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南部と九戸




禎兆五年(1585年)    十二月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木小夜




「御台所様、落ち着かれましたか?」

「ええ、漸く落ち着きました」

「それは良うございました」

雪乃殿が(いた)わる様な目で私を見ていた。本当にここ一月程は落ち着かなかった。百合の婚儀の準備、そして嫁いでからは幼い娘が三好家で上手くやっていけるのかと心配で……。漸く落ち着いた様な気がする。こうして雪乃殿とお茶を飲めるようになった。


「気遣って頂き有難うございます」

礼を言うと雪乃殿が“いいえ”と言いながら首をゆるゆると横に振った。

「大した事ではございませぬ。竹と鶴の時は私が御台所様に気遣って頂きました。感謝しております」

「ではお互い様という事で」

「左様でございますね」

お互いに顔を見合わせて声を上げて笑った。


良い方だと思う。この人が大殿の側室で良かった。私が先に男子を三人産んだ事も良かったのかもしれない。でも雪乃殿が側室で良かったと思う。嫁いで二十年以上経った。雪乃殿が朽木に来てからでも二十年近くになる。人生の半ば近くをこの人と一緒だった事になる。同じ(ひと)を愛してきた。何と不思議な事か……。


「竹姫、鶴姫の婚儀で分かっていたつもりだったのですけどね」

「百合姫様は御台所様の御子、御自身の姫となるとやはり違いますか?」

「ええ、違いました」

「そうですね、私もお手伝いさせて頂きましたが何処かで気が楽でした。準備を楽しんでいたと思います。申し訳有りませぬ」

お互いに顔を見合わせてまた笑った。


「来年は三郎右衛門様が六角家を御継ぎになり次郎右衛門様の婚儀も有ります。御台所様には又忙しい日々が続きますわ」

「ええ、そうですね」

次郎右衛門が毛利家から嫁を娶り三郎右衛門が六角家を再興する。まさか私の産んだ子が名門六角家を再興する事になるとは……。確かに六角家の養女として朽木に嫁いだけれど未だに信じられない。


「その次は万千代殿の元服ですね。雪乃殿、楽しみでしょう?」

「そうですが三、四年は先の事です。まだまだ……」

刻は有る。そういう様に雪乃殿が首を横に振った。

「三、四年などあっという間ですよ」

私の言葉に雪乃殿が悪戯を思い付いた様な笑みを浮かべた。


「そうですね。月日が経つのは早い。私も御台所様も何時の間にか祖母様と呼ばれるようになったのですから」

「まあ、酷い」

二人で声を上げて笑った。そう、私達にはもう孫が居るのだ。一頻り二人で笑った。


「でも今回ばかりは娘を嫁がせるというのは本当に大変だと思いました」

「男の子を元服させるのとは違いましょうか?」

「ええ、違います。娘は外に出すのですから……。でも養子に出すとなれば同じ様に気を揉むのかもしれませぬ」

雪乃殿が大きく頷いた。


「大樹公の事を御心配ですか?」

雪乃殿が気遣う様な視線を向けてきた。

「最初は心配しました。でも今は……」

心配はしていない。心配しても仕方無いのだと思う事にしている。あの子には妻も有り家臣達も揃っている。嫡男も出来た。奈津殿がまた懐妊したと報告も有った。あの子は一人でも十分にやっていけている。もう私の手からは離れたのだ。


「大樹公が下総に攻め入ったと聞きました。千葉氏は押されているとか。立派な御大将でございます」

「……」

息子は関東の国人衆に戦を止めるようにと命を出した。そしてそれに従わぬ者を討つと定めたらしい。その事を大殿が高く評価していた。……何時の間にか子供は育って行く。その事を言うと雪乃殿も“真に”と相槌を打った。


「子を持って分かる親の心と言いますが子を手放して分かる親の心というのも有るのだと思いました」

雪乃殿が頷いた。

「左様でございますね。私は何の不安も持たずにこちらに参りました。大殿の御側でなら面白い事が沢山有りそうだと胸を弾ませながら来たのです。父も母もそんな私を如何思った事か……。さぞ心配したと思います」


雪乃殿が感慨深そうにしている。私も変わらない。浅井家を不縁になった。その事で塞ぎ込む私を家族は随分と心配していた。朽木家との縁談が決まった時には喜んで私を送り出してくれたけど内心では心配だっただろう。そして観音寺崩れ以降、六角家と朽木家の関係はギクシャクしだした。また離縁になるのではないかと不安は増したに違いない。親の心、子知らずとは本当に良く言ったもの……。




