第65話 「どうする? 撃っとくか、アレ」
来る、と構える間もなく力生が動く。
予想に違わない、外連味のない斬り込み。
「トァッ!」
短い掛け声と共に、白刃が空を裂く。
しかし、深々と腰を落とした俺は刃の届く範囲にいない。
歯を食い縛ったまま強く息を吐き、腿裏と脹脛の緊張を解放する。
「シッ!」
渾身の一閃が空振るのを視界の隅に捉えつつ、ヘッドスライディングの要領で左前方に跳ぶ。
勢い余って踏み込んだ力生と低空で擦れ違いながら、六角棒を大振りして右脛へと叩き込んだ。
ゴグッ、と鈍く籠った音が発せられ、反動で弾かれた棒が床を滑る。
「ん、ぶぁ……っ!」
剣道ベースで技術を学んだ弊害なのか、刀を使う連中の殆どは下半身の守りに気を回さない。
甲冑に佩楯や脛当てが用意されてる意味や、柳剛流が幕末に広まった理由くらいは知っておくべきだろう。
「ぅばっ、はぁっ!?」
自分の身に何が起きたのか、イマイチ把握してない様子の喚き声が響く。
ヘシ折るには威力が足りなかったが、動きを止めるには十二分。
倒れも蹲りもしてないだけ、我慢強さを褒めてやってもいい。
着地してすぐに前転、しゃがんだ体勢に戻ってから振り向き様に、力生の左側面へと六角棒の二撃目を放つ。
「フンッ!」
「だうっ――」
痛みのせいか混乱のせいか、回避する余裕はなかったようだが、刀で受けてくる。
その反応速度は見事なものだが、これは悪手だ。
日本刀は強靭さと柔軟性を併せ持つ武器だが、幾つかの弱点がある。
その最たるものが背面――峰に対して加えられる衝撃。
時代劇でよく出てくる峰打ちなどは、刀が折れたり曲がったりを招く自殺行為に近い愚行なので、現実に使われたのは皆無だったハズ。
ベキョンッ!
カラッ、カッ――カチャ、チャッ――
空き缶を車が轢き潰したような音に、どこか白々しい金属音が続く。
十センチほどを残して折れ飛んだ刃が、一メートル弱を転がって停まる。
信じられないものを見た瞬間の、唖然と愕然が混ざった表情。
言い換えれば、自意識を強奪されたアホの顔が力生に浮かぶ。
そうだ、それが見たかった――自分が特別な存在であるのを疑ったこともなく、権力や暴力の濫用を当然の権利だと信じ込んでいる、尊大で不遜なその面が不安と恐怖で歪んでいく様を。
肩の関節と腕の筋肉が軋むのを感じながら、振り抜いた六角棒を引き戻して両手で握り、棒立ちになっている力生の右脇腹を横殴った。
「おんっ――ひゅ」
肋骨も数本砕いているだろう深い打撃が、やけにフワッとした感触を伝えてくる。
搾り出された呻きの直後、息を詰まらせた力生の手から、半ば残骸になった刀がこぼれた。
ゴトッ、コンッ、チャリ――ドッフ
柄と鍔が鳴らした音に続いて、もっと重たい何かが床に落ちた。
だいぶ効いているらしく、力生は膝から崩れて血涎を吐いている。
そういえば息子との初対決も、脛への攻撃からの流れで片を付けたっけか。
体育館裏での光景を思い出しつつ力生を見遣れば、右手を床について倒れ伏すのを辛うじて防いでいる状態だ。
苦しげに浅い呼吸を繰り返し、白くなった顔面は脂汗に塗れている。
「ふひゅー……ぷふーぅ……くひゅー……」
無防備な状態で入った一発だったから、肝臓の一つか二つは終わっているかも。
さて、ココからどうしてくれようか。
僅かに迷った末に、武士っぽいヤツにピッタリのトドメが脳裏に浮かんだ。
六角棒を放り捨てると、軽く息を整えてから大きく右脚を引き――
「シャッ!」
延髄斬りモドキの、後頭部を蹴り抜くミドルキック。
可能な限りの体重と回転を乗せた、首を刎ねるつもりの一発。
動かない標的への攻撃は、満点の手応えというか足応えを返してきた。
ボーリング玉の落下と同等の速度で床に衝突した力生の顔面は、二回バウンドした後で動かなくなりプクプクと赤黒い水溜まりを広げていく。
「やっと終わったか……よっ、と」
力生が倒れた時に、懐から転がり落ちた鍵束を拾い上げた。
桐子が入れられた檻の鍵も、たぶんこの中にあるだろう。
何でか、指輪が一つ混ざっている――プラチナっぽいから貰っておくか。
指輪を外してポケットに入れ、酷使した肩をグルグル回しながら桐子の元へと向かう。
味わい深い顰め面をしている桐子は、色々と言いたいことがありそうな様子だが、無言で俺をジッと見てくる。
「……いやいや、絶対違うでしょ、それは」
