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魔物学者は顔色を変える。


「……師父」


 周りで騒々しく引き剥がされては消滅していく木々や、逃げ遅れて、キィキィと悲鳴を上げながら呑まれていくトノオイ飛蝗(バッタ)たちと違い。


 彼は本当に、吸い込まれるように静かに闇に呑まれた。

 まるで、初めからそこにはいなかったかのように、存在感すら感じさせずに。


 ーーーあなたはいつも、一方的に、ボクに何かを突きつけてゆきますね。


 最初は、ルアドの道を決めた言葉を。

 そして今は、時間すら与えずに解決すべき命題を。


 見ようによっては、一方的で身勝手な……そして誰よりも、ルアドのことを理解していた師。


 彼の望んだ答えを言う前に、身を投げたのは、彼にとっては幸せだったのか、不幸だったのか。


「……少なくとも『【大禍】を祓う』ことそのものに対する回答は、提示しましょう。……ですが、【魔の領域】がなくなることは、ないのです。師父よ」


 聞こえていないだろう答えを返したルアドは、記録書を手に【大禍】に向き合う。

 全ての生命を吸い込んでいく目の前のそれは、【魔の領域】のものと違い、在るべきいかなる理由もない。


辰星大禍しんせいたいか……よどとどまる渦。陰気を極めし水。となれば、土克水による封じ、もしくは陽気木生ようきもくしょうの理による鎮めが正着せいちゃく……」


 しかし、この近くには巨大な龍脈が存在していなかった。


 龍脈は、大いなる気が流れる大地の血管である。


 土は陰陽五行のあらゆる気を内包するため、陽の木気による導きで龍脈の流れに通じさせれば流れて消滅するはずだ。

 しかし【大禍】ほどに成長した陰気を、細い龍脈が取り込むのは時間がかかる。


 もう一つの方法は、力技だった。


 土克水の理による封印や弱体化は、ルアド自身の魔法の練度に依存する。


 陰の気は、夜に向けて強まっていく上に、今は大雨だ。

 相克関係にある土の気といえど、天然自然の力のみに頼って鎮めるのは難しかった。


 後は、一つの方法で解決するのを諦めて、合わせ技で鎮静速度を早めるくらいしか思いつかない。


「でも、やるしかないかなぁ……」


 今の間にも、魔物も獣も取り込まれて死んでいっており、大地も荒れ始めているのだ。

 ルアドはとりあえず、土の浄化魔法で【大禍】を包み込むことにした。


 【賢者の記録書】に魔法陣を浮かべ、手をかざす。


「〝大地の豊穣に願い奉る。荒ぶる水を恵みと制し給え〟」


 ルアドの呪言に応えて、魔法陣が発動する。


 可能な限り、魔力を込めた黄色く輝いた魔法陣が、巨大に成長して【大禍】の上空に浮かび上がり、ゆっくりと降りていく。


 そして大地に到達した瞬間、天に向かって黄色い柱が吹き上がった。

 【大禍】は光の柱に包み込まれ、成長が止まり、吸い込むように吹き荒れていた風が少し緩む。


 が、勢いそのものは衰える気配は見えなかった。


「うーん、やっぱりダメかぁ……」


 向こうは天地の豊富な水気を取り込み続けていて、ルアドはほぼ自身の魔力だけで魔法を発動しているから、不利なのは否めない。


 ルアドが、続いて龍脈へと陰の水気を逃す魔法陣を浮かべた、ところで、異変が起こった。


 音もなく、空気が震える。

 それも、背後の複数の方向からそれがルアドの元へと届いていた。


「何だろう?」


 振り向くと、巨大なスライムたちが天に向かって大きく伸びて、赤く輝いている。


「あの反応は……?」


 攻撃色を纏っているところを見ると、何らかの危機感を覚えていることは明白だ。

 その原因についても、ほぼ【大禍】以外に考えられないが……。


 君は何か分かるかい、と、ルアドは問いかけるために自分の足元にいる変異スライムに目を向ける。


