第125話 「マミが死んじゃった、みたいで」
※今回は雀部久美(かつて米丸と同じグループで活動。現在は女優)視点になります。3章ラストから数日後です。
『クミ――』
呼ばれた気がして振り向くと、甘い香水の懐かしい匂いが広がった。
香りは半瞬ほどで消え失せ、手元のバージアニア・スリムから立ち昇る煙の臭いと入れ替わる。
同時に、今はステージの上ではなく、楽屋で一人なのを思い出す。
右側にいるように感じた、彼女の姿は当然ながら見当たらない。
脳が混線した原因はたぶん、TVから流れてきた名前のせいだ。
「えっ……えぁん?」
間の抜けた自分の声に、女性アナウンサーの硬質な声が重なる。
『――軽自動車はガードレールを突き破り、数十メートルある崖下に落下したとみられます。車内で発見された富田さんと、車の近くで発見された米丸さんは全身を強く打っており、搬送先の病院で死亡が確認されました。現場は見通しの悪いカーブになっており、警察では運転していた富田さんがハンドル操作を誤ったとみて、事故の詳しい状況を調べています』
壊れたガードレール、ブレーキの跡がない道路。
グッチャグチャに潰れてる、ホンダのトゥデイ。
青いビニールシート、数台のパトカーと救急車。
そんなものが映った画面に、テロップで名前が。
富田隆之(25)
米丸美茉(28)
「いや、違うでしょ……そんなのって、ほら……」
半ば無意識に、否定の言葉が口を衝く。
同姓同名の他人って可能性も、まだある。
年齢もたぶん一緒だけど、それも偶然かもしれない。
マネージャーはこの件について、何か聞いてるのだろうか。
確かめたいが、番組スタッフとの打ち合わせ中で席を外していた。
時間的に、殆どの局が夕方のニュースを流しているはず。
左手でリモコンを操作し、他のチャンネルもチェックしていく。
ザッピングを続けていると、それっぽい情報が画面に出た。
マミの本名と共に、最近撮ったらしい顔写真も大写しになる。
十年前とはだいぶ変わっているが、それでも一目でわかってしまう。
さっきと同じような現場の映像に、キャプションの説明が追加されている。
芸能事務所の社員二名、車道からの転落事故で死亡
人気アイドルグループ『テールラリウム』マネージャーか
本当にマミは――米丸美茉は、交通事故で死んでしまったのか。
男性アナウンサーが、他局の報道と似たり寄ったりの概要を説明。
その後、初老の男がインタビューに応じる映像に切り替わった。
先月か先々月、どこかのパーティで紹介されて挨拶した覚えがある。
アイドルを引退したマミを雇った、OTRエンターテイメントの社長だ。
『えー、急なことでしてね――――我々としても、そのー、ただもう、驚いてまして、ハイ――――警察の方からの、えー、詳しい説明を待っている、というのが、あー正直なところです、ハイ――――二人はですね、来週に開催予定のコンサートの準備で、えー、会場のある群馬に、打ち合わせで向かっておりまして、ハイ――――両名共に、あー、優秀なスタッフで……信じられないし、嘘であってほしい気持ちでおります、ハイ』
あまり上手くないリポーターの質問に、社長は沈痛な面持ちで応じている。
だいぶ混乱しているのか、アチコチで閊えているし、声も震えていた。
とはいえ、こんな時にスラスラと流暢に受け答えできるのも、それはそれでどうかと思うけど。
マミの経歴などには触れず、アナウンサーは別のニュースを読み始めた。
ザッピングを再開するが、各局を二周しても事故の話は出てこない。
「ぅあっつ!」
三周目の半分ほどまで来たところで、右手の指に痛みが走る。
手を勢いよく振ると、指に挟んだまま短くなった煙草が飛んでいった。
火の粉を散らして床に転がった、燃え尽きかけた吸殻を拾って灰皿で揉み潰す。
だいぶ動揺してる――いや、それが当たり前だろうけど、これから撮影なのに。
近日放送予定のスペシャルドラマの宣伝で、どうでもいいクイズ番組にゲスト出演するってのが今日の仕事だ。
マネージャーに言って、誰か代役を用意してもらうべき、だろうか。
何もなかったように出場、までは問題なくできると思う。
だけど司会者との応答は、上手くこなせる自信がまるでない。
そもそも苦手な、やたら外見や発言をイジッて笑いを取ろうとする芸人だ。
ズケズケとツッコミを入れられたら、ワケがわからなくなってしまうかも。
どうしようか、と悩んでいると楽屋のドアがスイッと開いた。
「あっ――あぁ、おはようございます」
「どうも、おはようございまーす」
愛想よく挨拶を返してくるのは、スペシャルドラマで主演を務める、シマちゃんこと赤瀬川志麻。
誰もが知ってる人気子役から、誰もが知ってる人気女優へと順調にステップアップしている、全世代から好感度の高い国民的スターとでも呼ぶべき存在。
それでいて気取った風でもなく、スタッフや共演者にも基本的に腰が低い。
演技や演出が絡むと厳しい態度になるが、そこもまた役者として信用できる。
