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土佐の混乱




天正四年(1580年)   二月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  

朽木基綱




「権大納言様には御機嫌麗しく恐悦至極にございまする」

目の前に三人の男が居る。一人が挨拶をして頭を下げると後の二人も頭を下げた。三人の内二人は日本人じゃない。

「久しいな、フロイス。元気であったか」

「はい」

流暢に日本語を操って挨拶したのはルイス・フロイスだ。この男、史実では日本での滞在中の記録を残しているがキリスト教に好意を持っているか、持っていないかで人物評価がかなり違う。そういう面ではかなり注意して読む必要が有る。


今も書いているのだろう。俺はどう書かれているかな、公平には扱っているが特別に優遇はしていないからあまり好意的には書かれていないだろうと思う。後ろの二人はアレッサンドロ・ヴァリニャーノとロレンソ了斎だ。この時代の日本のキリスト教を調べれば必ず出てくる名前だ。ロレンソ了斎がヴァリニャーノに会話の内容を伝え、ヴァリニャーノが頷いている。通訳のために同道したようだ。こちらは俺一人だ。相談役達も皆外させた。これからどんな話になるかは想像が付く。九州でキリシタンがやった事を知って以来、朽木家では連中に対する評価は駄々下がりだ。わざわざ年寄りに不愉快な想いをさせる事は無い、老い先が短いのだからな。


「それで、今日は何の用だ?」

「はい、九州の事でございます」

そうだろうと思った。まあ予想が当たったんだけど嬉しくない。

「九州か、九州がどうかしたかな?」

「薩摩の島津、肥前の龍造寺、筑前の秋月が悪心を持って豊後の御屋形様を攻めようとしております。何卒権大納言様の御力添えを願いたく参上いたしました」

多少片言だが見事なものだ。ここまで日本語を覚えるのは大変だっただろう。その努力は買うぞ。


もっとも買うのは努力だけだ。それ以外の評価はゼロだな。大袈裟な身振り手振りも鬱陶しいだけだ。こいつらが何故ここに来たか、豊後の御屋形様、つまり大友宗麟を助けたいためだがその理由はあくまでキリスト教の為だ。大友宗麟は神社仏閣を壊して神の国を造るなんて考える阿呆だがフロイス達から見れば可愛い大事なパトロンなのだ。


そして攻め寄せてくる島津にはキリスト教に敵意を持つ足利義昭、顕如が居る。フロイス達にとって島津勢は悪魔の軍団だろう。宗麟が滅べばフロイス達も大打撃を受ける。場合によっては九州からの撤退も有り得るだろう。こいつらはそれを怖れて此処に来たのだ。まあ早い話が俺に悪魔退治をしてくれという事だ。


でもな、以前言ったよな。宗教が政に関与するなって。お前らがやっているのはそれだぞ。九州でやった事も、此処でやっている事も。宗教の為に政に介入しようとしている。

「九州に兵を出せと言うのか。残念だが難しいな、それは。先年得た安芸国が未だ安定せぬ。あそこは一向門徒の力が強い所でな。知っていると思うが顕如が島津の元に身を寄せている。俺が九州に攻め込めば安芸で一揆が起こりかねん」

「……」


フロイスが顔を顰めている。こいつらにとって仏教勢力は敵だ。特に顕如はその最たるものだ。心の中で“悪魔”とか罵っているだろう。顕如も俺を仏敵と罵っている。要するに宗教指導者にとっては自分の敵は個人の敵ではなく宗教の敵なのだ。宗教指導者ってのは本来心が(ひろ)いものだと思うが実際には狭くなるんじゃないかと思うわ。


「それに今年は帝が譲位をなされる」

フロイスが訝しげな表情をした、譲位の意味が分からなかったのだろう。ロレンソ了斎の説明を聞いて納得したようだ。

「俺はそちらの方も進めなければならんのでな、島津と戦うために九州に行くような余裕は無い。東海の織田家も跡目が決まらぬ、そちらの問題も有る。残念だが諦めて貰わねばならん」

フロイス、ヴァリニャーノががっかりした様な顔をした。


「九州の情勢は如何(どう)なのかな? 畿内に居ると中々分からん。大友家が先年の敗北以来苦しい状況に有るとは聞いているが」

「御味方の阿蘇は島津の攻勢に耐えておりますが厳しい情勢でございます。筑前では何人もの武将が豊後の御屋形様に反旗を翻しました。肥前では龍造寺が豊後の御屋形様に味方する者達を攻め滅ぼしております」

