ごねる
禎兆三年(1583年) 六月上旬 筑前国嘉麻郡 中益村 益富城 小早川隆景
益富城の一室で右馬頭、兄駿河守と茶を飲んでいると安国寺恵瓊が坊主頭を撫でながら部屋に入って来た。何やら思い悩んでいる。我らの前に坐ると軽く頭を下げた。“茶を用意させよう”と言うと“有難うございまする”と礼を言ったが未だ上の空だ。普段なら毒づきそうな兄も訝しげに恵瓊を見ている。右馬頭も同様だ。
小姓に茶を用意させると恵瓊が茶碗を口元に運んだが飲まずに茶碗を戻した。溜息を吐いた。
「如何した、前内府様から何か言われたか?」
右馬頭が問うと恵瓊が“はい、思わしくありませぬなあ”と答えた。はて、思わしくない? 半刻程前、恵瓊は前内府様から呼び出しを受けた。毛利に付いて何事か確認する事が有ったのだろう。我等に相談ではなく恵瓊に相談すると言う事に兄は不満を持っているが右馬頭は納得している。恵瓊と前内府様はウマが合う、突っ込んだ遣り取りが出来る交渉者が居た方が毛利の為になると割り切っているようだ。
「前内府様は大友に対してかなり強い不満をお持ちで」
「それは分かっている。豊後一国も纏められぬ状況で九州の旗頭を望むなどキチガイ沙汰であろう」
兄の言葉に恵瓊が首をゆるゆると横に振った。
「まあそれもございますが前内府様が問題視しているのは大友が朽木の天下に協力しようという姿勢を見せぬ事でございます」
皆が顔を見合わせた。
「大分ごねておりますなあ」
「もしやすると朽木に降伏した大友の旧家臣達の事か?」
右馬頭が訊ねると恵瓊が頷いた。
「許せぬと、その者達を構に致す故召し抱えるのは止めて欲しいと言っているとか」
「それは……」
兄が何か言いかけて口を閉じた。おそらくは無体とでも言いたかったのであろう。
大友の家臣達の多くが大友から離れた。積極的に大友に反旗を翻した者、或いは島津、秋月に攻められ家を保つために已むを得ず大友から離れた者、その殆どが朽木に降伏した。大友には戻れぬと判断しての事のようだ。戻っても誅される、或いは領地を削られると見ての事であろう。
「しかしな、あの者達が大友から去ったのは大友にも一因が有る。国内を纏めきれなかったのは宗麟の失政が原因だ。第一、あの者達は先祖代々受け継いできた領地を失った。本領を失っているのだ。それは十分過ぎる程の罰ではないか? 奉公構は惨かろう」
兄の言葉に皆が頷いた。毛利も安芸を失ったのだ、その痛みは決して小さくは無かった。
迅速に北九州を制圧して島津に向かうには彼らの降伏を認めざるを得なかった。だが前内府様は彼らの朽木への降伏は認めたが本領は安堵しなかった。それを行えば大友の領地を勝手に朽木が与えた事になる。大友の権威は地に落ちるだろう。本領を捨てさせ朽木の家臣として新規に召し抱えるしかなかった。禄に余裕のある朽木だから出来る事だ、他家では出来なかっただろう。
「大友を無視して召し抱える事も出来ようが……」
「得策とは言えますまい。島津攻めの最中に大友が裏切れば……、それにこの後九州は龍造寺をどう抑えるかが問題になりましょう。大友はそのために必要です」
兄と私の言葉に右馬頭が頷いた。
「大友は天下を治める者が謀反や裏切りを推奨するのかと言っておりますそうで」
恵瓊が俯きながらぼそぼそと言った。
「朽木の直臣となれば立場は大友と同格でございます。本領を失っても畿内に新恩を与えるのであれば……」
「罰とは言えぬか」
私が問うと恵瓊が頷いた。
「朽木は過去を問いませぬ。敵であろうとも有能であれば抜擢致しまする。朽木に仕え畿内に領地を頂き評定衆、或いは軍略方、兵糧方、相談役にでも任じられれば……」
恵瓊が分かるだろうと言う様に我らを見た。
「領地の広さはともかく立場は大友よりも上となるか」
兄が受けると恵瓊が頷いた。
「それにあの者達が朽木に仕えれば大友は国人衆を失う事に成ります。その分だけ大友の力は減りましょう。回復するまで時が掛かる、簡単にはいきますまい。踏んだり蹴ったりですな」
右馬頭が息を吐いた。沈痛な表情をしている。確かに恵瓊の言う通りでは有る、国人衆が居なくなれば兵を集める事も儘ならなくなるだろう。
