権中納言
天正二年(1578年) 九月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 真田 恭
御屋形様の御部屋に赴くと部屋には御屋形様が御一人で居られた。珍しい事、御相談役の方々が居られぬとは……。
「御屋形様、恭でございまする」
「うむ、良く来てくれた。こちらへ」
「はい」
一間程の距離をおいて座ると御屋形様が微かに笑みを浮かべた。
「恭、そこでは遠い。もそっと傍に」
「ですが……」
それでは余りに畏れ多い。
「恭よ、まさかとは思うが、そなた、恥らっているのか?」
「まあ」
思わず噴き出してしまった。御屋形様も笑っている。御屋形様の冗談にも困ったもの……。
「失礼いたしまする」
半分ほど距離を詰めると御屋形様が“今少し”と言われた。一躙り、二躙り。“まだまだ”、更に一躙り。御屋形様から二尺程離れた所にまで近寄った。
「話というのは武田の松姫、菊姫の事だ。そなたも薄々は気付いているかもしれぬがどちらかを俺の側室にという話が有る」
「チラとは聞いておりまする」
答えると御屋形様が頷かれた。
「元々俺はそういう事は考えていなかった。家中の者と娶せ武田の名跡を継がせれば良かろうと思っていた。そなたも知っているな」
「はい、倅よりそのように聞いておりまする。私もそれで問題は無いと思っておりました」
御屋形様がまた頷かれた。
「何と言っても武田は上杉、織田と敵対した。その娘を俺の側室にして生まれた子に武田の名跡を取らせては上杉、織田も不快に思うだろう。皆も納得していた。だが弥五郎が上杉から嫁を娶る事になった。それで家臣達が違う心配をするようになった」
御屋形様が顔を顰められた。
「武田の姫が上杉の姫に臣下の礼を取る事になる。武田の旧臣達が不満に思うのではないかと。織田、上杉とは縁を結ぶ事で繋がりは強固になった。ならば武田の姫を俺の側室にし生まれた子に武田の名跡を取らせても良いのではないか。武田の旧臣達も喜ぶだろうと」
今度は深く息を吐かれた。大分悩まれている。
「御気が進みませぬか?」
「まあそうだ。俺は女は好きだが色好みというわけではない。小夜に雪乃、辰。来年は篠も迎えねばならん。更にもう一人と言われてもな、正直手に余る。大勢抱えて“さて今宵は誰の所に行こうか”等と能天気になれる性格ではないのでな」
「まあ」
また吹き出してしまった。御屋形様はにこりともしない。冗談ではないらしい。御屋形様の御身分なら側室がもっと多くても可笑しくはないのに……。
「それにな、俺は武田とは例の一件が有る。家臣を召し抱えるのは良いが姫を側室に迎えるのは気が進まん」
「……」
「そなたの亭主殿が仕官を求めてきた時にもそれを訊いた。恨んではおらぬかとな」
「……夫は何と?」
「亭主殿は良き主君に仕えたいと言ったな。だが恨んでいないとは言わなかった」
「左様でございますか」
御屋形様が頷かれた。
「恨むのは当然であろう、あの一戦で全てが変わった。故郷を追われたのだからな。だが良き主君を得たい、今一度世に出たいという気持ちに嘘は無いと思った。だから召し抱えた。その事を後悔はしておらん。そなたの亭主殿も後悔はしておるまい」
「はい、御屋形様に御仕え出来た事を喜んでおりました」
夫は喜んでいた。御屋形様に信任され、名を上げ、領地も頂いた。信玄公に御仕えした時よりも領地は多い。息子達も引き立てられ何の不安も無かった。死んだ時も安らかな顔をしていた。夫には十分に生きた、自分の選択は間違っていなかったという満足感が有ったのだと思う。傍で見ていたから分かる。夫は本当に楽しそうに生きていた。だから私も楽しかった。
「だが松姫と菊姫は如何であろう? あの二人には武田の名跡を残したいという想いは有っても良き主君を得たいという気持ちは有るまい。であれば恨みは消えぬのではないかな? 俺の側室になっても幸せには成れぬのではないかと思うのだ」