赤瀬川志麻とは三年前に映画で、五年前には連ドラで共演している。
役者としては今回が三回目だが、それ以前にミミシロ――『ミミミ・シロップ』の一員だったアイドル時代に、歌番組やバラエティで何度も顔を合わせていた。
だけど、ミミシロで一緒だったロミも、マミも、もういない。
ロミ――絲部浩美は、自分のスキャンダルでミミシロが終わると知ってから「ごめんなさい」と「全部あたしのせい」しか言わなくなってしまった。
そして、中学時代の恋人とのベッドイン写真が掲載された、問題の週刊誌が発売される直前に失踪。
その後のゴタゴタのせいで、彼女がどうなったのかハッキリとはわからない。
だけど、元の事務所の社員と会った時に、雑談の中でロミの自殺を匂わされた。
別の業界人からは、精神を病んで入院中、という話を聞かされたこともある。
真実がどうであれ、生きていても幸福とは程遠い生活を送っているだろう――
「あのー……何かありましたか、久美さん」
「えっ? あっ、ゴメンね、ちょっと考え事してて」
「ちょっと、にしては眉間のシワがとんでもない、ですけど」
しばらく黙り込んでいたら、志麻が異変を察してきた。
これは役者としての洞察力の為せるワザか――と思ったが、私が混乱している感情を表に出しすぎていたせいかも。
ともあれ、志麻にも迷惑をかけそうなので、事情を説明しておこう。
「実は……マミが死んじゃった、みたいで」
「マミさん、ですか?」
「うん……ミミシロで、私とアイドルやってたマミが、事故で死んだって、TVで」
頭がだいぶゴチャゴチャで、何だかよくわからない説明になってしまう。
どうにか情報を整理して、アイドルから裏方に回ったマミのセカンドキャリアについてと、ニュースで流れた転落事故についてを伝える。
訝しげに聞いていた志麻だったが、どうにか理解してもらえたようで、話が進むにつれて表情が強張っていく。
志麻は、マミのことを憶えてくれているだろうか。
歌が好きで、ダンスが得意で、アイドルを天職だと思ってたあの子を。
いつも全力で、つまらない仕事でも絶対に手を抜かなかったあの子を。
ファンサービスがしたくて、サインに毎回イラストを入れたあの子を。
コンサート会場の規模が大きくなる度に、涙ぐんで喜んでたあの子を。
アイドル廃業を告げられたマミの絶望は、私の比ではなかっただろう。
元凶のロミを罵りもしなければ、私に八つ当たりをするでもない。
事務所に抗議するのも、反応が鈍すぎるからか早々に諦めてしまった。
何より「堕ちたアイドル」に向けられた世間の悪意は、ガサツな私でも思い出したくない程だから、繊細なあの子にはもっと耐え難かったはずだ。
終わりを悟って、ただ静かに泣き続けていたマミの姿は、本当に痛々しくて――
「久美さん、とりあえず深呼吸、です」
「ふぇっ? あっ……うん、うん」
志麻に両手をギュッと握られ、自分が派手に震えていると気付く。
動揺して全身が震える、みたいな状態って本当に起きるんだ。
そんな知らなくていいことを、三十近くなってから知ってしまうとは。
体は文字通りガタガタなのに、頭だけはやけに冷えていた。
冴えているワケではなく、ただ現状を他人事のように認識している。
不出来な映画を義理で見ている時みたいに、薄目で眺めて遣り過ごしたい。
アイドルであるのを諦め、新たなアイドルを作り育てる道を選んだのは、本当にマミにとって正解の道だったんだろうか。
もしかすると、心の奥底に痛みや苦しみが蓄積され続けてたかもしれない。
かつて自分がそこにいて、すぐにでも手が届きそうな場所にいるのに、二度と自分のためにステージが用意されることがない、というのはあまりに残酷じゃないか。
明るく元気なキャラを演じていたけど、実際には脆さと儚さが芯にあったあの子のことだ――だいぶ無理をしていたのが想像できる。
「もっと……もっと色々と、会って話をするとかさ……あったじゃない」
後悔とも愚痴ともつかない、棒読みの言葉が溢れた。
志麻は何も言わず、目を伏せながら私の手を握り続けている。
仄かな温もりと微かな柑橘系の香りが、波立つ心を徐々に鎮めていく。
油断すると泣いてしまいそうだが、ここで泣くのは何か違う気がする。
きっと今だと、マミを悼むのではなく、自分を憐れむ涙にしかならない。
「ありがと、シマちゃん……だいぶ落ち着けた、と思う」
「無理しないで、久美さん。番組なら、一人でも何とかするし」
「大丈夫……たぶん、大丈夫。マミのせいにも、したくないから」
いつの間にか、激しい震えは収まっていた。
まだ膝や腰がフワフワしてる感覚があるけど、すぐに消えるはず。
この事故と向き合うのは、収録が終わってからにしよう。
マミでもきっと、そうするに違いないから――
急な冷え込みに惨敗し、性能ガタ落ちになっております。
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