魔獣学者は、逃げた罪人を追う。
「何だと?」
ニーズが目を向けると、相手は軽く目を細めた。
そして彼女の腕に目を向けると、あざけるような笑みを浮かべる。
「クク……なるほど、魔に魅入られし邪なる魔導士どもか。鬱陶しいゴミほどしぶといものよな」
「ずいぶんな言い草だねぇ」
ルアドは、異端粛清官に対してうんざりとした気分になりつつ、モノクルを押し上げた。
「無意味な大量虐殺を許容する君たちよりも、僕たちの方がよっぽどマシだと思うけど」
「黙れ、愚者が。神の信徒の身柄をさらい、私刑に処そうと目論む者どもに、容赦する必要がどこにある?」
「塩を撒いて土地を殺すのは、いいのかな。君たちの教義では、大地は神聖なる神の所有物だろうに」
「その神の与えたもうた、魔物を浄化する恵みが塩であり、聖水である。薄汚い悪魔の下僕が、我らが主を語るな」
やはり、全く話にならない。
魔物学は人の役に立つ……ルアド自身は好まないが、魔物を駆除する方策も生態も、魔物学者が解き明かしているのが事実なのだ。
自分たちもその恩恵に預かっておきながら、偏った思想で村人たちまでいわれもない罪に問おうとする、自分たちの『正義』の邪悪さには、まるっきり気づいていない。
「思い出したぞ……再三刺激するなと言ったのに、魔獣の子を殺して激昂させ、あまつさえ、魔導都市を危険に晒した愚か者がおったな」
パシリ、と手を喧嘩キセルで叩いたニーズの体から、ユラリと怒気が漂う。
「それが、此奴か」
「多分ね。表向き、ボクらがミスしたことにされたんだったかな?」
「人里近くにある魔獣を放置しようとしたのは貴様らで、我らは罪なき民を守ろうとしたのだ。都合よく記憶をすり替えるのは、嘘の得意な邪悪らしい話だな」
「……どの口が言ってるんだろうね?」
「バカに何を話しても無駄じゃ」
ニーズは、呪具である喧嘩キセルに魔力を込め始める。
「丁度いい。罪人を庇い立てするクソ女は、儂がここで滅してやろう。迅速にな。そして孵化に立ち合う」
ニィ、と笑みを浮かべた彼女に、ルアドは肩をすくめた。
「じゃ、ボクは逃げた冒険者を追いかけようかな。流石に捕まえないと、団長に何か言われそうだし」
「随分な自信だな。……我らを倒して、通れると思うのか?」
異端粛清官が手にした剣を構えるのには答えず、【賢者の記録書】に手をかざしてチラリとニーズに目を向ける。
「ここは任せるよ。……〝古の絆よ、我が身を運べ〟」
ルアドの体が、呪言と共に浮かび上がった魔法陣の青い光に包まれる。
そうして、一瞬だけ視界が歪んだ直後ーーー。
ーーールアドは、異端粛清官の女性の背後に、立っていた。
「……!?」
「転移魔法だよ。残念だけど、君たちが出し抜けるほどボクらは甘くないんだよねー」
それだけ言い置いて、ルアドは走り出した。
時空に干渉する魔法は、基本的には神の奇跡に類するものとして扱われている。
だが、ルアドにしてみればそんなもの、自分たちに解明出来ていない技術を思考停止で解明しようとしていないだけだ。
現象が起こるのなら、そこには論理がある。
一見して不可解な魔物の生態に、生きる上での意味が存在するように。
「逃すと……!」
驚きから覚めたのか、背後から敵意を向けてくる女性に。
「余所見をしている暇はないぞ。恨みはないが、腕を失った借り程度は、返させてもらおう」
ニーズが声をかけ、魔力を膨れ上がらせる。
ルアドは、彼女のことを全く心配していなかった。
たかが十数人程度の、少し腕が立つ程度の連中が集まったところで、Sランクの魔獣がうじゃうじゃ生息する僻地で活動する魔獣学者が、負ける道理がないのだ。
ルアドはそのまま、逃げた冒険者の男と、それを追っていった元・副団長のアスランを探し始めた。
※※※
「どこ行きやがった!?」
ーーー誰が言うかよ、バカ野郎が!
草原に潜んだ冒険者は、上がる息を無理やり押さえて身をひそめながら、怒声に内心で怒鳴り返した。
体が雨で冷えて、震えてくる。
しかし強い雨音で、ジッとしていればこちらの音は聞こえないはずだ、と気持ちを落ち着かせた。
ーーー逃げ切れるか……?
異端粛清官の人々は、村を滅ぼすのだろう。
追いかけてきているのは、今怒鳴り声を上げている男一人だけだ。
ーーーアイツさえ始末すれば。
剣を引き抜いた冒険者は、もう一つ、白外套を纏った老人から渡されたものを手のひらで転がした。
真っ黒な水晶に似た、丸薬のようなもの。
自分を助けてくれるというそれを握りしめて、冒険者は額にその拳を押し当てた。
「神よ……御加護を……!」
主に祈りを捧げた後に、丸薬を呑み下す。
ゴクリと喉を鳴らして呑み下すと、少しして、腹の奥にボヤッと熱が灯り、全身に広がっていく。
そのまま、体に力がみなぎり始めた。
さらに、意識がどんどん鮮明になっていき……全能感に支配される。
「おぉ……!!」
体の奥底から湧き上がる高揚感に、冒険者は歓喜する。
ーーーこれなら……!
老人の言葉通りに、力を得たのだ。
追っ手がこちらを探す気配も、手に取るように感じられる。
うるさいほどの雨音の隙間で、ガサガサと動き回る邪悪な村に与する者の気配。
「見ていろ、今、殺してやるぞ……!」
舌なめずりした冒険者は、高揚感に意識を支配されたまま、草陰から飛び出した。




