第124話 「人を殴れる才能ってのもあんだよなー」
※今回は奥戸視点、3章ラストの数時間後です
いつものように三種類の鍵を使い、誰もいない部屋へと戻る。
もう十年くらい暮らしているのに、自宅って感覚はまるで湧かない。
だから「帰る場所」ではなく、「戻る場所」と認識していた。
いつ捨てても構わないし、別に居場所があればそっちを選ぶ。
だけど、オレが住める場所はココしかないから、ココにいる。
「所有権とか、どうなってんだろなー」
今更な疑問を口にしながら、履き慣れない靴を脱ぎ捨てる。
このマンションの部屋は、戸籍上では父親に当たる男が購入した。
駅近の好立地で最上階の4SLDK、壁は分厚くて防音性も抜群。
それを新築で買ったのだから、結構な値段だったに違いない。
だが、有名な美容外科医であるカスには、そう高くもなかったようだ。
少なくとも、オレと一緒にまとめて捨てても平気な程度には。
ドアに三箇所ある錠の他、入口はオートロックで管理人は常駐。
そして廊下や屋上のアチコチに、監視カメラが死角なく配置されている。
恐らくは、セキュリティの強固さがウリの物件だったんだろう。
外からの攻撃に対しては、確かに鉄壁の守りだったのかもしれない。
しかし、ウチで起きている惨劇に対しては、何の役にも立たなかった。
「お袋も、姉貴も……オレも、まったく守られてねー」
脱衣所兼洗面所へと移動し、汗と埃と返り血で汚れた服を脱いでいく。
次の出番があるかわからない、派手な和柄アロハをしばらく眺めた後、洗濯カゴに放り投げる。
予想以上に疲れていたのか、熱めのシャワーを浴びると全身の筋肉が解れていく感覚があった。
こういうのは温泉とかで出現するヤツだろ、と変な笑いが漏れてしまう。
「んー、落ち切らねーが……まーいいかー」
壁の鏡を見ると、髪を染めた銀スプレーが斑に残っている。
二度シャンプーしてもこんな状態、ってのは性能がいいのか悪いのか。
明日の朝にでも、もう一度洗っておけばどうにかなるだろう。
そう考えつつ髪色を確認していると、イヤな事実に気付いてしまった。
自分の顔立ちが、いよいよ父親に似てきた――気がする。
現在のカスは、クリニックの宣伝も兼ねてだいぶ顔をイジってる。
五十を過ぎてるのに、不気味に若々しく不自然に肌艶のいい、薄気味悪いジジイと化していた。
だがオレの記憶にあるのは、鏡の中から睨んでくる自分によく似た、不機嫌そうなツラだ。
機嫌の悪さがもう一段階進むと、オレか姉の葉月か母親の傷が増える。
胸や腹に残るいくつもの痕――背中に刻まれた古傷は、たぶん更に多い。
「自分で怪我させて、自分で治療するとかよー」
形成外科から美容外科に転身したカスの、医者としての腕は確かだった。
だがお頭はブッ壊れていて、暴力衝動を抑えられない厄介な狂人だ。
クリニックを複数経営し、ダイエット本や美容アドバイス本なども多数出版。
タレント文化人的なポジションで、メディアにもしょっちゅう顔を出す。
仕事が忙しいからか、家にいるのは月に十日といったところ。
そんな男の家庭生活は、日々のストレスを妻子にぶつけるのが全て。
理由をつけては殴り、理由がなくても殴り、倒れたら蹴り飛ばす。
腕を捩じり、脚を捻り、悲鳴を聞いても平然としていて。
自分の行為がバレないよう、服で隠れない場所は決して狙わない。
家具や食器を壊す、投げる、ぶつける――買い替えても、また同じことをする。
玩具の類は色々と買い与えられたが、コチラが愛着を持ったところで壊したり燃やしたりして、反応を楽しむ。
子犬で同じことをしやがった時は、オレも葉月も本気でキレたが――
「ガキがキレたって、どーにもならんわなー……」
ブンブン頭を振り、不快な記憶を薄めようとするが上手くいかない。
溜息を吐きながらバスルームを出て、タオルで雑に全身を拭う。
アイツが何をしてきても、オレたちにはどうすることもできなかった。
