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高松城水攻め




天正二年(1578年)   五月下旬      備中国賀陽郡高松村 龍王山  朽木堅綱




父上が指定した期日に考えが纏まったと伝えると父上は人払いを命じた。残ったのは父上、明智十兵衛、沼田上野之助、黒田官兵衛、そして私、与一郎、十五郎、吉兵衛。皆が居る所で話すよりは良いが遣り辛い。与一郎、十五郎、吉兵衛も遣り辛そうにしている。


なにより父上、十兵衛、上野之助、官兵衛の顔には表情が無い。こちらを見極めようとしているかのようだ。いや、実際試されているのだろうと思う。父上は私を、十兵衛は十五郎を、上野之助は与一郎、官兵衛は吉兵衛を。どの程度の能力が有るのかを見極めようとしているに違いない。もし頼りないと判断されたらどうなるのだろう。


「して、毛利は如何するのだ?」

「はっ、和議を結びまする」

「理由は?」

「毛利と和議を結び一日も早く九州に攻め込むべきかと思います。大友氏と協力すれば九州攻略は難しくは無いと思いまする」

「なるほど」

父上が頷いた。間違ってはいない筈だ。父上も頷いている。与一郎、十五郎、吉兵衛も幾分表情が緩んでいるのが分かった。


「毛利との和睦の条件は?」

「はっ、備中、備後、伯耆、出雲、石見、隠岐を朽木に割譲する事とします」

「他には?」

「鞆に居られまする義昭様の引き渡し、それと顕如上人の引き渡しを要求致しまする」

「なるほど」

また父上が頷いた。表情が無い、十兵衛、上野之助、官兵衛の顔にも表情が無い。自分は正しいのだろうか? 石見の銀山を手中に収めようとすればおかしな案ではないと思うのだが……。


「終わりか?」

「はっ」

「九州の毛利領は如何する? 豊前、筑前の領地だが」

「それは毛利に」

「なるほどな」

父上が頷きながら十兵衛、上野之助、官兵衛に視線を向けた。三人が父上に対して頭を下げた。如何いう意味だろう? 不安だ、与一郎、十五郎、吉兵衛も不安そうな顔をしている。


「弥五郎、十五郎、与一郎、吉兵衛、御苦労であった。初めての事だ、大変であっただろう」

「はっ、御言葉、有難うございまする」

労ってくれた、ホッとした。実際大変だった、四人で案を纏めては何度も正しいのか、抜けは無いのかと確認した。この案を纏めるのは半日で終わった。後はずっと確認で時を費やした。確認すればするほど分からなくなった。


「今のそなた達では良くやった方であろうな」

今の?

「父上、父上の御考えは如何なのでしょう? 御教え頂ければ幸いにございまする」

与一郎、十五郎、吉兵衛も頷いた。自分達の考えが足りぬ事は分かっている。だがどの辺が足りぬのか、それが知りたい。


「そうだな、父ならば安芸を要求するな」

「安芸を? しかし安芸は毛利にとって父祖伝来の土地……」

そう簡単に渡す筈は無い。一つ間違えば和議は成らぬが……。

「弥五郎、安芸は一向門徒の力の強い土地だ。それを考えたか?」

「あっ、……」

思わず声が出てしまった。父上が顔を綻ばせ笑うのを堪えている。恥ずかしかった、顔が熱くなった。


「毛利に任せては安芸は反朽木を唱える一向門徒の根拠地になりかねぬ。だから朽木の領地とし政には一切関わらぬと誓わせる。毛利とて馬鹿共に担がれて滅ぶのは嫌であろうよ。話の持って行き方次第では安芸をこちらに譲る可能性は有る」

「顕如を引き取りますが?」

父上が首を横に振った。


「俺ならそれはせぬ。顕如が朽木の法を受け入れるのなら朽木領に入る事を認める。寺も建ててやろう。だが受け入れぬのなら朽木領への立ち入りは認めぬ。……いずれ信者も居場所も無くなるだろう。そうなっては意地も張れまいな、俺に頭を下げてくる」

「なるほど……」

父上は顕如を屈服させようとしているらしい。


「しかし毛利が安芸を手放しましょうか。周防、長門、それに九州での領地だけになりますが」

「石見を代わりに与える」

「しかし石見は銀山が」

抗弁すると父上が笑い声を上げた。


「銀山は朽木の物とすれば良い。違うか?」

「なるほど……」

そうか、石見銀山と国を別と考えるのか。石見は朽木にとって必ずしも必要な国ではない、銀山が有るから重要なのだ。銀山を朽木の物にしてしまえば石見を毛利に与える事は可能だ。