御屋形様が憂欝そうな御顔をされている。
「恨んでいような、俺を」
御屋形様が此方を見ている。嘘は吐けない。
「おそらくは。普段は面に感情を表す事は有りませぬ。ですがふとした折に酷く暗い憂欝そうな御顔を成される事が有ります、苛立つような御顔も。御屋形様を頼る他無いと御理解されてはおられまするが御心の内では不満に思われる事も御有りなのでしょう。已むを得ない事とは思いまするが……」
御屋形様が頷かれた。
「そうよな、已むを得ない事ではある。……俺の側室になって心が晴れると思うか?」
「……」
「恭、そなたは諏訪御寮人の事を憶えていよう。あの方は如何であったかな、幸せであったと思うか?」
「諏訪御寮人様、ですか?」
御屋形様が頷かれた。思いがけない名が出た。諏訪御寮人様。武田の御屋形様に父君を殺されその後側室になった諏訪家の姫。御子が生まれその御子は武田の最後の当主信頼様となられた……。
「分かりませぬ。ですが私なら幸せとは思いますまい。諏訪家の方々は皆様酷い目に遭いましたから……」
「そうだな、諏訪御寮人に近しい人は殆どが殺されたと聞いている。武田家も似た様な境遇になった。俺の側室になるなどあの二人にとっては屈辱でしかあるまい」
少しの間会話が途絶えた。御屋形様は御優し過ぎる。……いつかその事が仇にならなければ良いが……。
「如何なされます?」
「……武田の者達は如何思うのであろうな? やはりあの二人を側室にと思うのか?」
「武田家の者は新参にございます。自分達の立場に不安が有りましょう。その不安を取り除いてやれば安心する筈でございます。側室に拘る事は無い様に思いまするが?」
御屋形様が頷かれた。
「道理では有る。だがどうやって不安を取り除く」
「かつて信濃衆は御屋形様が我が夫達を厚遇するのを見て次から次へと朽木家に仕官を求めました」
「なるほど、朽木家中において武田家の者が重用されているという事実が必要か」
「はい」
御屋形様が御笑いになられた。
「余程の厚遇が必要だな、恭」
「左様でございますね」
「小山田左兵衛尉を朽木の評定衆にしよう。武田の旧臣も何か有れば左兵衛尉を頼れば良いと安心する筈だ」
「はい」
大胆な事、いきなり朽木の重臣に遇するとは。
「それと浅利彦次郎と甘利郷左衛門を弥五郎の傍に付ける。実戦経験豊富な者を傍に置く必要が有るだろうからな」
「はい、良き御思案かと思いまする」
若殿様の側に武田の者が居る。次代になっても武田の者が冷遇される事は無いと安心しよう。例え上杉から正室を迎える事になっても……。
天正二年(1578年) 九月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 武田 松
「おめでとうございまする」
大方様の声に合わせて“おめでとうございまする”と祝いの言葉を述べると御屋形様が微かに笑みを浮かべるのが見えた。
「母上、有難うございます。皆も有難う」
「それにしても驚きました。参議に昇進したと思ったら十日後には権中納言に昇進とは。……本当に信じられませぬ」
大方様が首を横に振られた。御裏方様、雪乃殿が頷かれている。そう、本当に信じられない。
御屋形様が苦笑を浮かべられた。
「毛利が降伏いたしましたから」
「まあ、毛利家の事が関係しているのですか?」
雪乃殿が問うと御屋形様が頷かれた。
「そうだ、朝廷は毛利攻めにあと二年はかかると見ていた。朝廷だけではないな、皆もそう考えていたと思う。その間に参議、権中納言、権大納言へ。朝廷はそう考えていたのだ」
「まあ」
皆で顔を見合わせた。菊も驚いている。
「堂上の方々を驚かせてしまったようだ。関白殿下から毛利を降す自信が有るのなら早くに知らせて欲しかったと御叱りの文を頂いた」
「私ももっと後だと思っておりました。まさか水攻めなど……」
弥五郎様の言葉に皆が頷いた。御屋形様が軽やかに笑った。
「権大納言に昇進するのですか?」
