第93話 「隠密行動に参加なら、まず三十キロ絞ってこい」
色々と下準備を済ませた翌日、木曜の朝。
一限から講義がある綾子と鵄夜子は芦名に任せ、俺は高校に向かう――べきなんだが、制服ではなく作業服に着替える。
小道具や工具を揃えたところで、ラルゴが家の前に停まるのが見えた。
その助手席へと乗り込み、冷蔵庫にあった缶コーヒーを芦名に渡す。
「お疲れさん。送ってる最中に、何か問題は?」
「一応、尾行や監視があるかは注意したが、それっぽいのは特に」
「そうか……帰りも頼む。危険を察知したら、とにかく二人の安全を最優先で、次に自分の身を守れ。急な予定の変更や、車体の傷なんかはどうでもいい」
俺の言葉に頷いた芦名は、慣れた手つきで車を発進させると、朝の混雑が残る幹線道路の流れに滑り込んだ。
「行き先は変更ないな?」
「ああ。飴降毅の住処がある中野……住所としては野方だが」
「なぁケイ、俺が行かなくてホントに大丈夫か」
「隠密行動に参加なら、まず三十キロ絞ってこい」
一人より二人の方がスムーズに事が運ぶだろうが、この巨体は目立ちすぎだ。
芦名も自覚があるのか、渋い表情でコーヒーを片手で開けてグイッと呷る。
脂肪を落としたら落としたで、ヤバめのマッチョが出来上がってしまい、また目立ちそうな気がしなくもないが。
ともあれ、今日のところは俺が単独で突入するのが無難だろう。
「ただ、そっちでも変装用というか、各種状況に対応できる服が一通りあった方が、何かと便利かもしれん」
「俺のサイズだと、特注になりがちなんだよな……」
「経費としてコッチで出すから、予算は心配すんな。作業着ならたぶん、大丈夫なサイズもあるだろ。あとはスーツを何着かと、チンピラ感の薄いカジュアルな服だな」
「動きやすいの、って言われて選んだんだが、ダメだったか」
「その意味では文句ナシだけど、世間的にはまぁまぁアウトだ」
あまり納得できてない様子の芦名は、黒が基調でダボッとしたフォルムのジャージ上下に真っ赤なTシャツ、というヤンキー感覚に満ち溢れたコーディネートだ。
これしかないだろってレベルで似合っているが、相手によっては必要以上の警戒心を抱かせてしまう。
今日はサングラスも追加されているので、チンピラ指数はMAXに近い。
「服装、というか格好の選び方は、自己同一性にも関わってくる」
「んぁ……ああ、それな」
イマイチわかってない気配がしたので、軽く噛み砕いて説明する。
「自分は何者で、どうありたいと思ってるか、みたいな認識だ。全身をブランドもので固めてスポーツカー乗ってるヤツ、鋲でトゲトゲの革ジャン着て長髪なヤツ、王冠だけかぶって全裸で練り歩いてるヤツ、それぞれパッと見で伝わってくるだろ」
「まぁ、最後が仕立て屋に騙されてる王様なのはわかる」
「制服だと選択の余地がないが、何者かは一目瞭然だ。警官とか、社名入りのシャツとか……学生服もそれだな。ついでに、制服を着崩してたり変形させたりだと、規則や権威に不服従のアピールになる」
「フハッ――確かにヤンキーの自己表現ってのは、そんなんだ」
学生時代を思い出したのか、芦名が味わい深い顔で苦笑する。
「で、制服と同じく作業服やスーツも、周囲に何者かを理解させやすい。だから街中でこういう格好してると、戦場の迷彩服と同じ効果を発揮するんだ。自分は真っ当な労働者です、ってのをアピールしながら風景に溶け込める」
「でもよぉ、スーツ着た俺はサラリーマンに見えるか?」
「素のままだと、いいとこ中堅ヤクザだな。そういう場合は、演出としてそれっぽさを足すんだ。例えば、ダサい眼鏡と猫背で気弱で無害な雰囲気を出す、とか」
「なるほど……そういうのもアリなんだな」
威圧感や粗暴感で世渡りをしてきた芦名にとって、擬態や欺瞞を駆使する手法は新発見に近かったようだ。
この先も俺の下で働くなら、色々と学んでもらわんとな。
そんなわけで、シチュエーションによる偽装工作の違いや、具体的な方法などを教えている内に、目的地付近へと辿り着いた。
周辺をゆっくり走って地理を大まかに把握した後、徒歩二分ほどの場所にあるコンビニの駐車場に車を入れる。
「俺はココで待機、ってことでいいのか」
「一時間で戻らなかったり、パトカーが召喚されたりしたら、様子を見に来てくれ。そこからの判断は任せる」
「あぁ、安アパートの壁は薄いから、殴る前に口を塞ぐの忘れんなよ」
「実践的なアドバイスどうも……じゃあ、行ってくる」