「まあ他にも色々あるが、これ以上は毛利との交渉の中で見ていくと良い。交渉の場にはその方達も参加させるからな」

「はい、有難うございまする」

父上と毛利の交渉の場に立ち会える。嬉しい、与一郎、十五郎、吉兵衛も喜んでいる。


「それと一つだけ覚えておくと良かろう。父は大友と組んで九州攻略をする気は無い」

「ですが大友は一条家と」

驚いて問うと父上が首を横に振った。

「大友と土佐の一条家は縁戚関係には有る。だが俺には関係ない。形としては毛利を東西から挟み打つ形ではあるが我らは協力はしていない。大友と組めば大友は必ず九州にある毛利領を渡せと言って来るだろう。面倒な事になるだけだからな」

「……なるほど」

父上が九州の毛利領を如何するかと訊いたのはそれが理由か……。私はまだまだ足りぬ。


「それに大友家は家中が纏まっておらぬ。大友宗麟という男、内を治めるのが苦手らしい。内を治められぬ男というのは得てして外に対して強く出たがる。自分の武威を高める事で内の不満分子を押さえ付けようとするのだ。だが失敗すればあっという間に家が傾く。驚くほど簡単にな。そういう男とは組めぬ。覚えておけ」

「はい」

驚く事ばかりだ。父上の大友宗麟に対する評価は驚くほど低い。世間では大友は九州の雄として評価されているのに。しかし父上が間違われるとも思えぬ、大友宗麟の事をもっと知らねばならぬ。


「朽木が攻め獲った毛利領を安定させるまで最低でも二年は掛かろう。九州へ攻め込むのは三年後か。その間に九州は動くぞ、大友、龍造寺、島津。家中の纏まらぬ大友が何処まで頑張れるか、良く見ておく事だ」

「はっ」

答えると父上が頷いた。


「弥五郎、そなたはもっと外に目を向けよ」

「外、でございますか?」

「そうだ、九州の事、関東の事、北陸の事、奥州の事、四国の事。九州の事を知っていれば今回の和睦の条件ももっと変わったであろう。知らぬと言う事は当主として許される事では無い」

「はい」

足りぬと母上に言われた事を思いだした。確かに足りぬ。埋めなければならぬ事は多い。大友宗麟の事は一例でしかない。


「初陣は如何であった?」

「はい、……良く分かりませぬ。ですが疲れました」

父上達が顔を見合わせて笑い出した。可笑しそうに何度も顔を見合わせて笑っている。少し恥ずかしかった。

「正直で良い、見栄を張るよりはずっとな」

如何答えて良いか分からなかったから頭を下げた。


「朽木が小さい家ならばもっと自由にしてやれるのだがな。城を攻め取って来いと武功を上げさせる事も出来た。だが朽木はいささか大きくなり過ぎた。朽木は天下の仕置をせねばならん立場にある」

「はい」

「その方はそれを学ばねばならん。戦、政、百姓の事、銭の事、商い、そして朝廷の事、大変だな」


父上の言葉に素直に頷けた。初陣一つで疲れているのだ、大変だというのが身に染みて分かった。そして父上の大きさも。どれだけ御苦労しておいでなのだろうか……。それなのに私達にはそんなところはまるで見せない。父上が何時か私に疲れたと言って頼って下されるのだろうか? 考えていると父上が“弥五郎”と私の名を呼んだ。


「焦る事は無い、十年かけて覚えるのだ」

「十年でございますか」

「そうだ、十年後には松千代、亀千代も元服している。その方を助けてくれるだろう」

「はい」

ちょっと想像が付かなかった。松千代が元服、これは分かる。亀千代も? 十年と言えば亀千代は十八歳。十八歳の亀千代? 今の私よりも年上だ、髭も生やしているかもしれない。亀千代の髭? 想像が付かない。私の困惑を察したのかもしれない、父上がまたお笑いになった。


「十年など直ぐだぞ、弥五郎。ぼやぼやしているとあっという間に過ぎてしまう。励めよ」

「はい」

十年か、来年には妻を娶る。となれば子が出来てもおかしくは無い。私が父親? 父上は祖父? 十年か、確かにあっという間かもしれない。


「後は雨が降るかどうかだ。雨が降って城が水没するほどになれば交渉も有利に進められるのだが……、こればかりは運だなあ。雨乞いの踊りでもするか」

父上が嘆息すると十兵衛、上野之助、官兵衛が笑い出した。雨が降って欲しい。父上がどんな交渉をするのか、それを見てみたい。




天正二年(1578年)   六月上旬      備中国賀陽郡高松村 小早川隆景




「なるほど、堤を築いたか」

「そのようですな」

相槌を打つと兄が頷いた。

「高松城を水攻めにしようと言うのだろうが……」

「はじめて見ますな」

「うむ」

兄が大きく息を吐いた。確かに息を吐きたくなる。朽木め、途方もない事をする。城を水攻めか、そんな事が本当に出来るとは……。


毛利軍四万が日差山に布陣している。日差山からは高松城、そして朽木軍の状況が見えた。足守川と朽木軍が造った堤の間に朽木軍が展開している。ざっと三万は居るだろう。おそらく、堤を守るためだ。そして堤の内側には水が溜まっていた。そしてその後ろの石井山に朽木の本隊が陣を構えていた。元は龍王山に本陣を構えていたが堤を築いてからはより近い石井山に移ったらしい。その周辺に朽木の武将達が陣を布いている。


