第98話 「心配すんな、俺は平和主義者だ」
パチ、パチ、パチ――とスローテンポな音が響く。
見れば、相変わらずな無愛想さのマスターからの拍手だった。
滅茶苦茶に店内を荒された直後に、そんな態度はどういうつもりだ。
イヌの落とした折り畳みナイフを回収しながら、疑念を丸出しに凝視する。
しばらく無言で続けていると、マスターは半白の坊主頭を撫でながら言う。
「いやぁ……大したモンじゃねえの、兄さん」
「所詮はガキ二人だからな、どうってことない」
「そうは言うが『犬猫コンビ』は、ここらじゃ知れた疫病神だぞ」
「厄介は厄介だろうが……数を集めりゃ何とでもなるだろ」
俺からの反論に、マスターはゆるゆると頭を振る。
それから、変な形で床に突っ伏して動かないネコを指差して言う。
「こいつら、いつも一緒だからよ。四、五人を集めて囲んでも、咬み破られて終わりだ……まぁ、死んでも構わんのなら、話は変わるんだろうが」
「そこまでするには間尺に合わない、ってとこか」
「そういうこった。中坊に食らわされるだけでも情けねぇのに、その報復で人数集めて潰すなんてマネした日にゃ、何を言われるかわかったモンじゃねぇ」
人を傷つけるのに躊躇がないガキ共が、場所も手段も選ばずに仕掛けてくるってのは、中々にシャレにならない状況だ。
なのに、本気で対処すれば「ガキ相手にマジになるな」と笑われる。
だからといって、雑にあしらおうとすれば大怪我しかねない。
抜本的な解決を図るなら、殺すしかなくなる。
関わるだけ損をさせられる、正に疫病神と呼ぶべきコンビだな。
「しかし、アンタは何も思わんのか、自分の店の惨状に」
「フン、赤地蔵で商売してりゃしょっちゅうだ、こんなん。それに、特等席で眺める喧嘩ってのは、半端な格闘技よりよっぽど滾る」
「酔狂なこった……にしても、修理代が馬鹿にならんだろ」
「それがな、不思議と暴れ散らかした連中が補填してくれんだよ」
不思議と、と言いながらマスターはそれが当然と思っている様子。
俺の想像通り、この店は――いや、このオッサンは近隣に影響力を有している、特殊なポジションにあるのだろう。
となると、迷惑をかけてバックレたら、後々ダルいことになるのは確定だ。
そして、犬猫の支払い能力は極めて怪しいんで、自動的に俺にツケが回る。
「……知り合いに、腕のいい内装業者がいる」
「物わかりがいいなぁ、薮上荊斗くん。ウチの番号は、マッチで確認しな」
さっきネコに名前を呼ばれたが、それ以前から俺を知ってる感じだな。
あのビリヤード場で暴れたせいで、警戒対象にでも入れられたか。
ともあれ、無駄に敵を増やすのは避けたいし、ここは出費を受け入れよう。
このマスターとの繋がりが、何かの役に立つって未来もあり得る。
店を出たら与那原に連絡するとして、その前に諸々を処理しておかねば。
「ガキ共を叩き起こして、ちょっと話を訊いてもいいか?」
「構わねぇが……殺すなよ。面倒になる」
「心配すんな、俺は平和主義者だ」
マスターの苦笑を背に受けて、イヌを拾ってくるため店の入口に向かう。
レジ前に置かれたカゴから、黒字に白抜きで『喫茶 ラージュドール』の店名と電話番号が書かれたマッチを二つ拾い上げ、ポケットに入れる。
階段を下りてビルの裏手に回り、窓を突き破ったイヌが落ちたと思しき場所へ。
どうやら、真下に放置されていたダイハツの軽がクッションになったらしい。
「悪運の強いヤツだな、しかし」
旧式なミラのルーフは、イヌのダイブを受け止めて盛大にヘコんでいた。
しぶとく意識を残しているようで、微かな呻き声が聞こえてくる。
根性があり余ってるのか痛覚が鈍いのかわからんが、犬猫が野良のまま暴れられてたのは、それなりの理由があるってことだな。
「よっ、と」
襟首を掴んで強制下車させ、ガラスの破片をザッと払ってから抱え上げる。
ネコほどじゃないが、コイツも軽い――確実に栄養が足りてないな。
ダイエットをやってそうな雰囲気でもないし、生活環境の問題か。
以前《未来》の仕事で見てきた、貧困と暴力の中で放置されて過ごし、やがて簡単に使い捨てられる子供らの姿が脳裏に浮かぶ。
あいつらに比べればまだマシなんだろうが、実際は五十歩百歩かもしれない。
「いや……六十か七十歩かもな」
自己責任なんて言葉も流行ったが、ガキには生まれも育ちも選べない。
カスみたいな環境を与えられ、そこでまともな大人になれなかったのを「自分自身のせいだ」と言われて、誰が納得できるのか。
そして結局は、生き方も死に方も選べない人間になる。
搾取され続ける奴隷モドキか、明日をも知れないチンピラか。
どいつもこいつも酒や薬で正気を失うか、貧乏暮らしでプライドを失い――