空気を和ませようと、明らかに鍵穴に入らないデカい鍵をカチャカチャやっていたら、十秒ぐらい経過した後でやっと桐子からのツッコミが入った。
たぶんコレだろう、という鍵を挿し込んでみたら一本目で正解。
鉄格子の扉を開けば、思ったよりシッカリした足取りで桐子が出てくる。
その手には、俺がさっき蹴り飛ばしたザスタバが握られていた。
「コッチの意図は、ちゃんと伝わってたみたいだな」
「うん……もし薮上君が負けたらコレを使ってどうにかしろって、そういう意味でしょ?」
「大体あってる。無駄な保険になっちまったが……どうする? 撃っとくか、アレ」
床に突っ伏し、不規則に痙攣している力生を指差す。
桐子は無言で近付き、銃を両手で構えて後頭部に狙いをつける。
演技か素かわからないが、手足に震えはなく表情も冷静そのものだ。
しばらく固まっていると、力生が「ぼぐぃいぃっ」とゲップのような怪音を発し、活きのいい魚めいた動きでビチビチッと身をクネらせた。
「ふーぅ……」
突然の奇行で毒気を抜かれたのか、桐子は大きく溜息を吐いて天井を仰ぐ。
そして手にした銃を逆向きに差し出し、苦笑いで頭を振った。
「やっぱり、やめとくよ」
「そうか……そうだな。なるべく人は殺さない方がいい」
力生に対しては、殺しても飽き足らないレベルの怨念が渦巻いているハズだが、桐子が手を汚さないことを選ぶなら、俺に口を出す資格はない。
文明人というのは本能的に、暴力や殺人を忌避する精神構造になるのかも。
野蛮人であるのを選んだ俺には、あまり関係ない話だが。
バンッ!
――バンッ!
続けて二発、派手に破裂音が響いた。
深刻な破壊を伴う音なのに、どうにも子供の頃に遊んだ癇癪玉に似ていて気が抜ける。
耳鳴りが薄れると、桐子が俺の背中を平手で連打しているのに気付く。
「ちょっちょっちょっ、何でっ? 何で撃ったっ!?」
「これはザスタバM57っていうユーゴスラヴィア製の――」
「銃の名前と産地はどうでもよくて! 殺さないって言ったよね!?」
「正しくは『殺さない方がいい』だな……有言実行だ、殺してないぞ」
床に突っ伏した力生が逃げないよう、左右の膝裏を撃ち抜いただけだ。
今後まともに歩けない可能性はあるが、それはまぁ自業自得の範囲。
ともあれ、この程度の傷だったら、どんなに運が悪くても死にはしない。
わたわたする桐子と、ピクピクする力生を放置し、先程の発砲の結果を確認しておく。
警戒しつつ丸窓の向こうを覗くが、三畳くらいの小部屋には怪我人も死人もおらず、飛び散った血痕とライフル銃が残されている。
「SKSカービンか、56式か……いや、63式?」
特徴的な銃剣が外されているのでわかりづらいが、ソヴィエト製の半自動小銃か中国や北朝鮮で作られたコピー品だろう。
AK47が開発され旧式兵器となった後はアチコチにバラ撒かれているので、どの辺りから流れてきたのかは見当がつかない。
それはともかく、血の量からして結構な重傷だと思うが、狙撃手はどこに逃げたのか。
「なぁ桐子。この部屋がどこに繋がってるか、わかるか?」
「知らない、けど……あの扉の先が『保管庫』だから、そっちかも」
桐子が指差すのは、俺が入ってきたのとは別のドアだ。
「保管庫ってのは、力生の悪趣味コレクションのか」
「そう、その。何度か見せられたけど、ビデオとかフィルムとかが、とにかく大量にあって……他にもテープとか写真とか、そういうのが。後は大きな金庫が」
「おっ、それは最重要だ」
大輔とその手下が散々に破壊してくれた、自宅の修繕費と賠償金とファイトマネーは確保しておく必要がある。
桐子と共に処刑場のような部屋を出ると、またコンクリが剥き出しの通路だった。
短い通路の奥に、金属製らしい暗灰色のドアが見える。
途中、左手の壁に格子シャッターが降りている箇所が。
暗くてよく見えないが、丸窓の小部屋とつながっているのはこの先だろう。
「んっ、くっ……開かん」
レバーを押しても引いてもドアが動かない。
ならば蹴っ飛ばすか、と助走のために数歩下がると、ドアの右隣に何かあると気付く。
壁とほぼ同色の、ガラスかプラスチックのプレートだ。
「ココでカードを読み取らせたりすんのか?」
「えぇと……ただ触ってただけ、だったような」
「指紋認証か。じゃあ鍵を連れて来ないと」




