表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
113/281

叡慮

元亀五年(1577年)   四月下旬       山城国久世郡 槇島村  槇島城  樋口兼続




「弾正少弼様、間もなく槇島城にございます」

直江与兵衛尉信綱様の言葉に喜平次様が“うむ”と頷かれた。遠くに城が見える、あと半刻程で城に着くだろう。四月中旬に直江津の湊を船で敦賀に向かい敦賀からは陸路で塩津浜。塩津浜から船で大津、大津からはまた陸路で京へ。あっという間であった。上洛の総勢三百人はもう洛中に踏み込んでいる。越後と京の都は思ったよりも近い。


「与兵衛尉殿、随分と道が良いが」

「下野守殿、朽木では道を整備して人の移動、兵の移動の利便を図っていると聞いた事が有ります」

「なるほど」

斎藤下野守朝信様が頷いた。今回の上洛では直江与兵衛尉様、斎藤下野守様が喜平次様の御側に付く。今も御二人が先導する形で喜平次様のすぐ前を進んでおられる。与兵衛尉様は直江大和守様の御養子、大和守様は年が明けてから体調を崩され今回の上洛には同行出来ない。


「攻められるとは考えぬのかな? まあ朽木家に攻め込むのは中々難しいか」

「そうそう簡単には出来ますまい」

「そうよな。……塩津浜の城は思ったより小さかったな」

下野守様の言葉に喜平次様が微かに頷かれた。塩津浜城、竹姫様が御生まれになった城で長い間朽木家の居城で有った。

「しかし場所は良いと某は思いますぞ。淡海乃海を押さえ若狭、越前を睨む位置にある。朽木家が北陸に力を伸ばしたのもあの城を拠点としたからでしょう」

また喜平次様が微かに頷かれた。


城は小さかったが塩津浜の湊を利用する船の数は膨大なものであった。敦賀の湊を使い蝦夷地の産物や明、南蛮の産物も塩津浜に集まる。そしてそれらの物が大津を通して京の都に運ばれる。淡海乃海を使った物の流れ、朽木家が富裕である事の証を見た様な気がした。


宇治川沿いに槇島城を目指すと徐々に城が近付いて来た。

「これは……」

「なんと……」

池、いや湖の中に島が有りその島に城が有った。姫様方が籠から顔を出して、それに従う女中達も声を上げて驚いている。今回、中将様の御好意で槇島城に滞在する事が許されているがこれが槇島城……。


「中々に攻め辛い城だな、与兵衛尉殿」

「確かに。それにここも交通の要衝ですな、近江中将様が京での滞在の地とされるのも分かる様な気がします」

喜平次様が下野守様、与兵衛尉様の遣り取りに頷く。島から船が此方に向かってきた。どうやら我々に気付いたらしい。姫様方に籠から降りて頂かねば……。




城に入ると竹姫様が突然走り出した。

「父上!」

勢いを付けて出迎えの一人に抱き着く。抱き着かれた武士が声を上げて笑った。近江中将様? 衣装は特に目を引くものではない、姿形、顔形も同様だ。だが喜平次様、下野守様が緊張を露わにした。


「弾正少弼殿、久しゅうござる」

「御久しゅうございまする」

「御疲れでござろう。先ずは中へ、御案内致そう」

中将様の先導で城内に入ると広間に案内された。中将様と喜平次様が相対し喜平次様の隣に竹姫様、その後ろに華姫様、奈津姫様、その後ろに下野守様、与兵衛尉様が座られた。自分はその更に後ろだ。


喜平次様が華姫様、奈津姫様を紹介した。その後に下野守様が中将様と久闊を叙す。与兵衛尉様が大和守様の代理で上洛した事を告げると中将様が大和守様に身体を厭う様に伝えて欲しいと仰られた。

「竹、雪乃が来ているぞ」

「母上が?」

「ああ、向こうでカステーラを用意して待っている。さ、弾正少弼殿に許しを得て行きなさい」

「はい」


「華姫、奈津姫、お二人も如何かな? 南蛮の菓子を食してみては。中々の美味だが」

華姫様、奈津姫様が礼を述べて竹姫様と共に女中に案内されて大広間から去った。それを見届けてから中将様が御笑いになった。

「これでようやく話が出来る。そうではないかな」

広間に笑い声が満ちた。


「弾正少弼殿、娘は未だ童女と言って良い年齢だ。色々と迷惑をかけていような。申し訳ない」

「いえ、そのような事は」

喜平次様が首を横に振った。実際竹姫様は我儘を言う事も無ければ家に帰りたいと泣く事も無い。直江津の湊に行きたがるのは困るが……。


「こちらに遠慮は要らぬ。側室を持たれるが良い。本来ならこちらから用意すべきかもしれぬが側室まで押し付けるのも気が引ける。お好きな女性(にょしょう)を御迎えになっては如何かな」

