表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
114/281

負傷



元亀五年(1577年)   五月上旬        播磨国飾東郡御着村 御着城  朽木基綱




御着城の大手門を入ると山内次郎右衛門康豊が“御屋形様”と声をかけて近寄ってきた。顔色が良くない。プレッシャーに弱いのかな? 兄の伊右衛門は結構打たれ強いんだが。

「迅速なる御来援有難うございまする」

「京にいた兵を連れてきただけだ、四千にも足りぬ。次郎右衛門、十兵衛は? 備前の状況は?」


「はっ、毛利は四万を越える兵を動かし服部丸山城を囲んでおりまする。一色紀伊守殿より来援の要請があり明智様は二万の兵を率いて備前に向かっておりまする」

敵の半分か、十兵衛も辛いところだ。

「服部丸山城より西の城は?」

「放棄、将兵は全て服部丸山城に集結しております」

「分かった」

無駄死にするなと言ってあるからな。無理せず逃げてくれたようだな。しかし服部丸山城は決して堅固とは言えない。四万の毛利を相手に長くはもたないだろう。


毛利が突然備前に攻め込んできた。上手くしてやられたよ。阿波三好家が伊予に攻め込んでいる。それに対抗するために戦支度をしていると思ったんだが狙いはこっちだった。おまけに街道を封鎖している、その所為で八門からの報告が遅れた。完全に出し抜かれたな。四万を超えるか、本気だな。毛利は伊予を捨てる覚悟を決めたらしい。俺を叩きのめせば三好も大人しくなると考えているのだろう。


「如何なさいます、お味方を待ちますか?」

首を横に振った。

「下野守、それまで服部丸山城が毛利の攻勢に耐えられると思うか?」

蒲生下野守が口を閉じた。難しいと表情が告げている。舅殿が摂津の兵一万五千を率いてくるまでどう見てもあと二日はかかるだろう。近江、伊勢、越前からなら更に一日から二日はかかる。松永、内藤にも出兵の依頼を出したがどうなるか……。


こういうのって史実でも有ったな。確か石山本願寺が相手だった。天王寺砦の明智十兵衛を一揆勢が囲んでどうにもならなくなった。信長は助けようとしたが味方が集まらない。已むを得ず三千程で救けに向かった。信長に比べればましだな。十兵衛は二万の兵を率いている。俺の手勢を入れて二万四千で四万に当たる。十分だ、服部丸山城には最低でも三千から四千は居る筈だ。それも入れれば三万に近い。今大事なのは俺が最前線に行く事だ。味方を見殺しにしない、それが戦国で生き残る鉄則だ。


「出るぞ」

俺の言葉に次郎右衛門が反対したが下野守、重蔵は頷いた。この二人も分かっているのだ。ここは俺が出張って戦うしかないと。俺が出れば服部丸山城の味方の士気が上がる筈だ。そして毛利は直ぐ近くまで朽木の援軍が来ていると思うだろう。そうなれば毛利は決断を迫られる事になる。戦うか、退くか……。敵将は小早川左衛門佐隆景だ。知将ではあるが蛮勇はない。そこにかけるしかない。


「次郎右衛門、後ろに使者を出せ。俺は既に四千の兵を率いて備前に向かった。遅れるな、とな」

「はっ」

「重蔵、久々に分の悪い戦をする事になったぞ。さて、昔のように上手く行くかな?」

「なんとも、悩ましい事で」

重蔵がニヤニヤ笑うから思わず笑ってしまった。そんな俺を皆が呆れた様な目で見ている。そうだよな、重蔵。昔はこんな戦は珍しくもなかった。朽木は近江の小さな国人だったのだ。

「出立だ! 服部丸山城に向かう。九字の旗を掲げろ。敵味方に俺が服部丸山城を救いに来たと教えるのだ!」




元亀五年(1577年)   五月上旬        備前国邑久郡服部村 服部丸山城  朽木基綱




「御屋形様」

十兵衛が俺を迎えて面目無さそうな、それでいて何処かホッとしたような表情を見せた。余程に参っている。しかし相変わらずのイケメン振りだ。ここに女達が居たらいつもと違う十兵衛にメロメロだろう。

