第91話 「とりあえず、姉さんはそこで正座」
玄関で靴を脱いでいると、綾子がトイレに入るのが見えた。
見てはいけない光景な気もしたが、アイドルを卒業してるならセーフか。
プチ自問自答を経てリビングに入っていくと、鵄夜子がアチコチを眺めながら首を傾げたり唸ったりしている。
そういえば、雪枩と不快な仲間たちに家の中を滅茶苦茶にされて、床も窓も照明も家具も大幅に変わったのを忘れてたな。
「ねぇ荊斗……ちょっと留守にしてた間に、一体何が……?」
「十日がちょっと? てのは措いとくとして、まぁ色々あってさ」
「そんな軽い感じで、このレベルの模様替えを語るのはナシでしょ!?」
「あー、これはだな……事故っていうかトラブルっていうか、友達のやらかしに巻き込まれた結果で」
一応準備しておいた、事実と虚構を2:8で混ぜた状況説明を手短に語る。
奥戸という友人が、街でヤンキーと揉めた後でウチに遊びに来たら、そいつらがココを奥戸の家と勘違いして殴り込んできて大騒動に、というのがメイン。
色々とぶっ壊されたが、不幸中の幸いで相手のボスが金持ちの息子だったから、警察沙汰にしない代わり修理費を全額負担させた、というのがオチだ。
聞いている鵄夜子は、どこまで信じたものか探っている感じだったが、最後には諦め半分の調子で訊いてきた。
「あんたと、えぇと……奥戸くんだっけ。その子に怪我はなかったの」
「そこは心配ない。でも家は異常な量のロケット花火が打ち込まれたり、単車で家の中に突っ込んできたアホとかもいたんで、大幅な修理が必要になったんだわ」
「待って待って、大事件すぎるでしょ! どうして警察に通報しないの」
「それはその……奥戸の奴がやりすぎてな。三人ぐらい入院確定だったんで、内々で処理する方向に」
大部分を奥戸に押し付けてしまったが、本人が「遠慮せずにオレを頼れ」と言ってた気もするし、ありがたく利用させてもらおう。
そんな感じで説明を締め括ると、鵄夜子は姉の顔になって言う。
「さっきの芦名くんもだけど、最近のあんたの交遊関係、どうなってるの」
「まぁ、変な知り合いは増えてるけど、高校にもなるとそんなモンだろ」
「そうかな……」
「周囲が変でも、俺は酒も煙草もやらないし、不良化を心配する必要もない」
「そうかも……」
「姉さんに言われてる、危ない場所には近づかない、夜になったら出歩かない、知らない相手と目を合わせない――この三原則を守ってる気がしなくもないとも言い切れないとは限らないから、大丈夫だって」
そんな感じで鵄夜子を丸め込んでいたら、綾子が急ぎ足で戻ってきた。
面子も揃ったので、話を綾子の問題へと切り替える。
「じゃあ、第二回作戦会議を始めたいが……とりあえず、姉さんはそこで正座」
「えっ、どうしてあたしが?」
「いいから、正座」
繰り返し促すと、シブシブという感じで正座の姿勢になる鵄夜子。
俺は床を指差していたのに、何故かソファの上に座っている。
反省の色が半透明な気もするが、移動させるのも何なので話を進めた。
「まず片付けておくべき議題は、隠れ家を用意すると宣言しておきながら、ウチに綾子さんを連れてきた大ボケ行動について」
「違うの! それは誤解なんだって荊斗!」
「はいアウト。言い訳が浮気バレの直後みたいになってる」
「だからっ、ホントに違くて! これは完全に事故としか言えないやつ! そうだよね、アヤちゃん!?」
鵄夜子に問われた綾子は、妙に冷淡な態度で応じる。
「えぇ、まぁ……はい」
「アヤちゃん? 温度差がゴツいんですけど!?」
「確か、避難所の予定地まで行ったけど、そこが使えなくなったって追い返されるとか、そんなんでしたっけ」
「大体そんなんで。シィさんと相手の人、ちょっと揉めてたみたい」
綾子に確認した後、「そこで何があったんだ」と鵄夜子に目顔で問えば、気まずそうに目を逸らした。
「もっとこう……事前の根回しとか、そういうのはなかったのか」
「いや、でもね? 住む場所に困ったらいつでも来て、って言われてたし……」
「社交辞令って知ってる? 姉さん」
「知ってる知ってる、『レイレイ』のツッコミの方でしょ」
「何の、何の方だって?」
急にワケのわからないことを言い出したので、綾子の方を見て助けを求める。
「社交辞レイと慇懃無レイのお笑いコンビで、ちょいちょいTVにも出てるよ。見たことないかな? レイレイのビジネス漫才」
「全然知らん……あんまTV見ないからかな」