「なるほど」


まあこちらが押さえている情報とほぼ一致しているな。九州の情勢は伊賀衆から報告が届いている。肥後ではこれまでも島津の圧力は有ったが耳川の戦いで大友が負けた事で島津の圧力が更に強まった。今は南肥後の阿蘇、相良が抵抗しているが先ず保たんだろうと報告が来ている。史実通りなら南肥後は島津、北肥後は龍造寺が押さえる。そしてぶつかるだろう。筑前では秋月種実が、筑紫広門、原田隆種、宗像氏貞等と組んで大友に反抗している。


この連中は元々大友の家臣では無かった。大友の勢いが強かったから従っただけだ。宗麟が領内の統治にもう少し力を注いでいれば違ったのだろうがこの現状では如何見てもそうは思えない。大友が力を失った以上反旗を翻すのは当然と言える。そして豊前では秋月種実の息子の高橋元種が反大友で動いた。彼方此方で大友に敵対する者が続出している。


そして龍造寺は動けない大友を尻目に肥前を制し肥後、筑前、筑後、豊前に勢力を伸ばした。大友にとっては島津よりも龍造寺の方が脅威だろう。大友の周囲は敵ばかりだが唯一の救いは島津、秋月、龍造寺を統合しようと考える足利義昭の思惑に乗る大名が居ない事だな。現状では島津と龍造寺はどちらが肥後を制するかの競争をしている。いずれはぶつかるだろう。史実では島津が勝ったがこの世界ではどうなるか……。


「如何かな、フロイス。俺の方から大友家と龍造寺家の和睦を斡旋しようか。島津との和睦は難しいと思うが龍造寺なら可能性が有るかもしれん。龍造寺にとっても大友と争っている間に南から島津に動かれるのは避けたいと思っているのではないかな」

「そうして頂けますなら」

「分かった、俺の方から使者を出そう。だが余り期待はするなよ」


龍造寺に使者を出して感触を探ろう。島津と戦う意思が有るのか否か。有るだろうな。大友と和睦をすれば総力を挙げて島津に向かう事が出来る。勝ち目が出るかな? 出ればその気になるだろう。いや、やっぱり九州は島津に一旦占領させて切支丹を叩き出してから島津を叩いた方が得策かな? うーん、良く分からん。なんか行き当たりばったりになってきたような気がする。


フロイス達が下がった後、百地丹波守泰光がやってきた。

「今日は丹波守か」

「はっ」

にこやかに丹波守が答えた。伊賀者と言っても色々だ。千賀地半蔵は普通だが藤林長門守は大仏様、そして丹波守はにこやかで忍者というより商人を思わせる風貌をしている。


「はて、皆来ぬな」

「某が人払いを願いました故」

「ほう、何か起きたか?」

「長宗我部が些か騒がしゅうございまする」

「動こうと言うのか?」

「いえ、迷っているようで。宮内少輔は動きたがっているようでございますが周囲が止めているとか」

「なるほどな、まあこうなるとは思ったが……。止める理由は俺だな?」

「はっ」

丹波守が頷いた。


土佐の一条兼定が馬鹿をやった。新年早々以前からキリスト教にかぶれて寺を潰そうとしていたんだが本当にやりやがった。対象になった寺は幡多郡に有る石見寺という寺なんだがこの寺、代々の土佐一条家当主が比叡山延暦寺に見立てた寺だった。つまり土佐一条家にとっては国家鎮護の寺なのだ。当然だが反発は大きかった。


一条家の重臣土居宗珊は何度も兼定を諌めたらしい。大友が耳川の戦いで大敗を喫したのも神社仏閣を破壊したからだと言ったようだ。だが兼定は聞き入れなかった。朽木基綱は比叡山延暦寺を焼き払った。何故自分が石見寺を破却して悪いのかと言ったらしい。嫌になるわ、俺は延暦寺が敵対したから焼いたんだ。キリシタンのためじゃないぞ。


土居宗珊はどうしようもなくなって切腹して兼定を諌めようとした。まるで平手政秀だな。だが兼定は宗珊が腹を切っても翻意しなかった。むしろ意地になって石見寺を焼いた。坊主も殺したらしい。これで一条家の家臣が反旗を翻した。先ず土居宗珊の息子、土居伊豆守。宗珊と共に家老職を務めた安並和泉守、羽生監物、為松若狭守も同調した。その後は反旗を翻す者が続出した。今では兼定に付いている者は極僅からしい。長宗我部元親が動きたがる筈だよ。喰ってくれと言っている様なものだ。


「御屋形様」

「何だ?」

「島津が動くやもしれませぬ」

「はあ? 本当か?」

九州統一は如何した? 四国に兵を出す様な余裕が有るのか? 唖然としていると丹波守が頷いた。

「真でございまする」

「信じられんな、それでは敵が多くなるだけだろう。朽木だけじゃない、下手をすれば三好とも事を構える事になるぞ」


気が狂ったか? そう言いたい。九州北部には大友、龍造寺が居るのだ。なんでそこで四国に出ようとする。戦線を広げても碌な事にはならない。有り得ないだろう。島津は昭和の日本陸軍か?

