魔物学者は、少女に説得される。
「ふむ」
モノクルを押し上げたルアドは、息で曇ったレンズを口布の端で拭うと、指先で首元まで引き下げた。
そしてジッと、マタンゴの菌糸に覆われた副団長を観察する。
「まだ生きている苗床を見るのは、珍しいね。どれどれ」
瞳孔を確認すると、目は開いているが焦点は合っていない。
肌は、他の苗床になった冒険者パーティーの面々と同様に乾きかけているが手先はまだ感覚があるようで、時折ピクピクと指が動いていた。
『ルア、ド、ノ、野郎……ドコダ……クソ、レア魔物ガ、見ツカラネェ……団長……本当ノ事……探シ出シテ……連レ戻……』
「え? ボク、マタンゴの苗床になるのは嫌だよ。君たちだけでやってなよ」
名前を呼ばれたので言い返すが、副団長からの反応はない。
『アア、喉ガ……ドコダ……クソ……探シ……』
「……悪夢か、幻覚を見ているのかな? マタンゴの能力なのか、脱水による意識の混濁なのか、は判断がつかないな……」
マタンゴの能力だとしたら、幻覚を見せる効果が胞子にあるということになる。
以前育てた時は『動き回られると困るから』と骨がついていない塊肉で育てたので、その辺りは知らなかった。
しかしまだ動ける状態っぽいのを見ると、獲物を逃がさないためにマタンゴが幻覚を見せて動きを封じている、と見る方が筋が通っていそうである。
「あ、あの、ルアド、さん……?」
「ん?」
どこか怯えた声音で、恐る恐る話しかけてくるエンリィの方に目を向けると、彼女はクーちゃんを抱きしめたまま言葉を重ねた。
「お、お知り合い、なんですか……!?」
「え? うん。そうだけど」
「じゃあ、たっ、助けなくて、いいんですか!?」
なぜ敬語なのだろう?
と、そちらの方を不思議に思いつつ、ルアドは口布を持ち上げる。
「何で? マタンゴの領域に、準備もなく勝手に踏み込んだのは彼らなんだから、苗床にされても仕方がないじゃない」
「でも、お知り合いなんですよね……!?」
「だから?」
本気で意味が分からず、ルアドは首を傾げる。
逆にエンリィの方も、混乱を極めたような顔で、呆然とこちらと副団長たちに視線を行き来させた。
「だ、って、人が、魔物に、襲われてる、のに……」
「君は、何を勘違いしてるの?」
ルアドは腕を組み、トントン、と髪の生え際、こめかみの辺りを指で叩く。
「君は魔物と人を、等価に扱っていたよね? クーちゃんを認めて欲しい、と、皆に教えたがってたじゃない」
「で、でも、私が魔物に襲われた時には、助けてくれたのに……!?」
「そりゃ君が助けを求めたからだよ。命を粗末にする連中と、君は違うじゃない?」
「ーーー!」
「彼らは、ボクの力をいらないと言った。そして助けも求めてないし、今のボクに必要なのは、マタンゴであって彼らじゃない。また、動物の苗床はマタンゴに必要なものだ」
ルアドには必要じゃないのに『それ』を奪うのは、主義に反する。
用心を怠れば、餌になるのは自然の摂理なのだ。
「魔物も人も自然の一部だ。ーーーそう、言っただろう?」
ルアドの言葉に、顔に汗を目に見えて流し始めたエンリィは、視線を小刻みに、目まぐるしく動かしている。
人間が、何かを考えている時の兆候だ。
それも、冷静ではない時の。
何を考えているのかは、さっぱり分からなかったが。
エンリィは、やがてこう言葉を発した。
「じゃ、じゃあ、私が、『人の仲間として、彼らを助けて欲しい』ってお願いしたら、助けてくれるの!?」
「……へ?」
「だだ、だって、助けを求めたら助けてくれるんでしょう!?」
多分もう、混乱しすぎて自分で何を口走っているのかも分かっていなさそうだったが……必死なのだけは、伝わってくる。
「生きてる人を見捨てるのは、私の、主義には反するわ!!」
「……興味深いなぁ」
ルアドは、彼女の主張を聞いて、魔物使いとしてではなく、エンリィ個人として興味を抱いた。
そして、この褐色肌の少女を、面白いと思った。
魔物にも人にも、等しく価値を見出しているらしい少女を。
「君がそう言うなら良いけどさ。ボクが、こんな状態になった苗床を助けられると思う?」
「思うわ!」
「根拠は?」
「あ、あなたが、助けないのかって聞いた時に『助けられない』って言わなかったから!」
「合格だ」
彼女は頭の回転が早い。
おそらく地頭は、目の前の副団長よりもよほど良いだろう。
「よし、なら助けよう。……とりあえず、マタンゴを採取してからね!」