「大友の怒りにも一理有るか。恵瓊よ、宗麟は如何すれば構を赦すと言っているのだ?」
右馬頭の問いに恵瓊の表情が歪んだ。
「大友の面子を立てよと」
「面子?」
「あの者共を赦せば大友の面子は地に落ちる。それ故朽木が大友の面子を立てよと。それのみだそうで」
大友の面子か。
「具体的には大友は何を求めているのだ? 九州の旗頭か?」
恵瓊が私を見て首を横に振った。
「かもしれませぬ。ですが左衛門佐様、大友は何も申さぬそうでございます。前内府様にお任せすると」
何も言わぬ? 兄と顔を見合わせた。厳しい表情をしている。
「計っているな、そうは思わぬか、左衛門佐?」
「おそらくそうでしょう、宗麟は前内府様が大友を如何評価するか計っている。前内府様は不本意では有りましょうがそれなりに大友を遇さねばなりますまい。厄介な事になりました」
「遇さねばどうなる?」
右馬頭が問い掛けてきた。我ら三人をじっと見ている。
「殿は如何思われますか?」
逆に問い返すと右馬頭が唇を噛み締めた。
「分からぬ、大友が龍造寺と組む事が可能と思うか?」
恵瓊が“難しいかと思いまする”と答えた。その通りだ、大友と龍造寺の関係は不倶戴天と言って良いだろう。
「では大友が日向に攻め込んだ前内府様を攻撃した時、龍造寺は如何動く? 肥後の朽木を撃つか、それとも大友を攻めるか……」
右馬頭がこちらを見ている。
「分かりませぬ。しかし前内府様が如何考えるかは分かります。最悪を想定致しましょう。即ち、龍造寺、大友、島津が連合する。そうなれば朽木は九州で孤立しかねませぬ」
右馬頭が大きく頷いた。少しずつ変わってきたと言えるのだろうか。毛利の敗戦から物事に向き合う姿勢を見せつつあるようにも見える。大膳大夫との文の遣り取りが影響しているのかもしれない。大膳大夫は徳川攻めで苦しみながらも成果を上げつつある。右馬頭にとっては叔父である我等よりも歳は離れているが大膳大夫の方が心情を打ち明け易い、理解し易いのかもしれない。
「もう一つ厄介な事が有るな」
「四国ですな、兄上」
問い掛けると兄が頷いた。
「安宅摂津守が亡くなった事で阿波三好一族に混乱が、いや騒乱が起きる可能性が有る。前内府様としては九州征伐は早々に終わらせ四国騒乱に備えたいと考えていよう」
「大友はその辺りも考慮してごねているのか」
右馬頭が呟く。
右馬頭の言う通りであろう、宗麟は前内府様の弱みを知ったうえでごねている。弱みに付け込むようなやり方は褒められたものではないが強かでは有る。だが自分よりも上の者を相手にごねるのだ、それなりの危険は有る。不満には思わせても怒らせる事は出来ない。その辺りを宗麟は如何見ているのか。龍造寺への抑えに大友は必要と強気に出ているのか。
「前内府様は大友には豊後一国の安堵を考えていたそうにございます」
豊後一国、恵瓊の言葉に皆が顔を見合わせた。
「厳しいとは言えまい。臼杵城で籠城するのが精一杯であったのだからな。だが宗麟が満足するとも思えぬ」
兄が首を横に振りながら言うと皆が頷いた。
「そして毛利家にはこれまで九州に保持していた領地に代わり豊前半国を」
豊前半国、ざっと十万石から十五万石の間であろう。悪くない、九州から瀬戸内に入る海を押さえられるならそれなりに旨味は有る。
「だが大友がごねた」
右馬頭の言葉に恵瓊が頷いた。
「前内府様は九州遠征後、京に戻れば太政大臣に任ぜられるとか。その為にも遠征は成功させなければなりませぬ」
太政大臣か、恵瓊から聞いてはいたが征夷大将軍ではなく太政大臣……。一体どのような政の府を造るのか。
「では大友には?」
「豊後、豊前の二カ国」
「毛利には?」
「筑前で十万石」
右馬頭が訊ね恵瓊が答えた。筑前で十万石、大友がごねた事でこちらに皺寄せが来た。
「恵瓊、秋月の旧領は三十万石程は有った筈だが?」
兄が訊ねると恵瓊が頷いた。
「筑前には毛利の他に立花、高橋の両名が入りまする。但し、朽木の直臣としてでございます」
皆が顔を見合わせた。大友にとって両名は柱とも言える存在であろう、それを引き抜くと言うか。