「琉球が絡んでおりまする」

「琉球?」

問い返すと丹波守がゆっくりと頷いて話し始めた。


丹波守の話を聞いて思ったのは風が吹けば桶屋が儲かると言うかバタフライ効果と言うか世の中は広いようで狭い、繋がっているんだと言う事だった。琉球との交易だがこいつは島津家だけのものではない。朽木も絡んでいれば土佐一条家も絡んでいるし九州の諸大名、国人衆も絡んでいる。特に古くから勢威を振るった家は大体交易しているらしい。大きい所で大友、伊東、小さい所で相良、種子島、禰寝(ねじめ)頴娃(えい)などだ。その中には島津に服属する国人衆も居る。


皆で琉球と交易してきたのだが近年事情が変わってきた。島津の膨張だ。島津が日向の伊東を潰し耳川の戦いで大友を破った事で島津の勢いが圧倒的に強くなった。元々九州の最南端に有るという地理的な強みも有るが島津は過去に足利将軍家から琉球を賜ったという与太話を唱えているらしい。そして改めて義昭から琉球を拝領したのだとか。笑わせるよ。


だがそういう茶番を行っても島津は琉球との交易を島津の管轄下に置こうとしているようだ。具体的には琉球には島津が許可した大名、国人衆以外の者との取引をさせない事、そして島津に従属している国人衆に島津の許可無しには交易船を出させない事だ。島津はそうする事で国人衆の独立性を奪い、琉球を島津の従属下に置こうとしている。いやそれだけではないな、島津は南九州、琉球を含んだ一つの勢力圏を、島津の定める秩序による勢力圏を構築しようとしていると考えるべきなのかもしれない。いずれは北上して九州全土にその勢力を広げようと言うのだろう。


琉球の方にも弱みが有った。ポルトガル船等の来航、更に明が海禁政策から海禁の緩和へと政策を変更した事だ。要するに明との交易を独占していた強みが消えたのだ。それによって琉球の持つ価値が以前に比べれば遥かに弱まった。価値が弱まれば発言力も弱まる。そんなところに島津が勢威を強め始めたのだ。琉球の対日貿易、九州方面の交易は窓口が島津一本に統合された。島津の管理下に置かれるように成ったのだ。琉球は極めて危険な状況に置かれる事に成った。


そんな琉球が利用したのが朽木の存在だった。琉球の交易相手は島津だけじゃない、中央で大きな勢力を持つ朽木とも琉球は交易している。島津の言う事など聞くわけには行かないと突っぱねたわけだ。まあ実際にはもっとソフトに言ったんだろうが言葉を飾らなければそんな感じだろう。島津が琉球との交易を止めて経済封鎖を試みても琉球には朽木を通して日本中央との交易ルートが有るから無意味だぞ、と言うわけだ。


「御屋形様、島津は朽木が邪魔なのです。大隅、日向を押さえたのは最近の事、未だ島津の足元は柔らかい。これを固めるには国人衆への統制を強めなければなりませぬ」

「そうだろうな」

「その一つが琉球との交易なのでございましょう。琉球との交易を一手に握る事で利を得ると同時に国人衆を制御するのが狙いと見ます。ですが朽木に島津の統制下に入れと言うのは難しい。しかしそれでは国人衆に示しが付きませぬ。何故朽木は除外するのかと国人衆は不満に思いましょうしやはり朽木には勝てぬのだと島津を下に見ましょう」


だろうな。国人衆をどれだけ統制出来るかで大名の力が変動する。それは分かるがだからといって四国に出兵? 朽木は土佐を中継点として琉球に交易船を出している。土佐を失えば琉球との交易が苦しくなるのは確かだ。だが戦線を拡大して負荷を増大させる事が得策とも思えない。疑問に思っていると丹波守が笑い出した。

