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五摂家




天正五年(1581年)   三月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木堅綱




「ふむ、顔色も良い。そうは思わぬか、小夜」

「そうでございますね。弥五郎殿、奈津殿、少しは伊勢の湯でゆっくり出来ましたか」

「はい、十二分に」

答えると隣で奈津が頷いた。それを見て父上と母上が満足そうな笑みを浮かべた。


「それは何よりであった。真面目なのも良いが時には息を抜くのも必要だ。その辺の加減を自分でつけられるようになれば安心なのだがな」

「そのように努めたいと思います」

答えると父上が御笑いになった。

「難しいぞ、俺も中々出来ぬのだから。奈津、そなたも気を付けてくれよ。弥五郎を頼むぞ」

「はい」

父上が頷いた。


「弥五郎、その方が伊勢に行っている間に色々と動きが有った。その事を話さねばならん。小夜、奈津、済まぬが席を外してくれるか」

父上の言葉に母上、奈津が席を立った。織田の三介殿が命を狙われた、織田家は混乱している。おそらくはその事であろう。二人が立ち去るのを見届けてから父上が“近う寄れ”と言った。

「悪巧みは顔を寄せ合って行うものだ」

父上が笑っている。悪巧みとは……。父上から五尺程の所まで膝を進めた。


「子が出来た」

「は?」

「辰と桂にな。今年の秋には生まれるだろう」

「おめでとうございまする」

悪巧みは……。

「うむ、有難う。だが少々面映ゆいな。そなたの所は如何(どう)か? 奈津にそのような気配は無いか?」

「奈津にでございますか? さあ、今のところは……」

父上が“そうか”と仰せられた。


「或いは奈津は気に病むやもしれぬ。十分に労わってやれよ」

「はあ」

「そなたの母、小夜も嫁いでから暫くは子が出来ずに悩んでいたようだからな。気を付けねばならん」

「分かりました」

答えると父上が頷かれた。そうだな、気に病むやもしれぬ。父上がわざわざ教えてくれたのはそれが理由か。


「今年の正月の事だが織田の国人衆はその殆どが年賀の挨拶に使者を送ったそうだ」

「使者を?」

父上が“そうだ”と頷かれた。

「本来なら自ら赴いて挨拶をするのが筋。それをせぬ。三介殿を見限ったのであろうな」

「なるほど」

国人衆が織田を見限った。それでは兵が集まるまい。


「四月に兵を出す、尾張に攻め込む」

「四月に……」

「今小兵衛が織田の親族衆、重臣達に朽木に付けと声をかけている」

「……」

父上の視線が強くなった。

「その方は美濃から尾張に攻め込む。俺はまた伊勢に湯治に行こう。但し、今度は俺も尾張に攻め込む」

「はっ」


なるほど、前回は牽制だった。今度も同じ事をすると見せかけて不意を突いて攻め込むという事か。

「小兵衛の調略はどのような……」

「森三左衛門は積極的に敵対はせぬと言ってきた。他は分からぬ」

「……」

「俺の見るところ織田の親族衆、重臣達は内心では三介を見離しているようだ。使者を送れば寝返りは無理でも積極的に敵対する事は無いと見ている」

「確かに」


「国人衆も積極的に戦には参加せんだろう。だが織田は朽木同様銭で兵を雇う。兵力が足りぬという事は有るまい。油断は出来ぬ」

「はい」

「あの辺りは河川が多い。美濃の国人衆から良く話を聞く事だ」

「はい、御教示、有難うございます」

「うむ、頼りにしているぞ」

河川が多いか。渡る時に攻撃を受けると厄介ではある。鉄砲、それに大筒で援護させるべきかな? 後で半兵衛に訊いてみよう。




天正五年(1581年)   三月上旬    山城国葛野郡  近衛前久邸  

九条兼孝




禎兆(ていちょう)か、めでたき(きざし)という意味か」

「はい」

太閤、近衛前久が一口茶を飲んだ。ホウッと息を吐く。

「悪うはないの、もうじき天下も統一という事に成ろう。世の中も落ち着く、めでたき限りじゃ」

「はい」

太閤が頷いている。新しい元号は禎兆に決まった。四月の然るべき日を選んで改元への運びとなろう。


「鷹司の件だが前内府(さきのだいふ)から麿と一条左大臣の所に問い合わせが有った。良いのかと」

「……」

太閤殿下がチラリと私を見た。

「まあそなたの父御とは色々と有ったからの、心配しているらしい」

当然の心配と言える。弟が鷹司家を継げば五摂家の内三家を二条の血が占める事に成る。


「だがの、天下が統一されようとしている時、もはや我ら公家も内で争っている場合ではない」

「はい」

「天下を獲った前内府と帝が対立する、考えたくはないが有り得ぬとは言えぬ。その時には我らは一つとなって帝をお守りせねば……、そのためには味方は多い方が良い。鷹司家を再興し五摂家として事に当たる必要が有る。そうであろう?」