「大友は納得するか、恵瓊」
私が訊ねると恵瓊が頷いた。
「今の状況から豊前、豊後の二カ国なら大友も不満は言えますまい。それに立花、高橋の両名が朽木の直臣として毛利と共に筑前に在れば龍造寺も動き辛い筈、その辺りも大友に配慮したと言えましょう。今、相談役の飛鳥井が大友を説得しておりまする」
「九州の旗頭の問題は如何なる?」
兄が問うと恵瓊が困った様な表情を浮かべた。
「毛利にございます」
“本気か”、“まさか”、“阿呆な”と声が上がった。三人で顔を見合わせた。“本気か”と言ったのは私、“まさか”と言ったのが右馬頭、“阿呆な”が兄だ。
「大友も龍造寺も相手が九州の旗頭では納得しませぬ。それ故毛利に」
「何故断らぬ! 十万石で旗頭など務まるまい! それに大友と龍造寺を従わせるなど簡単な事ではないぞ! 面倒事を抱え込む様なものではないか!」
兄が叱責すると恵瓊が首を横に振った。
「断れませぬ、断れば毛利に災いが及びまする」
穏やかならぬ言葉だ、三人で顔を見合わせた。恵瓊が低い声で笑い出した。嘲笑、驚いて恵瓊の顔を見た。
「左衛門佐様、先程左衛門佐様が申されましたな。龍造寺が有る限り大友を切る事は出来ぬと」
「うむ」
「龍造寺も似た様な事を考えているやもしれませぬ。九州で均衡を保つためには大友の抑えとして龍造寺は必要だと」
「……」
「前内府様は怒っておりますぞ。大友は、そして龍造寺は朽木の天下に協力しようとせぬと。己の利しか考えておらぬと」
ごくりと音がした。右馬頭が唾を飲んだらしい。
「前内府様は九州遠征は二度行うと覚悟しておられます。此度は秋月と島津、次は……」
恵瓊が言葉を切って我らを見た。
「大友と龍造寺か」
私が問うと恵瓊が頷いた。
「前内府様は大友と龍造寺がこのままで済むとは思っておられませぬ。いずれ諍いを起こすと見ておられます。或いは起こさせるのかもしれませぬ。おそらくは四国制圧の後でございましょうな。それをきっかけに纏めて潰しにかかりましょう」
「……」
「旗頭というのも形だけだと申されておりました。あの両者を取り持つ必要は無いと」
むしろ取り持たれては困るという事であろう。
「では断れぬな」
右馬頭の言葉に恵瓊が頷いた。
「断れませぬ、朽木の天下に協力しなければ大友、龍造寺の次は毛利になりまする。むしろ此処は前内府様に積極的に協力する事で毛利の地位を高める事が肝要にございましょう」
右馬頭が大きく頷いた。先程まで反対していた兄も今は無言だ。それにしても恵瓊は前内府様とそこまで話してきたか。
宗麟は遣り過ぎたのだ、龍造寺も前内府様を甘く見た。いや、天下人の扱いを誤った。不満には思わせても怒らせる事は出来ないではないのだ。不満に思わせてもならぬのだ。前内府様は足利とは違う、足利のように諸大名の我儘に無力な存在ではない。あの二人も滅ぶ時にそれを理解するだろう……。
禎兆三年(1583年) 六月下旬 筑前国嘉麻郡 中益村 益富城 飛鳥井曽衣
「龍造寺山城守は納得したのだな?」
「はい」
私が頷くと長宗我部宮内少輔殿、黒野重蔵殿がホッとした様子を見せた。
「ではこの件を早急に周知致しましょう。あの者達を安堵させなければ」
「左様、またぞろ兵を挙げかねませぬ」
「その時は潰してやるわ、容赦なくな。その方が大友に対する遠慮も要らなくなる」
大殿の言葉に宮内少輔殿、重蔵殿が困った様な表情を見せた。
「御不快は分かりますが先ずは島津攻めを優先させるべきかと。その為には大友、龍造寺を味方にせねばなりませぬ」
「あれが味方か、宮内少輔。俺の足を引っ張る事で利を得る事しか考えておらぬぞ。足利と同じよ、助けよと大騒ぎしておきながら助ければ文句を言う。獅子身中の虫に等しいわ!」
大殿が声を荒げると宮内少輔殿が“申し訳ありませぬ”と頭を下げた。
「済まぬ、その方の所為ではないのについ当たってしまった」
きまり悪げな御顔で大殿が謝罪された。宮内少輔殿もきまり悪げな表情だ。やれやれ。