 すると、変異スライムもまた、色こそ変えていないが明滅していた。

 巨大スライムに対して、何かを語りかけるように、断続的な音のない波を発している。


 やがて、巨大なスライムたちが動き出し、一直線にこちらに向けて集まる動きを見せた。


 まるで【大禍】に引き寄せられるように。


 ルアドはそれを見て、顔色を変える。


「何をするつもりだい!?」


 変異スライムが、巨大なスライムたちを使って何かをしようとしていた。

 ルアドは、それが『【大禍】にスライムたちを突っ込ませようとしている』ように見えたのだ。


 大地を富ませる特性を持つスライムたち。

 

 一体何をするつもりなのかは分からないが、彼らの特性的に【大禍】をどうにかする手段があるのかもしれない。


 しかし直感的に、それはスライムたちの犠牲を伴うものである気がした。


「やめるんだ。ボクがどうにかするから、これ以上、無駄な犠牲を払ってはいけない!」


 ルアドは、強い口調で変異スライムを制するが、聞く様子を見せなかった。


「君はボクたちの言葉を解するはずだ。もう一度言う、やめるんだ。スライムたちの行動を止めろ!」


 【大禍】は祓える。

 確証こそないが、実際に魔法陣である程度封じることが出来たのだ。


 だが、変異スライムの行動は、あるいは本能に基づくものなのかもしれなかった。


 大地を富ませるということは、乱れた均衡に調和を与える行為、と読むことも出来る。


 スライムの弱点は塩……正確には『乾き』である。


 塩によって乾き切った大地には、液体で出来た彼らはそもそも生存出来ないために、土地が滅びに瀕していてもそれを浄化することは困難なのだ、と思っていた。


 しかし、そのルアドの推察が間違っているとしたら。


 もしかしたら、彼らは塩が撒かれた時に、自らの身を犠牲にしてでも、大地に対する不毛の影響を減らそうとする存在なのだとすれば。


 この【大禍】も、自らの身を犠牲にして、毒となる瘴気や陰気ごとーーー。



 ーーー自らの内に取り込むことで、消滅させようとしている。

 


 大雨を取り込み、巨大化した体を形作る、陽の水気で薄めることで。


「ダメだと言ってるだろう!?」


 ルアドには、あまり人に理解されたことのない規律が、自らの内にあった。


 魔物や動物を含む他種に対して、人の手を介した時に『繁殖することを前提とする』という規律だ。


 最も分かりやすいのは、家畜化だ。

 人の養分として他種に介在する場合、その種を消滅させるような行いをしない、ということである。


 マタンゴ、トノオイ飛蝗、スライムの三竦みで牧場を作ったことも、そうだった。

 だからこそ、雨季が来ることを前提として、マタンゴに寄生による移動手段となりうる対象を与えたのだ。


 これでいずれかの種が、増えずに消滅してしまうという結果がもたらされるのなら、やめるつもりだった。


 自然以外の状況による種の根絶を、ルアドは許容出来なかった。

 人為によって何かが犠牲になることが、なぜか許せないのだ。

 

 塩を撒かれたことで土地が枯れたことに本腰を入れて対応したのも、同様の理由だった。


「僕が止める。だから、ダメだ!」


 ルアドは、【賢者の記録書】に手をかざした。


 変異スライムは止まらない。

 巨大なスライムたちも。


 ならば、その前に【大禍】を消滅させるしかない。

 ルアドは、魔物たちが富ませた大地の力を信じた。


 土地は、また力を蓄えているはずだ。

 木気が生じるための水気は豊富に存在している。


 気の星配(せいはい)を傾けるほどに、木気を生じさせれば、あるいは、間に合うかもしれない。



「〝陰陽五行の輪廻に乞う! 清浄なる芽吹きを生ぜよ!〟」


 

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