第92話 「平均寿命の三倍を超えてくるのはSFの域だろ」
イベント盛り沢山にも程があった一日が終わる直前、芦名がワンボックスに乗って戻ってきた。
日産から出ていたラルゴ――いや、4ナンバーだし商用車のバネットか?
バネットラルゴってのもあった気がするが、とにかくその辺でカラーは赤。
窓から覗いてみると、内装やシートの配置などは色々改造してある様子。
これなら、芦名のわがまま放題ボディでも車内で寝られそうだ。
「よくまぁ、丁度いいのをすぐ見つけたな」
「見つけたってか、思い出したんだわ。HST――貞包さんトコで、借金のカタか何かで持ってきたコレ。会社で使う予定で、工場に預けてた」
「名義変更とか車庫証明とか、大丈夫そうか」
「何でか知らんが、名義は俺だったんで問題ない。車庫証明は会社のあったビルだから、変える必要あるかもな」
もし有効だとしても、あの反社集団との関係を警察に疑われるのは、先々のことを考えると拙い。
だとすると、ウチの住所で登録し直すのが無難だろうか。
そんなことを考えていると、芦名がまた挙動不審な雰囲気を醸し出している。
「どうした?」
「いや……実はそのラルゴ、修理と改装の費用の大半はもう払ってあるんで、金が百九十万くらい残ってんだ」
「そうか。じゃあ百八十は半年分の賃金、残りは諸々の準備金ってことで。服とか日用品とか、色々いるだろ。あ、仕事着は動きやすいのでな」
俺の言葉に、芦名はグンニョリ歪んだ表情を向けてくる。
もしや、月三十万って気前の悪さに引っかかってるのだろうか。
「あくまで基本給だから、仕事の内容で報酬は増えるぞ」
「べっ、別に不満があるとかじゃなくてよ、何つうか……甘くないか?」
「だったら、一年分の賃金ってことにしても構わんが」
「そうじゃねぇ。そういう厳しさは求めてねぇんだけど」
不正解だと思いつつ言ってみたが、やはり違うらしい。
「じゃあ基本給ゼロの完全出来高制にでも……ところで、警備と運転で出来高ってどういうシステムだ?」
「自分の発言の中で迷子になるなよ。いやさ、俺から言うのもどうなんだって思うが……信用しすぎじゃねぇの?」
「逃げたり裏切ったりの御予定がおありで?」
「ねぇよ! ねぇけど、でもよぉ……」
ともあれ、金に汚くないのと常識的な思考が出来るのはプラス評価だ。
芦名の分厚い胸を軽く叩いて、わざとらしく悪い笑顔を浮かべる。
「その金をどうするかも、採用試験の一環だった。持ち逃げなら当然失格、誤魔化して半分以上ガメれば早々にクビ、十万単位のネコババだったら許容範囲、領収書を持ってくるレベルでちゃんとしてれば万々歳だ」
「おう……一応、工場から貰ってきたが」
芦名が差し出してくる、宛名のない領収書を受け取った。
十二万五千円――これなら確かに、預けた金がほぼ丸ごと残る。
会社勤めも普通にやれそうな、予想以上にまともな神経だな。
「思想や信念でしか動かん、金が動機にならないヤツは危険だ。だがそれ以上に、金しか動機がないヤツが危うい。損得勘定だけを判断基準にしてるから、カジュアルに逃げたり裏切ったりする」
「実際、そんな目に遭ったような口ぶりじゃねえの」
「あくまで一般論だ。とりあえず、アンタは合格だよ」
「今更な話だが……ホントに高校生なのか、薮上?」
珍獣や怪魚を見る目を向けてくる芦名に、ふざけ半分に返す。
「ちょい童顔なんで、中坊と思われることもワリとあるが?」
「そういうんじゃなくて……あー、まぁいいか」
「貞包に習わなかったか、詮索屋は長生きできないって」
「胆に銘じとくわ。俺は二百五十まで生きるつもりだし」
「平均寿命の三倍を超えてくるのはSFの域だろ」
二人で短く笑った後、少し気になっていた件を切り出す。
「細かいことだが、アンタから俺への呼び方を考えないとな」
「雇用主だしな。さん、を付けた方がいいか?」
「姉さんが不審がるし、それはヤメとこう。だが、呼び捨ても何か違う」
「じゃあ『社長』とか『ボス』とか『おやびん』とか、そんな感じか?」
「最後の雑魚キャラどっから出てきた……名前を聞かれたくない場面もありそうだし、綽名っぽいのを適当に考えるか」
「だったら、荊斗のケイでよくねぇか。イニシャルっぽくもある」
「なるほど、そこはかとなく仲いい雰囲気も出せるな……じゃあそれで」
