魔物使いの少女は、混乱する。
エンリィはそわそわしながら、膝に乗せたクーちゃんの背中を撫でていた。
何度も、雨音が響く窓やドアの方に目を向けてしまい、落ち着かない。
「遅いわねー、ルアド」
ニーズを迎えに行くだけなら、そんなに時間は掛からないはずなのだけれど。
「大丈夫? クーちゃん」
『わう!』
返事をする魔物は元気そうだが、背中の宝箱の中にはノーブル・ズゥの卵が眠っている。
ルアドは一晩は孵らないと言っていたが、エンリィは心配だった。
「ちょっと見てみようかな……?」
クーちゃんの宝箱に入れば、卵の様子は見られる。
それ自体も少し迷って、エンリィが中に入ろうとした、ところでーーー。
ーーーまるで殴りつけられるような凄まじい感覚が、ぐわん、と頭を襲った。
「何……!?」
その感覚は、何かの悲鳴のようだった。
あるいは、驚いて上げる声のようにも感じられる。
「魔物たちが……?」
『わう!』
クーちゃんも、まるで毛を逆立てるように窓のほうに顔を向けたことから、エンリィは、その悲鳴が人のものではないことを悟った。
第一波の衝撃が去った後も、相変わらず、悲鳴のように空気を震わす波の感覚は続いている。
「スライム……たち?」
意思がないはずの存在が、一斉に声を上げているのだ。
まるで警告のようにも思える不穏な気配に、エンリィは灯りを手に窓に近づいて行った。
そして、落とし窓を押し上げると、水の飛沫が顔を叩くのを無視してジッと目を凝らすと、奇妙な光景が見えた。
「……!?」
雨で肥大化していたスライムたちが、さらに巨大になっていた。
小屋の中から、村を囲う防壁を超えても視認できるほどに。
震えるような音は、彼らが出しているのだ。
本来球体に近いはずのスライムたちは、大きく天に向かって、見張り塔のように長く伸び上がっていた。
その色合いが、攻撃色である赤色に染まっている。
「一体、何が起こってるの……?」
明らかに普通の状況ではなかった。
スライムたちの気持ちを読み取ろうと、意識を集中する。
「……警告」
彼らは何かを訴えていた。
危険だ、と、鎮めなければ、と。
「何を鎮めるの……? クーちゃん。クーちゃんは分かる?」
『わう!』
クーちゃんには分かるらしい。
この子も、凄く何かを警戒して牙を剥いているようだ。
魔物使いとしての才能がある、と言っても、彼らの意思を正確に理解出来るわけではない。
そんな自分を歯がゆく思いながら、エンリィは唇を噛んだ。
ーーー何が、危ないの? 誰かが戦っているの?
でも、そんな人間同士の争いで、魔物たちが騒ぐだろうか。
何か、もっと大きなことが起こっているのではないのだろうか。
「見に、行く……?」
だけど、ルアドもニーズもいない、そんな状況で自分が向かって、もし何かを見つけたとして、対処出来るはずもない。
「あ、でも……」
あの二人は今、魔物小屋にいるはず。
だったら、二人に伝えに行けばいいのではないだろうか。
そう思いついたエンリィは、窓を閉めて支度を始めた。
外套を着込まないと、この雨では風邪をひいてしまうかもしれないからだ。
「クーちゃんも一緒に行く?」
支度を終えて、そう問いかけながら振り向いたエンリィは、思わず目を丸くした。
「クーちゃん!?」
ミミックルミ、とルアドが名付けた状態に変化したクーちゃんの宝箱が、ぼんやりと光っていた。
赤みの強い虹色の輝きに包まれて明滅するその光は、スライムたちの警戒色と違い、どこか暖かい印象を受けるもの。
「どうしたの!?」
『わう?』
急いで駆け寄ったが、クーちゃん自身に特に何か影響はないようだった。
実際、伝わってくる意思も、どちらかと言えば窓の外の状況に向いていて、自分の背中を気にしている様子はない。
と、いうことは。
「もしかして、ノーブル・ズゥの卵が……?」
孵ろうとしているのではないだろうか。
そう思って虹色の輝きに目を向けると、産声にも似た感覚を覚える。
「ああ、もう!! 外でも中でも、一体どうなってるのよ!? ルアドとニーズさんは何してるの!?」
しかし、卵を無視して外に行くわけにもいかない。
外に出なければルアドたちには会えないし、かといってなんだか危なそうだし、そんなところに卵を持っていくわけにはいかないし……。
と、思わず爪を噛んだエンリィは、一回目を閉じて、決断した。
「行くのはやめ! スライムたちのあの状況ならルアドも気づくでしょ! 私は、卵を見る!」
卵が孵るのなら、せめてクーちゃんに害が及ばないようにしないといけない。
エンリィは外套を着たまま、クーちゃんに頼んで中に入ると、やはり虹色に輝いていた重く大きい卵を敷いていた毛布ごと抱え上げて、部屋の中に出す。
そのまま、クーちゃんの背中を撫でながら、部屋を虹色の輝きで満たす卵を息を潜めて見守り始めた。




