龍造寺の隠居も舐められてるよな。いや、舐められているのは俺か。俺の眼を欺くのは難しくないと思われたらしい。
「讃岐守だが本当に病かな? 仮病という事は無いか? 家中が乱れていると演出している、こちらの眼を晦まそうとしている……」
国書を偽造したり偽使を出して交易をしようとする連中だ。有り得ない事じゃない。小兵衛も同じ想いなのだろう。反論する事無く“確認致しまする”と答えた。
交易しか生きる道が無いのは分かる。その為に何でもやろうとするのも理解する。だが邪魔だし交渉担当者としては使うには不適当だ。あの連中は常に交易を考えながら交渉する。つまり自分の利を絡めながら国の交渉をする事になる。しかも弱い立場でだ。これではこちらの意が正確に相手に伝わらない。こんな道具は要らないし使えない。やはり領地替えが必要だ。今回の一件を利用しよう。
「それと、鍋島ですが」
「うむ」
「誅されました。理由は朽木に通じたとされております。いずれ伊賀衆より報せが入りましょう」
「……そうか」
鍋島孫四郎信生が死んだ。天下を獲るには知恵も勇気も有るが、大気が足りないと秀吉に評された男が死んだ。
「俺に通じたと言うがそんな事実はない。名目であろうな。誅殺の真の理由は何だ?」
「目障りになったのではないかと」
「目障りか……」
「鍋島は戦に反対し参加しておりませぬ」
「なるほどな」
龍造寺の隠居は俺が動けない事を利用して大友を攻めている。反乱を起こしたわけだ。龍造寺の隠居から見て自分に同調しない鍋島孫四郎が目障りになったという事は十分に有り得る。或いは危険だとも思ったかもしれない。ここ数年、龍造寺の隠居は鍋島孫四郎を疎んじていたと聞く。自分が相手を疎んじている以上相手も自分を疎んじているだろうと思うのは当然の事だ。俺が兵を動かした時、それに同調されたら……。
だが孫四郎にはそんな考えは無かっただろう。何度か誘ったが孫四郎は俺の誘いに乗らなかった。龍造寺を見捨てる事は出来なかったのだ。だが戦に参加しなかった事を考えれば孫四郎には龍造寺と共に滅ぶ気も無かったのだと思う。孫四郎は自分が疎まれている事を理解していた筈だ。にも拘らず龍造寺内部に留まったのは龍造寺が俺に敗れた時に隠居の命乞い、或いは龍造寺家の存続を願い出るのが目的だったんじゃないかと思う。龍造寺に対する、隠居に対する最後の忠義をと思ったのだろう。或いは乗っ取りを企んだかな?
憐れだな……。史実では鍋島孫四郎が殺される事は無かった。だがそれは龍造寺の隠居が島津との戦いで死んだからかもしれない。或る時までは協力者として有用でも或る時からは邪魔者になるという事は有るのだ。戦国乱世だ、主君に対して謀反を起こした家臣は少なくない。だが最初は有能な家臣だったと評価される者も多い。謀反を起こしたのではなく謀反に追い込まれた者も居るのだろう。
死んだ奴の事を考えても仕方が無いな。龍造寺の隠居は自らの手で龍造寺家の命綱を切った。馬鹿な奴だ、自ら滅びの道を歩もうとしている。……いや、本当に愚かなのかな? 鍋島孫四郎の想いを知っていて断ち切ったのだとしたら……。背水の陣だな。乾坤一擲、最後の大勝負を挑んできたという事だろう……。
問題はこの誅殺が龍造寺内部に如何いう影響を齎すかだ。内部粛清は難しいのだ。龍造寺譜代の家臣達にも不安に思う人間が出るだろう。大がかりに伊賀衆に調略をさせよう。それと流言だな。不満に思っている家臣が居ると噂を流す。大村、有馬は感触は悪くないと報告が上がっている。この一件が二人の背中を押すかもしれない。
禎兆六年(1586年) 七月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
安国寺恵瓊が久し振りに出て来た。相変わらず頭が大きい。隣にいる児玉三郎右衛門の倍はあるんじゃないかと思うほどの巨頭だ。相談役の四人、評定衆の田沢又兵衛、殖産奉行の宮川又兵衛、そして朽木主税が同席しているが皆が恵瓊の頭を見ている。顔じゃないぞ、頭だ。一度で良いからあの頭を磨いてみたいと思うのは俺だけじゃないだろう。
「恵瓊、久しいな」
「真に御久しゅうございまする。御怪我の具合は如何でございまするか」
「この通り、もう大丈夫だ」
膝をポンポンと叩いた。痛みは全くない。六月頃から中庭をウォーキングしているし七月からは軽いジョギングに切り替えた。馬にも乗れるし鐙で踏ん張る事も出来る。戦場に出ても大丈夫だろう。朽木の家臣達も不安そうな表情は見せていない。
恵瓊が児玉三郎右衛門と顔を見合わせている。そして軽く二人で頷いた。多分、恵瓊は自らの眼で俺の状態を確認したのだろう。おそらくは国元から命じられたのだ。本来なら三郎右衛門からの報告で足りる。実際三郎右衛門から報告が毛利に行っている筈だ。だが三郎右衛門は周の件で俺には恩を感じている可能性が有る。報告が真実かどうかの確認も有るのだろう。それは三郎右衛門が今後も信じられるか否かの確認でもある。
「大樹公に姫君がお生まれになったと聞きました。おめでとうございまする」
恵瓊が祝うと三郎右衛門も“おめでとうございまする”と声を合わせた。