腕力でも敵わないし、逆らえば『監獄』に入れられ、カスの気が済むまで放置だ。
そのせいで狭い場所に長居するのは、未だに若干の抵抗感がある。
姉貴やオレが成長してくると、カスは単純な殴る蹴るだけでなく、手の込んだ虐待を繰り出してきた。
例えば、葉月への罰としての暴力をオレに代行させる、など。
拒否すれば、三人に過剰な攻撃が加えられる――だから仕方なく親を、子供を、姉を、弟を、殴り、蹴り、傷つけた。
それを眺めている澄まし顔を思い出すと、今も新鮮な殺意が湧いてくる。
あのカスにとって、オレたちは一体どんな存在だったのか。
酒も飲まず薬もキメず、素面のまま妻や子供を何年も苛み続ける。
どんな理由でそうせずにいられなかったのか、今更ながら気になる。
にしても、ワイドショーのコメンテーターとして、家庭問題に関して常識的なコメントを述べていたのを見た時は、変な笑いがしばらく続いた後に吐き気が込み上げた。
クソみたいな環境だってのに、どうして逃げなかったのか。
オレらの状況を説明すれば、誰でもそんな疑問を口にするだろう。
我ながら不思議だが、当時は逃げるとか助けを求めるとか、そういう選択肢はまったく浮かばなかった。
とにかく、逆らうと大変なことになる、機嫌を損ねないように、言われた通りにしなければ――そんな思考から離れられずに。
かつては葉月やオレを守ろうとした母親も、その内に何もしなくなった。
虐待がいつから始まったのかは定かじゃないが、オレたちより長くカスの支配下にあった母親は心が折れて「何をしても無駄、何があっても救われない」と思わされるような無力感に陥っていたのかもしれない。
ともあれ、どんな理由で決意したのかわからないが、彼女がこの家から逃げ出せたのは喜ぶべきなのだろう。
「姉貴だけじゃなくオレも一緒に連れてってくれりゃー、もっと素直に祝えたんだがなー……置いてかれたのは似すぎてるから、かなー」
前々から準備していたのか、それとも突発的な行動だったのか。
昔はどっちだろうと悩んだが、どっちにしても何が変わるでもない。
小学六年の秋、二泊三日の修学旅行から戻ると、母親と葉月がいなかった。
それから五年近くが経った今も、二人は帰ってこず不在のままだ。
ただ、不思議と「捨てられた」的なショックは薄かった気がする。
その後、カスの理不尽な攻撃性は全てが俺に向けられた。
ただ、激しい暴力に晒されても、昔ほど怪我はしなくなっていた。
百八十あるアイツよりデカくなろうと、四年の頃からとにかく食って、ひたすら運動を繰り返し、小六時点で百七十センチ・七十キロまで育っていた、ってのもある。
しかしそれ以上に、無数の殴る蹴るを受け続けている内に、ダメージの無効化や軽減の仕方を脳と体が学習したんじゃないか、と思わなくもない。
「それでもまだ、おっかねー存在だったわー」
洗面台の鏡に映った部屋着の自分と、二年ほど会ってないカスの印象が重なる。
ガタイは良かったし、若い頃にはボクシング経験もあったらしい。
とはいえ、体型維持のためのジム通いしかしてない、四十過ぎの中年。
肉体面では中一時点でもどうにかできた気がするが、暴力で調教され委縮した精神面はどうにもならなかった。
だからオレは、刷り込まれた恐怖心を消すための訓練を始めた。
治安の悪そうな場所をダサい服装でウロつき、ワザと絡まれる。
この自分をエサにしたトローリングで、実戦経験をひたすらに積んだ。
チンピラ、ヤンキー、酔っ払い、ワルぶった中高生。
単独で来るヤツは殆どおらず、大体は二人か三人で仕掛けてくる。
戦法としては正しいんだろうが、作法としてはかなり行儀が悪い。
だから、相手が脅しの口上を述べてる最中、先制攻撃で教育してやった。
一発で倒れないのは四五人に一人、手応えがあったのは十人に一人ぐらい。
五十か六十戦を試した中で、負けそうな危険を感じて逃げたのは二回のみ。
