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憂い



元亀五年(1577年)   四月上旬        近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木小夜




帰陣の挨拶を受けた後、御屋形様は自室で留守中に届いた文を読んでいた。

「御屋形様、宜しゅうございますか?」

「うむ、構わん。いや丁度良かった。そなたに話す事が有る」

「まあ」

「先ずはそなたの要件を聞こうか」


「御目出度いお話です」

「ほう、また子が出来たかな?」

「はい、また出来ました」

御屋形様が訝しげな表情をされた。

「……先程挨拶を受けた時は何もなかったが?」

笑い声が出てしまった。


「辰殿が寂しがると思いまして黙っておりました。九月の末から十月頃に生まれましょう」

「……そうか」

「……お慶びではないのですか?」

御屋形様が少し困った様な表情をした。

「いや、そうではない。辰の事を考えていた。また一つ責任を負う事になったと思ったのだ。……子が出来た事を素直に喜べない俺は酷い父親だな」


「……竹若丸の所為ですか?」

御屋形様が首を横に振った。

「そうではない。そなたは竹若丸の事を気にし過ぎだ」

「……」

「宇喜多の事を聞いただろう。一国の国主であろうとあっという間に滅ぶ。まあ滅ぶように仕向けたのは俺だがな。生き抜いて温井の家を再興させねばならん。辰を側室に迎えた時から分かっていた事だがそなたに子が出来たと聞いて改めてそう思ったのだ。最短でも後十五年はかかろう。その間、責任を負い続けなければならん」

御屋形様が息を吐かれた。


「……御屋形様は責任感が強過ぎるのですわ」

「凡人だからな」

「左様でしょうか?」

「天才なら悩まずに自分の思う様に生きるだろう。俺には出来ん。おかげで情けない程に周囲に振り回され悪戦苦闘している己が居る」

御屋形様が笑い声を上げた。


「小夜、目出度いな、元気で良い子を産んでくれ」

「はい」

御屋形様が笑みを浮かべて頷かれた。

「これから暑くなる、身体には気を付けろよ」

「もう慣れております、御心配には及びませぬ」

「それなら良いが……。男は見ている事しか出来んからな。さて、今度は俺からだ。竹若丸に縁談が来ている」

「まあ」

「相手は上杉家だ。弾正少弼殿の下の妹に当たる。名は奈津姫、歳は竹若丸よりも一つ上だ」

一つ上、年回りは悪くない……。


「お受けになるのですか?」

頷かれた。

「断る理由は無いな。それに弾正少弼殿の上洛に付いて来るそうだ。こちらに見た上で判断してくれと言ってきているが見れば断る事は出来ん。なかなか強かな駆け引きをする。ま、向こうも竹若丸を見るとは言っている。受けるかどうかを心配するよりも断られる心配をした方が良いかな」

御屋形様が苦笑を浮かべている。


「竹姫を嫁がせましたのにまた縁組を?」

「竹は未だ九歳だ。当分子は望めん。上杉は朽木との関係をもっと密なものにしたいらしい。それに上の妹は織田家の嫡男に嫁がせようとしているようだ」

「まあ、そのようなお話が?」

御屋形様が頷かれた。


「これまで謙信公は独身だった故婚姻による結び付きを図れなかった。だが弾正少弼殿が跡継ぎとなった事で妹二人が婚姻の駒として使えるようになった。上杉は織田、朽木との関係を密にしようとしている。そのこと自体が弾正少弼殿の立場を強める事になるからな」

弾正少弼様の妹姫が嫁ぐ事で朽木、織田と関係が深まればそれは弾正少弼様の功績……。


「では織田様は如何でしょう?」

「乗り気の様だな。織田としても嫡男にはそれなりの家から嫁を迎えたいと思っていた筈だ。朽木には適当な娘は居ない。である以上上杉から嫁を貰うのは悪くない。特に織田は関東に出ようとしている。多分関東の南を得ようというのだろう。上杉と揉めぬためにも婚姻は役に立つ」