太閤が私を強い眼で見た。


「分かっております。弟にもその事は確と申し含めます」

「うむ、頼むぞ。前内府は一筋縄ではいかぬからの。帝との関係を軋ませる事無く穏やかな形で維持しなければならん」

「はい」

ここ数代、足利は決して強い天下人では無かった。むしろその弱さは時として足利は頼りにならぬと帝を苛立たせた。だが前内府は間違いなく強い天下人になる。それが帝との関係に如何影響するのか……。


「ところで源氏の氏の長者の件だがどうなったかな?」

「その事でございますが前内府から少し待って欲しいと」

太閤が眉を上げた。

「ほう、何故かな?」

「薩摩に居る公方を上洛させたいと」

“ふむ”と太閤が鼻を鳴らした。太閤と公方の関係は良くない。予想はしていたが余り良い反応ではない。


「簡単に上洛するかの」

「前内府は帝の命で上洛させたいと考えているようにございます。新たな帝の命なら……」

「なるほど、意地を張らずに済むか」

「はい」

太閤と私、互い顔を見合って頷いた。


公方は先の帝、院に対して良い感情を持っていない。その理由は先ず前公方(さきのくぼう)、足利義助に将軍職を認めた事、そして自らの将軍就任時に前公方に対して過分な配慮を示した事が有る。院も公方に対して強い不満を持った。悪政を布き朝廷を混乱させるだけで朝廷には何の奉仕もしなかった。将軍として不適格と見たのだ。その分だけ院は前内府を頼りにした。その事がまた公方には面白くなかった。院の命なら公方は上洛はするまい。だが帝の命なら……。


「そうよなあ、可能性は有るか。麿も関白を辞したゆえな。そなたが関白なら……」

“ほほほほほほ”と太閤が笑い声を上げた。父、二条晴良は親公方派であった。だが私には関係無い。少々迷惑ではある。

「となると源氏の氏の長者になるのはちと拙いの」

「左様でございますな。公方は意地になりましょう」

「そうよな」

太閤が頷いた。


「薩摩では公方は大分苦しいようで」

「さもあろう」

「本人はともかく付いて行った者達が弱音を吐いているとか」

「……」

朽木の天下は動かぬ。島津は所詮九州南部の大名。龍造寺、大友とも敵対している。九州を纏めて上洛する事は難しかろう。公方は足利尊氏の再現を狙っていると聞くがもう何年も九州に留まっている。そしてその間に朽木の勢いはさらに強まっているのだ。上洛など到底無理としか思えない。島津とてそのような事は考えてはいないだろう。朽木の斡旋で龍造寺、大友と和議を結んでいるのだ。


「しかし将軍職は如何するつもりかな。辞任を要求しては意地でも上洛はすまい」

「そのままで」

太閤の口元に力が入ったのが分かった。

「将軍にはならぬ、幕府を開かぬというのか」

「さあ、その辺りは何とも……。なれど伊勢兵庫頭の話では前内府は征夷大将軍職は足利の家職で良いと言っているのだとか」

「なるほど、足利の家職か」

太閤が頷いた。


前内府は将軍になりたがる単純な男ではないらしい。朝廷の中で勢威を延ばす事も望んでいない。官位にも執着しなければ皇統にも関わろうとしない。一体如何いう男なのか……。帝を尊崇しているようでは有るが今一つ掴み切れぬ所が有る。だからこそ太閤も帝と前内府の対立を危惧するのだ。


「確かにそれなら公方も上洛するかもしれぬ」

「はい」

「しかし征夷大将軍を必要とせぬとは一体前内府は何を考えているのか、一度聞いてみる必要が有るの」

「私もそう思います。御願い出来ましょうか」

「うむ」

太閤が頷いた。如何いう武家の府を開くのか、それによって朝廷との関係も変わってくるだろう。注意しなければならぬ。


「それで、戻すのは公方だけか? 顕如は?」

「公方だけでございます」

「なるほど、顕如には未だ利用価値が有るか」

「と言いますと?」

太閤がチラッと私を見た。

「顕如と門徒達を使って島津を混乱させようというのであろう。逆を言えば公方にはもう利用価値は無いという事よ」

「……」


「むしろ上洛させた方が島津の顔を潰す事が出来る。そう思ったのかもしれぬな」

「……」

「島津も焦ろうな、厭らしい事を考えるものよ」

「……島津が公方を弑す、有り得ましょうか?」

「さての」

太閤が“ほほほほほほ”と笑う。口元だけだ、目は笑っていなかった。




天正五年(1581年)   三月上旬    肥後国益城郡矢部郷 岩尾城  甲斐親直




「殿、深水三河守が相良に帰りました」

「そうか、三河守は何か言っていたか?」

「以後も心を一つにして島津に当たりたいと」

答えると主、阿蘇大宮司惟将が“うむ”と頷いた。頬に笑みが有る、満足しているらしい。


“宗運”と殿が私の法名を呼んだ。

「如何見る」

「はっ、相良遠江守様はかなり危機感を抱いているようにございます。三河守の口振りからそのように感じ取りました」

主が頷いた。耳川の戦いによって大友が大敗し九州の勢力図に変動が生じた。島津の勢いが南から北へと延びている。その勢いは肥後にまで及んだ。島津が肥後を狙っているのは間違いない。その手始めが相良領の葦北郡。昨年の春には島津勢が葦北郡に攻め込み水俣城の攻防が生じた。