何かしらの格闘技やってんだろうな、ってヤツにも苦戦したことはない。
自転車やデカい石を全力で投げる、って技は何道も採用してないからな。
そんな日々を繰り返している内、オレはある真理に辿り着いた。
「人を殴れる才能ってのもあんだよなー」
無意識に発動する対人暴力ブレーキを無視できる、もしくは壊れてるか最初からついてないってヤツは、例外なく強い。
そして、無視して動けるようになったオレも、きっとそれなりだ。
だから、アイツにもきっと勝てると信じられるようになっていた。
実行に移したのは、中二の春――どんな理由だったか忘れたが、正座させられ肩を殴られていた最中。
三発、四発と殴られていたが、衝撃は感じても痛みは殆どない。
何となく見上げたら、顔を真っ赤にしてるキモいおっさんがいる。
あれ、オレはどうしてこんなヤツを怖がってたんだっけ。
そう感じた瞬間、ヒョイと起き上がって鼻柱に頭突きを入れてた。
仰向けに引っくり返るカスの胸倉を掴み、横っ面を全力で殴打。
右フック二発の後で手を放し、背中から落下した直後に腹を踏み蹴る。
「何を驚いてたんだろーなー、あのカスはー……」
絶対に反撃してこない、逆らうはずがないと確信してたんだろうか。
そもそも、嫁と娘が逆らって逃亡してるのに、危機感ないのがオカシい。
どんな根拠でオレだけは従順と判断したか、あの時に聞いときゃ良かった。
とりあえず合計で二十発ほど叩き込み、小便を済ませてからジックリ半殺しにするつもりだったが、トイレから戻るとカスは血溜まりだけ残して部屋から消えていた。
それからは他の家族と同じく、この部屋に姿を見せていない。
生活費を入れるための口座には、学生の一人暮らしには過大な金額が今も毎月欠かさず振り込まれ続けている。
親として最低限の義務感なのか、でなければ口止め料か慰謝料か。
アイツの中での名目はわからないが、まぁどうでもいい。
冷蔵庫から取り出したパックの牛乳を直飲みしながら、何か重いものが当たった痕跡が複数残る壁紙を見据える。
自分の家を、家族を傷つけている最中、あのカスは何を考えてたんだろうな。
それはそうと、最近は「泣き声」が聞こえなくなった。
この家にいると、ふとした瞬間に子供の声で流れてきたのに。
幻聴だと知ってるから無視していたが、かつてのオレや葉月が泣き喚く様子が、この部屋ではしょっちゅう再演されていた。
もう救いを待ってる子供はいない、と自身が納得できたんだろうか。
消えたのはいつ頃からだ、と思い返してみれば――
「ヤブとつるみ始めてから、かー……」
入学早々から、何だか浮いてるヤツがいるな、と思っていた。
噂によれば、一年ほど前に両親をいっぺんに事故で亡くしたらしい。
死んじゃいないが、二人の家族が消えたのはオレも経験している。
そんな共通点もあって気にしてたが、どうにもコミュニケーションが取りづらい。
妙に強固な壁を作って、他者と距離を置いて交流を避けている雰囲気で。
それでも声をかけ続けてたら、連休明けくらいからまともな反応が。
「そういやー、だいぶキャラ変わってんなー」
アイツも色々と謎めいた部分が――いや、得体の知れなさの塊だな。
まぁ、オレも過去をワザワザ語る気もないし、人付き合いってのはそんなモンか。
何はともあれ、薮上荊斗の周囲はやたら居心地がいい。
今のオレにはそれが重要で、他のことはワリとどうでもいい。
風邪から回復して2週間でまた風邪を引いたらしく、生物としてだいぶ無に近づいております。
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もっと陰鬱な展開が見たい! という紳士淑女はコチラの悪趣味ホラーをどうぞ。
『友達の友達』
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