「済まんな、十兵衛。俺が率いてきたのは四千ほどだ。残りはあと一日か二日はかかるだろう」

十兵衛の顔色が曇った。気持ちは分かるぞ、十兵衛。役に立たない主君を持つと苦労するよな。


「状況を説明してくれ」

「はっ」

十兵衛が頷いた。

「毛利は小早川左衛門佐隆景の指揮の下、四万の兵を動かしております。服部丸山城には八千程の兵が攻めかかり残り三万二千の兵が我らと相対しておりまする」


兵を分けても八千は多いか。きついなあ。それに服部丸山城からかなり離れている。正面五百、いや七百メートル程先に毛利軍、さらにその先に服部丸山城とそれを囲む毛利軍の姿が見えた。結構わあわあ毛利軍が城に攻めかかる声が聞こえる。

「小早川は戦いを挑んで来なかったのか?」

「いえ、一度挑んできました。出来るだけ損害を出さないように後退しましたので……」


十兵衛がちょっとばつが悪そうだ。援軍に来たのに敵に追い払われた格好だからな。

「追撃は無かったのか?」

「はっ」

追撃は無い。おそらくは服部丸山城を放置するのを嫌がったのだろう。十兵衛は毛利本隊と城を攻めている別動隊を引き離そうとしたのだろうが敵はその手に乗らなかった。囲んでいる毛利軍が追い払われれば挟撃される可能性もある。小早川隆景はそれを恐れたのだ。毛利の狙いは服部丸山城を朽木勢の目の前で落とす事か。


「服部丸山城と連絡は取れるか?」

「いえ、取れませぬ」

俺が訊ねると十兵衛が首を横に振った。まあそうだろうな、服部丸山城は丸い小山の上に城が有るんだがその周囲は平地だ。囲まれたらその隙を突いて連絡を取るというわけにはいかない。孤立無援、服部丸山城では手をこまねいている朽木勢を恨めしく見ているだろう。


「服部丸山城はあと何日毛利の攻勢に耐えられる?」

「何日とは言えませぬが長くはもちますまい」

十兵衛が沈痛な表情をしている。俺がもう少し兵を率いてくると思ったのだろうな。そうであれば正面から押し返せた。正面の毛利勢が押されれば城を囲んでいる毛利勢も城を攻めているような余裕は無くなる。城の連中も多少は息をつけるんだが……。


「どうすべきだと思うか?」

俺が皆に問いかけると十兵衛、官兵衛、重蔵、下野守、皆が沈黙した。

「味方を待つべきだと思うか?」

同じく沈黙だ。後一日か二日で兵力はほぼ互角になる。だがその一日か二日で服部丸山城が落ちないという保証は無いのだ。皆が攻撃すべきだと思っている。だが敵は小早川隆景、おまけに兵力は相手の方が多い。なかなか言い出せないのだろう。朽木の武器は鉄砲隊だが現状では十兵衛に預けた一千丁、俺が持ってきた三百丁、合計一千三百丁程しかない。まして攻めかかるとなれば連射は厳しい。鉄砲は敵の突入を待ち受けて撃つのが基本だ。


「これより全軍で毛利を攻める」

皆が頷いた。

「先陣は俺が務める」

何人かが“御屋形様”と声を上げた。これは予想外か。

「聞け、敵はこちらよりも兵が多い。そして大将は小早川左衛門佐だ、甘い男ではない。何が何でも敵を叩き押し返し服部丸山城を救う。そのためには俺が先陣を務めるしかない。皆、俺に遅れるな! 小早川左衛門佐の首を挙げる、その覚悟をしろ!」


“おう”という声が上がった。しょうがないよな、分の悪い戦をひっくり返すには無茶をしなければならん。鉄砲隊千三百丁に射撃をさせ怯んだ所に突っ込む。それしかないな。小早川左衛門佐の首が獲れるかな? 獲れれば備前、美作、備中を朽木の物にする事が出来るかもしれん。リスクを負うのだ、それくらいの見返りは有って良い。


小半刻程で準備は出来た。こちらが戦う気だと分かったのだろう。毛利の陣もざわめいている。鉄砲隊を四段に分ける。三百、三百、三百、四百。敵陣近くにまで走らせてぶっ放す。それぞれに足軽を付けて楯を持たせている。敵も弓で応戦するだろうが損害は軽減出来る筈だ。四段攻撃が終ったら直ぐに突撃する。俺が先陣を切る!