というか、前回は存在しなかったのが出てくると、毎度反応に困るな。
もうちょいトレンドを追うべきか、と思いつつ姉への詰めを再開する。
「話を戻すけど、どうして話がポシャッたんだ?」
「頼もうとしてた相手……トコさんは、荻窪で古い家に一人暮らしなのね。そんで、居候も全然OKって言われたんだよ。でもねぇ、向こうの環境がちょっと……」
「そこらは、予め調べとけってだけじゃないのか」
「だから、ちゃんと状況は聞いといたんだって! それで大丈夫そうだって判断して、トコさんの家までアヤちゃん連れてったら、何でか彼氏と同棲始めてんの!」
「あー、それは……」
事前情報なしでその環境の変化は、確かに困る。
恋人や夫婦が二人で暮らしてる家に、友人でもない立場で居候するとなったら、俺でも若干怯む。
寮で暮らしていた経験がある綾子なら、普通に適応できるかもしれない。
だが、それでもトコさんの恋人とやらは不確定要素すぎる。
「しかもその男、アヤちゃんをチラッと見ただけで、佐久真珠萌って認識したんだよね。で、『くまたまが居候? そんなの大歓迎に決まってんじゃん』って」
「あ、それはダメだ。姉さんの判断で正しいから、正座はヤメてよし」
「善意で歓迎するって言ってたにしても……ちょっとね」
足を崩して、ソファに座り直す鵄夜子。
黙って聞いていた綾子は、湿った溜息を吐いて項垂れる。
「そんなことがあったんだ……」
「説明足りなくてゴメン。でも、言われたらヤな気分になるかもって」
「こっちこそ、シィさん適当だなぁとか思っちゃって、ごめんね」
「まぁ、ダメな時の代案を用意してない時点で、姉さんの適当さは否めないが」
「うっ! 第二、第三の候補もあったけど、それも何ていうか、その……」
曖昧に言葉を濁すと、鵄夜子は再びソファの上で正座に戻った。
すると、綾子もその隣で正座を始め、謎めいた絵面が完成してしまう。
何だそりゃ――と思いつつも、ツッコむのが面倒なので話を続ける。
「今からバタバタと次を探すより、ウチで綾子さんを匿った方が安全かな……丁度よく、警備員をやってくれそうな知り合いもいるし」
「芦名くんね……大丈夫なの?」
「失業中だろうから、しばらくは頼めると思う。車もあるから大学への送迎もイケるし、外見の通り腕っぷしも相当だ」
質問の真意は「信用できるの?」だったと思われるが、それを無視してセールスポイントだけを並べておいた。
本音として、事件が解決するまで引き籠っていてほしい、というのはある。
しかし、ゲスな連中に二人の人生が捻じ曲げられるのも腹立たしい。
この状態を終わらせるため、早々に問題を一掃しなくては。
「俺の方では、犯人に繋がるルートを二つ確保してる。ついでに、さっきの連中からコレも没収してきた」
「ポケベル……犯人が連絡してきたら電話番号わかるかも、ってこと?」
「期待薄だけどな。それと綾子さん、前に容疑者を何人か挙げて貰ったよね」
「うん……でも何となく怪しいって思っただけで、容疑者ってわけじゃ……」
「とはいえ、直感ってのは馬鹿にできないから。初対面で『何か気に入らない』が第一印象だったヤツって、付き合いが長くなっても大体あんま仲良くなれないでしょ」
言われてみれば、という感じに頷く綾子。
その隣で、何故か鵄夜子も腕組みして頷いている。
「容疑者たちに当たってみたいから、マネージャーの……何さんだっけ?」
「マルさんね。コメにマルと書いて米丸。米丸美茉」
「そうそう、その人にセッティングを頼んどいて。あと、できれば米丸さんからも話を訊きたい」
「わかった……電話でもって、お願いしとく」
「万が一を考えて、ウチにいるって言わないようにね」
少し声のトーンを落として告げると、綾子の表情に緊張が走る。
警戒心は既に高まっていただろうが、さっきの誘拐未遂は流石に効果覿面だったようだ。
顔とか手足を強張らせた綾子の背中を、鵄夜子が軽く叩いている。
あまり表には出していないが、姉の心労も相当なものだろう。
やはり、このストーカー騒動はサッサと終わらせないとな。
「細かい話は、メシを食いながらにしようか。二人とも疲れてるだろうから、俺が簡単に何か作るけど……希望はある?」
「ポークビンダルー」
「バーニャカウダ」
「簡単に、って言ってんだろ! カレーとサラダでいいな」
急に東京の女子大生感を滲ませてきた、面倒な注文は強引に単純化。
そして材料があるかどうか、冷蔵庫内のチェックに向かった。