禎兆五年(1585年)    十二月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




「如何かな、朝堂院の建設は」

「予想以上に整地に時を使いました。漸く大極殿の棟上げが終わりましたので来年の謁見には問題無く使えましょう」

「そうか、分かった。良くやってくれた」

(ねぎら)うと伊勢兵庫頭が“はっ”と言って畏まった。


琉球の使節が帰るまでに建ててくれなんて無茶だったんだ。その事を言うと兵庫頭が困った様な表情をした。済まんな、兵庫頭。無茶振りする酷い上司だと思っただろう。朽木はブラック企業じゃない。という事で、兵庫頭にはもう一度良くやってくれたと言って労った。今度は“有り難き幸せ”と言って畏まった。


「朝堂院の再建は公家の方々にも評判が宜しいようです。普請場に足を運ばれる方もいらっしゃる様で」

「そうか」

太閤殿下かもしれない。腰が軽いからな。有り得ない事じゃない。自分が提案した物が出来上がる。その様を見るのが楽しいのだろう。その内周りに自慢しだすに違いない。兵庫頭が“大殿”と俺を呼んだ。ジッと見ている。アレ? 何か有るのか?


「御忍びで院がお見えになったという話も有りまする」

「院が? 嘘だろう?」

兵庫頭が首を横に振った。

「それがどうやら真の様で。扇で御顔を隠し泣いておられたとか。太閤殿下、一条左大臣様が御側に居られたようにございます」

「不用心な」

泣いていたか。嬉し泣き、だよな。それにしても帝に比べれば自由な立場だろうが不用心としか言いようがない。今回は問題は無かったが次も大丈夫とは限らない。


「次からは警護の者を付けるようにして頂く。奉行所の方から何人か出してくれ。殿下には俺から伝える」

「はっ」

「新当流の使い手が要るか?」

訊ねると兵庫頭が“出来ますれば”と言った。


「念には念を入れとうございまする」

「分かった。十人程奉行所に送る」

「有難うございまする」

そのうち朝堂院見学ツアーとか出来そうだな。護衛付きとなれば公家達も喜ぶだろう。院を引っ張り出しそうだ。


「朝廷からは好意的に受け取られているようだな。銭は掛かるがこれからも長く使える事を思えば悪くない」

「大殿が朝廷を重んじているという証にもなりましょう」

「うむ」

俺が頷くと兵庫頭も嬉しそうに頷いた。


足利の時には再建されなかったのだ。それを朽木が再建した。儀礼中心にせよ大事にされている、必要とされていると分かれば朝廷も悪い気はしない筈だ。最初の謁見の時は大騒ぎだろう。公家達が日記に事の次第を詳細に書くに違いない。俺の事も好意的に書いてくれるだろう。根切りとか焼き討ちとかじゃなくて気前が良いとか親切、勤王の志が篤いとかって。


「ところでな、兵庫頭。先日、妙な使者が来た」

「妙な使者、でございますか?」

「うむ、陸奥国九戸郡の九戸左近将監政実が寄越した使者だ。手土産にと言って硫黄を十斤程持って来た」

「なんと」

兵庫頭が驚いている。


そうだよな、陸奥国九戸郡と言えば奥州でも北の方だ。岩手とか青森の方だろう。それに硫黄十斤と言えば大体六キロ程になる。どうやら九戸は硫黄の採れる鉱山を持っているらしい。それに俺が鉄砲大好き人間だと知って贈ってきたようだ。なかなか好感が持てる男だ。太刀一振りなんていうよりずっと良い。俺の心の中では九戸左近将監政実は赤丸急上昇中だ。


この九戸政実なのだが史実では秀吉の奥州仕置後、その仕置に不満を持ち主家の南部氏に叛旗を翻して滅んでいる。要領が悪そうに見えるんだが俺に使者を送って来た事を考えるとそうとも思えない。ちょっと不思議な男だ。使者には石鹸と干し椎茸を渡した。喜んでくれるだろう。


「天下統一も間近、いずれは奥州にも朽木の兵が来ると見ての事だろう。今のうちに誼を通じておこうというのだろうな」

「左様でございましょう。それにしても九戸が使者を」

感慨深そうな声だ。

「まあ朽木は奥州とは何かと縁が有る」

兵庫頭が頷いた。奥州、蝦夷地との交易は朽木の重要な収入源だ。相手から見ても朽木との交易は重要なものだろう。


「向こうも大分酷いようだな。南部家の家督争いから戦続きで落ち着かぬと言っていた。本来なら左近将監の弟が南部家を継ぐ筈だった。そうであれば安定した筈だと使者は言っていた」