「来年にはそうなります。おそらく正三位に昇進しその上で右近衛大将に任じられる事になります」
彼方此方から溜息と“まあ”、“なんと”と言う声が上がった。右近衛大将? 私も溜息が出そう。とても信じられない。
「随分な厚遇ですけれど大丈夫なのですか、まさかとは思いますが位打ちと言う事も有りますし……」
大方様が心配そうに声を出すと御屋形様が“それは有りませぬ”と笑いながら打ち消された。
「足利義昭様が征夷大将軍の座に在ります。武家の棟梁は自分であると主張されている。朝廷はそれを否定したいのです。武家の棟梁は朽木であり朝廷は朽木を信任していると主張したい、そう考えています」
「それで右近衛大将に?」
辰殿の問いに御屋形様が頷かれた。
「右近衛大将は鎌倉に幕府を開かれた源頼朝公が征夷大将軍になられる前に就かれた職だ。武家にとっては名誉な職であり目出度い職でもある。要するに官位の上でも将軍と同等、それ以上であるという事だな。朝廷はそう言っているのだ」
また溜息が聞こえた。朝廷は御屋形様を頼りにしている。その事が良く分かった。でもそれ以上に御屋形様が平静なのに驚きを感じる。
「まあ右近衛大将に就任しても一月程で職を辞します」
また皆が驚いた。御屋形様が私達を見て可笑しそうに笑い声を上げた。
「よろしいのですか?」
「構いませんよ、母上。近衛大将は右も左も成りたがっている人間が多い。こちらは一度右近衛大将になったという実績が有れば良いのです。それで十分でしょう。長居して恨まれる事は有りませぬ」
溜息が出た、御屋形様は醒めておいでだと思う。私の身近にいた人達とはまるで違う。兄や叔父、家臣達とどこも似ていない。微かに覚えている父とも似ていない。
「権大納言と右近衛大将はどちらが偉いのですか?」
松千代殿が無邪気に声を上げた。どちらかしら?
「右近衛大将だ。その辺りは母上が御詳しい。そうですね、母上」
「ええ、権大納言と右近衛大将を兼任すると右大将と呼ばれます。それに右大将を兼任していると権大納言としての席次は下でも内大臣に成り易いのですよ」
松千代殿が感心しその隣で弥五郎様が頷かれた。
「弥五郎殿、努めなければなりませぬよ。御屋形様の後を継ぐのですから」
御裏方様が心配そうに弥五郎様に声をかけた。
「小夜、そう弥五郎の尻を叩くな。弥五郎は良く努めている。少しは認めてやれ」
御屋形様が笑いながら御裏方様を窘めると御裏方様が頬を赤らめた。それを見て皆が顔を綻ばせた。
「いえ、母上の仰る通りです。まだまだ足りませぬ」
弥五郎様の言葉に御屋形様が軽やかに笑い声を上げた。
「それが分かっているなら良い。父も全てを一人で考えたのではない。分からぬ事を皆に訊ね、悩み、考えて決断した。苦しいであろうがそなたは嫡男として生まれた。耐えねばならぬ」
「はい」
弥五郎様が頷くと御屋形様も頷かれた。
「辛い事が有れば父に話せばよい。役に立つかどうかは分からぬが悩みを聞くぐらいは出来よう。遠慮は要らぬぞ」
「有難うございます」
「来年には上杉家から妻を娶る。そうなればまた違った物の見方が出来よう。楽しみだな」
「はい」
上杉家からの輿入れ。御目出度い事なのだろうけども私と菊にとっては……。
天正二年(1578年) 十月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
暦の間に十人の男が集結した。日置五郎衛門、宮川新次郎、蒲生下野守、黒野重蔵、小兵衛、大叔父、千賀地半蔵、藤林長門守、弥五郎、俺。伊賀衆と八門が席を同じくするのは初めてだ。だが両者とも意識するようなところは無い。流石だな、まあ重蔵は八門の頭領を隠居したからな、その辺りも関係しているのかもしれない。
「大友が四万の兵を率いて日向に攻め込んでおります。島津に付いた北日向の土持氏は大友によって滅ぼされました」
千賀地半蔵の報告に弥五郎の表情が動いた。父親は大友を評価していないが結構やるじゃん、そう思っているのかもしれない。