上杉も同じ事を考えているのかもしれない。織田と揉めぬ様に縁を結ぶ。戦ではなく話し合いで関東の分け取りをする


「であれば上杉家でも一日も早い輿入れを望むのではありませぬか。縁談が決まれば竹若丸も元服を望むでしょう」

「そうなるな。精々延ばせても一年程だろう」

「……宜しいのですか?」

御屋形様が私を見た。何処となく寂しそうな目……。

「已むを得ん。縁談が纏まれば元服させる。戦にも連れて行く。俺の傍に置いて教えて行くほかあるまい」

思わず溜息を吐いた。如何してこうなるのか、あの子に務まるのか……。


「小夜、乱世なのだ。親が今少し子供のままでいさせてやりたいと思っても周囲がそれを許さぬ。考えてみれば俺もそなたとの結婚が決まって元服した。周りに押されて大人になって行く。そういう物なのかもしれん……」

今度は御屋形様が溜息を吐いた。子を思い悩むのは親の仕事とはいえ何とも悩ましい事。また御屋形様に負担をかけてしまう……。




元亀五年(1577年)   四月中旬        近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




「では備前、備中、美作に噂は広まっているのだな?」

「はっ、予想以上に早く」

俺の問いに小兵衛が答えた。重蔵、下野守が満足そうに頷く。俺も満足だ。毛利の足元は泥濘(ぬかるみ)状態(じょうたい)になりつつある。予想以上に速く広まったのは皆も疑っていたからだ。いずれは頭の天辺から爪先まで泥まみれになるだろう。


「半年ですな。米の刈り入れ時期に動く。毛利にどれだけの国人衆が従うか」

「それまでにもっと噂を浸透させないと……、良いな、小兵衛」

下野守と重蔵が和やかに言う。小兵衛が頷いた。厳しい御師匠さんだな、小兵衛、頑張れよ。しかし米の刈り入れ時期は悪くない、国人衆が嫌がる時期に兵を起こす。毛利への反感を募らせるのが大事だ。……小夜の出産には立ち会えないな。可哀想だが已むを得ん。


「宇喜多は和泉守の孫が継ぐそうだな」

「はっ。和泉守の娘が江原又四郎という者に嫁いでおります。その息子を」

「……小兵衛、父親の江原又四郎に繋ぎを付けられるか?」

「毛利の目を盗んで付けるのは……」

「知られても構わんぞ」

小兵衛が俺の顔を一瞬見て頭を下げた。或いは俺の視線を避けたのか。重蔵、下野守は無言だ。部屋は俺の自室、三人しかいない。沈黙が落ちた。


「繋ぎを付けるのは又四郎の妻もだ。現状を一番不満に思っているのは又四郎よりも妻の方だろう。出来るか?」

「はっ」

「では頼む」

江原又四郎が、或いはその妻が朽木と連絡を取り合っていると知れば毛利は如何するか? 殺すかな? そうなれば願ったり叶ったりだ。毛利の悪辣さを皆が認識するだろう。邪魔な父親、母親を始末したと。息子と毛利の間もおかしくなるだろう。息子も殺すかもしれん。毛利は怒るだろうな。えげつない、悪辣、何と思われても構わん。相手は毛利なのだ、手強い相手だ、手を抜く事は出来ない。隙が有る以上其処を突くのは当たり前の事だ。


「宇喜多和泉守の事を悪くは言えんな、俺も随分とあくどい」

重蔵、下野守が苦笑を浮かべた。嬉しいねえ、変に庇われるよりもずっと良い。小兵衛は無言だ。如何答えて良いか分からないらしい。

「小兵衛、昔の事を話そう」

「はっ」

小兵衛が頭を下げた。


「俺が最初に敵を(はかりごと)に掛けたのは高島七頭を潰す時だ。終わってみれば生き残ったのは朽木だけ、八千石の朽木が五万石になっていた。嬉しかったな。この戦国で少しは生きていく自信が付いた」