「始めよ」

俺が命じると法螺貝の音が鳴った。そして鉄砲隊が走り出す。それに合わせてこちらも陣を前に進めた。鉄砲隊の速度はそれほど速くない。鉄砲が重い事も有るが楯を抱えた足軽と歩調を合わせている所為だろう。毛利の弓隊が攻撃を始めた。距離、四町、四百メートルといったところか。上から降り注いでくる矢を楯を持った足軽が鉄砲足軽を庇いながら防いでいる。それでも多少の損害は出ている。損傷率は一割に満たない。十分だ。


鉄砲足軽がまた走り始めた。速度が上がった。攻撃された事で恐怖心から早く敵に近付いて攻撃をかけたいのだ。悪くない、残り四百メートル、走り抜け! 一射、二射、弓による攻撃が来るがその殆どが第一陣の鉄砲隊を狙っている。第二陣以降は殆ど無傷だ。毛利も朽木の鉄砲隊を恐れているのだ、鉄砲隊を近付けたくない、その気持ちの表れだろう。


三百、……二百、……百! 鉄砲足軽が膝を着き撃つ! 轟音と共に毛利の陣の中央に混乱が生じた。そして馬が嘶く、それを抑えた時には撃ち終った鉄砲足軽が左右に散っていた、そして第二陣が鉄砲を撃った! 頼むから落ち着け、このアホ馬! 毛利の陣がさらに混乱した。第三陣、撃つ! 良し、落ち着いた。

「突撃! 俺に続け!」

“おう!”という声が上がった。それを打ち消す様に第四陣が轟音を立てて鉄砲を放った。


矢が飛んでくる、そして混乱する陣を叱咤する声が聞こえた。俺の右隣には多賀新之助、鈴村八郎衛門。左隣には笠山敬三郎、敬四郎親子。こいつらが頼りになるのは分かっている。後は自分の運を信じて突っ込むだけだ。混乱している敵陣目掛けて突き進む。敵陣の旗が揺らめいている。旗持ちが怯えている証拠だ、太刀を抜いた。

「怯むな! 行け!」




元亀五年(1577年)   六月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木小夜




「御屋形様がお戻りになられました」

女中が声を上げた。皆がホッとした様な表情を浮かべた。大方様、私、竹若丸、松千代、亀千代、雪乃殿、鶴姫。辰殿、篠殿。そして武田の松姫、菊姫。二人もホッとした表情をしている。御屋形様の御部屋には大勢の人間が主のお戻りを待っていた。


少しして甲冑の音と足音が聞こえてきた。段々近付いて来る。でも片方の足音が弱い。御屋形様が重蔵殿に支えられながら部屋に入って来た。皆で“お帰りなさいませ”と言って頭を下げた。御屋形様が座るのが音で分かった。

