★第12話★ 聖女の願い
「リュート、でございますか」
正直に言えば、驚きを禁じ得ない。
あのクラヴィ様が楽器を奏でる姿が浮かばない。
ただ過去形だ。クラヴィ様も生まれた時から“氷河”だったとは思えない。
魔物襲来で両親と兄と姉、家族四人を失い、次男からいきなり領主となり、それも復興の重責を担い、乳飲子の弟を抱えたのだ。
何かがあっても仕方なかった。
生まれつきならば、これほど弟のグラツィオ様に目をかけないと思ったためだ。もっと機械的に接するだろう。
「うん。元々父上がリュートを弾いて母上が歌ってたんだって」
リュートはギターと構造が似ているが、音を響かせるボディは雫を半分に割ったような形で、弦の本数も多く、控えめな音量で繊細な音質の典雅な楽器だ。
神殿にもあり、私も嗜んだ。
もう古い時代の楽器として忘れ去られていたが、私は好きで、“聖具”として下賜されることもあり、演奏法を教わり時折稽古していた。
「さようでございますか。懐かしゅうございます。
王都にいた頃は時々奏でておりました」
「え?ほんとに?だったら聞かせて、って……。
ごめんなさい……」
私が角笛以外の楽器を奏でられないことを思い出されたのだろう。明るい笑顔から一転、小声で謝る。
「お気になさらず。聴くのは今でも大好きです」
「そっか。だったら、ステラ様から、兄上に頼んでもらえないかな?」
「え?私がですか?グラツィオ様からではなく?」
「うん。僕が頼んでもダメだったの。忙しい、とか、今はもう弾いてない、とか。
でも兄上にも音楽を楽しむ時間を持って欲しいんだ。
父上もそのほうがいいって言ってたんだって。
『張りつめた弦はいつかは切れる』って」
「さようでございますか……」
「兄上はステラ様と『叶えられるなら叶えてやる』って約束されてるんでしょ?」
「グラツィオ様。どなたからお聞きになったのですか?」
「ん?ランザ。相談したら、『ステラ様に頼んで貰えばいい』って教えてくれたんだ」
「………………」
心の中で『ランザ様……』と恨みたくなるが、目の前のグラツィオ様は、緑色の瞳を輝かせてらっしゃる。
そういえば、クラヴィ様は緑と赤の瞳を持つ金銀妖瞳だ。
私やアニマ様は全く気にしないが、城に通う内に、心無い言葉も耳に入る。
赤い右目も元々緑だったが、ご家族を亡くした9年前の魔物の襲来後に赤くなり、“魔物付き”と囁かれていた。
魔物付きではない。それは違う。
大神殿の修行で、捕獲された魔物と相対したことがあるが、あの凶々しい気配とは全く違う。
何よりあの領都を護る《結界》に魔力を注ぎ込む作業を、毎日欠かさず行っているというのに、どこが魔物だと言うのだ。
しかし、あれは重要機密で、限られた人間しか知らない。とても反論はできないし、新参者の私がしても逆効果だろう。
「ステラ様?」
物思いに耽っていた私に、グラツィオ様が呼びかける。
お願いを叶えて差し上げたいが、クラヴィ様から白い眼を喰らいそうだ。
しかし言うのはタダだ。
馬鹿にされても、《結界》のことがあるので、無碍にもできない。
ランザ様は知恵者との評判通り、確かによくお考えだ。
「かしこまりました。お願いしてみましょう」
「わ〜、ありがとう。ステラ様」
心中、ため息をつきつつも、無邪気に喜ぶグラツィオ様に、コルピア侯爵家の領地で養育されている、弟モルデンを思い出していた。
〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜
「はあ?リュート?」
ほら、やっぱり『お前、バカか』という白い目、いや、緑と赤の眼差しを向けられる。
周囲の空気の温度が一気に下がった。氷魔法の冷気が洩れだしている。
夏に入り、ほどよく汗をかく暑さのはずなのに。
「はい。リュートの名手とお聞きしましたので、ぜひ。
ご存知の通り、私はもう奏でられませんので、私の代わりにグラツィオ様に聞かせて差し上げて欲しいのです」
クラヴィ様は黙り込む。無理もない。
断ってくれれば、私も「お願いしてみましたが、『叶えられないこと』の一つでダメでした」と言える。
『早く断ってくれないかな。氷魔法にしても寒すぎる。風邪を引く。あ、《自己治癒》かけとこうかしら』などと思いながら待っていると、深いため息を吐かれた。