「祝ってくれるか、有難い事だ。名は桐と付けた様だ」
二人が“桐姫様”と言って頷いた。大樹からの報せの文には喜びが素直に記されていた。竹若丸の時は双子だったからな。喜ぶ事が出来なかったのかもしれない。
「ところで、京を通ったのであろう。如何であった?」
「彼方此方で普請が行われており活気がございました」
「随分と壊れたからな。未だに終わらんのだ。活気が有るのは嬉しいが素直には喜べん」
恵瓊が“左様で”と言った。
「公家の屋敷には相当に古い物も有る。本来なら建て替えるべきなのだが費えが出せぬために建て替えられぬ家も有るのだ。そういう家には援助しなければならん……」
京を押さえる以上公家達の窮状を無視は出来ない。頭が痛いわ。いかん、ぼやいてばかりもいられない。
「地震の所為で延び延びになっていた次郎右衛門と弓姫の婚儀だが九月に行う事で良いのかな?」
「はっ、毛利は異存有りませぬ」
恵瓊が答え頭を下げると三郎右衛門も頭を下げた。
「では場所は槇島城で、良いかな」
「はっ、異存有りませぬ」
まあこの辺りは俺と三郎右衛門で調整済みの部分だから問題は無い。
「毛利からは誰が出るのだ?」
「はっ、主右馬頭夫妻と駿河守夫妻、弓姫の両親、他にも親族衆が参列しましょう」
「左衛門佐殿の名が無かったが」
恵瓊の顔が悲しげだ。
「九州への抑えに残りまする」
「そうか、残念な事だな」
「その御言葉、左衛門佐に必ず伝えまする。喜びましょう」
恵瓊が嬉しそうに答えた。恵瓊は小早川左衛門佐が好きらしい。
「こちらも参列者は似た様なものだがちょっと変わった所からも出るかもしれん」
恵瓊と三郎右衛門が顔を見合わせた。
「五摂家の方々がな、出席を希望されている」
“何と!”、“真で”と二人が声を上げた。
「事実だ。他にも朽木と縁のある方々が参列を望んでおられる。かなりの人数になろう」
二人とも目が点だ。それに比べると朽木の家臣はちょっと誇らしげだな。でもね、朽木と毛利の縁結びだよ。朽木と三好の婚儀の時は五摂家の中から近衛、一条、九条が参列した。今回式場は京、槙島城だ。如何見ても参列するだろう。そうするだけの理由も有る。
「京は地震によって大きな被害を受けた。公家の方々もな。復興には朽木の力が要る。という事でな、公家の方々は今回の婚儀に参加する事で婚儀に箔を付けようとされているのだ」
恵瓊と三郎右衛門が顔を見合わせた。
「見返りは京の復興にございますか」
「正確には自分達を忘れてくれるなという事だな、恵瓊。戦に夢中になっては困るという事だ。先程言ったであろう、公家の屋敷の中には相当に古い物も有ると」
恵瓊と三郎右衛門が納得したというように頷いた。公家ってのは自分の利用価値を良く分かっているよ。ただ屋敷の建て替えをと甘えるんじゃなくて役に立つんだから宜しくねと言ってきた。屋敷の建替えをしなければならん。もっとも町の復興が一段落してからだ。予定では九州遠征の後だな。それまでに連中に設計図を用意させておこう。
「婚儀の件だが大体的に発表しようと思っている。五摂家の方々が参列するというのは悪くない。そうであろう?」
恵瓊と三郎右衛門が“はっ”と畏まった。九州で騒乱が起きている今、朽木、毛利にとってこの婚儀は大きな意味を持つ。龍造寺に対しては毛利の後ろには朽木が居る、毛利領に攻め込めば朽木が黙っていないとの表明だ。そして毛利に対しては朽木が必ず毛利を守るから心配するなという表明であり裏切るなという念押しでもある。
「婚儀が終わったら九州再征の準備だ。毛利家は九州の状況を如何見ているのだ?」
俺が問うと恵瓊が軽く頭を下げた。
「龍造寺は優勢に攻めておりますが臼杵城は堅城、簡単には落ちますまい。それに筑前、豊前は失いましたが、豊後では節を曲げぬ者も居ります」
豊後は大友の本拠地だからな、流石にしぶといか。
「だが龍造寺に反撃は出来まい、防ぐので精一杯であろう」
「はっ」
「何時まで持つ?」
俺が問い掛けると恵瓊は“さて”と小首を傾げた。おいおい、危ないぞ、頭が落ちるぞ。
「難しゅうございますな。判断が付きかねまする」
ようやく頭が戻った。
「そうか、……十月の末にこちらを出る。九州攻めは十一月からとなる。野分の時期は戦を避けたい。島津攻めでは随分と苦労したからな」
二人が頷いた。台風が来るのは十月の末までだ。十一月に台風が来る可能性は低い。それに雨も少なめだ。
九州はこちらに比べれば気温は暖かいから辛い戦にはならない筈だ。大友はもっと早くと言ってくるかもしれない。だけどね、俺は台風の時期に戦をするのは懲りたんだ。前回の九州遠征では何処かの誰かの所為で本当に酷い戦をする事になった。文句があるならそいつに言えば良いのだ。
「毛利家は九州における領地を確保してくれ」
「はっ」
「朽木の兵が要るか? 或いは武器弾薬でもよい。援助が必要なら言え。遠慮は要らんぞ」
恵瓊が要らないとは思うが戻って右馬頭に確認すると答えた。
越後からは佐渡に付いて未だ返事は来ない。悩んでいるのだろう。この状況では佐渡攻めは早くても九州遠征後になるな。越後からの返事はそれまでには届けばよい。ゆっくりと待つとしようか。




