魔物学者
―――【大禍】から数日。
「ルアドー! 大変!」
すっかりマタンゴやスライムがいなくなった平原の土壌調査をしていると、後ろから声が聞こえた。
振り向くと、雛を抱えて足元をクーちゃんに纏わりつかれながら、エンリィが駆けてくる。
「どうしたの?」
ルアドが首を傾げると、その間に近づいてきたエンリィが、眉根を寄せて告げた。
「井戸から汲んだ水が、塩辛いの!」
「水が?」
モノクルを押し上げて腰を上げると、エンリィがコクコクとうなずく。
「飲み水は大丈夫?」
どの程度の塩分が含まれているのかは分からないが、飲めないほどに味が感じられるなら問題だ。
そう思っていると、エンリィが不思議そうに首を傾げた。
「なんかあんまり焦ってないわね……飲めないわけじゃないけど……」
「ちょっと気になるくらいかな? まぁ、水なら最悪、魔法でどうにかなるよー」
結界を張れる程度の水は発生させられるので、大きな瓶があれば貯めることも出来るし、池も作れる。
何なら、毎朝ルアドが必要な水を各家に溜めに行ってもいい。
そのくらい出来るくらいには、村には世話になっているのだ。
「多分、スライムの浄化の影響だよー。ね? プルリン」
ルアドが、相変わらず自分にくっついてくる変異スライムに声をかけると、プルリンはフルフルと体を震わせた。
あの後……今日もだが、ルアドは巨大スライムが起こした現象の理由を、探っていたのだ。
そして、アレは最終的な大地の浄化なのだと結論づけた。
マタンゴに塩を吸わせてある程度影響は消えたが、大地の中には深く染み込んだ塩の名残があったはずだ。
土地の力が、スライムが消えた後に増していたのは、その体に溜め込んだ水分で大地の塩を地下水の通り道まで押し流し、土壌を正常に戻したのだろう。
ルアド自身が使った術式の影響などを考慮から外しても、明らかに草木の生育が進み始めている。
「一時的なものだとは思うけど……一応、井戸に【ホラフキ貝】を放り込んでおけば、程なく影響は消えるんじゃないかな?」
【ホラフキ貝】は、人や動物が飲めるような清浄な水に住む、肉食の貝型魔物だが、スライム同様に、自分が住む場所の水質を自分に合うように整えてくれるのである。
「いや、井戸の中に魔物がいるとか笑えないんだけど……? 元に戻っても水汲めなくない……?」
「綺麗になったら、捕まえて元の場所に戻せばいいじゃない」
少なくとも、自然に落ち着くのを待つよりは早いはずだ。
その後、さっそく川に出かけたルアドは【ホラフキ貝】を捕まえて井戸に放り込むと、村長にその旨を伝えに行った。
「ていうわけで、とりあえず落ち着くまでは池を作って、必要ならボクが飲み水を湧かすので、いつでも言って下さい」
「ありがたいが……よろしいので?」
「色々と興味深いことを知ったり研究したり出来たので、そのくらいの借りは返しますよー」
「こちらの方が恩義があるのですが。村も救っていただきましたし」
「どちらにせよ、村にはしばらく残るつもりなので問題ないですよ。雛の件もありますから」
ノーブル・ズゥが陽気で育ったことで生まれた雛は、エンリィの側を離れようとしない。
その研究をするのなら、必然的に村に残ることになる。
ルアドは、村長とテーブルを挟んで座りながら、指先を合わせてニッコリと笑った。
「そこで一つ、提案があるのですが」
「何でしょう?」
「村の土壌は再生したので、田畑を作るのであればお手伝いいたします。その見返りに、近くの平原の一角をお借りしたいのです。牧場を作ろうかと思いまして」
魔物の研究は、今まで実地での生態検証が主だったが、マタンゴやスライム、トノオイ飛蝗の三すくみなどを見るに、環境変化の研究も面白そうだと思ったのだ。
この村は【魔の領域】にも近く、魔物の種類も豊富である。
凶暴性の低い魔物を牧場で育てることで、さらに新たな知見が得られるだろう、とルアドは考えていた。
エンリィがいれば無理に捕まえようとしなくとも、彼女と共鳴した魔物をルアドが管理することで、村としても安心感はあるはずだ。
そうした説明をすると、村長は一つうなずいた。
「こちらとしては、特にそれに対して思うことはありません。ご自由にどうぞ」