「御屋形様は疑問に思っておられましょう。だからといって四国に兵を出す? 負担を増やして如何するのだと」

「まあそうだな。俺ならやらん、時期を待つ」

また丹波守が笑った。


「島津も本気で兵を出す気では有りますまい」

「……なるほど、そこで長宗我部か」

丹波守が頷いた。そういう事か、島津は長宗我部の尻を叩いているのだ。早く動かないと自分が西土佐を喰うぞと。島津にとって大事なのは西土佐を獲る事ではない、朽木の船が琉球に来なくなる事、琉球を独占する事だ。土佐が混乱し朽木と琉球の交易が僅かな期間でも途絶えてくれればその間に琉球を押さえ付ける事が出来ると見ているのだろう。


「足利義昭公が頻りに使者を長宗我部に送っております」

「朽木大膳大夫を討てか?」

「はい」

相変わらずだ、義昭は俺の事を大膳大夫と呼んでいるらしい。格下扱いにしなければ気が済まないのだろう。可笑しくて笑ってしまった。丹波守も笑っている。

「丹波守、島津は義昭様を抱えているが本気で朽木と事を構える気かな? 幕府の再興を考えているのか?」

丹波守が小首を傾げた。

「さあ如何(いかが)でございましょう。某には九州制圧の為に義昭公を利用しているだけとしか思えませぬが……」

「そうよな」


同床異夢か……。憐れな事だ。関東公方は滅びた、足利本家も中国から九州へと落ちた。平島公方家は四国で健在とは言え四国を制しているわけではない。名門として扱われているだけだ。足利による天下の統治など誰も望んでいない。島津も利用しているだけだ。それなのに義昭とその周辺だけが現実に目を背けそれにしがみ付いている。


「もっとも九州を制した後はどうなるか、それは分かりませぬ」

「そうだな」

九州を制した事で満足するのか、それとも島津は中央を目指すのか。中央を目指すとなれば義昭の利用価値は有るだろう……。いや九州を独立させ義昭を担いで島津が実権を握ると言う手も有るか……。

「御屋形様、如何(いかが)なされます?」

丹波守が俺の顔を覗き込んできた。心配そうな顔をしている。もしかすると自分の考えに没頭してた? 思わず苦笑が漏れた。


「馬鹿を相手にするのは疲れるわ、諦めの悪い男を相手にするのもな。ウンザリよ」

「……」

「兵を出す。これを機に長宗我部を潰す。そして一条少将を隠居させ倅を当主に立てよう」

「はっ」

丹波守が頭を下げた。何となく嬉しそうだ。自分の報告で俺が兵を出すと決めたと思っているのかもしれない。


「それと土佐から九州を窺う姿勢を見せるつもりだ」

「島津を脅されるので?」

驚いている。

「うむ、大友と龍造寺に和睦の斡旋の使者を送る。俺が島津を攻撃する姿勢を見せればすぐさま和を結んで俺に同調しよう。島津は忽ち窮地に陥る」

「なるほど」

丹波守が大きく頷いた。フロイス達に約束した事が妙な形で役に立つ事に成った。あの連中も喜ぶだろう、俺はキリシタンに好意的だと思うかもしれない。今はそう思わせておこうか。


「琉球にも使者を出す。朽木に服属させよう。俺は島津と交易をするなとは言わん。好きにやって良い。だが琉球が今の立場を守るには後ろ盾が必要だ。それには遠くにいる俺の方が良いだろう」

俺ではなく日本という国に従う、朝廷の臣になると言う形の方が良いかもしれない。嫌がるかな? だが明に朝貢して冊封を受けているんだ。形式的な独立に拘るとは思えないし島津に服属するよりはましだろう。殿下にも相談してみよう。京に行かねばならん、ついでに一条の件を右大臣に相談だな。殿下も右大臣も余り煩い事は言わんだろう。


「次の大評定で皆に話す」

「はっ」

丹波守が頭を下げた。俺が西で動く間に東がどうなるかな。もしかすると織田と徳川がぶつかるかもしれん。或いは美濃で自立の動きが急進展するか。島津を脅せば安芸の一向門徒が顕如にそそのかされて暴発するかもしれん。そうなれば好都合だな、これを機に安芸から門徒を一掃して九州攻めの懸念事項を取り除く事が出来る。十兵衛、毛利、それと三好にも文を送らなければ。


……いや、毛利は止めよう。毛利家中から顕如に、安芸門徒にこちらの狙いが漏れる可能性が有る。それでは面白くない。上手く行けば西が安定するだろう。そして次は東だ、忙しい事だな……。





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