そんな話の後、車内の寝床のためにクッションや毛布を差し入れつつ、現状を簡単に説明してから今後の打ち合わせを済ませておいた。
翌日、芦名に綾子と鵄夜子の送迎を任せ、俺は普通に登校する。
学校では特に揉め事もなく、桐子からは綾子と同じ事務所の蓼下という役者とアポが取れたとの報告が。
「話が早くて助かる。その蓼下って人は、いつなら会えそう?」
「仕事なくて日雇いバイトばっかりって言ってたから、バイト代の五割増しの報酬でも用意すれば明日にでも。住んでるのは大宮だったかな」
「じゃあ、明日の夕方か夜にセッティングを頼む。コッチまで来てくれるなら、食費交通費も付けるって条件で」
「了解。どうなったかは、また電話するよ」
放課後には、瑠佳と奥戸に付き合ってもらって図書館で調べもの。
都内の電話帳の中から、ストーカーの一味である『飴降毅』の名前を探すだけの単純作業だ。
その結果、毅はいなかったが『飴降周蔵』と『飴降亮子』の二件がヒット。
ただ、会員証のビデオ屋は中野近辺なのに、周蔵は葛飾で亮子は八王子だ。
珍しい苗字だし、どちらかもしくは両方が家族か親戚だろう、とアタリをつけて探りの電話を入れてみることに。
「どんなプランでいくんだ、ヤブー?」
「マイナスの情報……例えば警察や借金取りのフリして、毅が厄介事に巻き込まれていると脅して、必要な情報を聞き出す方法もあるが……」
「それだと、本人に連絡されちゃわない?」
「そのリスクがあるんで、効果は期待できるけど使い勝手が悪い」
二人の疑問に答えながら、どう仕掛けるかを考える。
職場の同僚、学校の後輩、趣味で知り合った友人知人――
あいつのオタ全開ぶりだと、彼女や女友達って方向はリアリティがないか、と思いつつ眺めていた瑠佳が、不意に拍手を叩いて言う。
「マイナスがダメなら、プラスがいいんじゃない?」
「おー、6を引っくり返すと9になる、ってやつだなー」
「そのバッファロー理論どこに繋がんだよ」
「ワケわかんない理論はどうでもよくて、相手にとって損じゃない内容を持ち出して、そこから話を進めればいいんだって。借りてたお金を返したいとか、小学校の同窓会の招待状を送りたいとか」
同窓会がどうこうで個人情報を聞き出す手口は、あまりに横行しすぎて真っ先にハネられる警戒対象になったが、この時代ならまだまだ有効だ。
「ナイスアイデアだ、サメ子。ペテン師の才能あるぞ」
「あっても嬉しくないやつ! もっと他の方向で褒めてよ」
「白衣のペテン師の才能あるぞ」
「患者に生命の危機が訪れる!」
「どうでもいいけど、ペテンって何語なんだろーなー」
「その前フリから、本当にどうでもいい話するの!?」
奥戸の混ぜっ返しで迷走が悪化しそうなので、強引に話を進める。
「ペテンは確か中国由来だな。それはさて措き、同窓会の招待状で行こう」
「んじゃー、オレが電話かけるかー?」
「オクでもいいけど、幹事を名乗る女から連絡くる方がそれっぽいだろ。てことで、頼むわサメ子。学校名なんかは出さなくても、たぶんイケる。まずは葛飾の方から試そう」
「はいはーい」
「おい、電話番号は?」
公衆電話の置いてある、図書館の入口へと歩き出していた瑠佳は、足を停めてこめかみをトントンと指で叩く。
「すげーなー、暗記してんのかー」
「ちゃんとメモってあるから」
「今のジェスチャー何だったんだよ」
一人で行かせるのが急に不安になってきたので、俺も一緒についていく。
結局、葛飾の『飴降周蔵』宅が毅の実家で、スムーズに住所と電話番号を入手。
綾子の件でも痛感したが、この時代のセキュリティ意識はガバガバすぎる。
色々と思うところはあるが、とにかく明日に備えての下拵えは完了だ。
二人と別れた俺は、今日の予定で最後に残っていたものを消化すべく、自宅とは逆方向を目指した。
「上の下か中の上ってとこだな……何で不良の真似事してんだか」
それなりに裕福そうな水津の家の前で、溜息交じりに呟く。
ただ、イザという時に「失うもの」が多すぎる奴は、総じてハートが脆い。
だから、手下連中もコレを見て自分らの状況に気付いてくれるといいんだが。
そんな祈りを込めつつ、ボスである大輔が新しい扉を抉じ開けられているビデオと、その後ろ盾の雪枩力生が破滅寸前だとザックリ説明したメモ、そして便所バトルで没収した身分証明書のセットを郵便受けに落とした。