なるほど、そちらで有ったか。喜平次様が首を横に振られるのが見えた。


「畏れ入りますがその儀は無用にござる」

「左様か……、忝い。娘に代わって御礼申し上げる」

中将様が頭を下げられた。

「こちらこそ中将様には御礼申し上げなければなりませぬ。わざわざの御出迎え、畏れ入りまする」

下野守様が礼を言うと中将様が首を横に振られた。


「それには及ばぬ。こちらも京でやらねばならぬ事が有るのでな。……弾正少弼殿、明日は家臣に命じて関白殿下の所へ案内させよう。帝への拝謁の日程は殿下にお任せすれば良い」

「はっ」

「他にも公卿の方々とお会い為された方が良い。上杉家にとって損にはならんと思う」

「御好意、忝のうござる」

喜平次様が礼を言うと中将様が頷いた。




元亀五年(1577年)   四月下旬      山城国葛野郡  近衛前久邸  

斎藤朝信




「ほほほほほほ。真、そなたは無口な男じゃのう。中将の申す通りじゃ」

「……」

弾正少弼様が無言で頭を下げられた。

「ま、悪くない。上杉家は武の家じゃ、寡黙にして剛毅、上杉の当主に相応しいの」

「畏れ入りまする」

弾正少弼様が礼を述べると関白殿下が扇で口元を御隠しになりながら“ほほほほほほ”と御笑いになった。弾正少弼様が言葉を発するのが面白いのかもしれぬ。だとすれば無口も悪くない。


「竹姫は元気かな?」

「はっ」

「近江に帰りたいと泣かぬか」

「いえ、そのような事は」

「無いか。あれは良い娘じゃ、大らかでのびやかな心を持っておる」

殿下が上機嫌に頷かれた。確かに物怖じせずに落ち着いておられる。男ならば立派な大将になられよう。惜しい事だ。


「帝への拝謁は三日後でおじゃる。介添えは一条内大臣と飛鳥井権大納言がしてくれる。麿は帝の御傍に控えておるからの、何も心配は要らぬ。内大臣も権大納言も朽木とは縁続き、つまりそなたとも繋がりのある御仁じゃ。拝謁まで間が有る故挨拶に行っておいた方が良かろう」

「お気遣い、有難うございまする」

関白殿下が“大した事は無い”と首を横に振られた。


「中将からはそなたに朝廷の事も話して欲しいと頼まれておじゃる」

「……」

「帝は譲位を望まれておいでだ」

「譲位……」

弾正少弼様が呟くと殿下が頷かれた。


「帝は今年で在位二十年になられる。本来なら皇位を東宮様に譲られ上皇になられて帝を後見するのが有るべき姿。嘆かわしい事に応仁、文明の大乱以降、世は混乱し幕府は譲位を執り行うだけの力を失った。それゆえここ数代に亘り譲位を出来ぬ状態が続いておる。……分かるかな、これは本来有るべき姿ではないのじゃ」

殿下の問い掛けに弾正少弼様が頷かれた。


「だが近年、中将が畿内を治める事になった。中将は尊王の心が篤い男での。帝の事、朝廷の事、何かと気を遣ってくれる。真に良い男よ。それに朽木は富強でも有る。それでの、帝も譲位をと我らに叡慮を御漏らしになったのじゃ」

「なるほど、その事中将様は……」

「むろん知っておる。ま、今直ぐという話ではない。準備を考えれば二、三年後にという話じゃ。仙洞御所を何処に建てるかという問題も有るからの。帝もそれは理解しておられる」