「左様で」

小兵衛が困った様に答えた。俺が笑うと重蔵が笑い下野守が苦笑をした。そうだな、あれは下野守にとっては痛い失点だった。


俺が謀を掛ける中で自分に課した事は暗殺はしないという事だ。そんな中で暗殺を命じたのは一度だけ。敵では無く味方を殺す様に命じた。そしてバレるような暗殺は命じていない。戦の中で討死に見せかけるように命じた。乱世だから、戦国だからこそ最低限の信頼は要る。戦国で生き抜く秘訣はどれだけの敵を斃せるかじゃない。どれだけの敵を味方に付けられるかだ。暗殺という行為は闇討ちだ、それをやれば間違いなく信頼を失うと思った。そう、敵は敵のままだ。味方を増やせない。


重蔵に始末するかと訊かれたのは六角右衛門督義治だった。今でも覚えている。でも断った。六角ほどの大家の次期当主が朽木の利用価値も分からず敵視するようでは碌な事にはならないと思った。敢えて殺す必要も無いと思ったのだ。そしてその通りになった。あれ以降、重蔵は俺に暗殺を勧めてこない、小兵衛も同様だ。俺が安易な暗殺を好まないと理解したのだろう。


「宇喜多和泉守が何故暗殺を繰り返したか、分かるか?」

三人が顔を見合わせた。

「性分も有るのでしょうが兵を損ぜずに済むからでは有りませぬか?」

下野守が答えると重蔵、小兵衛が頷いた。

「少し違うな、確かに下野守の言う事には一理ある。だがその大元には自立の意志が有ったからだと俺は思う」

重蔵が“自立の意志”と呟いた。


「宇喜多は百姓を兵にしている。兵を失うという事は百姓を失い収入にも影響が出るのだ。和泉守は浦上の家臣だった。自立すれば当然浦上と戦になる。戦が続けば銭もかかるが兵も失う。だから戦を避けたのだ。その日のために兵を温存し銭を貯めたのだと思う」

三人が頷いた。


俺が暗殺という行為を避けようと思えたのは銭で兵を雇ったからかもしれない。百姓は消耗品に出来ない。失えば収入に影響する。だが傭兵は消耗品に出来るのだ。失えば銭で兵を補充すればよい。収入には影響しない。俺は直家程には兵を失う事を恐れなかっただろう。暗殺を繰り返した直家と兵を消耗品扱いした俺、どちらが酷いのかな?


「しかし、随分と暗殺を繰り返したようですが。自立してからも行っておりましょう」

下野守が小首を傾げた。遣り過ぎだと思ったのかな。

「溺れたのだろうな、余りに容易いために。俺は波多野が俺を暗殺しようとした時、正直に言うと余り腹は立たなかった。俺と波多野では圧倒的に俺が優位だった。波多野は俺を暗殺するしか勝ち目は無いと思ったのだろう。そこまで追い込まれているなら何故降伏しないのかとは思ったが腹は立たなかった。本気で俺に勝とうとしていると思った程だ」

三人が神妙に頷いている。


「和泉守は大きくなってからも暗殺を繰り返した。兵を失わぬため、銭を失わぬため、自らにそう言い聞かせたのだろう。だが代わりに信頼を失った。誰もあの男と共に茶を飲もうとは思わん。毒を入れられかねぬからな。和泉守にまともな判断力が有ればその辺りは分かった筈だ。暗殺を止めただろう。だが溺れたから見えなかった」

「……」

三人が頷いている。そうだよな、邪魔だと見れば直ぐに暗殺するような奴と席を同じくは出来ない。当然の感情だ。


「俺も毛利も和泉守を信用しなかった。宇喜多の家臣達は自分達が信用されていないという前提の基に宇喜多の進路を決めなければならなかった。だが道は無かった、だから元凶である和泉守を殺そうとなった……。似ているだろう、和泉守が邪魔者を殺そうとしたように家臣達も和泉守を殺そうとした」

宇喜多が滅ぶのは当然だ、むしろ史実の方が異常だろう。……秀吉の事を考えると落ち込むからそう思おう。


「もう直ぐ越後から京に婿殿がやってくる。俺も暫くは京に滞在する。小兵衛、何か有れば京と近江に報せを出せ」

「はっ」

十兵衛には新たに五千の兵を送った。これで一万五千、他に国人衆の兵力を加えれば二万に近い。十分に毛利の動きに対応出来る筈だ。




元亀五年(1577年)   四月中旬        近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




「それで、九州の様子は。伊東がかなり島津に押されているとは聞いているが?」

俺が問い掛けると大叔父が千賀地半蔵に視線を向けた。今日は伊賀三大上忍の一人千賀地半蔵が来ている。これ有名な服部半蔵の一族なんだよな。服部半蔵は父親の代から三河松平に仕えた。今頃は甲斐で頑張っているだろう。或いは音を上げているかもしれない、こんな筈じゃなかったと。