『ため息を吐くくらいならすぐに断ればいいのに』と考えていると、私に問いかける。
「あなたはなぜ、自分のことを差し置くのだ。
これはグラツィオに頼まれたのだろう?」
「はい。仰せの通りです。
もし叶えられる範囲なら、グラツィオ様の笑顔が見られますし、叶えられない範囲でしたら、『ご無理でした』と伝えればよいだけです。私は何も損はいたしません。
ただ私はリュートを弾くのが好きでしたが、ご存知のとおり弾けません。
今はもう滅多に奏者はいない楽器ですので、聴くこともできなくなるだけです。
もし叶えていただけたら、私にも益はあります」
「………………」
椅子を回され、くるっと後ろを向かれた。
沈黙が流れる。お考えらしい。
『嫌ならさっさと断ればいいのに』と何度目か思っていると、こちらへ向きを変える。
さらに気温が下がる。
『希少な氷魔法をこんなところで使わないで欲しいな』と考えている側から声が発せられる。
「わかった。ただし時間をくれ。10年近く弾いてないのだ」
正直驚いた。
断るとばかり思っていたためだ。
「ありがとうございます。では失礼します」
答えが変わらないうちに、と私はすぐに執務室から退散した。
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その1か月後——
塔の上でいつもの《結界》の保持作業を行ったあと、クラヴィ様から声をかけられた。
「例の約束を叶えたい。
ただグラツィオを残念がらせたくない。ここでレッスンして欲しいのだが、いいか?」
本当に驚いた。目が丸くなりそうだ。聞き間違いじゃないよね。
落ち着きを取り戻し、聖女らしく答える。
「かしこまりました。レッスン方法はグラツィオ様と同様でよろしゅうございますか?」
「ああ、構わない」
その日から毎日、《結界》保持作業後に、レッスンを行った。
最初は基礎練習から始め、弦を押さえる場所に迷ったり、鳴らす弦を間違えたりしていたが、『昔取った杵柄』で勘を思い出すと上達は早かった。
またレッスンでの呼びかけが、『ラルゴ辺境伯閣下』では長いと言われ、『アニマ様も同様なのだから』と『クラヴィ様』呼びを命じられた。
領主命令だ。仕方ない。効率重視の方なのだ
音楽を奏でている間は、《氷河》以外の面もちらほらと見え隠れする。
それは新たな発見だった。
「どの曲を演奏されますか?」
「グラツィオに聴かせるなら、父上がよく弾いていた曲だろうか。ただ、……愛の歌、なのだ。母上への……」
仲の良いご夫婦だったのだろう。記録では先代辺境伯夫人は女騎士でいらっしゃった。共にラルゴを護っていらしたのだ。
「題名か旋律を覚えていらっしゃいますか?」
「……確か」
リュートで奏でる旋律には覚えがあった。恋愛詩人が歌っていた当時はわりと有名だった古楽曲だ。
ただし題名が『硬い氷の鎧を今まで身に纏っていたのに』というものだ。
私は五線譜に伴奏と主旋律、題名と歌詞を書き写すと、クラヴィ様へ見せる。
冷たい表情が一気に崩れ耳まで赤くなり、口元を手で覆う。
私は見ないふりをしてもう一曲、初心者向けのものを同様に書き写す。
こちらは『尊き至福の瞳よ』という題名だった。
「どちらになさいますか?」
「……難しい選択だ。どちらの歌詞も私には、少し、いやかなり、厳しいものがある……」
「では私が歌って、クラヴィ様が伴奏されるのはいかがでしょうか。歌詞は古典語ですから、グラツィオ様にはまだおわかりにならないかと存じます」
「……申し訳ないが、それで、頼む。その、二曲目を、お願いしたい」
「かしこまりました。伴奏はいつまでくらいにできそうですか」
「1週間もあれば……」
「レッスンは必要なくとも、合わさないといけませんので、1週間後にまたいたしましょう」
「承知した」
その時には今まで通りの冷たい無表情に戻っていたが、あれだけ豊かなものをこの下に隠していたのだ、と思うと、少し微笑ましくなった。
「ではそのように。今日はここまでにいたしましょう」
私もいつも通り礼儀正しく振る舞い、レッスンを終えたが1曲目も含め楽譜を渡す。
「こちらもどうぞ。ご両親の思い出の曲でございます。
いつかそういう御相手ができれば、歌って差し上げればよろしいかと」
「後半はありえないが、好意は受け取る」