「……」


関白殿下がぐっと身を乗り出してこられた。

「此度の拝謁、必ずや上首尾に終わる。案ずる事は無いぞ」

「はっ」

「中将は今毛利と戦の最中じゃ。此処で北が揺らいでは中将は西と北で大忙しとなる。そうなっては譲位の話は立ち消えになりかねん。そのような事は誰も望んでおらぬからの」

弾正少弼様が頷かれた。なるほど、朝廷は弾正少弼様が上杉家を混乱させる事無く家督を継ぐ事を御望みか。上杉の家督問題が帝の譲位に繋がっているとは……。


「中将も譲位に関して出来るだけ帝の叡慮に沿いたいと考えておる。かなりの出費の筈だが中将なりに得るところも有る」

「得るところ、と申されますと?」

弾正少弼様が訝しげに声を出すと殿下が“ほほほほほほ”と御笑いになった。

「鞆に己こそが将軍と騒ぐ義昭(ばか)が居ろう。中将の力で譲位が実現すれば誰が天下の執権か、武家の棟梁か分かろうというもの、そうであろう?」

「なるほど」

弾正少弼様が相槌を打つと関白殿下が満足そうに頷かれた。確かに殿下の仰られる通りでは有る。兵を率いて戦うだけが戦では無い。これも天下獲りの戦の一つか……。越後に居ては分からぬ事よ。


「そうそう、昨年の事だが永尊皇女様の内親王宣下が有った。覚えているかな?」

「はっ、覚えておりまする」

「では内親王殿下に降嫁の話が出ている事は知っているか?」

「いえ、存じませぬ」

関白殿下が“左様か”と言って頷かれた。


「西園寺権大納言にという話が出ておる」

「……」

「帝の母君、東宮様の母君は万里小路家の出じゃ。万里小路家は二代に亘って帝の外戚となった」

「……」

はて、それが何か。


「西園寺権大納言の母親は万里小路家の出での。そこに飛鳥井家の母親を持つ内親王殿下が降嫁する。分かるな?」

「はっ」

弾正少弼様が頭を下げられると関白殿下が頷かれた。なるほど、そういう意味か。中将様が天下の執権となられた。万里小路家は西園寺権大納言に内親王の降嫁をする事で飛鳥井家、朽木家と結び付きを強めようとしている。


「まあ実現するまでにはこちらも時間がかかろう。西園寺家は内親王殿下が降嫁するには家格も家禄も不足じゃ。その辺りを解決しなければの。もっともこの話は帝の御内意も有る。時間はかかっても解決はする」

「……」

「そういう事での、朝廷も公卿達も中将と共に進もうとしておる。覚えておかれるが良かろう」

「はっ、御教示、有難うございまする」

弾正少弼様が謝意を述べると殿下が満足そうに頷かれた。




元亀五年(1577年)   四月下旬       山城国久世郡 槇島村  槇島城  朽木基綱




「兵庫頭、御苦労だな」

「いえ、そのような事は」

俺が労うと伊勢兵庫頭貞良が頭を下げた。少し目が窪んでいる。疲れているのは間違いない。

「それで、如何かな?」

「はっ、やはり降嫁されるとなりますと家禄は千五百石は有りませぬと厳しいかと思いまする」

「なるほど」

西園寺家の家禄は六百石程だ。飛鳥井家よりも少ない。話にならんな。


内親王の降嫁先に摂家が選ばれるのもそれが理由だろう。摂家なら大体二千石前後は有る。それなりに体面は整えられるという事だ。

「となると如何する? 畏れ多い事では有るが一度臣籍に下って頂いてから嫁ぐか?」

兵庫頭が首を横に振った。


「西園寺家では内親王殿下の御降嫁をと願っておりまする」

「となれば最低でも一千石は家禄を増やさなければならん。出来ぬ事は無い、いや容易い事だ。だがそれをやれば西園寺家は相当にやっかまれるぞ。朽木、飛鳥井との縁を繋ぐのが目的なら降嫁に拘る事は有るまい。臣籍に下って頂きその上で西園寺家に嫁ぐ。家禄は一千石程に増やそう。それならおかしくは無い筈だ」

兵庫頭がまた首を横に振った。


「その事は某も提案したのですが……」

「駄目か。だが何故だ?」

兵庫頭がじっと俺を見た。

「立ち位置を変えたいとの事で」

「立ち位置?」

「はっ。外様から内々に変えたいと」

「……何だ、それは」


外様というのが何かは分かる。内々というのも想像はつく。おそらくは譜代の様なものだろう。だが宮中にもそんなものが有るのか? 疑問に思っていると兵庫頭が有るのだと教えてくれた。帝との親疎によって分類されていて役職や宮中行事において格差を付けられるらしい。そして西園寺家は外様として扱われている家なのだという。