大殿は闊達な御方で仕えるのに苦労はしない。世評で言われる様な気性の激しさ、荒々しさは見えない。おそらく抑えているのだろう。だが今のように時折それが垣間見える時が有る。その時は余程に憤懣が溜まった時だ。大殿は大友、龍造寺に強い憤懣を持っている。その事を軽視してはなるまい。
大友がごねた。表向きは大友から離れた者達への扱いについてだが真の狙いは大友への扱いについてだった。宗麟殿には名門大友の立場を守り龍造寺の上に立ちたい、九州で別格の存在になりたいという想いが有った。だがそれ以上に大殿が大友を如何扱うかに付いて不安が有ったのだろう。宗麟殿との交渉では節々にそれが見えた。それ程までに大友は弱体化していた。実際大殿は大友には豊後一国と考えておられたのだから宗麟殿の危惧は杞憂では無かったと言える。
「土佐で待機している水軍に命令を出さねばなりませぬな」
「そうだな」
「となると兵を動かすのは五日ほど後にした方が宜しいでしょう」
「うむ、そうなるな。……面白くないな」
重蔵殿と話していた大殿が急に顔を顰められた。
「如何なされました?」
問い掛けると大殿が忌々しそうに鼻を鳴らした。
「島津攻めは七月から八月、九月になる。野分が来る季節だ、水軍は八月には引き揚げさせなければなるまい」
大殿の言葉に皆が頷いた。
「あの者共の所為で一月無駄にした。腹立たしい事よ!」
宗麟殿は誤ったな。島津征伐後では交渉が出来ぬと見た。だから島津征伐前にごねたのだろう。確かにそれによって大友は成果を得た。だが大殿の怒りも買ってしまった。
豊前、豊後の二カ国。今の大友には過分と言って良い領地だろう。だが宗麟殿は道雪殿、紹運殿の二名が大友の臣でなくなる事に難色を示した。そして両名に十万石を与えるという事にも不快感を示した。あの二人を筑前に置いて龍造寺への抑えに置いた方が良いと説得しても納得はしなかった。大友の家臣として筑前に領地を与える事を要求した。要するに筑前も自分に寄越せと言ったわけだ。
道雪殿、紹運殿は直臣になる事、十万石を辞退しようとした。両名にとって宗麟殿の我儘は見苦しい限りだったのだろう。だが大殿はそれを認めなかった。両名が宗麟殿を説得したいと言った時も許さなかった。今両名が介入すれば余計に事態は混乱する。何もするなと言った。
そして大殿は筑前の二十万石を大友領として認めた。譲歩は已むを得なかった、これ以上手間取れば豊前、豊後で降伏した国人衆が不安から兵を挙げかねなかった。但し道雪殿、紹運殿は朽木の直臣とした。宗麟殿はそれを受け入れた。宗麟殿は満足そうだった。老いたと思った。それとも足利が与えた栄誉が朽木でも受け継がれると思ったのか、本来なら疑うべきなのに……。やはり老いたのだろう。
『道雪、紹運の両名は天下の名将にして大友の忠臣。それを二十万石で手放すとはな。宗麟も愚かよ。仕え甲斐の無い主と家臣達も心が離れよう。俺なら二十万石よりもあの二人を選ぶわ。特に今の大友に必要なのは人であろうに、それも分からぬとは……』
それが大殿の言葉だった。道雪殿、紹運殿は大殿の言葉を聞いて身体を震わせて泣いていた。あの二人はもう宗麟殿を見離していよう。宗麟殿は不当に貪ったのだ。許される事ではない。
龍造寺は大殿の決定に異議を唱えなかった。大友は確かに領地を得た。だが人が居ない。特に道雪殿、紹運殿が居ない事は大きい。大友を恐れる必要は無いと判断したのだろう。そして九州の旗頭が毛利という事にも不満を漏らさなかった。毛利は九州で十万石しか持たないのだ。大友を旗頭にせぬために形だけの毛利の旗頭だと思ったのだろう。その通りだ、大殿はそれ以上の事を毛利には望んでいない。毛利に望むのは筑前の領地を確保する事だ。次の遠征ではそこが朽木の上陸地点になる。
今回の騒動で毛利からは何の不満も聞こえてこなかった。不満が無いとは思わない。おそらくは大殿の怒りを感じているのだろう。大殿も毛利には貧乏籤を引かせてしまった、済まぬ事をしてしまったと考えている。いずれその分の埋め合わせはするだろう。毛利は賢明だ、ごねるのではなく積極的に協力する事で信頼を得、大きくなろうとしている。その姿勢を貫く限り大友は滅んでも毛利は滅ばぬだろう……。