「これまで大友勢は嫡男の五郎義統が率いておりましたがいよいよ宗麟が自ら軍を率いると日向へ向かいました。但し、重臣達はいずれもそれに反対、それを押し切っての出陣でございます」
藤林長門守を除く皆が顔を見合わせた。重臣達が反対、対島津戦に必ずしも賛成しているわけでは無いのだろう。
「島津の動きが遅い様な気がするが」
「義昭様の御相手が忙しいのかもしれぬ」
五郎衛門と新次郎の掛け合い漫才に皆が失笑した。有り得るな、だがもう一つ可能性が有る。土持氏の勢力拡大を嫌った島津が土持氏を見殺しにしたという可能性だ。
「日向北部に進出した大友勢は寺社、仏閣を破壊しております」
「その者達は大友に敵対したのか?」
俺が問うと半蔵が首を横に振った。
「いえ、そうではありませぬ。日向に切支丹の王国を造るのだとか」
シンとした。五郎衛門、新次郎、下野守、重蔵、小兵衛、大叔父、弥五郎が顔を見合わせている。正気か? そんな感じだ。報告者の半蔵も困った様な表情だ。だが大仏様の藤林長門守の表情は変わらない。お前なあ、寺が壊されてるんだぞ、少しは反応しろよ。
「これで島津は大友の動きを容易く知る事が出来るな」
下野守の言葉に一人を除いて皆が頷いた。寺社関係の人間にとって大友宗麟は仏敵だ、先を争って大友の動きを島津に教えるだろう。日向だけとは限らない、大友の領国からも裏切る人間は出る筈だ。大友はまた内部に火種を抱え込むことになった。重臣達が宗麟の出陣に反対したのもこれが関係しているのだろう。
「父上、大友宗麟は何を考えているのでしょう。南蛮との交易の為でしょうか」
弥五郎が訝しげな表情をしている。南蛮との交易か、それも有るだろうな。
「救われたいとでも思っているのだろうよ」
「救われたい?」
益々困惑している。
「弥五郎、大友家では宗麟が家督を継ぐ時にかなり大きな御家騒動が有った。知っているか?」
「いえ、存じませぬ」
ちょっと恥じ入る様な表情を見せた。
「ま、知らぬのも無理は無いな。俺が生まれた頃の話だ。三十年近く前の事になる」
「三十年」
呆然としている。十五にもならないのだ、三十年と言われても想像が付かないのだろう。
「宗麟は嫡男だったが父親に愛されなかった。宗麟は母親が大内氏の出だった。父親が大友氏の中に大内氏の勢力が入って来るのを嫌ったからだと言われている。大内氏の事は知っているな?」
「はい、毛利の前に山陽、山陰で勢力を振るったと聞いております。尼子と何度も争ったと」
「うむ、まあそんなものだ」
「宗麟の父親は側室が生んだ宗麟の弟を跡継ぎにしようとして宗麟の支持者を殺したらしい。宗麟を孤立させようとしたのだろう。そして宗麟の支持者がそれに反発して宗麟の父親、側室、弟を襲撃した。側室と弟は殺され父親も重傷を負った。確か日を置かずして死んだ筈だ。裏で糸を引いたのは宗麟だろうと俺は思っている」
弥五郎が顔を強張らせている。この程度で驚いては駄目だぞ。父親の死だって傷が原因か怪しい所が有る。宗麟が手を下したとしても俺は驚かない。生きていられては却って邪魔だろう。何時自分に敵対するか分からない。事を起こした以上きっちりとケジメは付けるべきなのだ。そうでなければ意味が無い。俺ならやる。
「良く御存知でございますな」
五郎衛門が感心している。
「昔、足利義輝公が朽木に滞在した。その頃大友から使者が来た。九州からわざわざ使者を寄越したのだ。随分と奇特な事だと思って宗麟とは如何いう人物かと細川兵部大輔に聞いた事が有る。親切に教えてくれたな」
皆が感心している、大仏を除いてな。
嘘だよ、元の世界で有名武将の列伝を扱った本を読んだ事が有る、その中に宗麟の事が書かれていた。でも義輝が朽木に居た事は事実だ、そして大友から使者が来た事も事実だ。名前を借りるぞ、藤孝。俺達は仲良しだっていう伝説の誕生だな。多分弥五郎が与一郎に話すだろう。そして与一郎が子孫に伝えて行く筈だ。それが細川の家格を上げる事に成るのだから……。