村長の態度もずいぶんと変わったものだ。
最初の懐疑的な様子から、多少の信頼は得られたらしい。
「感謝します」
そう伝えたルアドは場を辞して、エンリィの家に向かった。
団長たちは、冒険者を連れて近くの街に戻っている。
アスランは正気を保っていたが、村に塩を撒いた冒険者は気が狂っていた。
死んでいないので、団長の方は特に問題はないだろう。
教会がどう出るかは不明だが、ニーズもいることだし、また村が襲われたとしても一緒に撃退してしまえばいい。
もっとも、彼女は今、【魔の領域】に出かけていて留守にしているが。
ルアドが家に帰ると、エンリィは、家の前に作った小さな畑の前にいた。
そこで、クーちゃんに小さな農具をつけて耕していたエンリィが目を上げる。
「あ、お帰りなさい」
「ただいまー」
クーちゃんが耕している畑は、魔物の餌を作るためのものだった。
基本的に魔物は肉食だが、雑食のものも多く、草食のものも一部いる。
クーちゃんは雑食で、雛は、肉ではなく豆や果物を食べる類いの霊獣だったので、育った作物は彼らの餌になるのだ。
「……なんか、元気ないわね?」
「え?」
クーちゃんとエンリィが働くのを、畑の横で遊んでいる雛の横で眺めていたルアドに、彼女は心配そうな声をかけてきた。
そんなつもりはなかったので、驚きながら目をぱちくりさせると、手を止めたさらにエンリィが言葉を重ねる。
「何か、気になってることがありそうな顔してるわよ?」
「んー、そうだなぁ……」
気になっていることは、彼女の言う通りひとつだけあった。
「ボクは、やっぱり魔物なのかなーと思って」
師父が消えたことで。
彼の気持ちを、ルアドは考えていた。
「好きに生きてるだけで他人を狂わせることがある、なんて、思わなかったからねー」
師父は有能な学者だった。
博識で、意欲もあり、冷静で、理知的。
そんな人でも、他人を気にして、嫉妬を抱き、あんな凶行に走るようになった原因が、自分の存在だったのだ。
「ボクに出会わなければ、師父は有能な学者のままでいられたのかなーって思ってねー。【大禍】を引き起こすような真似はせずにさ」
そう言って、ルアドがあはは、と笑うと、エンリィはキッパリと首を横に振った。
「それは、ルアドのせいじゃないわ」
「え?」
「だって、世の中には凄い人なんていっぱいいるもの。ルアドもそうだし、ニーズさんや団長さんも。そういう人に嫉妬をしたとしても、その後の自分の行動を決めるのは、本人でしょう? ……いるだけで悪い、なんてこと、絶対ないわ」
その人の問題よ、と言うエンリィは、彼女自身が人と違う才能を持っている少女だ。
人に羨まれることは、ルアドのような生き方をしている人間くらいのもので、実際に村でもある種、忌まれていた。
そんな彼女は、その才能と自分の立場について考えたことがあるのだろう。
ーーー魔物使いであり、魔物であるから、いてはいけないのか。
確かに、そんなことはないはずだった。
「ルアドは、私たちを助けてくれたわ。そのおかげで、村は救われたのよ。皆が笑顔を浮かべられるようになって、前向きになったの。あなたが来てくれたから」
エンリィは、はにかむように笑いながら、最後に一言付け加える。
「あなたは、私たちの恩人よ」
その言葉に、ルアドはなんとなく嬉しくなった。
「そう? なら良かった」
と。
それまで楽しそうに一匹で飛び回っていた雛が、交互にルアドとエンリィの顔を見て、プルプルと体を震わせ始める。
「……ん?」
どうしたのかな、とルアドが目を向けると。
ーーーポン! と音を立てて雛の姿が変わった。
3歳くらいの、細く赤い翼をこめかみの辺りから生やしている、素っ裸の女の子の姿に。
「「え?」」
驚いていると、女の子はニッコリ笑って、畑の中にいるエンリィの方向に駆け出すと、パッと抱きついた。
「ママ!」
「ママ!?」
混乱しつつも女の子を抱き留めたエンリィは、助けを求めるようにルアドの方を見た。
「え? え!? どどど、どういうこと!?」
「どういうことか、は、研究してみないと分からないけど」
そんな彼女たちの様子に、ルアドはモノクルを押し上げて、あはは、と笑う。
「ーーーいやぁ、魔物は本当に、興味深いね!」
Fin.