()も有りましょう。南部と九戸は奥州北部を代表する家でございます。両家が手を結べば奥州北部は簡単に鎮まりましょう」

「なるほど」


兵庫頭が知っているという事は幕府も九戸の実力を高く評価していたという事だろう。その事を言うと兵庫頭が九戸政実は足利義輝の代には南部氏と共に室町幕府諸役人附関東衆として認識されていたと教えてくれた。諸役人附関東衆? 良く分からんな。


だが義輝の代か。三好に圧迫されていた時だ。幕府の、将軍の権威を高めようと地方の諸大名で多少名の有る者には文を送ったかもしれん。九戸と南部は中央にも認識されていたのは間違いない。献上品でも送ってくればそれだけでも効果は有ったと義輝は喜んだだろう。


「詳しいようだな、兵庫頭」

「左程の事は有りませぬ」

恥ずかしそうにしている。謙遜するなよ、兵庫頭。

「少し教えて欲しい。南部と九戸の関係が今一つ良く分からぬ。使者は左近将監の弟が南部の娘を娶っていた。それ故南部家を継ぐ筈だったと言っていたが別な者、傍流の九郎信直が南部家を継いだらしい。九戸は南部の一族で有力者なのであろう? 如何いう事だ? 何故家を割る様な事をする? 何か有るのか?」


兵庫頭が妙な顔をした。アレ? 何か変な事を言った?

「九戸は南部の一族ではございませぬ」

「違うのか?」

「はい」

兵庫頭が大きく頷いた。史実では南部の一族で家臣と聞いたけどな。それが反旗を翻して南部は抑えきれなくなった。そして秀吉に救けを求めた事が奥州再仕置になった。違うのか?


「九戸は元を(さかのぼ)れば小笠原氏でございます。南部氏も小笠原氏も清和源氏の流れでは有ります。それに南部と九戸が全く血の交流が無かったとは思えませぬが……」

「同族とは言えぬか」

俺の言葉に兵庫頭が“はい”と答えた。


「そうか、どうも俺は勘違いをしていたらしいな」

兵庫頭が曖昧な表情で頷いた。……なるほど、そういう事か。九戸政実の弟が南部の娘を娶ったというのは政略結婚による同盟関係の構築という事なのだろう。一族の結束を固めるという類のものではないのだ。その後、南部家で家督争いが発生する。政実の弟を選ばなかったのは選べば九戸が強くなりすぎる、南部家を九戸家に乗っ取られるのではないかと南部の一族が思ったからかもしれない。


九戸が南部の家臣と伝わったのは秀吉の奥州仕置が原因だろう。当時の南部の当主、九郎信直が秀吉に九戸は南部の一族で家臣筋であると言ったのだと思う。奥州北部で戦が収まらないのは九戸がそれを弁えないからだと。そうとしか言い様が無かったのだろう。政実の弟が南部を継いでいれば混乱は起こらなかった筈だ。自分が南部家を継いだのが原因ですとは言えない。そして秀吉は九郎信直の言い分を認めて九戸の領地も含めて南部領としたのだ。九戸政実が怒る筈だよ。反乱もそれが原因だろうな。


「もうじき九州から小山田左兵衛尉達が戻ってくる。労いの宴を開くつもりだ。忙しいかもしれんが兵庫頭も出席せよ」

「はっ、有難うございまする」

兵庫頭が畏まった。コンパニオン付きの宴だ。楽しいぞ。




禎兆六年(1586年)    一月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木佐綱




宴の場は華やかで、そして和やかだった。新しい年を家族で祝う。祖母様、父上、母上、そして側室の方々、弟妹達。此処に居ないのは関東で戦の最中の兄上、越後の竹、鶴、百合、五歳にならない弟妹達だけだ。少し寂しい。だがその寂しさを感じさせないかのように皆華やかに装っている。外は雪が降っているが寒さなど少しも感じない。


父上が盃を伏せられた。父上は酒を嗜まれない。父上が酔った所、乱れた所を私は見た事が無い。先日行われた小山田左兵衛尉達を労う宴でも父上は少しも変わらなかったと聞く。他の皆は美しく装った女中達に酒を注がれ強かに酔ったらしい。

「今年は良い年になりそうですね。次郎右衛門殿の婚儀が有りますし大樹公には子が出来ます。それに三郎右衛門殿は六角家を再興する」

祖母様の言葉に皆が頷いた。


「三郎右衛門殿には六角家所縁の姫君をと考えているようですが良い方が居られますか?」

「少々難しいかもしれません。今では六角家の血を伝えるのは北畠、梅戸ぐらいしか有りません。他は畠山、細川、土岐、若狭武田、いずれも没落してしまいましたから……」

父上の言葉に皆がシンとした。六角家、かつては近江を中心に畿内で大きな勢力を振るったと聞く。尾張でも有名だ。今はもうない。混乱し朽木によって滅ぼされた。戦国というのは厳しいのだ。