「厳しゅうございまする。三位入道殿は奢侈と京の文物に溺れ家臣達の心が離れておりまする。あれでは到底持ちますまい。六角家の末期に似ておりましょう」

やはり駄目か。三位入道、伊東家の当主義祐は従三位の位階を貰っている。頭を丸めている事から三位入道と呼ばれているらしい。しかし従三位の位階を貰ったという事は余程に金が有るのだろう。


「分かり易い説明では有る。だがな、半蔵。当家は六角の遺臣が多い。六角の名を出す時は気を付けよ」

「はっ」

半蔵が頭を下げた。まあ伊賀の報告を聞く時は俺と大叔父だけだから良いんだがな。一応注意はしておこう。


「日向北部の国人領主に土持右馬頭親成という者がおりまする。この者、伊東には服しておりませぬ。大友に帰属しておりますが島津とも盟を結んだようにございます。おそらくは南から島津が、北から土持が攻める事で約を結んだのでありましょう」

中はぐだぐだ、外からは挟撃か。


「大友に帰属しながら島津と結んで伊東を攻めるか。土持右馬頭、大友に見切りを付けたという事かな、大叔父上」

俺が問い掛けると大叔父が頷いた。

「そうなりましょう。しかし大胆ですな、日向北部という事は対大友戦の最前線を請け負うと言う事で有りましょう。中々の覚悟で」

俺もそう思う、腐っても鯛という言葉も有る。余程の覚悟だ。


「土持右馬頭は大友家に対してあまり良い感情を持っておりませぬ」

「それは?」

「土持家は宇佐八幡宮の神官の出でございまするが大友家の宗麟公は宇佐八幡宮を焼き討ちしておりまする。それに伴天連の教えを信奉し家中に改宗を勧めそれが原因で謀反を起こす者が出る程の混乱が生じているのが実情にござる」

大叔父が大きく息を吐いた。


「大友家に対して見切りをつけたという以上に反発が有るという事か?」

「おそらくはそうでございましょう」

主君が悪い意味で色を出し過ぎるととんでもない事になるという見本だな。それにしてもキリスト教か、そろそろ気を付けた方が良いかな。


「龍造寺は如何か?」

半蔵が首を横に振った。

「肥前において勢力を拡大中にございまする。間もなく、肥前一国は龍造寺の物になりましょう。大友にはそれを止める力は有りませぬ」

「伊東、大友。中が弱い所は負けるな」

俺の言葉に大叔父が頷いた。


「半蔵、鞆の公方様は相変わらずか?」

「はっ、島津、龍造寺に大友を討てと頻りに文を出しております」

可哀想にな、大友は義輝には随分と忠義を尽くしたのに……。島津、龍造寺が大友に襲い掛かるのが二、三年後かな。それまでに毛利をある程度叩かないといかん。少なくとも備前、備中、美作、但馬、因幡、伯耆を奪い備後、出雲へ侵攻する必要は有るな。忙しいわ。京の事も有るし体が二つ欲しいくらいだ。


「半蔵、調べて欲しい事が有る」

「はっ、何なりと」

「頼もしいな、だが今回は少々変わった頼みだ」

「はっ」

半蔵が頭を下げた。


「北九州でキリシタンの教えがどの程度広まっているのか調べて欲しい。それと伴天連、南蛮人が北九州でどのような動きをしているかもな」

「……」

半蔵が目をぱちくりしている。うん、忍者を驚かしたなんて気持ち良いわ。

「頼むぞ」

「はっ」

半蔵が慌てて頭を下げた。さて、次は土佐の事を聞かなければ……。それと服部半蔵から徳川の情報を聞き出せと命じよう。




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