「母上、今戻りました。皆、戻ったぞ」

皆で頭を上げた。兜と太刀を傍に置いて御屋形様が座っていた。でも右足を投げ出している。なんとも痛々しい、今までこんな姿は一度も見た事は無かった……。


「重蔵、済まぬな、もう良いぞ」

「はっ」

重蔵殿が一礼して部屋を去った。

「母上、申し訳ありませぬ。不覚を取りました。小夜、済まぬ。皆も済まぬ、心配をかけた」

御屋形様が頭を下げると大方様が首を横に振った。

「何を言います、そなたが無事なら私は何の不満も有りませぬ。それは皆も同じです」

皆が頷いた。松姫、菊姫も頷いている。この二人も御屋形様を案じている。


「父上は不覚など取ってはおりませぬ! 戦は勝ったでは有りませぬか」

「そうです!」

「そうです!」

竹若丸が叫び松千代、亀千代も同意の声を上げた。御屋形様が苦笑を浮かべながら首を横に振った。


「勝ってはおらぬ」

「でも」

「勝ってはおらぬのだ、竹若丸」

言い募る竹若丸を御屋形様が窘めた。

「父は今度の戦で小早川左衛門佐隆景の首を獲るつもりであった。そうなれば毛利は総崩れになった筈、備前、美作、備中を一気に攻め獲る事も出来たであろう」

「……」


御屋形様が投げ出した右足を撫でた。

「だが毛利を打ち破り服部丸山城を救った戦で足に矢が刺さった。気にせず毛利に追い打ちをかけようとしたのだが皆に止められたわ。矢を放置しては後々大変な事になりかねぬと。それで傷口を切って鏃を取り出した。痛かったな、悲鳴が出そうになる程痛かった。その後は足に力が入らぬ、後詰の兵が来たが到底戦が出来る状態では無かった……」

「……父上」


「服部丸山城を救ったがそれ以上では無かった。備前で朽木に残ったのは和気郡、邑久郡、磐生郡だけになった。そして傷が癒えるまで当分戦は出来ぬ。今も人に支えを受けなければ歩くのも不自由だ。これでは勝ったとは言えぬ。毛利も負けたとは思っておるまい」

竹若丸が、松千代が、亀千代が項垂れた。


「竹若丸」

「はい」

「戦の勝ち負けを見極めるのは簡単ではない。戦の結果だけでは無く終わった後の事まで見なければならん。大将とはそういうものだ」

「はい」

「徒に戦に出たがるよりもその辺りを半兵衛に良く学ぶが良い」

「はい」

御屋形様が頷かれた。


御屋形様を疲れさせてはいけない。それを機に皆で御屋形様の前を下がろうとしたが私、雪乃殿、辰殿の三人が呼び止められた。

「辰、済まぬな。心配したであろう。そなたを側室に迎えたというのに少々無理をした。已むを得ぬ事であったが済まぬ」

御屋形様が頭を下げられると辰殿が“いいえ”と首を横に振った。眼元を押さえている。


「まあ、御屋形様。最初に辰殿を労わるのですか? 雪乃は少々妬けまする」

雪乃殿が笑いながら御屋形様を責めると御屋形様も笑い声を上げた。

「安心した、未だ妬いて貰えるらしいな。小夜は如何だ?」

「私も妬いておりまする」

「益々安心、俺も捨てたものではないな」

皆で笑い声を上げた。辰殿も泣きながら笑っている。


「小夜、俺の留守の間、上杉の一行をもてなしてくれた事感謝している。身籠っているのだ、大変だったであろう。おまけに俺は怪我をした、心配させたな、済まぬ」

御屋形様が頭を下げられた。“いえ、そのような”と答えたが御屋形様が負傷されたと聞いた時は胸が潰れるかと思うほど不安だった。万一の場合は竹若丸が後を継ぐ。あの子に朽木家を支えるだけの力が有るのかと……。


「ところで、上杉の奈津姫を如何見た?」

「悪いお方ではないように見ました」

「雪乃は如何だ」

「私も御方様と同じにございます」

御屋形様が頷かれた。そして一つ息を吐かれた。


「小夜、弾正少弼殿の一行は越後に戻った。夏前には正式に使者が来るだろう。いよいよ竹若丸を元服させねばならん」

「はい」

「輿入れの話も詰めなければならん。多分こちらの話は織田の後であろうが何時輿入れするかは年内に詰める事に成ろう」

「左様でございますね」

越後は雪国。となれば雪が降るまでに話を詰めなければ……。


「俺は傷が癒えたら西国に出兵するつもりだ。そなたに頼まざるを得ぬ。苦労をかける事になる」

「いいえ、そのような。御屋形様こそ御無理をなさっては……」

「分かっている。だがな、弱みは見せられぬ……」

御屋形様が息を吐かれた。毛利がそれを見逃す筈は無い。弱点を突くのが戦国の習い。朽木の弱点は跡継ぎが幼い事。後継に不安が有る以上、敵は御屋形様に負担をかけようとする筈……。竹若丸がその辺りを理解して一日も早く御屋形様の力になってくれれば……。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