「北畠の義叔母上からも出来れば六角の血を引く娘をと頼まれているのですがその北畠、梅戸にも適当な娘がいません」

「まあ、如何するのです?」

「さて、如何したものか。将来的に六角家所縁の家から嫁を娶るしかないかもしれませぬ。……それと六角家を継承した三郎右衛門を何処に置くかという問題も有ります」

「この近江ではないのですか?」

祖母様の問いに父上が首を横に振った。


「それは避けた方が良いでしょう。南近江の国人衆は漸く朽木に慣れてきたのです。ここで六角を置けば国人衆の掌握に支障が生じかねません」

祖母様が不満そうな表情をされた。でもこれは父上が正しい。尾張で城を造っている事を考えればそれは分かる。


「三郎右衛門殿は息子ですよ」

「だからこそです。気を付けねばなりませぬ」

父上が“これ以上は”と言うと祖母様は不満そうではあったが口を閉じた。三郎右衛門は無言で料理を食べている。既に聞いていたのだろうか? そうとも思えない。三郎右衛門が物事に動じないのはいつもの事だ。


「父上、毛利の弓姫はどのような方なのでしょう?」

問い掛けると父上が笑みを浮かべられた。

「不安か?」

「はい。会った事も無ければ話した事も有りませぬ。上手くやっていけるのか……。不安です」

「毛利家の娘として外に出すのだ。愚かではあるまい。それなりの娘であろうな。余り心配せぬ事だ」

そうは仰られても……。


「父上は不安は有りませんでしたか? 母上を御迎えになる時ですが」

父上が声を上げて御笑いになられた。

「そんな暇は無かったな。戦はせねばならんし元服もしなければならん。納采の品を選び婚儀の準備もした。忙しかった。それに何と言っても名門六角家から嫁を貰うのだ。粗末な婚儀は出来ぬ。銭がかかったわ。商人達が大喜びで清水山城に来たな。良く覚えている」

懐かしそうな御顔だ。忙しかったとは仰られても不愉快では無かったのだろう。


「結婚してからは?」

「式が終わると直ぐに戦場に行った。一緒に暮らしたのは二日か三日だろう」

「二日か三日?」

驚いて問い返すと父上が頷かれた。

「二日でございます。三日目の朝に慌ただしく御発ちになられました」

母上は可笑しそうにしている。本当に二日? 側室の方々からも“二日?”と声が上がった。


「考えて見ると酷い夫だな。小夜、そなた良く六角家に帰らなかったな。何故だ?」

「まあ」

母上が袂で口を隠しながら御笑いになった。側室の方々が面白そうに父上と母上を見ている。


「真に受けてはいけませぬよ、次郎右衛門殿」

「違うのですか?」

「いいえ、大殿が仰られた事は事実です。ですが仰られない事も有ります。当時の大殿は十二歳の若さで近隣に畏れられる武勇の大将でした。私も最初は怖い方だと思っていたのです。血に飢えた飢狼のような方だと思っていました。ですが嫁ぐ前に大殿から本当に心のこもった文を幾つも頂いたのですよ。櫛や簪、紅も頂きました。本当はお優しい方なのだと思いました。ですから嫁ぐ事に不安は有りませんでした」

母上が楽しそうに仰られると父上が“そんな事も有ったか”と仰って照れたように視線を逸らした。


「弓姫に文を書いて差し上げなさい。不安に思っているのはそなただけでは有りません。弓姫も同様でしょう」

「はい」

「心を込めて書くのですよ。多少字はアレでも心が込もっていれば、きっと分かって貰えます」

父上が苦笑いをされた。皆も笑う。父上の癖の有る字は有名だ。


「褒めているのか貶しているのか分からんな」

「褒めているのでございます」

母上が澄ました顔で答えると父上がまた苦笑いをされた。

「そういう事にしておくか。次郎右衛門、まあ頑張るのだな」

「はい」

父上と母上が声を揃えて御笑いになった。成れるかな? 父上と母上のように……。




第二巻発売まであと一週間になりました。結構早かったです。

TOブックスのHPにも新刊のご案内の所に表紙が出ています。綺麗なイラストで気に入っています。

御手に取って頂ければ幸いです。


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誰からもめっちゃ字をいじられてるのかわいそかわいいw
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