あのままなら水俣城は陥落したであろう、葦北郡も奪われたに違いない。だが朽木が動いた。大友、龍造寺を動かし島津を包囲する動きを見せた。そして自らも土佐に兵力を集め日向を窺う姿勢を見せた。それによって島津は兵力の大部分を日向方面に動かさざるを得なかった。葦北郡の危機は回避された。そして島津は朽木に譲歩しその勢いは押し留められた。危うい所であった、唇欠ければ歯寒しと言うが相良の滅亡は阿蘇の滅亡にも繋がる。相良との連携を強め相良を助けなければ……。


「肥後、豊後、島津はどちらに動くと思うか?」

「さて、緊張が強いのは豊後にございまするが……」

日向に安芸の一向門徒を入れた事で日向、豊後の国境沿いで住民達の小競り合いが絶えぬと聞く。それを利用して戦に持ち込もうとしているようにも見えるが油断は出来ぬ。肥後、或いは両方で兵を動かす事は有り得よう。朽木に抑えられたとはいえ島津には勢いが有る。そして大友は弱体化している。


「宗運は龍造寺を如何見る」

「単純に島津に対抗するためというなら龍造寺を後ろ盾にする事も一つの策でございます。ですが殿は龍造寺を嫌っておられる」

私の言葉に主が苦笑を浮かべた。

「儂は肥前の熊を信用出来ぬ。柳川の蒲池の一件、そなたも知っていよう」

「はっ」


「蒲池は龍造寺の苦境を二度も救った家。蒲池の援助が無ければ龍造寺は滅んでいたかもしれぬ。今の龍造寺は無かったであろう。それを……」

主の顔が嫌悪で歪んだ。今年の正月、柳川の蒲池民部大輔が龍造寺に誅され蒲池一族も族滅された。騙し討ちに近いやり方であった。蒲池民部大輔が島津に近付こうとした所為らしい。龍造寺の家臣達からは蒲池民部大輔その人は誅しても蒲池一族は滅ぼすべきでは無かったいう声が上がっていると聞く。要地である柳川を龍造寺が自ら押さえるためではないかという噂が流れている。その可能性は有るだろう。


「あの男、大領を得てから人が変わった。傲慢、冷酷なところが出てきた。到底頼る事は出来ぬ。あれを頼れば島津から我らを守るという名目で無理難題を押し付けて来るだろう。そうは思わぬか?」

「かもしれませぬ。となれば頼るのは大友となります。ですが大友は島津、龍造寺、大友の三家では一番勢いが振るいませぬ」

殿が頷かれた。


「そうよな、そして筑前の秋月とも関係は良くない。大友は周囲を敵に囲まれている。頼りにはならぬ」

「はい」

「だが大友には朽木を動かす力が有る」

強い口調だ、殿が私を見ている。殿は大友では無くその後ろの朽木を頼ろうと考えている。


「御気持ちは分かります。某もその事は考えました。なれど朽木は東に動きました。それに朽木が動いたのは大友のためでは無く琉球のためだとも言われております」

殿が息を吐いた。

「朽木を頼る事は出来ぬか?」

胸が痛む、縋る様な視線だった。


「いずれは九州に参りましょう。ですがそれが何時の事に成るか……。それまで阿蘇家が存続しているという保証は有りませぬ」

「……」

主が沈痛な表情をしている。甘い事は言えぬ。この乱世では弱者は強者の庇護を得なければ生きてはいけぬ。だがその強者を選ぶのが難しい。


「先ず心せねばならぬのは島津、次に龍造寺でございましょう。島津に対しては相良と手を組み相良を助けねばなりませぬ。我らが島津の侵攻を撥ねかえせば龍造寺は我らの価値を認め敵にするよりも味方にしようとする筈。そうなれば無理難題は申しますまい」

「うむ」

阿蘇だけでは弱い、相良だけでも弱い。だが阿蘇と相良なら……。


上手く行けば島津も相良、阿蘇を潰すよりも味方にしようと考えるかもしれぬ。いや、難しいか。相良、阿蘇をそのままにしては肥後を北上するのに不安を感じるかもしれぬ。やはりどこかで勢力を削ぎに来ると見るのが妥当だ。だが龍造寺なら島津への抑えとして利用しようと考えるだろう。我らが島津を抑えている間に大友を喰う。人質は取られるかもしれぬが勢力を削ぎ落そうとは考えるまい。


時を稼ぐのだ。いずれは朽木が来る。それまで時を稼ぐ。相良が健在な内は相良と手を組んで事に当たる。龍造寺も利用する。だが相良が当てに出来なくなった後は矢部郷に籠って時を稼ぐしかない。幸いこの矢部郷は決して攻め易い所ではない。


「朽木に使者を出しましょう」

「そうだな」

一日も早く九州への出兵をと使者には言わせよう。前内府に阿蘇の名をしっかりと覚えさせるのだ。時期を見て阿蘇の血を引く御方を朽木に送ろう。その御方に阿蘇家を継がせる。そういう事になるかもしれない……。







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