「左衛門佐、今から正面の朽木勢を破り堤を破壊する、如何かな?」

「難しいでしょうな」

「そうだろうな」

兄が頷いた。難しい、本気で出来るとは兄も思っていない。正面の敵はこちらより少ない。だがあれを破るためには足守川を渡らねばならぬ。当然敵はそこを突いてくる。簡単には破れぬ。そして手古摺っている間に朽木の本隊が山を降りこちらの側面を突くだろう。勝負はそこで着く。


「高松城からの援軍は期待出来ぬか?」

「出来ませぬな。見ての通り水が溜まっております。どの程度の(かさ)が有るのかは分かりませぬ。ですがあの辺りは湿地です。兵を出しても泥に足を取られてどうにもなりますまい」

兄が息を吐いた。


「朽木め、嫌な事をする。左衛門佐、右馬頭様に何と申し上げる」

右馬頭輝元は本陣で我ら兄弟を待っている。状況を確認すると言って高松城の有様を見ているが……。

「正直に申し上げるほかありますまい。こちらから打つ手は無いと」

「向こうも高松城に何もするまい。睨み合いか」

「そうなりますな」

兄がこちらを見た。


「しかしな、左衛門佐。この季節だ、雨が降らぬとは思えぬ。雨が降れば忽ち水嵩が上がるぞ」

「……」

「先ず屋敷が水没する。そうなれば家臣達は家族諸共城に籠らざるを得ぬ。これから蒸し暑くなる。城内は地獄になるだろう、将兵が何処までそれに耐えられるか……」

思わず溜息が出た。一雨毎に情勢は悪くなる。そしてそれを止める術は我らには無い。


「それに何時までも此処には留まれぬ。山陰では尼子を使って朽木が伯耆を引っ掻き回している。伯耆が獲られれば次は出雲だ。その連中が我らの後背を突けば……」

「我らは孤立しますな」

私の言葉に兄が渋い表情で頷いた。朽木は此処で決戦をするまでも無い。水攻めで我らを足止めすればそれだけで勝利が転がり込んでくる。


「長左衛門に朽木に降伏するようにと伝えますか」

兄が私を見た。

「それしかあるまいな」

あの男に降伏せよと言うのか。存分に戦い敵わぬ時は腹を切ると言ったあの男に満足に戦わせる事も無く降伏せよと……。已むを得ぬ、世鬼を走らせよう。


「左衛門佐」

「はい」

兄が空を見上げている。曇天、天気は良くない。

「雨だ」

「……」

空を見上げると冷たい水が頬に当たった。雨が降ってきた、急がねばならん……。




天正二年(1578年)   六月上旬      備中国賀陽郡高松村 石井山  朽木基綱




「父上、水嵩が増しております」

弥五郎が興奮したように声を上げた。周囲の人間も声を上げている。昨日一日雨が降ったからな。足守川の水も増水しているようだ。結構な事だ。当初雨が全然降らないので落ち込んだが毛利軍が来てから降り始めた。毛利輝元、吉川元春、小早川隆景、この三人の中の誰かが雨男なのだろう。


出来ればあと一日は降って欲しかったな。城と家臣達の屋敷が有る小高い台地以外は完全に水没している。船を使っているからかなりの水嵩なのだろう。家臣達の屋敷は水没はしていないが水が迫っているのは此処からでも分かる。もう一雨くれば屋敷を捨てて城内に逃げるだろう。幸い天気は良くない、もう一雨来そうな感じだ。


「弥五郎」

「はい」

「生水は飲むなよ。必ず沸かしてから飲め」

「はい、腹を壊さぬようにですね。父上が蒲生忠三郎に注意したと聞いております」

「うむ」

あれ、そんなに有名なのかな。ちょっと不思議だ。


「屋敷が水没したら堤の前にいる兵は撤収させる」

「宜しいのですか?」

「構わぬぞ、重蔵。万一堤が壊れれば将兵が水で流されるからな。危険だ。もし毛利が堤を壊せば水は毛利軍を押し流すだろう。それに合わせてこちらは山を降り毛利軍に攻撃をかける。それでこちらの勝利は確定する」

皆が頷いた。


それから三日間、雨が降ったり止んだりした。足守川の水が増水し高松城を包囲する水の量も増えた。屋敷は殆ど水没、将兵は皆高松城に入ったらしい。城は完全に孤立したな。最後の避難所になったわけだが雨が降れば徐々に高松城は水没していく。さて、どうなる事か……。この先の敵は毛利と清水の忍耐力だな。天候をどちらが味方に出来るか。また雨乞いの踊りでもするか、半分は滞陣の憂さ晴らしだが結構楽しかったし雨も降ったから評判も良い。派手にやって毛利の連中の度肝を抜いてやろう。





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