公家の家格は摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家が有る。西園寺家は摂家に次ぐ清華家の家格を持つ。飛鳥井家の家格である羽林家よりも高い。宮中でも有数の有力貴族と言える。それなのに外様? 兵庫頭に訊くと清華家では西園寺家だけが外様だと教えてくれた。


妙な話だが訳を聞いて納得した。西園寺家は鎌倉幕府とは創成期から親密な関係を築いていた。その当時の当主が頼朝の姪と結婚しているし承久の乱では幕府に内応する恐れありとして朝廷によって幽閉された程に鎌倉寄りだった。当然だが乱後、幕府は西園寺家を信任した。西園寺家は幕府の力を利用して朝廷内で権力を振るった。その勢いは摂家を凌いだと言われている。


当時の朝廷内部では西園寺家を見る目は必ずしも好意的なものでは無かっただろう。どちらかと言えば裏切り者を見る様な視線が多かったのではないかと思う。鎌倉幕府が滅ぶと西園寺家もその影響を受けた。後ろ盾を失って力を失ったのだ。外様とか内々とかの区別が行われたのもこの頃の様だ。西園寺家は外様に区別された。西園寺家の人間が伊予に下向したのもその低迷期の事の様だ。今じゃ伊予の分家は戦国大名だが阿波の三好家に押されて毛利に救いを求めている。毛利は伊予に兵を送るらしい。忙しい事だ、毛利も大変だな。


「外様からなんとか内々へとなりたいと言うのが西園寺家の望みでございます。そのためにも内親王殿下の御降嫁をと」

「……」

「帝、そして東宮様、二代続けて万里小路家と繋がりがございます。その次は勧修寺家の阿茶局の所生の皇子か飛鳥井家の権典侍の御生みになられた康仁様となりましょう」

「康仁様の目は少ないぞ。俺はその事に関して口出しする気は無い」

「当代の万里小路家の当主は勧修寺家からの養子にございます」

「……なるほど、どちらに転んでも良いと言う訳か」

兵庫頭が頷いた。


公家ってのは強かだわ。万里小路家は勧修寺家から養子を取る事で天皇家と結び付きを維持しようとしている。そして西園寺家は万里小路、勧修寺、飛鳥井を利用して外様から内々に立ち位置を変えようとしている。内親王降嫁によって内々に変えてくれと頼むのだろう。そして三代の帝がそれを保証してくれれば西園寺家は内々として受け入れられる、外様に戻される可能性は少ない。そう考えているのだ。


「帝は如何お考えなのかな?」

「関白殿下、内大臣様のお話では内親王として降嫁させたいと伺っております」

「それは外様を内々に変えたいと?」

「出来ますれば」

つまり今回の降嫁はそれが一つの目的か。帝の意思があれば今のままでも内々に変える事は可能だ。だがそれをやれば万里小路家は横車を押したと非難を受けかねん。それは避けたい、だから降嫁を利用する。


「関白殿下、内大臣様の御考えは?」

「構わぬのではないかと」

二人は異存がない。要するに家禄を何とかしろと言う事だな……。しかし摂家並みの家禄にすれば当然だが反発が有るだろう。外様から内々に変わるのだ。必要以上に厚遇していると妬まれかねない。となると家禄を増やすのは避けた方が良いな。増やさずに体面を保つ……。


「家格は清華家のまま、それで良いのだな?」

兵庫頭が頷いた。

「それについては特に何も伺ってはおりませぬ」

「内親王殿下が降嫁される時は御化粧料として千五百石の禄を朽木家から内親王殿下にお渡しする。但しその御化粧料は内親王殿下が御生存の間だけとする。それなれば西園寺家も余り嫉まれまい。今後、摂家以外に降嫁させる場合の前例にもなる。その線で話を纏めてみてくれ」

「はっ」


兵庫頭が頭を下げた。……内親王が生存中は二千石を越えるがその後は六百石に戻る。どう見てもきついだろう、やはり加増が必要になる筈だ。加増は内親王が亡くなった後だな、場合によっては俺が死んだ後かもしれん。面倒な話だわ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 京都弁は10世紀くらいにはすでにあったようですが、公家の話し方と違いすぎるのはなんででしょうね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