キャップをかぶり、配達中らしく小包的な荷物を手にラルゴから降りる。
窓に映る自分の姿を再確認するが、とりあえず違和感はない。
小道具のニセ小包は、飴降の実家からの仕送りに偽装しておいた。
イザという時は武器になるよう、中には安売りのサバ缶がみっしりだ。
そんな三キロ弱の鈍器を抱えながら、飴降毅が住んでいる『コーポ村濱』一階角部屋の呼び鈴を押す。
ピン、ポーン――
古いタイプのチャイムの音が、古びたドア越しに聞こえる。
三十秒ほど待つが、室内で人が動いた物音はしない。
まだ寝ているのか、怪我が重くて動けないのか、居留守なのか。
実は入院中、って可能性が一番高そうだが。
ピポピポピンポーン――
今度は連射して反応を窺うが、やはり出てくる様子がない。
隣は空き部屋のようだし住民も出てこないだろう、と判断して次はドアを強めにノックしながら名前を呼ぶ。
「飴降さん、お届け物でーす! 飴降さーん?」
コチラは不届き者だがな、と思いつつノックを続けるが、やはり無反応。
これは留守だと判断した俺は、隣の家との隙間を抜けてアパートの裏へ。
塀代わりの目の粗いフェンスを乗り越え、狭い庭――というか物干し場に出るためのガラス戸を調べる。
使っているのは安物の透明ガラス、鍵はシンプルなクレセント錠、カーテンの隙間から見える室内は薄暗い。
ガラスに耳をつけて気配を探り、無人を確信してからポケットに手を入れる。
取り出したのは太めの油性ペン――に偽装したマイナスドライバー。
もし職務質問をされても、これなら面倒なことになる危険は低い。
さて、手順は憶えていても、実行するのは体感的に数十年ぶりだ。
ちゃんと割れてくれよ、と念じてガラスとサッシの間に刃先を突き入れる。
ガッ――ピキッ――バリョッ――
衝撃を加える度にヒビは拡がり、二十秒とかからず三角形の穴が開く。
俗に『三角割り』と呼ばれる、空き巣の手口として有名だった方法だ。
薄いビニール手袋を装着し、割れた箇所から手を差し入れて解錠する。
土足で侵入した室内は空気が澱んで埃っぽく、そこはかとない生臭さが。
部屋の有様は雑然の一言で、住人の適当な暮らしぶりが目に浮かぶ。
「あれから帰ってない……のか?」
小声で呟き、印象を裏付けるために部屋を観察していく。
パイプベッド、テーブルと座椅子、TVとビデオとスーファミ、本棚。
ビデオとフィギュアの並ぶスチール棚、箪笥替わりの積まれた衣装ケース。
ベッドは乱れたままで、脱ぎ散らかしたシャツやジーンズは床に放置。
テーブルにはラーメン丼が放置され、残ったスープに油膜と埃が浮いている。
テールラリウムのポスターでも貼ってあるかと思ったが、飾ってあるのはアニメや特撮関連ばかりで、ドルオタの部屋という雰囲気は皆無だ。
CDやテープは有名Jポップとサントラばかり、本棚は漫画がメインで写真集やアイドル雑誌は見当たらない。
押入れを開けたら、エロ本とエロ漫画とゲーム雑誌が雪崩を起こした。
ラインナップ的に特殊な趣味はないようだが、とにかく量が多すぎる。
TVの上に置かれたビデオ屋の袋を開けると、ケースに入ったのが四本。
一本はトンチキなゾンビもの『バトルガール』で、他の三本はAV。
平成が平晟になっても、キューティー鈴木が主演の怪作は生まれるのか……
伝票を見れば、返却期限は俺があいつをブチのめした一昨日になっている。
やはり、ハイゼットに収容された飴降は病院に運び込まれたようだ。
それならゆっくり家探しができる、と言いたいがそうもいかない。
「こういう状況は、予期せぬ事態が起こりやすいんだよな、何故か」
理由は不明だが、とにかく経験上そうなのだから仕方ない。
なので、重要そうなものに目星をつけながら、テキパキ室内を探る。
本棚の並びで妙に浮いている、子供向けの箱入り図鑑セット。
抜き出してみると、中身は厚い図鑑ではなく薄い本の束だ。
エロ同人かよ、と思ったが捲ってみるとミニコミ的な雑誌らしい。
わざわざ隠すからには理由があるはず、と考えてこれは回収。
他には、茶色い革表紙の手帖と、八割ほど使用済みの葉書ホルダー。
クッキー缶に入っていたパンツ数枚、録画防止のツメが折れたビデオ三本。
あとは、冷蔵庫で保管されていた撮影済みらしいフィルムが数本。
それらをサバ缶と入れ替えて小包に詰めると、足音や人の気配がしないのを確かめてから、何食わぬ顔で部屋を出た。