「こんなハズじゃなかった、と愚痴りながらくたばる」
というか、この二人はきっとそこまで辿り着くこともない。
無知で無謀なガキのまま、無理と無茶を重ねて下らない生涯を終える。
もし途中でそれに気が付いても、止まることも逃げることもしないだろう。
あまりに容易に想像できてしまう、どん詰まりな未来に嫌気が差す。
どうにも不快な苦さを感じつつ、グッタリしたイヌを店内に搬入した。
「ロープかテープ、あるか」
「スズランなら」
マスターから借りたビニールテープで、犬猫コンビの手足を拘束。
状況を無視してとにかく暴れる、って可能性があるので念の為に。
それから、氷水の入ったピッチャーを手にして、中身を二人の顔面に注ぐ。
「ぷぁはんっ!」
「うひょぁ!」
「おはようアホ共。まずは自分らの状況を確認して、それから取るべき態度を決めろ」
二人は「ふざけんな」「殺すぞ」「クソが」「ボケが」「何してくれてんだ」「死ねよ」「マジぶっ殺す」と、賢さの足りない罵詈雑言を連発。
しかし、俺がまったく動じていないのを察してイヌがまず黙る。
三十秒ほど遅れてネコも黙ったので、改めてコチラから切り出した。
「ちょっと真面目な話、しようか。とりあえず、名前」
「……伊縫」
「兼子、だけど」
「なるほど、略したら犬猫だな。下は」
「淳一。コイツは奈月だ」
そこから質問を重ね、二人についての情報を引き出していく。
警戒心バリバリなので、住所やら家族構成やらは流石に吐かない。
だが、大して重要でないと判断したらしい事柄は、ペラペラと語ってきた。
こういう脇の甘さが目立つのも、どうしようもなくアマチュアだ。
伊縫と兼子は小三から一緒にいる同年齢の幼馴染で、現在は中二。
学校には殆ど通っておらず、基本的には地元周辺をウロついてる。
ヤバい仕事でもギャラ次第で請けるから、今じゃちょっとした有名人。
客は選ばないけど、最近は雪枩からの依頼がメインだった――等々。
どんな仕事でいくら貰った、みたいな話もいくつか出てきたが、内容と報酬がアンバランスでアンフェアだ。
「……ところで、俺の値段はいくらだったんだ?」
「捕まえた後、大輔の仲間に連絡入れたら、それで十万」
「まとめてじゃなくて、一人ずつ十万だかんね。そりゃ狙うでしょ」
「そういう感じか……お前らの扱い、大体わかった」
揃って訝しげな表情を見せる二人に、俺は残念なお知らせを告げる。
「俺に懸かってる賞金だがな、水津らの話じゃ百万だ」
「ひゃ――え? 百万円!?」
「そうだ。本来なら受け取るハズの金、殆どガメられんだよ。何もしてない連中が、実際に働いたお前らの四倍、八十万を持ってく」
「そんなワケ……ねぇ、だろ」
「本当にそう思うか? これまで、仕事内容とギャラが釣り合ってないな、とか思ったことなかったか? 依頼は大輔から直接じゃなくて、間に誰か入ってないか?」
動揺したイヌに、更に疑念が膨らむ問いを投げれば、曇り顔で固まる。
隣のネコも、半目になって何事かを思い出しているようだ。
だいぶ効いてる感じだから、ダメ押しの脅しもかけておくか。
「あとな、お前らは恨みを買いすぎてる。これまでは、雪枩の関係者ってことで見逃されてたんだろうが、今後はそうもいかない」
「はぁ? ウチらは誰の下にも――」
「ついてるつもりがなくても、周りがそうは思わない。当人が単発のバイト感覚でも、それが雪枩絡みの仕事で、しかも繰り返し請けてたら、それはもう関係が深すぎるんだわ。世間からの認識じゃ、大輔がお前らの飼い主だ」
断言すると、犬猫は頭の周りに「?」が飛び交う感じで顔を見合わせた。
どうやらイマイチ通じていないようなので、要点だけを改めて伝える。
「そろそろ噂になるはずだが、雪枩はもう終わりだ。各方面でやりすぎたせいで、間違いなくド派手な反動が来る。関係者も標的になるだろうから、お前らも逃げるか隠れるか、でなければ新しいボスを探した方がいい」
そう言いながら、イヌのナイフでネコの手を縛ったテープを切った。
キョトンとした顔で見てくる犬猫に、置き土産としてアドバイスを贈る。
「いいか、お前らは中坊にしちゃやる方だが、俺に勝てない程度じゃ、暴力だけで世渡りすんのは無理だ。頭を使え。情報を拾え。仲間を増やせ。金の稼ぎ方を学べ……それで、今はとにかく身を守れ。どんなにダサくても、生き残る確率が高い方法を選んどけ」
伊縫も兼子もアホなので、どれだけ届いているかわからない。
だが半分弱が理解できれば、あとは野性の勘でどうにかするだろう。
そう自分に言い聞かせて、ナイフを店の端へと放り捨てる。
それからマスターに軽く手を振って、駅方面に向かうために店を出た。




